第三十話
「あれ? 男子の大浴場の入り口にいるのって……鹿屋さんだよね?」
「本当だっ。委員長がいるってことは……」
「今お風呂に入っている男子って、市瀬くんだよ!」
「……」
騒ぐクラスの女子たちを尻目に、
「市瀬くんかぁ……」
「市瀬くんねぇ……」
はぁ、と女子数人が小さく息を漏らしたと思えば……。
「市瀬くんの班……めちゃくちゃ楽しそうだったよね!」
「市瀬くん相変わらず優しいし!」
「いいなぁ〜。わたしも市瀬くんと同じ班になりたかった〜」
郁人の話題で盛り上がる。
風呂に入りにきたはずなのに、未だ女子の方の大浴場の入り口付近で話が続く。
「市瀬くんぐらいだよね。女子に笑顔で話しかけてくれてぇ……」
「優しくしてくれてぇ……」
「気配りができてかっこ良くてぇ……」
「全部いいよね! てか市瀬くん、体付きもいいよねっ。腹筋割れてそう〜。ふへへ……」
「……」
そんな女子たちの会話。もちろん、千夜の耳に入ってくる。
――――いつものこと。
そういった感じで千夜は表情ひとつ変えない。
「市瀬くん無防備すぎるから、いくらでもチャンスがあるって最初は思っていたけどねぇ……」
「留衣くんのあの護衛……すごいよねぇ……」
「留衣くんって男性護衛官の中で一番カッコよくて関わりやすいけど……一番男子に近づけないようにしているという、落とし穴!」
「まあ、校内どころか他校でも市瀬くんの人気やばいから、留衣くんが牽制したり忠告したりするのも分かるけどねぇ……」
「アタシたちも、出来るだけ市瀬くんと関わりたいという欲を抑えつつも、襲いたいという衝動も抑えているけどねぇ……」
「市瀬くんのあの対応に慣れたらもう、色々とガバガバになっちゃうよねぇ……」
郁人の話題が止まらない。
郁人の話題が止まらないのもいつもの事。
そうして聞いていた千夜だったが、さすがにいつまでも立ち話をされると……。
「ねぇ、委員長ー!」
ふと、1人の女子が千夜のもとへ。
「大浴場にはいかせませんよ」
千夜は眉を顰める。
「わ、分かってるよ〜。……ちょっとだけ覗くのもダメ?」
「ダメです」
「委員長と留衣くんの護衛じゃ、絶対無理だよね〜」
「林間学校史上、最強護衛コンビだよね。先輩言っていたし」
残りの女子もぞろぞろ千夜のところに来たと思えば、
「ねぇねぇ鹿屋さんっ!」
「はい」
「市瀬くんと……何か進展あった?」
「進展……。会話はしますよ」
「そうじゃなくてぇ! ……その、手を繋いだりとかぁ。こう、スキンシップとか?」
「不必要なスキンシップはしませんよ」
クールな表情を一切崩さず、千夜は言う。
「だ、だよねー」
「委員長は真面目だねぇ。アタシだったら護衛の立場を利用してちょっとは美味しい思いをしたいと思うけど」
「でもむしろさぁ市瀬くんの方からきて———」
言いかけた時だった。
「もう行こー。あまりうるさくしてると、留衣くん来ちゃうから……」
「あっ……そうだねー」
「じゃあ護衛頑張ってね、委員長!」
「ありがとうございます」
女子たちはようやく暖簾をぐぐって中に入る。
しかし、あの様子だと風呂に浸かってからも郁人の話題は尽きなそうだ。
また1人になる千夜。
「……私なんかよりも、遠坂さんの方がよっぽど進展がありそうですけどね」
独り言のように呟いた。
◇◇
なんで、留衣が
二度見三度見しても……やはり俺の前に留衣がいることは変わらない。
混乱し、口はわなわなとしか動かない俺に、留衣は優しい口調で……。
「驚かせてごめんね、郁人。男子が浴場に入った後も、一応中をぐるっと見て回るというのが決まりがあってね」
「そ、そうなのかぁ……」
『男子が大浴場に入る時はいくつかの注意点がある! 特に男性護衛と補佐官は頭に入れとけよー!』
そういや、聖美先生の説明でそんなことも言っていたようなぁ……。
「郁人が入る前に一回点検したとはいえ、念には念をって感じだね」
「な、なるほどな」
念には念をは……大事だな!
留衣がここにいる理由は分かった。
だが、俺は留衣から目が離せないでいた。
留衣の整った顔から目が離せないというよりかは、少し視線を下げた部分に……。
「ああ……さすがにバスタオルは巻くよ」
俺の視線に気づいた留衣。
少し恥ずかしいのか、ほんのりと頬を染めていた。
留衣の身体にはバスタオルがきっちり巻かれているが、少し動けば股下が見えてしまいそうなほど太もものラインはギリギリ。
それでも、大切なところは隠せているのだが……。
隠しきれないのがスタイルの良さとその豊満な胸。
「……」
で、でででかいなぁ……!
どうしても視線が釘付けなる。
バスタオルでキッチに巻いているからこそ、胸の大きさが目立つ。タオルで頑張って押さえつけているようだが……今にも零れ落ちそうだ。
でもさっき言ったような点検だけなら、ジャージのままでも良いのではと思ったが……俺的に眼福なので心の中にしまおう。
「巨乳好きな郁人としては、バスタオルで隠れて残念? それともこっちの方が……いい?」
「……ま、まあ。はい。バスタオル姿も素晴らしいです」
「ふふ。素直だね」
むしろこう、裸よりくるものがあるよな。バスタオル姿って……。
「じゃあわたしは早く点検をすませるね」
と言いい、留衣は俺から離れて大浴場内を歩き始める。
俺が身体を洗い終えて、下半身をバスタオルで巻き終えた頃に、留衣の点検は終わったようだ。
「うん、誰もいなかったし、カメラや危ない物とかもなかったよ」
「いや、それが普通なんじゃ……」
「そうだねぇ。普通だといいんだけど……」
留衣が目を逸らす。
言いづらいみたいだ。
うん……過去に普通じゃなかったことがあったんだな!
「留衣はまた戻るのか?」
「そうだね。点検も終わったし、また更衣室の方にいるよ。何かあったら声を掛けてね。あっ、わたしたちに気を使わずにゆっくりしていってね?」
先手を打たれてしまった。
「ま、まあ……ほどほどにゆっくりするよ」
「うん、ゆっくり身体を癒してね」
「ああ。でもせっかくバスタオル姿になったのに、なんか勿体無い気もするなぁ」
俺がもう少し、留衣のバスタオル姿を拝みたいというのもあるが……。
せっかくバスタオル姿になったんだ。あとはお風呂に入ってしまえばいいってところまできているのに、またジャージになるのもなぁ。
ここが大浴場だからなおさら……。いや、男湯なんだけどさ。
「……。ふふ、なになに? それって、遠回しにわたしとお風呂に入りたいって言っているのかな?」
「っ!?」
女の子と2人っきりでお風呂……。
俺としては夢みたいなシチュエーションだ。
だけど……いいのか? そんなことして……。
俺が口籠もっていれば。
「……。さっきの、嫌なら嫌って言って欲しい」
留衣が真面目な表情になる。
さっきの言葉は、留衣が俺を揶揄ったようなものかも。
『わたしのこと、これから君のことが大好きな女の子として、ちゃーんと意識してね?』
意識させるために言ったのかも。
たとえ、どっちだったとしても……。
あの言葉に留衣の本音が少しも含まれていない、なんてことはないと思う。
じゃないと……。
「……」
こんな不安を含んだ顔で、俺の次の言葉を待たないと思う。
『じゃあ今はそれだけで十分。わたしの好意に対する返事は、後でいいから』
留衣はそう言ってくれた。
あの時の俺は、留衣が女の子だったことやずっと男性護衛官として隣にいた相手から告白されたとか、情報を整理するので精一杯だった。
そしてなにより、留衣への気持ちも分からなかった。
今も分からないままでいる。
今の関係が慣れつつ、心地よくもある。
でも留衣がいくら返事を待つと言ってくれていても、待ち続けるのはやっぱり気が楽じゃないと思う。
「郁人、その……」
分からないままなのは良くない。
早く返事をしたいけど、曖昧な気持ちで返事するのは……。
『そうだよ。わたしは君のことが大好きな女の子だ』
ハッキリと言ってくれた留衣に悪い。
だから、分からないなら分からないなりに……俺からももっと求めてもいいのではないか?
引いたり、遠慮したりするのではなく、自ら飛び込んでいく。
ちゃんと自分の気持ちを知るためにも。
「郁人……?」
「そうだなぁ……。うん、一緒にお風呂入るか!」
「え……」
留衣の小さく漏れた声が、2人きりの大浴場に響いた。
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