第4話

奥の大部屋につながる扉から慌てたように人影が飛び出してきた。

よくある白衣に身を包み、丸い眼鏡をかけた女性。しかし身長が140後半ほどしかない上に髪をリボンでツインテールにまとめているので、どっからどう見ても仮装した小中学生にしか見えてしまう。

だが、彼女ー仲島菫は大学生、つまり年上だ。

そして彼女はここの正社員であり、情報をまとめる「頭脳」だ。そんな彼女が慌てているとなるとなにか問題があったか、もしくは…

「仲島さん、どうしましたか?」

「異常が確認されました。みなさん、今すぐ準備を」

その切迫した表情と声音で意識が氷のように冷たくなるのを感じる。

「場所は?」

「ここから北西方向に10キロほど。誤差は半径200メートルぐらいになると予想されます」

そこまで聞き終わってから、他の全員に目を向ける。部屋には緊張が走っており、それぞれが指示を受けるためにこちらに耳を傾けているようだ。

「お前ら、バイトの時間だ」

その言葉でさらに緊張が走る。俺は頭の中で地図と目的地を比較して更なる指示を出した。

「今回の推定危険度はCからD。俺、桐津、天海、角田の四人で向かう。久遠寺は仲島さんの指揮下に。大村はほかの事態に備えて待機。何かあったら随時連絡すること」

「「「了解」」」

その掛け声と行動には先程まであった学生らしいほのぼのとした雰囲気は一切なく、まるで規律の取れた軍のようだった。

それぞれが準備のために動き出したのを見計らって俺は虚空へと手を伸ばした。

「開門」

言葉を呟くと同時、空中に一筋の切れ目が走った。そこから落ちてきたそれを握りしめる。

光を飲み込むように磨きあげられた漆黒の鞘に、簡素な装飾のみが施された鍔。そして特徴的な少しのけぞった本体部分。持ち手には「義」の1文字が彫られている。

いわゆる日本刀というやつだ。

よく手に馴染む、感触に満足しながら、胸ポケットから取り出した、コンタクトケースにレンズを入れる。

そこまでしたところで全員の準備が出来たようだ。

見ると、それぞれが自分の得物を携えている。

ここは「漆原法律事務所」。確かにそれは間違いでは無い。

もう一つの顔、というよりこちらこそが本当の姿だ。

内閣府異界現象特殊捜査部。通称ツナグモノ。

その東京本部がここ、漆原法律事務所なのだ。

これが俺たちのよく言えば一風変わった会社、悪く言えば裏社会の組織のバイトである。

「全員用意はできたな。再度確認するが、目標は西に10キロ、半径200メートル圏内。それ以外の情報については順次知らせるそうだ」

俺は先程と変わった蒼の瞳で全員を見渡す。

意思はよし。最早慣れているため怯えもない。その瞳に映る感情は様々だ。あるいは人を救う使命感だろうか、あるいはバイト代のためだろうか。

いや、今はそんなことどうでもいい。

「それじゃあ出勤だ。開門」

刀を取り出したときと同じワード。しかしできた「穴」は、先ほどとは比べ物にならないほど大きい。人が3人くらい同時に入りそうだ。そこから見えるのは一言で言えば密林だった。アマゾンのジャングルみたいだと言えば伝わるだろうか。少し奥の方まで目を向けると何も知らぬような草花が生えている。それもそのはずつながる先はこの世のどこでもないのだから。

異界。この、もうひとつの世界を知るものからはそう呼ばれている。

この世界とは違う法則でできた別の世界。そこには確認されている上では人は存在しておらず、代わりにあるのは死に至るやもしれない程の危険と、得体もしれぬ謎だけだ。

まず最初に自分が入り、危険がないことを確認してからほかの三人に合図を送った。

全員がこちら側に渡ったのを確認してゲートを閉じた。

『全員、きこえているでしょうか』

耳に着けていたイヤーカフから声が流れる。その声の主は仲島さんだ。これは四人全員にそれぞれ一つずつ配られており、現世の司令部とこちら側を繋ぐ手段のひとつとなっている。

「はい、こちら氷浦。感度良好、異常ありません」

『そうですか、こちらも大丈夫です。それではみなさん、出発を。細かい情報については追って連絡します』

そこまで言い終わったのを見て、俺たちは走り出した。

もちろん四方八方を森に囲われており、向かう先も当然道無き道だ。本来走るどころか歩くことすら困難なのだが、俺たち四人は平然と駆け抜ける。

さらに、その速さが異常だ。

だいたい時速50kmぐらいだろうか、車とほぼ同じ速さが出ている。そのため10kmという離れた距離もわずかな時間10分強で着いてしまうのだ。

手元の方位磁針出向きを確認して森の中を木々を避けながら、時には刀で切り倒しつつ進んでいると、イヤーカフから声が聞こえてきた。

『それでは今回の被害者について。中村優子、38歳。女性。身長は160後半で、体型は痩せ型。おそらく反動で気絶しているようで動きは無いですが、死んではいないみたいです』

走り抜けながら、半ば聞き流す。なんとなく身長のところで悔しさがにじみでていた気がするが、気のせいだろう。

ふと視界端に白い物体が映った。それはこちらに向かってきているようで、徐々にその影を顕にしていく。そこに居たのは、白い体毛をした狼だった。しかし、その大きさは本場より圧倒的に大きい。このままだと接敵してしまう。

「桐津。3時の方角に三匹。いつものわんこだ。行けるな?」

「ああ、任せとけ」

そう応えると速度を上げ、1番前に躍り出た。

そして腰から拳銃を抜くと、ほぼ同時に銃声三発。それだけで三匹の狼は頭から血を流し、物言わぬ死体となった。

「ナイス、流石だ」

サムズアップで応じる桐津。そのまま後ろに戻って行った。

その間も足を止めることなく走り続けている。

もうそろそろ到着すると思うのだが…

『大変です、救助対象の付近に大きな反応があります。生体系的におそらく狼。しかし、群れのリーダーだと思われます』

クソ、なんて運の悪い。仕方ない、大体の位置は掴めているので少し消耗するがアレを使おう。

「すまない、少し先行させてもらう」

三人にそう告げると、少し不満そうな顔をしたが、黙って頷いた。

「発動ー『分離』」

その瞬間、世界が遅くなった。

ゆったりと進む時間の中、俺だけが今までどうりの速さで動き続けている。

少し目がチカチカするが、意識的に無視して進み続けた。

おそらくこの辺のはずだが…

そう思った矢先、その人が見えた。

しかしその女性はたった今例の狼に襲われているところだ。

彼我の距離は目測で300メートル。その距離を全力で駆け抜け…

「疾ッ…」

抜刀一閃

ありったけの加速が込められた刃は狼の首に致命の斬撃を突きつけた。

たったそれだけでバターにナイフを入れるかのように首が飛んだ。

思い出したかのように崩れ落ちる胴体。

どう見ても即死僅かに血糊が着いた刀を振ってから納め、細く息をついた。

結構ギリギリだった。こちらの世界の狼はよく見かける部類の生き物なのだが、一般人にとって見れば、十分に脅威的な存在だ。こんな幸運が続くとは思えない。次からはもっと気をつけなければ…

少し反省しながらその人の方をむく。

年齢は40代くらい。眼鏡をかけており体型は痩せ型。身長は160半ばくらいの女性。

うん、情報とほとんど一致している。

今更だがもうちょい服装とかの詳しい情報も教えて欲しいものだ。

「大丈夫ですか?怪我はしていませんですか?」

見た感じ大丈夫そうなのだが、気が動転しているようだ。

それもそうだろう、気がつけば知らない所に居て、気がつけば殺されかけて、その相手を気がつけば見知らぬ少年が倒していたのだから。

自分で考えときながらも、その女性の境遇に同情してしまう。

「君は、誰なの…」

その女性こと中絵優子さんがそんな質問をしてきた。

そこら辺にいる一般学生です!……とはもちろん言わない。

こういう時は何も言わずに助けるべきなのだろうか……いや、それも余計な心配をかけるだけか。

はぁ、まあいい。ちょっと個人的な尊厳が死亡するが仕方ない。

「特捜部、第一班隊長。氷浦晴真です」

うん、恥ずかしい。

冷静に考えてみれば赤の他人に『秘密部隊の一員で〜す☆』って言ってるわけだからね。

改めて現実を把握して羞恥に悶えているとは知らず、安心した顔を浮かべて中村さんが倒れてしまった。

とっさにその体を支えて脈をとる。

大丈夫、心拍も正常。緊張が切れて気絶したってところか。

さて、どうしたものか…

「おいっ、氷浦。どういう状況だ」

おっとナイスタイミング。少し遅れてきた桐津達が追いついてきたようだ。

「群れのリーダーは倒した。一応気配も探ってみたが、この近くは何もいないみたいだ」

先程までのリーダーとしての口調ではなく普段通りの話し方に戻した。

「そうか、なら連絡してくれよ…」

「すまん、忘れてた」

「お前に万が一が……なんてことは無いか。なんでもない、忘れてくれ」

「少しは心配してくれてもいいんだぞ」

「人外を心配しても無駄だからね」

やれやれといったふうに首を振る桐津。

こいつ……と思ったものの、自分の行動を振り返ってみれば十分人からかけ離れているのでロクな反論ができない。

すると残りの2人が茂みから姿を現した。

「氷浦先輩、無事ですか!」

「晴真君、敵は…って、また戦果なしかぁ」

天海が心配したように駆け寄ってきて、角田が活躍できなかったことを悔しがっている。

ちょっと待てい。それは女子としてどうなのか?明らかなまでの戦闘狂発言に苦笑いを浮かべるしかない。

「わかった、じゃあ帰りの警護はお前に任せるよ」

「え、ホント!」

むっちゃ目がキラッキラしてる。それはもうずっと欲しかったものを与えられたかのようだった。

思わず目を背けてしまったのも無理は無いと思う。

するとその先に天海がいたが、何やら浮かない顔だ。

「どうしたんだ天海、元気ないぞ」

「いや、また氷浦先輩が先行したので…」

「言っただろ、俺は大丈夫だからって」

「僕が言ってるのはそこです」

肩が跳ねた。なにか言い返そうと口を開くが、上手く言葉にできない。何より天海の真っ直ぐな瞳が反論を許さないと物語っていた。

「氷浦先輩が強いことはわかっています。だからでしょうか……なんだかそれがどこかに1人で向かうためのように見えてしまって……」

明確な意味にすらなっていない言葉だった。

しかしそれは俺の隠した決意をしっかりと表していた。

俺は仲間に戦わせる気は無い。

今回の先行も被救助者がピンチだったのもあるが、何よりその事が根底にあった。

上手くバレないようにしていたつもりなのだが、天海の観察眼には驚かされる。

だから……

「勘のいいガキは嫌いだよ」

「え?」

「なんてな、そんなことないぞ。俺はいつでもお前達と一緒にいる。だから心配すんな」

いつもみたいに笑って誤魔化す。

その思いだけは絶対にバレてはいけない。それは仲間に対する裏切りだからだ。

「それじゃ、帰るか」

中村さんを背負い、元来た道を歩き出す。

そこには普段通りの和気あいあいとした風景があった。

ああ。この風景を守るためなら俺は何度だって嘘をつき続けようじゃないか。

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