第6話 過去
重たいまぶたを擦って目を開けてみると、視界のほとんどが窓から差し込むの斜陽によって橙色に染まっていた。俺はどうやら眠っていたらしい。
眠たい脳みそで眠る前の出来事を思い出す。あの時、出し抜けに吐き気を催した俺はビニール袋を渡されたが、結局吐かずに体調不良はおさまり、それからいつしか横になって……。
朝から続いた怒涛の展開で疲れが溜まりにたまって、ガス抜きもできずにいたからすぐに寝てしまったのだろう。
するとソファとは違った柔らかい感触が頭に当たっていることに気付く。橙しかない視界だと思っていたが、視界の左側を見てみると目の前に赤髪がちらついた。
「え……」
霞んだ寝ぼけ眼でよく見てみるとそこに未奈美の顔があることが分かった。
かすかな呼吸音が聞こえる。目は閉じられていて、肩は呼吸と連動して上下していた。どうやら寝ているようだ。
しかし、俺が仰向けになっていて未奈美の寝顔が目の前にあるってことは……俺、膝枕されてる。寝ぼけた頭が羞恥により一瞬で冴えた。
そう分かった途端、彼女から離れるためにすぐ体を起こす。体温が急上昇する体験をした俺は顔に向かって手で扇ぎながら、誰かに見られていないか心配になり辺りを見回す。
香純と羽唯が座っていた向かい側のソファに、運転で疲れたのであろう鷹木さんが今にも落ちそうな体勢で大胆に口を開けて寝ていた。次に二段ベッドの方を見てみると上の段は空白で、下の段に香純と羽唯が両側から陽菜を抱いて窮屈そうに眠っている。
誰にも見られていなさそうで、ほっ……と胸を撫で下ろす。
安心していると、少し
「いでで……」
何事かと振り返ってみれば、
「……寝違えた…………。あ」
目線が合うと俺は膝枕のことを思い出して、少し気まずくなってしまい何も声をかけられなかった。だが彼女からはそんな雰囲気を一ミリも感じられず、大きくあくびをしてから俺へ笑顔をたたえた。
「おはよ~……。もう乗り物酔いは大丈夫そうかな?」
「あ、はい、大丈夫です」
別にあれは乗り物酔いではないのだが、説明するほどでもないと思ったため話を合わせることにした。
「……その、迷惑かけてすみませんでした」
「いいのいいの気にしないで。これくらい迷惑の内に入らないから」
と言いながら二段ベッドに視線を送った未奈美の目は細くなっていた。
「そうなんですね、あはは……」
その仕草に内包された意味を理解するとつい苦笑いがこぼれた。出会ってから本当に間もないが、この人たちをまとめるのは難しいのだろうとなんとなく想像ができてしまう。
なおも彼女は愚痴をこぼすように仲間を言った。
「羽唯ちゃんは元気っていうか騒がしいっていうか……大体トラブルは羽唯ちゃんから起こるんだよね。香純ちゃんはそれを止めてくれるクールな子なんだけど、時々何考えてるか分からないっていうか、話が理解できないときがあったりね……。陽菜ちゃんはちょっと自分を出すのが苦手で、たまにコミュニケーションがとりづらいときがあったりと……。で、一番まともそうな鷹木さんは何かと地雷が多くて、踏み抜いちゃうと面倒くさくて面倒くさくて……」
情報量が多かった。俺は同情し
「大変ですね……」
としか言えなかった。
「もうほんとに大変。だから伶衣くん、覚悟しておいてね」
「え、それは……どういう……?」
覚悟とはいったい何の覚悟か分からず、色々な想像を働かせてしまった。そのため得体の知れない不安を覚え始める。
それが顔色にも表れていたのだろう。未奈美が慌てて訂正した。
「うそうそ! いや、皆のことについては嘘じゃないんだけど、なんだかんだいい人達だから覚悟する必要ないよ」
ただただ俺をからかっていただけの未奈美は顔を綻ばせていて、慌てたように胸の前で手を振っていた。
ふと、その表情や仕草に見とれてしまう。彼女のかわいらしい顔に引き込まれてしまう。
大きな赤色の瞳を持ち、小ぶりな鼻筋の下にある桜色の唇が艶やかさを添えている。実際の年よりも少し幼げな顔立ちと
はっきり言って、アイドルとかやっていても不思議ではない容姿だ。明るく優しい性格も相まって、男子からも女子からも人気なんじゃないかと勝手に想像する。
未奈美はひとしきり笑ったあと、息を吐くと再度ベッドへ視線を送る。けれども今回は優しく、慈愛に満ちたような、そんな眼差しだった。
「伶衣くんはさ……家族がいなくなっちゃったんだよね」
落ち着いた口調で彼女は話すと、物悲しい空気へと変わっていった。
「……はい。朝起きたら、突然何もかもが無くなっていて……」
今まで長い夢を見ているのだと心のどこかで信じていた。目蓋を開いたら、またいつもの散らかった自室で目を覚ますのではないかと淡い期待を抱いていた。
けれども、この状況に置かれてから流石に時間が経ちすぎている。もうその考えは一切なくなった。これは悪い夢なんかじゃない、俺の体が変化したことも家族が消えてしまったことも、悪魔が存在して魔女がいることも、今の俺は現実だと実感している。
「あたしも魔女になったときは、何もかも失ったときだったんだ」
「失ったって……未奈美も……?」
肯定するように彼女は俺の目を見て頷いた。そしてソファにもたれて語り始める。
「あたしもね、元は普通の女子高生だったんだ。毎回テストの点数ギリギリで補修に通ってたけど……」
どうやら成績は芳しくなかったらしい。未奈美は苦笑いを浮かべながら自分の頭を撫でていた。
「いや、でも! どこにでもいる一般人だった。何か才能があったり特別な力なんて持ってなかった、ただの女の子だった」
まくし立てて自身の普通さをアピールする彼女は、次の瞬間、先程とは打って変わって目線を落とし静かに続きを話した。
「けどね……ある日、学校から帰ったらね……みんな、死んでたの。家族がね、お父さんもお母さんも弟も、みーんな悪魔に殺されちゃったの」
俺は頭を思いっきり鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
まさか彼女の過去がこんなにも重たく辛いものだったなんて、未奈美の明るい朗らかな性格からは微塵も想像できなかった。俺はなんと声をかけたらよいか分からずに黙ってしまい、彼女は過去を話し続ける。
「体がバラバラになってて……原型をとどめてないものもあって……身元が分からないくらいぐちゃぐちゃにされてた」
段々と未奈美の顔が下を向く。そんな悲惨な光景を、それも自分の家族が関わっていることを思い出すだけでも辛いはずだ。
俺は彼女の精神を慮り中断を提案する。
「あの……辛かったら、無理に話さなくてもいいですよ」
未奈美は口を止めた。だがすぐに微笑みを浮かべた。その意味を計り知れず、ぽかーんと口を開けてしまった。
「ううん、話さないで一人で抱え込んじゃったほうが辛いよ。一人だったらどんどん悪い方向に行っちゃうけど、辛い経験を話して痛みを共有すれば仲間が一緒に泣いてくれるし、楽しいことだったら一緒に笑えるしね」
未奈美は窓の外の夕焼けを見てこうも言った。
「ここにいる皆はね、それなりに経験してきて悪魔退治に臨んでるから……。だから伶衣くんにはなんでも聞いてほしいし、なんでも話してほしいな」
そしてこちらに顔を向けて優しい相好を見せた。
それなりに経験してきて、というのは、未奈美の過去ような悪魔と関わる凄惨な出来事のことなのか。
彼女の言う通り仲間に話せば、頭の中が整理できたり、感情を共有できたりする。
中学生のとき、俺はバスケ部の部長を任されていた。当時の俺は初めての責任ある役職に、自分は上手くやれているか悩んでいた。
けど、部活仲間に悩みを打ち明けると、たったそれだけで以前より随分と肩が軽くなった気がした。
自分で逃げ道を無くしていただけなんだと、いま考えてみると思う。
辛くなったらいつでも仲間に逃げることができると分かったから、些細なことは気にしなくなったんだ。
「分かりました。俺、何でも聞きます」
俺は彼女の逃げ道の一つになろうと思った。
決心し、真っ直ぐそう言うと未奈美は頷きつつも少し寂しそうに見つめてきた。
「そういえば、敬語はやめようよ。伶衣くんって十六だよね? さおりん以外、あたしたち年が同じくらいなんだから堅苦しいのは無しにしよ?」
助けてもらった立場上自然にですますを付けていたが、確かに同年代なら使わない方が自然だ。
「えっと……未奈美」
「うん」
「俺に聞かせて、未奈美があの後どうなったのか。皆とはどうやって会ったのか」
満足そうな表情になった未奈美は再び話し始める。
「家族が殺されてからは気が動転して、あまりよく覚えてないんだけど……気付いたときにはこのキャンピングカーに乗っていて、さおりんが状況を説明してくれたの。今日の伶衣くんみたいにね。悪魔のこととか、そいつらを倒すさおりんのこととか、あたしが魔女になったこととか。それであたしは家族を殺した悪魔たちに復讐をするために、ここにいることにしたの」
「復讐のため……か」
俺を助けてくれたとき、彼女は躊躇いなくバットを振り下ろしていた。あれは悪魔への殺意あってこその行動だった。
家族を殺され、悪魔の脅威と恐ろしさを知っているはずでもなお戦いに赴ける彼女には脱帽する。
俺にはできないことだから。
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