side留衣ー4

「……林間学校では牽制を緩めるとしよう……」

 

 そう決めた、その日の夜。 


 今日はわたしの方から玖乃くのちゃんに通話を持ちかけた。


 そして……。


『林間学校では牽制を緩める……ですか。いいのではないですか』

「え、いいの?」


 わたしは思わず食い気味にそう聞き返した。


『はい。いいですよ。せっかくの林間学校ですから。というより、学校のことは留衣さんに任せていますので』

「それはそうだけど……」


 正直驚いた。

 わたしよりも色々と重い玖乃ちゃんが、こうもあっさりと……。

  

『もしかして、私が許さないと思いましたか? 牽制を緩めたら、兄さんの周りに女が群がることになるから』

「ま、まあね……」


 普段の様子を見ていると、ねぇ……。


『私、そこまで厳しい女ではないと思いますけど。せっかくの林間学校ですからね。今回は……ふふふふ』

  

 厳しいというより、愛の方が……。

 今更なことなので心の中だけで思っておこう。


『ですが……』

「うん?」


 やはり、続きがあるようだ。


『牽制を緩めるというのがこの林間学校だけと限定的であっても、一度緩めてしまったのならどうしても全体的にが出てしまうので……気をつけてくださいね』

「もちろんだよ」


 牽制は緩めていいけど、護衛の方は気を抜かないでね、ということだろう。

 

『あと……』

「ん?」

『私も兄さんのことがですから』

「?」

『ふふ』


 玖乃ちゃんは笑みを浮かべるのだった。


 それから始まった林間学校。

 午前中は話を聞くだけで特に何もなし。

 お昼の時間は、料理ができないわたしたちに対し、郁人は怒鳴りつけるでも呆れることなく、一緒に料理できる方法を探してくれた。 

 相変わらずの優しさに、ドライカレーを食べている時も頬が緩んだ。


 ただ午後になれば、他の女子との接触が増えるイベントが出てきた。


 自然と親しむということで、森林を探索したり、苗木を植えたり、薪割り体験をしたり……。


「市瀬くんすごーい!」

「力あるね!」

「かっこいい〜」

「ねぇねぇ! もっとかっこいいところ見せてくれないかなっ」


「あはは、照れるな……」


 郁人の周りに班の女子。

 そして、他の班の女子まで興味ありげに少しずつ寄ってきている。


 郁人がこうして女子に囲まれるのは、学校生活が始まってから初めてだろう。


 慣れてないのと照れているので、わたしと普段話す時のように気軽な返事はできないてないようだ。


 だが、女子はそんなことなど気にしない。

 話が膨らまなくとも、一方的に話しかける。

 男子と関わっているという事実が、彼女たちにとって一番の価値だから。


「……」

 

 わたしは少し離れたところから見守る。

 わたしが傍いると、女子たちもわたしのことが気になって接しずらいだろうし。


「……今のところは大丈夫だね。ただ楽しく話しているだけ。……うん、これくらいは平気……」


 襲われそうな様子はないし、スキンシップも……。


 おや? 今あの子。郁人の身体に触れようとしたかな?

 あっ。わたしと目が合って……止めた。


「……って、わたし。いつもより気が張っている……」


 牽制を緩めたことで、郁人の周りには女子がいるようになった。

 その分、リスクは上がるので男性護衛官としてより警戒するのは当然のことだけど……。


「……っ」

 

 先ほどから妙に胸がザワザワする。


 みんな郁人に言い寄って……。

 郁人に笑顔を向けられて……。

 郁人は他の女の子に夢中で……。

 郁人はわたしのことなんて……。

 

 こうなることは、林間学校前にも分かっていたこと。


 それでも……。


「……」

 

 胸のざわめきは収まることはない。


 これが、嫉妬という感情。

 昔のわたしだったらありえない感情だった。


 そして……。

 

「誘惑……してみようかなぁ……」 


 そう思って、実行しようとすることも。



◆◆


「わたしの身体って……どう?」

「……」


 そう告げるわたしに郁人は目を見開き、固まった。


「ど、どうって……」


 郁人はわたしの全身を控えめにだが、チラチラと見る。


 郁人の顔が赤い。

 それが湯に入ったからではなく……。


 全部、わたしのせいだったらいいのに。


『郁人から誘ったんだから……わたしがしてもいいよね?』


 誘惑と言い出したものの、誘惑などやったことはない。


 そもそも今まで男子が嫌いだった。


『女なのにあの身長と体つきって、なぁ……』

『うわぁ、怖ぇ……』

『ぼ、僕にち、近づくなよ!!』

『アイツ、なんか男装してるみたいだけど、余計怖いよな〜』

 

 大抵の男性よりも高い身長。豊満な胸。体つきも少し良い。

 そんなわたしを見て、今まで出会ってきた男子は皆、口々にそう言ってきた。


 わたしにとって、男子はわたしの全てを否定する存在。


 その男子を誘惑しようだなんて、思わない。


 ただ、郁人は……特別だから。

 

『郁人―――わたしの姿、見てよ』


 あの日のように。

 わたしの全部を曝け出せる。


 しかし、やり過ぎればわたしの方が理性を失って郁人を襲ってしまうかもしれない。

 それは絶対嫌だ。

 郁人に嫌われたくない。


 でも郁人に意識してほしい。


 だから、わたしは……自分なりに誘惑することを決めた。 

 今までコンプレックスだったこの身体で。


「もしさ……わたしのこの身体。嫌じゃなかったら……ぎゅって。抱きしめてもらえないかな?」


 ズルい言い方。

 誘う言い方。 

 郁人の逞しい腕に、全身を預けて言う。

 

「……っ」


 郁人はしばらく視線が定まらなかったが、やがてわたしと見つめ合う形に……。


「……俺は留衣の身体、魅力的だと思う」

「っ!」

「この間も言ったと思うけど、俺は高身長も巨乳もいいと思うからさ。だから……」


 郁人がわたしを抱き寄せた。

 郁人の手が、わたしの背中に回る。 


 抱き締められ、バスタオル越しのわたしの大きな胸は……郁人の逞しい胸板に押し付けられる。


「あ、柔らかい……」

  

 郁人から小さく漏れた声。 

 わたしの身体を嫌がっていない。

 むしろ、ドキドキしてくれているみたい……。


「……ふふ。いいね、抱きしめられるって。わたしのこの身体も心も。全部受け止めてくれているって感じで……」


 わたしも、郁人の背中に手を回す。


「……」

「……」


 お互い黙る。

 でもすごく、心地良い。


「ごめんね、いきなりこんなこと……。わたし、郁人が他の女の子と一緒にいる時……嫉妬してしまったんだ」

「嫉妬……」

「うん、嫉妬。……嫉妬する女の子は嫌い?」

「いや……」


 郁人の言葉はここで終わったが、その代わり、回した手に少し力が入った。


 この時間がずっと続けばいいな。

 そう思ったけど……。

 

「なんだか、ぽかぽかしてきたよ……」


 身体がフワフワする。

 体が熱い。顔も赤い。


「え、大丈夫か?」 

「うん……。ふふ、どうやらわたしの方が返り討ちにあったようだね……。慣れないことをしたからのぼせてしまったみたいだ……」

 

 それと、お湯が少し熱いのもあって頭までくらくらし始めてきている。

 これ以上浸かっていれば確実にのぼせてしまう……。


「いくと……あはは……力が入らないや……」

「……」

「……? っひゃ⁉︎」


 急に身体が浮いたと思えば……身長が少し高いわたしが、何故か郁人の顔を見上げていた。


「郁人……?」

「このままのぼせたらまずいからな……。俺もお姫様抱っことかする初めてで……。居心地悪かったらすまん」


 赤くなった顔を上げて、郁人がゆっくり歩き出した。

 

 これが噂のお姫様抱っこ。

 映画や漫画の中でしか見たことがなかった。

 わたしみたいな高身長で無駄乳は、一生機会がないと思っていた。


 身長と胸の重さもあって、重いはずだろうに……。

 でも郁人は軽々しく持っている。

 男の子だからなのかな……?


「……誘惑とやらは一旦引き分けだな」

「……その言い方だと次回もしていいの?」

「……次回があったら俺マジで瀕死になるのだが?」

       

 どうやらわたしの初めての誘惑は郁人に効いたようだ。

 

「まあでも……いつでも受け止めるから」 

 

 そんな郁人の言葉を聞いて、わたしの意識は……少し遠のいた。




◇◇


「ふぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」


 周りに人がいないことを確認してから、思いっきり息を吐く。

 もうそりゃ、肺の中の空気がなくなるってくらいの勢いで。


「留衣の誘惑……やばすぎるだろ……」


 正直かなりやばがった。

 女の子とお風呂に入るということを甘く見ていた。


『もしさ……わたしのこの身体。嫌じゃなかったら……ぎゅって。抱きしめてもらえないかな?』

 

 あんな不安を含んだ瞳の女の子にそう言われたら、抱きしめるしかないし。


『ごめんね、いきなりこんなこと……。わたし、郁人が他の女の子と一緒にいる時……嫉妬してしまったんだ』


 告白の返事を待たせている女の子にそう言われたら、受け止めるしない。


 けど、俺だって男。

 ……性欲だってある。


 欲を言えば、もっと留衣の肌とか胸を味わっていたいところだったが……俺までのぼせて醜態をさらしたくもない。

 

 だからあの時、お姫様抱っこで強引に切り上げた。


『いくと……あはは……力が入らないや……』


 あのトロントした瞳に、荒い息遣い。

 抱きしめているので身体と身体が密着した状態。

 ほんとやばかった……。


 留衣は、脱衣所に設置されている木細工のイスで少し横になっている。

 というか、俺がそうさせた。

 最初はすぐに部屋に戻ると言っていたが、足元がフラフラだったからな。


 一方、入口前で護衛をしてくれていた鹿屋さんには、俺が少しのぼせて休憩してから部屋に戻るという理由で、場所を離れてもらった。


「留衣はスポーツドリンクがいいとして、俺は何を飲もうかなぁ」


 近くにあった自動販売機で飲みものを選ぶ。

 

 周りには誰もいない。

 男子はいないとして、女子は風呂上がりに飲み物を買うとか思っていたんだが……。

 それか、さっさと買って部屋に戻ったかだな。


 留衣は脱衣所のイスに横になっているし、鹿屋さんは今頃はお風呂にでも入っているだろう。


 だから俺は――今1


 さっきのこともあるし、少し冷静になってから脱衣所の方に戻ろうと思っていた。


 後ろの人影に気づくことなく。

 

 



◇一部修正しました◇

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