第5話私が殺した私達へ

 私は、私の屍の上に立っている。私達の屍の上で生きている。そこに後悔なんてものはない。そこに喜びなんて仄かにしかない。私が、最後の私を殺さない為には必要な事なのだ。 


 今日も、酷い1日だった。職場の何かを拗らせた女上司と、それに伴う、敵味方の概念の無いチェス盤のように、ギスギスした人間関係。共通の敵はいると言うのに、それぞれ自身を、それぞれ自身の家庭を守る為に、繰り広げられる、売った売られた、守った攻められたの狭い世界。味方が最大の敵、なんて矛盾した話だろう。幸か不幸か、家庭を持たない単身の私は、そんな同僚たちの営みを把握はするが理解はできず、混ざらずに済む。最低限の汚れた自衛行為で、日々を過ごす。

 そんな人間の造りだした地獄から帰った私は、白い錠剤を飲む。今から私は私を殺すのだ。


 あぁ。今日も酷い1日だった。語るまでもない、繰り返される下らない盤上の日々。けれど、この盤をひっくり返すこともできず、かといって投げ出すこともできない。生きていたくはないけれど、死ぬこともできず、ただただ繰り返す日々。行き着く先は暗いものだと知っている。それでも、人生なんてそんなものなのだ。

 だから、私は、今日も今日とて今日の私を殺す為に、白い錠剤を飲む。今日の自分に、さようなら。まだ見ぬ明日の自分に、自分を託すのだ。


 あぁ、そして、水曜日。昨日の自分に、無責任に託された自分を操り、私は今日を乗り切った。こんな日に私を生かしやがって、と昨日の自分に文句を言ってやりたいけれど、昨日の自分はもういない。家に帰って、白い錠剤を飲んだ辺りからの記憶がない。台所には、何かを食べた後の食器があり、洗濯機の中には、昨日着ていたであろう衣類が数点放り込まれている。私は確かに生活をしていたが、その記憶がないのだ。

 けれど、それで私は困ったことがない。だから、それで、いいのだ。今日もまた、私は、白い錠剤を飲み下す。バイバイ、私。


 ヘトヘトになって、擦り切れた心で家にたどり着いた私は、躊躇いもなく、薬剤のヒートから一錠手に取り、生ぬるい水道水で嚥下する。これで、今日の自分に別れを告げた。鍋に具材を放り込み、汁を注ぎ、火にかける。その間に、風呂を水で流し、お湯を溜め出す。

 鍋から夕飯を掬った私は、テーブルにそれを置き、缶チューハイのプルタブを開ける。アルコールと、睡眠薬の併用は推奨されていないけれど、そんな事知った事か。明日には、家に帰って来てからの私の行動を覚えていない私が目を覚ますのだ。今の、忘れられる私には何の関わりもない。アルコールと共に夕飯を平らげた私は、ちょうど湯の溜まったお風呂の蛇口を閉め、全裸となり、残り半分となった缶チューハイを持って、風呂に向かう。

 風呂から上がった頃には、その缶も空き缶となり、風呂場に置き去りにされる。そろそろ意識も限界だ。今日の私の寿命が尽きる頃合いだ。悲しくもないし、そこに何の感慨も抱けない。きっと、本当に死ぬ時もこんなものなのだろう。こんなもので、あったらいい。私には、もう、関係ないけれど。

 そして、私は、明日の私にバトンを渡して、死に至る。


 おはよう、私。今日は、金曜日。今日を乗り越えれば、明日明後日は2連休のお休みだ。職場に行く必要はないし、それで生じる自己嫌悪も、人間自体への嫌悪も、厭世観も感じる必要はない。来週を乗り切る為に、心を休め、おざなりに過ごして溜まっていた家事をこなすのだ。日曜日の夕方には、翌日からの日々への嫌悪感に押し潰されるのだろうが、そんなのは今の私が知ったことではない。耐えられないなら、私が私を殺してしまえば良いだけなのだ。今日の晩は、美味しい物を食べ、酒を飲み、TV SHOWの映画を見る。その希望だけを胸に、今日を私は乗り切れる。

 こうなってきては、私が私なのか、私が白い錠剤なのかすら怪しくなってくる。でも、いいのだ。これでいいのだ。今の時代を生きるって、きっとこんなモノなのだ。

 私は、最後の残機の私に辿り着くまで、この日々を繰り返そう。大丈夫、何をしたってこの残機は増えないので。たとえ善行を積もうが、悪行を尽くそうが。


 バイバイ、私。

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