第8話 薄暗い闇


 事務所のデスクに座り、仕事をする。

 書くべき書類に記載し、スタンプを押し、ファイルに入れる。単純作業を黙々とこなす。

 デスクに置いてある電気スタンドに、突然明かりが灯る。

「作業する時は、電気つけな、目悪くするで。」

 私の故郷の関西弁で話す、男の上司が私の後ろから手を伸ばし、明かりを付けてくれたのだ。

「・・・あぁ、はい。すいません。」

 胸に過ったのは驚きと、切なさと、暖かさ。

 驚きと、切なさを隠すように、私ははにかんで言う。


 子供の頃、私は学校が終わり、帰ってくると、家族の分の洗濯をして午後5時頃から眠りについた。眠りについた後に、帰ってくる母。父は、もういない。

 母は私が寝ている間に、自分の分だけ食事を作って食べて、風呂に入り、午後9時には眠る。

 午後11時。私が起きる。起きると、薄暗い部屋で少しぼーっとし、宿題をして、本を読み、深夜ラジオを聞いて、朝の5時には眠りにつく。

 そして、朝の6時半、母が起きて、新聞を読みながら朝食を食べて、7時30分頃、家を出て仕事に向かう。

 その頃に、私は再び起きて、お昼に学校で食べる卵焼きと白米の弁当を作り、顔を洗い学校に行く。

 そんな、母とはすれ違いの生活を繰り返す。

 こんな生活を始めた当初は、午後11時、私が目覚めた時に軽い夕食を自分で作り、食べていたが、その事を母に気づかれ、「食費が嵩むからやめろ。」と言われ、私は夕食を食べることを諦めた。

 またある時は、私が起きて電気を付けている事に「夜中は電気代が高いから電気を使うのをやめろ。」と、言い出したので、私は暗い時に部屋の電気をつける事を諦めた。

 そもそも、母が帰って来て、私の顔を見ると、その日の機嫌にあわせてなんだかんだイチャモンを付けて泣き叫ぶので、私は普通に夕方に夕食を食べて、夜が深まったら眠りにつくことを諦めたのだ。当たり前に生活することを諦めた私には、食事だったり明かりだったり、瑣末な事であればなんでも諦められるのだ。

 そんな子供の頃から続いた切り捨てるだけの生活は高校生活と共に別れを告げ、私は家を出た。けれど、その頃には切り捨てて諦めたものが多すぎて、普通に生きることを諦めたせいで、自分がなにを捨てて来たのかすら分からなくなった。


 デスクに座り、仕事をする。書類を記載し、スタンプを押し、ファイルに入れる。同じ日々、同じ作業の繰り返し。

「またそんな暗いところで作業しおって。良い仕事には良い作業環境が必要やで。」

 そう言って、関西弁の上司が、手を伸ばして薄暗い私の机の電気スタンドの電気を点ける。

「そうでしたね、すいません。」

 電気を点けてもらった事で、私は自分が暗い場所にいた事に気がつく。


 デスクに座り、仕事をする。書類を記載し、ようとして、自分の机の電気スタンドが点いておらず、暗いことに気がつき、電気を点ける。

 明るい机で、私は仕事をこなす。単純作業を繰り返す。

 私に、暗い机で作業していた事に気がつかせ、明かりを灯すことを教えてくれた上司は、数年前に転勤でこの職場を去った。

 手を伸ばして、電気スタンドを付けてくれた上司に、「すいません。」ではなく、「ありがとう。」そう言えば良かったことを、自分で電気スタンドのスイッチを入れる度に想い、きっと、もう会うことの出来ない、その顔も霞んでいく記憶の中にある上司を思い出し、私は泣いてしまいそうになるのだった。

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