試験が終わった後の夏休みと海でのいつもとちょっと違う日常 その5
何とか無事に着替え終わったミア達は早速砂浜へと出てきていた。
直通とはいえ、宿の建物からもそれなりの距離がある。
まずミアがあまり見たこともないような木、その防風林を抜け、更に石で組み上げられた防波堤を乗り越えて砂浜へとたどり着く。
砂浜自体もかなり広い。一面、白く綺麗な砂浜が広がっている。
入り江だからか正面には対岸も見え、対岸にも大きな建物、恐らくはだが建築様式からそれが大いなる海の渦教団の神殿だと見当もつく。
防波堤から海までもそれなりに距離があるほど砂浜が広く、防波堤の近く、その海側には簡素な小屋がいくつも建てられ、そこで軽食屋や海で遊ぶ道具や必要な物の貸し出しなどもやっているようだ。
ついでに、ミアが当てた宿泊券には、海で必要な必要最低限の貸し出しも付属されている。
浜辺を歩くための靴だったり、溺れたときのための木製の浮き輪だったり、海の中をよく見るための水中眼鏡なども含まれる。
夏の日差しにより熱せられた砂浜はとても熱い。はだしで歩けるような物でもない。それに貝殻の破片などもあり素足で歩くのはあまり推奨されないとのことだ。
貸し出された海獣の革から作られたという海にまでそのまま入れる靴。足全体を包まず、足の甲の部分と足首にだけ止め紐がつけれた簡易的な革靴で蒸れることもなくその革も柔らかく履き心地もいい。
砂浜には既に敷物が何枚も規則正しくひかれていて、部屋の番号ごとに砂浜での休憩場所が振り分けられている。
それは日除け用の大きな傘により固定されていて、風が多少吹こうがそれが移動させられることもない。そもそもかなり分厚く重い敷物で普通の風では飛ばされることもない。
風はあるので敷物の上にも砂があるものかと思っていたが、直前に清掃でもされたのか、敷物の上には砂らしきものも見当たりもしない。
その様子をみたマーカスが、
「至れり尽くせりですねぇ」
と、ポツリと言葉を漏らしたくらいだ。
部屋には掃除などで宿の従業員が入り込むことがあり、部屋に貴重品はそのまま置いておかないで欲しいと言われていたので、荷物持ち君も連れてきて荷物番をしてもらっている。
荷物持ち君が背負っている籠に、ミアの帽子やら杖、その他の財布などの貴重品、もちろん他のスティフィやジュリー、マーカスの貴重品なども入れて番をしてもらっている。
ついでに荷物持ち君は規格外とはいえ泥人形なので、海に入ればその体は溶けだしてしまうし、砂浜を歩くだけで、その足に余計な砂がたくさんついてしまっている。
多少の砂なら問題ないが、それが続くと荷物持ち君を構成している粘土に砂が多く混じり影響が出てきてしまうかもしれない。
あまり砂浜での運用は想定された作りにはなっていない。
「で、では…… 海に入りに行きますか!」
ミアが緊張してそう言う。
全員が全員緊張している。浜辺の近く、それも入江の中とは言え、人が海に入るのは危険が伴う。それがこの世界の常識だ。
海は人間の領域ではなく、精霊の領域なのだ。
ミアはもう一度、事前に言われていた注意事項を思い出す。
この水着は確かに神の加護がついてはいるが、フェチ神は性の神であり海の神ではない。
そのため、沖にまで言ってしまうとその加護もあまり期待できない。またフェチ神の神殿がある宿の建物から離れ過ぎていてもその効果は期待できない。
なので、この入り江以外ではその効果を期待してはいけない、とのことだ。
逆にこの入り江内であれば、例え海に属する精霊が近くまで寄ってきていても害されることはない、らしい。
海、その波は砂浜に寄せては返すのを繰り返している。
その水はとても青く澄んでいて、このかなり広い入り江でも底まで見えるほどだ。その香りも独特で少し生臭いが嫌な臭気ではない、そんな匂いを感じることができる。
既に海水浴を楽しんでいる客は何人も、何組もいて、その安全性は確かなものだと見ればわかる。
それでも四人は顔を見合わせて、中々波打ち際からその先へと足を進めることはない。
「ここはやっぱり福引を当てたミアから海に入りなよ」
と、唐突にスティフィが提案した。
「スティフィは私の護衛役ですよね?」
ぎょっとした顔をしてミアはスティフィの方を見るが、視線を合わせてくれない。
自分についている精霊がどうのこうの話ではない。
それに、
「いや、護衛役は精霊と荷物持ち君にもう任せたよ、今の私はただのミアの親友だよ」
という返答が、目を合わせないスティフィから返ってきた。
ミアにはスティフィが本気で言っているわけではなく、ふざけていっているのだとわかっている。目は合わせてくれないが、スティフィは小刻みに肩で笑っている。
からかわれていると分かると、それはそれで腹立たしい物もある。
「都合のいい時だけ使い分けて!」
と、ミアは文句を言うが相手にもされない。
「んー、でも、ここはスティフィの提案はもっともです。実際どういう意図があってかはわかりませんが、特賞を当てたのはミアなのですから。最初の一歩はあなたが踏み出すのが筋では? 我々は、まあ、おまけで着いてきているだけなので」
マーカスまでそんなことを言い出した。
そう言われると、確かに一理ある、とミアも思ってしまう。
「うう、マーカスさんまで!? わ、わかりました、わ、私が先頭を切ります! ついてきてください!」
そう言ってミアは目をつぶり海に向けて走り出し、波に脚をすくわれそのままこけた。
ちょうど波が寄せてきていた時で、盛大に水の中へ飛び込んでいった。
それだけに波が緩衝材となり怪我はないと見ていても分かるが、ミアは頭から波をかぶりはした。
「ちょ、ミア!? 誰もそこまでやれだなんて言ってないわよ! だ、大丈夫!?」
すぐにスティフィが駆け付ける。
ジュリーも慌てて駆け付けて、ミアを起こそうとする。
「うえ、口に入りました…… やっぱりしょっぱいじゃないですか!」
ミアは顔に着いた海水と砂を手で拭い取りながら、誰に言うでもなく文句を言った。
「問題ないようですね、さて、海の生き物をそのまま見れる機会は少ないですからねぇ、ちょっと行ってきます」
そう言ってマーカスは、顔半部位は隠しそうな水中眼鏡を片手に海へと向かって歩き出した。
「え? あいつ私達を置いて、海の生き物を観察しに? 本当に男なの?」
と、スティフィが避難がましく声を上げた。
その表情は信じられない物を見ているかのような表情だが、誰が見てもその表情が作り物と言うことがわかるような物だった。
ただ単にからかいたいだけなのだろう。
「ああいってますが、やっぱり気恥ずかしいだけなんじゃないですか?」
と、ジュリーはマーカスを一応は擁護する。
実際、同性のジュリーでもスティフィが視界に入ると、視線をずらしてしまう。
しかも、スティフィは美人であり、細くはあるがミアとは違い女性らしい体つきなのだ。
そのスティフィがほぼ裸のような恰好ではしゃいでいるのだ。
男性のマーカスからすると、よほど目のやり場はないのだろう。
「まあ、確かに視線はチラチラとは感じてたけど」
スティフィもそうは言いつつ、この恰好では仕方がないし、逆に気分が良い。
遠慮しがちにチラチラと見てくるマーカスなどまだかわいい方だ。ここに来るまでにも何人もの男性の視線を釘づけにしているし、今も周りからの視線をしっかりとスティフィは感じている。
しかもそこに敵意は…… なくもない。それらは恐らくは同性から嫉妬の視線なので、スティフィからしてみるとより気分がよくなる要因の一つでしかない。
もちろん、それ以外の視線は、スティフィに見とれる熱い視線なので、スティフィはとても気分が良い。
「あの、そうやって人を分析するのやめてくれませんか」
マーカスが何か観念したように、足を止めて振り返りそう言った。
「う、海の生き物達だって観察されたら同じ気持ちですよ!」
そこへ追い打ちをかける様に、ミアがそう言うが、マーカスからすればそれすら助け船に思える。
マーカスにとっても今のスティフィの格好は刺激が強すぎる。あの格好で、気にするな、というほうが無理だ。
「ミア、よく言ったわ!」
と、スティフィはそう言ってスティフィも波に足を付け、その感触を楽しみだした。
「わ、わかりました。生き物の観察はまた今度にします。で、何すればいいんですかね?」
マーカスは、滅多にない機会なのに、と心底残念がってはいるが、おまけで着いて来た身であり、このままほっておいても何を言われるかもわからない。
「え? そう、言われても……」
よくよく考えるとミアにはマーカスにしてもらいたいことなどは思いつかない。
ただスティフィは周りを見渡し、自分に向けられている視線を確認する。
そして、ニヤリと笑ってからマーカスに声をかける。
「近くにいてくれるだけで良いわよ。それで男除けにはなるから。私の艶姿は見たければ存分にじっくりと見とれてくれて構わないわよ」
スティフィは胸元を強調するような恰好をしながらそう言った。
それに対して、マーカスはあからさまに視線を外して、
「スティフィのはちょっと…… 正直なところ刺激が強すぎでして……」
と顔を真っ赤にさせながら素直にそう言った。
「あら、随分素直ね。いつもは割とひねくれているのに。じゃあ、ジュリーのはどうかしら? 少しお腹に余分な肉がある気がするけど、この子も体の線が綺麗でしょう?」
ジュリーはスティフィと違い全体的に肉付きが良い。
そのため多少お腹に無駄な肉がついてはいるが、気になるほどでもない。
どちらかというまでもなく体の線は綺麗なほうだ。
「ちょ、ちょっとお腹の肉って!!」
それでもジュリーも多少自覚があったのか、顔を真っ赤にさせる。
「余分な肉なんてどこにもないです……」
ミアがそう言って自分の体に視線を落とす。
無駄な肉どころか、必要な肉すら少し足りないように思える。
骨と皮だけ、と言うことはないが、年相応の体つきには見えない。
「ミアはもう少し…… 贅沢しなさいよ。しようと思えばできるんだから。せめてここにいる間くらいは、って、そういえば、都の宿でも十分に食べてたわね。遠慮なんかしてないか」
スティフィは思い出す。なんだかんでミアは大食いだ。
いつだったか猪を丸々一頭、神とミアで食べたという話も思い出すし、なんならリグレスでは自分の倍以上の食事を食べていたはずだ。
あの細い身のどこに入るのか、不安に思うほどの量をミアは食べていた。
「海産物、美味しいです!!」
ミアはそう言って目を輝かせた。なんなら涎もたれそうな勢いだ。
「そう言えば、凄い量食べてましたね」
ジュリーもミアの食べっぷりを思い出して感心した。
「特に蟹! 蟹が美味しかったです!! ここいら辺にもいるんですかね?」
そう言ってミアは波打ち際を蟹を探して見回しだした。
少なくともミアが見渡した範囲にはいそうにない。
「蟹ですか。人の多いこの辺の浜辺では余り居ないんじゃないんですかね? いても小さいのだけでしょうか。食べれる種類かどうかも分からないですし。蟹には毒を持つ種類もいるのでむやみに捕まえないでくださいね。磯のほうまで行けばそれなりにいると思いますが、リグレスで食べたような大物は流石にもっと深いところではないでしょうかね? 人の手で捕まえるのなら、むしろ淡水域のほうが蟹は捕まえやすいんじゃないでしょうか」
マーカスはこの旅行に来る前にざっと調べておいた知識を披露する。
海の生物を自分の目で直接観察できる機会などそうあるものではない。とても気になっていたからだ。
「居たら捕まえようと思ってたんですが、この辺にはいないんですか……」
ミアは砂浜に座り込み辺りを見回す。
確かに人が多いせいか生物らしきものはまるで見当たらない。
が、いないこともなさそうにも思える。
「蟹って虫種でしょう? 確かに美味しいけど、私は進んで食べたいとは思えないわね」
スティフィは嫌そうな表情を浮かべているが、都の宿で出た蟹をしっかりと食べていたことをミアは知っている。
「それは学会でも諸説ありますね、虫種が水に対応したのが蟹や海老とだという話と、逆に蟹や海老の方が古来から存在した、それこそ虫種が来る以前から存在しているなんて説も……」
マーカスがしたり顔で説明を始めたので、それをスティフィが長くなりそうだと話に割って入る。
「んな事どうでもいいのよ。見た目からして虫種じゃん。それで充分よ」
スティフィはそう言ってマーカスの話を無理やり終わらせた後、自身で確認するように頷いて見せた。
「でも美味しいですよ」
リグレスではスティフィも普通に蟹を食べていたので、ミアは不思議に思う。
それにミアからしてみれば虫種も貴重な食べ物だ。
「美味しければ虫種も食べるって言うの?」
スティフィがはやり本気ではないがミアを睨め付けつつそう言ってくるが、
「え? 普通に食べてましたけど? 蜂の子とか特に美味しいですよ」
ミアからしたら虫種もただの食材の一つでしかない。
が、それを聞いたスティフィは一瞬本気で嫌そうな表情を見せた。その表情はすぐに引っ込んだが、若干ミアから距離を取った。
「あっ、あー、うん、そうね、ミア、ここにいる時くらい美味しい物たくさん食べましょうね」
そして、今度はそんなことを言い出して、憐れみの目でミアを見だした。
「な、なんですか……」
若干何か馬鹿にされていると感じ取ったミアが狼狽えていると、これ以上は付き合ってられないとばかりにジュリーが声をかけて来た。
「そ、それより浮き輪一つしかないんですけど、借りていいですか?」
ジュリーが木製の浮き輪を両手で抱えながらそう聞いてきた。
「もちろんいいですよ。そもそも私は浮き輪の使い方よくわからないですし」
浮き輪というくらいだから水浮くんだとは思うが、それの使い方はミアにはよくわかっていない。
「それは溺れそうになった時に使うんじゃないの?」
スティフィが素に戻って、ジュリーに向かいそう聞き返す。
溺れて錯乱している人間を助けるのは実は難しく共に溺れてしまう事も少なくない。
溺れている者が助ける者にしがみ付き、助ける者の行動を阻害してしまうからだ。
それを防ぐために溺れた相手にこの浮き輪を投げ、それに捕まってもらい、ついている縄を引っ張ることで助けるための救命道具だ。
この浮き輪は遊ぶための物でも、泳ぎの練習で使うための物でもない。
「そうなんです?」
ミアは不思議そうな表情で浮き輪を観察しだした。
よく乾燥された木材で白と赤の縞々に塗られていて輪っか状になっている。
「お、泳いだことなんて一度もないので…… 休憩所のほうに戻しておきますね」
溺れないための道具ではなく、溺れたときの道具と聞いて、ジュリーは照れながら浮き輪を戻しに休憩所のほうまで走っていった。
スティフィはそれを見て、ジュリーがこちらの言葉を聞き取れないくらい離れた時点で、
「マーカス、あんたが泳ぐのを教えてあげなさいよ。私はミアと遊んでるから」
と、マーカスに声をかけた。
マーカスは目を見開き心底驚いた表情を見せたが、まんざらでもない表情を見せた。
「泳ぎですか? 教えられるほど得意ではないですが?」
マーカスはそう言いつつもやる気はあるようだった。
スティフィ的には、マーカスが勝手に欲情して求められても困る。オーケンの名を出されたら、断ることもスティフィにはできない。
求められ応えるのはまだいいとしても、その後、ミアとの友情にヒビが入る、とは言わないまでもぎくしゃくすることはありそうだとスティフィは予想している。
それでも特に問題ない気もするが、念には念をという話だ。
マーカスとジュリーがくっついてくれればその心配もない。当人がどう思ってるかは知らないが、こんな浮かれた場所で、こんな浮かれた格好をしていれば是も非もないだろう。
それによりジュリーやマーカスと言ったミアの身近な人間もまとめてミアから距離を取らせることができる。
スティフィにとってはいいことずくめでもある。
「スティフィは泳げるんです?」
ミアは少し不安そうに聞いてくる。もちろんスティフィにも海で泳いだ経験はない。
経験はないが、とりあえず優位に立つために自信のありそうな顔をミアに見せ、
「私はなんでも一通り。ミアは?」
と聞き返した。
実際、左手が動かないものの、それなりに泳げはする。左手が普通に動けば急流の川でも泳ぎ切ることができる自信はスティフィにはある。そういった訓練もしてきている。
ただ波のある海でとなるとそのかっては少し違うかもしれない。
「川で何度か程度ですが、でも、腰までつかれるような川は近くにはなかったですね。そもそも巫女なのであんまり遊んでいられなかったですし」
ミアは少し不安そうにしている。
ミアに頼られるのはスティフィも悪い気持ちはしない。
相変わらずミアに精霊が憑いていると、背筋が寒くはなるがそんなものいくらでも誤魔化せるし、なんだかんだで慣れてきてはいるはずだ、と、スティフィは自分にそう言い聞かせる。
「じゃあ、ミアには私が教えるってことで」
「はい、お願いします!」
泳いだり、波にのまれて流されたり、水を掛け合ったり、砂で山を作ってみたりと、そんなことしている間に時間はお昼を過ぎたくらいの時刻となっていた。
四人全員が思った以上にはしゃぎ、浮かれ、遊びまわっていた。
結局仲良く四人で遊びまわり楽しんだだけだった。
「はぁはぁ…… さすがに少し疲れましたね。しかし、海、これは楽しいですね」
ミアが良い笑顔を見せる。
「波が飽きさせないわよね、いつかこんな入り江じゃなくてもっと激しい波のある場所で遊んでみたいわね」
と、それに対してスティフィが意見を述べる。
確かにスティフィの身体能力からすると少し物足りなくはあるが、それでも十分に楽しんでいる。
「私は、今の波でも十分に楽しめてますよ。というか、これ以上高くて荒い波だと、私は波にさらわれてしまいますよ」
そう言いながらも、今も波に押されジュリーはよろめいて浅瀬で尻もちをついた。
その光景をまぶしそうに見たマーカスが意味深に、
「これが、海水浴ですか…… 正直舐めてました」
と、いい笑顔でそう言った。
それをスティフィが少し冷めた目で見ながら、意外とこの二人は相性がいいのではとも思う。
なんだかんだで、ミアとスティフィが組になって遊んでいると、ジュリーとマーカスの二人も自然と二人で遊んでいるし、話も合うようだ。
元々は太陽の戦士団の信奉者であるマーカスと、輝く大地の教団の信徒であるジュリーであるのだから、相性は悪くなかったのかもしれない。
ただ、今のマーカスはデミアス教の大神官の使い走りをやらされてはいるが。
「一度休憩も兼ねて、お昼にしませんか? そこの小屋のような場所でも、お昼も一日一食迄なら、無料で食べれるはずです!」
ミアはお昼を早く食べたいとばかりに、目を輝かせてそう言った。
それを見たスティフィは、まるで飢えている子供のようだ、と思い、それを口にするかどうか迷う。
「本当に至れり尽くせりですねぇ」
マーカスが満足している表情でポツリとつぶやく。
それを聞き逃さなかったスティフィはどうでもいい迷いごと自体を捨て、ミアを見つめ自慢気に言い放つ。
「ミア、感謝してよね、私がいたおかげで当たったんだから」
ミアはそれを聞いて、少し困ったような悩ましい表情を見せる。
「複雑な気分です…… 結局は不正なんですよね?」
自分が理由での不正はなさそうだったので、幾分気持ちは軽くはなっているが、それでも福引で不正で当てられたとなると、少なくともミアは素直に喜べない。
「別に私達がしたわけではないし、そもそも本当に不正があったかどうかなんてわからないでしょう? 気にするだけ無駄よ、無駄」
スティフィは気にするな、と手を振る。
「まあ、そうですが…… とりあえず小屋のところまで行きましょうか、何が売ってるんでしょう?」
ミアもすでに十分楽しんでしまっている以上は、悩んでも仕方ない、と気持ちを切り替える。
「やっぱり海産物なんじゃないの? 海鮮サァーナとか美味しそうね」
海は確かに危険な場所で人の領域ではないが、それだけにそこで獲れる物も魅力的だ。
特に食べ物はどれもおいしいとスティフィも思う。
「ああ、いいですね!!」
そう言ってさっきまで悩んでいたのが嘘のようにミアが目を輝かせる。
そこに同じく目を輝かせて、ジュリーも話に入ってくる。
「確か、名物があって、烏賊墨サァーナとか言う真っ黒いサァーナがあるそうですよ!」
ジュリーがうっとりとした表情でそう言った。
そこには、美味しそうだから食べてみたい、というミアとは違い、珍しく評判がよく流行っているから食べてみたい、という違いはある。
「な、なんですかそれ!?」
ただミアも今回はその珍しい食べ物に食いついた。
「烏賊っていう…… 足が十本ある海の生物でそれが敵に襲われると墨を吐いて逃げるらしんですけど、その墨自体が美味しいらしいですよ」
そう説明するもののジュリーも烏賊という生物の姿をよくわかっていない。
ただ見た目に反して美味しい、という情報だけは知っている。
「足が十本!? あっ、海老とか蟹みたいな感じですか?」
ミアはすぐに多足という点で、蟹や海老を思い起こす。
たしかにその両方も足が多い生き物ではある。
「それとはまた違って…… 誰か説明できます?」
何となくその姿を知っているだけのジュリーではミアの質問を正確には答えられない。
「そもそも、烏賊という物自体は知ってるけど、生きてるのを見たことないわね。こういうのはマーカスが知ってるんじゃない? 好きでしょう こういう話?」
スティフィが話に割って入り、マーカスに話を振ると、マーカスは満足そうに不敵な笑みを浮かべた。
そして、マーカスは嬉しそうに語りだす。
「一時期、蛸と共に外道の一種では、と疑われてたこともある生物ですね。ただそれは海神により否定されています。どういった生物なのかはよくわかっていませんが、大変美味だそうですよ。骨格がなくそれ故に節もない不思議な生物で足には吸盤がついていて、それで獲物をからめとったりするそうですが、実はその生態はあまりよく知られていません」
マーカスは一息でここまで説明して、息を再度吸い込み、そして、烏賊の説明を得意げに続ける。
「まあ、海の生物なので当たり前ですね。海にしか生息しておらず、湖などでは確認できたことはない、との話です。とても不思議です。面白いですね。奇妙な見た目をしているのは確かだそうです。全身柔らかくぬめぬめとしていて、脚の付け根に嘴を持つとされていますね。なんなら、リグレスの夕食にも出ていましたよ。あのわっか状の揚げ物がそうですよ」
説明を聞いていたミアは全く理解できない、と言った表情をしていたが、最後の一言ですべてを理解する。
烏賊は美味しい生物だと。
「あー、あの妙に歯ごたえがあった輪っかですか、あれも美味しかったです!!」
思い出しただけでも涎が出てきそうになり、頬が緩みだしているミアに対して、スティフィは驚いた表情を見せた。
「え? あれ烏賊だったの…… 知らなったわ」
スティフィも妙に歯ごたえのある食べ物だとは認識していたが、その正体が烏賊という生物だったと言うことまでは気が付かないでいた。
ミアは烏賊の揚げ物の味を思い出し、
「決めました! 私は烏賊墨サァーナを食べます!」
と、一大決心したように言った。、
「あっ、わ、私もそれにしようかな…… 案内冊子にも出てましたし」
ひっそりとジュリーが嬉しそうにそれに便乗した。
ジュリーはその存在を知った時から食べてみたかったが、真っ黒なサァーナと言うことで中々一人では勇気が出なかったのだ。
ミアという心強い仲間ができてうれしい限りなのだ。
仲間がいれば心置きなく珍しい物も注文することができる。
「私は王道の海鮮サァーナにしようかしら」
スティフィはその経験から、口に入れる物は無難なものを選ぶ傾向にある。
あくまで傾向があるだけで、珍しい物を口にしない、と言うことはないが、選べるなら無難な物を、という習慣がある。
ミアなどに勧められれば紆余曲折はあるだろうが、例えゲテモノでも口にするのを厭わない。だが普段は安全で無難な物を選ぶ。
そういう風にスティフィは作られている。
今回は海鮮サァーナがそれに当たると考えただけの話だ。
「ここの近くにこの都市直営の牧場や農場もあって肉や卵、野菜も美味しいらしいですよ」
マーカスが追加で情報を付け加える。
なんなら、マーカスはそちらも、特に牧場の見学に行きたいとさえ考えているくらいだ。
「なっ!! ま、また迷うようなことを……」
ミアがそれを聞いて迷いだす。
「わ、私は烏賊墨サァーナにします! もう決めました!! 案内冊子にも載ってましたし!!」
迷いだしたミアとは逆にジュリーは心を決めたようにそう宣言した。
一度決めたので、決心がついた、とばかりにそう言っている。
が、少し恨めしそうにミアに視線を送っている。
口には出さないが、裏切り者め、という表情を浮かべているが、それに気づくものはいないし、些細なことでしかない。
迷いだしたミアを見て、スティフィはため息をついて、
「今晩の夕食は決まってるんでしょう? それによって決めたらどうなの?」
と、提案する。
ミアは今は手元にないが、事前に教えてもらっている夜の献立表を思い出す。
その記憶では、
「夜は確か…… 肉多めだった気がします! なら、私もやっぱり烏賊墨サァーナにします!! 名物というからには一度は口にしないと!! スティフィこそ、普通の海鮮サァーナでいいんですか!? マーカスさんは!?」
そう言うと、ジュリーが嬉しそうに頷いて見せた。その顔は、満面の笑みだ。
スティフィはため息をついてそれを無視するし、マーカスは少し考えてから、
「品書きを見てから、そこで一番食べたいものを注文します」
と、言った。
ミアからしてみれば、その答えは目から鱗が零れ落ちる気持ちだった。
「手堅いですね……」
ただ今日はすでに烏賊墨サァーナに心を決めている。ただ明日からはそれを見習おうと心に固く秘めていた。
その様子をスティフィはくだらなそうに見た後、
「手堅いって何よ、まあ、ともかく向かいましょう」
と、声をかけた。
荷物を取るためにいったん自分達の休憩場所に戻ってくると、荷物持ち君を数名の人間が囲っていた。
そのほとんどは鍛え上げられた肉体を持つ男性だったが、その中心人物は美しい金髪の美少女だった。
「あ、あの、どうしました?」
と、ミアが声を掛けたが、それをスティフィが制する。
「ミア、下がって、そいつらただ者じゃないわよ」
中心人物の少女は一般人だか、周りの、おそらくは護衛の男達は恐ろしいほどに手練れだ。
その佇まいと気配だけで、スティフィはその力量を感じ取る。恐らくではあるが、あの護衛一人一人が自分と同格かそれ以上の戦士であるということがわかる。それが七人もいる。
それでも、ミアに憑いている精霊や荷物持ち君の敵にはならないだろうが、スティフィ一人だけでは対処のしようがないほどの相手だ。
「でも、荷物持ち君が大人しいので敵意はないと思いますけど」
ミアは不思議そうにスティフィを見返すが、そのスティフィは険しい表情を浮かべているだけだった。
「こんにちは。私はルイーズ・リズウィッドです」
中心の少女が軽く会釈をしてそう名乗った。
「リズウィッドって…… ことは」
まずマーカスが驚いた声を上げる。
そして、少し遅れてやってきたジュリーがその少女の顔を見て驚きの声を上げる。
「ル、ルイーズ様!? どうして……? あっ、わ、私です、ジュリー・アンバーです。一度だけ挨拶しに行ったことがあると思いますが……」
ジュリーはこの領地のシュトゥルムルン魔術学院に通う際、一度だけ挨拶をしに行ったことがある。
領地の規模から言うと雲泥の差があり、吹けば飛ぶようなアンバー領と今や南部最大のリズウィッド領とではその力関係は言うまでもない。
「アンバー? アンバー…… ああ、アンバー領の…… そういえばご挨拶したことありましたわね、失礼いたしました。今は…… 確か魔術学院の方にいらっしゃるのでしたね」
「いえ、いいんです。覚えていてくださっただけでも」
と、ジュリーは完全に委縮してしまっている。
「どなたなんです?」
「このリズウィッド領のお姫様よ」
と、スティフィは詰まらなそうにそう言った。
「ああ…… え? なんでそんな人が荷物持ち君を?」
ミアの疑問はもっともだ。確かに規格外の使い魔ではあるが、荷物持ち君は一応はただの泥人形だ。
その核に古老樹が使われているなどと、見破れるものなどそうはいないはずだ。
「目的は泥人形ではありません。その人形が持っている帽子です。誰の物ですか? そして、どこでこれを?」
そう言って領主の娘ルイーズはミア達四人を一人一人見つめていった。
「わ、私ので、ロロカカ様から頂いた神器です。神器の登録も済んでいます」
ミアがすぐに名乗り出た。
ミアからしてみればやましいことなど一つもないのだから、隠す必要もないことだ。
「神器? ということはロロカカ様というのは神族でいらっしゃられるので?」
ミアの返答にルイーズは驚いた表情と、少し困った表情を同時に見せた。
「はい」
と、少し不思議そうにミアが返事をすると、
「嘘、ということはないですよね。神の名を出している以上は」
と、ルイーズも納得する。
ルイーズからは驚きの表情が消え、困った表情のみが残った。
「もちろんです!」
と、ミアが少し憤慨したように答える。
ルイーズは別にその神の存在を信じていないわけではないが、会ったばかりのミア達の言葉を信じるかどうか、というところで先ほどの言葉を発したのだ。
この世界では神の名を騙る人間はほとんどいない。神の名を騙ること自体が命がけとなるのだから。
そう言う意味ではミアの発言は、とても信憑性のあるものともいえる。
だがその場合逆に困るのはルイーズの方だ。
「では偶然? その帽子を間近で確認したいのですがよろしいですか?」
神が与えた神器、神器とは行かないまでも、神の与えた物を、他人がどうこうできる権利はない。
例え絶対的な権力を持っている領主の娘だからと言っても、それは人間の間での話で、神が絡んで来ればそんなものはまるで意味をなさない。
ルイーズ的にはこの帽子を接収したかったのだが、まずその帽子を守っている使い魔が異様な魔力を持っていて躊躇していたし、その帽子が神から与えられたものと聞いては、もう取り上げることもできない。
だが、ルイーズにはその帽子を調べなくてはならない理由がある。
「か、かまいませんが、巫女である私以外が被ると祟りが起きるのですが……」
と、ミアが恐る恐る伝える。
「祟り?」
そう聞いてルイーズ達に動揺が走る。
それと同時に、無理やり接収しなくてよかったとも。もし無理やりにでも接収しようとしていたら、痛い目を見ていたのはルイーズ達なのは間違いがない。
「ルイーズ様、私が確認いたします」
祟りという言葉を聞いて、後ろに控えていた護衛の一人が前に出てくる。
ついでに、スティフィの見立てではその男が一番強い。恐らくはこの護衛達の長だ。
「頼みます」
と、ルイーズもそう言って、一歩下がった。
その男はミアをまっすぐ見て一呼吸してから、
「では、お借りしても?」
と確認してきた。
「ええ、かまいませんが被らないでくださいね。被らない限りは平気ですので」
そう言って、荷物持ち君に籠からロロカカ様の帽子を出すように命じる。
帽子は荷物持ち君の手によりミアに手渡される。
ミアはそれを大事そうに両手で、男に差し出した。
「では、失礼して。これは…… うむ? やはりここに…… 間違いはないがこれは……」
男は外側には用がないとばかりに、すぐに帽子をひっくり返し、その内部を確認しだした。
ミアの目から見ても、その扱いは丁寧で、ミアもとりあえずは安心する。
しかも、その帽子に心当たりがあるようで、まるで帽子の構造が分かっているかのように扱っている。
この帽子のことを何かしら知っていることだけは確かだ。
「その帽子のことを知っているんですか?」
ミアにとってもこの帽子はロロカカ様が授けてくれたもので、自分以外がかぶると祟りを起こし、またたとえ手放しても三日もすれば必ず手元に戻ってくる、ということしか知らない。
この帽子の由来などに関しては一切知りえていない。気になることも確かだ。
ミアは帽子を調べている男性に声をかけたが、それに答えたのはルイーズだった。
「ええ、ですが、私の権限でもこの帽子のことを詳しくお伝えすることはできません。お父様の許可を貰わないことには」
そう言ってルイーズと名乗った少女は少し考えこむ。
ただ若干ではあるが、ミアを鋭くにらむような視線を送ることがある。
「ど、どういうことですか?」
と、ミアが聞くと、
「残念ながら今はお伝えすることは憚られます。お父様からの許可が出たのであるならば、お伝えすることができ、場合によってはあなたにも知る権利が…… どうなのでしょうか。あなたは綺麗な黒髪をしていますね」
ルイーズは話していた途中でミアの髪色に気づき、途中でその言葉を言い切ることを止めた。
「え? ええ? あ、ありがとうございます?」
ミアは訳も分からないが、とりあえず褒められたと思いお礼を言った。
「それは地毛ですか?」
「は、はい?」
聞かれている意味がやはり分からず、ミアは曖昧な返事を返してしまうが、ルイーズはそのミアの様子をじっと観察している。
「ルイーズ様。この帽子は偽…… いえ、すいません。よく似通ってはいますが、また別に作られた物となります。少なくとも現品ではないです。ただ、通し番号は例の番号です」
と、帽子を調べていた男が、そう報告し、ミアに帽子を丁寧に返却した。
「わかりました。それだけ分かれば十分です。まずはお父様に確認する方が先ですわね。失礼、あなた、お名前は?」
その報告を聴いたルイーズは、ミアの方を睨むように凝視する。
その視線には様々な感情が込められている。
「ミアですけど……」
ミアは少し狼狽える様に自分の名を答える。
ルイーズから向けられている感情が複雑過ぎてよくわからない。
向けられてくる感情が、どうも負の感情だけではない。それだけにミアもどう対応していいかわからないでいる。
ただミアを害そうという感情はないようだ。もしそれが少しでもあれば、荷物持ち君が反応している。
「あなたもシュトゥルムルン魔術学院の?」
ルイーズはジュリーとミアを交互に見て確認してくる。
「はい、魔女科の生徒です」
「魔女科?」
とその言葉にルイーズは若干驚きの表情を見せる。
ルイーズの記憶では少なくともジュリーは巫女科の生徒のはずだ。
巫女科と魔女科はどこの魔術学院でも何かと仲が悪いことは有名な話だ。
一緒に旅行しに来ることなど通常ではありえない。
「色々と誤解があって魔女科に配属になったんですが、今は巫女科の講義も受けれるようになってます。ただ科を今更変えるのも何なので今も魔女科にいます」
学院でのロロカカ神に対する認識は、門の守護神であると共に、恐らくは古代神であり祟り神であると考えられている。そのことには変わりはないし、学院の基準からしてもミアの科は魔女科となる。
ただ門の守護神という重大な役割を持つ神でミアはその巫女なので、巫女科の講義も受けられるようになり、希望するなら巫女科への転科も可能という話にはなっている。
しかし、ダーウィック教授とエルセンヌ教授は同じ神術学の講義でも、その内容に雲泥の差がある。
ダーウィック教授は齢三百歳を超える魔人ともいうべき存在であり、それを魔術学院の教授と言えど比べてしまうのは酷という話だ。
ミアもそのことはわかっているので、質の良い講義を優先的に受けられる魔女科から巫女科に転科するのに躊躇してしまうほどだ。
それもありミアはまだ魔女科に属している。それにミア自身もロロカカ神が本当はどういった神なのか、わからなくなってきている。
ただ学べば学ぶほど、学院の基準ではあるのだが、ロロカカ神が祟り神という枠組みに置かれてしまうことにしっくり来てしまっている。
それでもミア自身はロロカカ神を祟り神だなどと微塵も思ってはいない。ミアの中でロロカカ様は今も慈悲深い女神のままなことに何ら変わりはない。
「そうですか。わかりました。ジュリー様もいることですし、間違いもないでしょう。ブノア。一旦戻ります。お父様は…… 今はリグレスでしたか?」
ミアは協力的であり、彼女自身もこの帽子のことを知りたがっている、また規模は違うが、同じ領主の娘という立場であるジュリーがいる事もありここは一旦引くことをルイーズは選択した。
「はい、左様でございます」
「ミア。いえ…… ミア様。近いうち会いに行くことになると思います。その際、お父様から許可がいただけたらですが、その帽子のことも含めて色々お話しすることがあります。では、また」
そう言ってルイーズの一団は手早くその場から離れていった。
ルイーズ達が去った後、スティフィは安堵のため息を吐いて、一呼吸してからミアの方に向き直る。
スティフィからしたら生きた心地がしなかった。あの護衛達の発する気はただ者ではない。
自分と同じか、それ以上の戦士が七人も同時にいたのだ。以前自分が所属していた狩り手の部隊ですら正面切って戦えばまず勝てない相手だった。
そんな手練れの集団だった。領主の娘だからと言って、その護衛というわけでは過剰すぎるとさえ思うほどだ。
そんな連中がミアの帽子に興味を持っている。
「ミア、あなた本当に何者なの? 実はここの貴族だったりするの?」
スティフィも驚いた表情でミアを見ている。
ミアが信奉する神、ロロカカ神の導きでミアは遠い辺境の地より、この領地まで態々やって来ている。
何らかの神の意図があるのだと、スティフィは確信するしかなかった。
ミアの出生の秘密などもこの領地、そして、その領主と関係があるのだろう。
ただミア当人は曖昧な表情を浮かべるだけで、ミア自身よくわからないでいる。
「ど、どうなんでしょうか……」
ミアは自分自身に聞くようにそう言葉を漏らすが、その答えが出てくるわけもない。
「でもミアさんは黒髪ですし、ほら、ルイーズ様も金髪でしたし、ここの貴族達は皆金髪のはずですよ」
と、ジュリーがそう言うが、スティフィがすぐさま反論する。
「そんなのミアの母親が黒髪だったら問題ない話でしょう? どうなのよ?」
と、スティフィが再度ミアに聞きなおす。
「見たことも聞いたこともないです…… 母のことは村の人達もあまり話したがらないので……」
リッケルト村では誰も自分の母のことを語りたがらなかった。
ただ直接聞いたわけではないが、母はロロカカ様の領域に入り自ら生贄になった、そんな事のような話だったはずだ。
ただそれも事実ではないのかもしれない。ミアがただそう感じ取ったり、少し耳にした程度の話で確かめたわけでもない。
また村の者に聞いてもその答えは返ってきたりもしない。
「そう。まあ、私もかわらないけど。親の顔なんて知らないし」
ミアがしんみりしてしまっているので、とりあえずスティフィも共感したようなふりをしておく。
スティフィが親の顔を知らないというのは嘘ではないが、彼女は自分の親に興味が全くなくどうでもいいことだ。
「なんだったんですかね……」
と、ミアが呆然としたまま言葉を漏らす。
「うーん、中々師匠が喜びそうな展開になりましたね……」
少し対応に困ったようにマーカスもぼやく。
それを聞いたスティフィが反応する。
「オーケン大神官は、これもお見通しだったと言うこと?」
スティフィは半ば呆れながらも恐怖する。もしこうなることが分かっているのであれば、それはもう未来を覗き見ているようなものだ。
同じ神を信じる宗教の大神官とは言え、ダーウィック大神官やクラウディオ大神官ともまた違う不気味さを感じずにはいられない。
「どう…… ですかね? 図りかねますね。あの人のことは」
マーカスはそう言ってはいるが、さすがにここまで起きることが分かっているというのであれば、それはそれで呪いのようなものだと、マーカスは考える。
未来が事前にわかってしまうなど、きっと詰まらないことだと、特に、オーケンという人物ならそう感じるはずだと、マーカスは思う。
「うーん…… ロロカカ様の帽子のことは気になりますが、いずれ伝えに来てくれるというのであれば、その時を待ちましょうか…… 気になりますが…… 物凄く…… 気にはなります……」
ミアは手渡された鍔広の三角帽子を見ながらそう言った。
ミアからしたら自分の出自なんかよりも、ロロカカ神より授かった帽子のことのほうが気がかりなのかもしれない。
「その帽子、ミアの神様から授かった物なんでしょう?」
そんなミアを見てスティフィは少しだけ安心する。ミアはミアなのだと。
「はい、それは間違いないです。私がこの帽子を通してロロカカ様の御使い様とお話しできればいいのですが……」
そう言ってミアは帽子に描かれている、縦に三つ並んだ目を見つめる。
魔力を借りているわけでもないので、帽子と見つめあっても何か起きるわけもない。
「ダーウィック大神官様でもやっとだったのよ? 流石にミアでも無理でしょう」
スティフィはそう言って、それをいとも簡単にやってのけたカリナという巨女のことを思い浮かぶ。
ダーウィック大神官の妻にして、人類最強の存在だという。自分ではどうあがいても勝てない存在だ。
「何度か試しましたけどやっぱり無理でした。私では制御できる魔力の量が少なすぎるそうです。使徒魔術の契約の時にも来てくれますが、その時は必要な事以外は話してくれませんし……」
ただミアの才能ならいずれそれも可能になると、スティフィは思っている。
神に好かれるだけはあり、ミアの魔術の才能は平凡とは言い難い。それこそデミアス教の大神官にふさわしい才能の持ち主だ。
「まあ、使徒魔術の契約は、相手が悪魔であってもそういう物だし…… んま、食べながら話しましょうか、どうせ答えは出ないんだし」
「そうですね、訪ねてきてくれることを待ちましょう」
そう言ってミアは帽子を見て微笑み、それを荷物持ち君に預けるようにと手渡した。
「ルイーズ様、あの者ただ者ではありません」
帽子を確認した男が、自らの主ルイーズに進言する。
できれば、関わりたくはないほどに、という言葉な飲み込んでおく。
あの帽子を見てしまったら立場上そんなことも言ってられない。
「あの裸みたいな、破廉恥な方のことですか?」
ルイーズは珍しく敵意、とはいえ、ミアという少女を守るためにではあろうが、それが自分に向けられていたことに気づいていた。
しかも、ルイーズから見てもかなりの使い手に思えた。
「いいえ、あれは手練れではありますがさほど問題ありません。我々ならば対処することも容易です。ミアと名乗った方、本人が色々と……」
格下、というわけではない。ただ相手の左手は使い物にならないのはブノアには一目見て理解できている。
あれでは勝負にならない。
それに例え、左手が使えていても遅れを取るつもりはない。あの若さでありながらかなりの使い手ではあろうが、それでも自分には届かない。
ブノアという男はそう判断している。
その上で問題は別にある。
「と、言うのは?」
「あの泥人形、そして杖、帽子もですが、どれも尋常ではありません。少なくとも学生が所持していて良い物ではありません。それになによりあのミアという少女の黒髪、それ自体が、恐らくは神の祝福か何かを受けているものかと」
神に愛された巫女であることは推測できる。
あの似せて作られた帽子からして人の手によるものでもない。杖からも尋常ならざる力を感じるし、あの泥人形に至っては別次元の魔力すら感じる。
それもこれも神の寵愛を受けた巫女で、神からの贈り物であるならば説明がつくし、あの美しい黒髪からは神がかり的な力をも感じている。
神の寵愛の証なのだろう。
「それら全部が神器で、神の祝福を受けた巫女とでも?」
「はい、恐らくは」
その言葉に、ルイーズは嫌な表情を浮かべる。
自分はこの領地の領主の娘であり絶大な権力を持ってはいる。ただしそれは人間相手では、の話だ。
上位種、特に神族がかかわってくるのであれば、話は全く違ってくる。
神の前に貴族であることなど、何の意味もなく、相手が神の巫女ともなれば、おいそれと手を出していい相手ではなくなる。
「お父様ならご存じかしらね。祟りを起こすような神と、あまり深くかかわらないほうが良さそうですが、あの帽子をそのままにはできないでしょう?」
ルイーズは忌々しそうに帽子のことを思い出してそう言った。
あの帽子は本来、リズウィッド家の者にとって、誇りであるとともに負の遺産でもある。
「はい、その通りです。あの帽子はあまり表に出していい物ではないですので」
ブノアがそう同意してくれたことで、ルイーズはいったん安心して胸をなでおろす。
どちらにせよ自分でできる判断ではない。
そもそも自分があの帽子のことを知っていること自体、父からしてみれば驚くことなのだから。
そのことでも父から何を言われるかもわからない。
場合によっては父は激怒するかもしれない話でもある。
ルイーズも気が重いが、あの帽子を見てしまった以上は、見て見ぬふりなどもうできるものでもない。
「せっかくティンチルまで来たというのに、とんぼ返りすることになるとは思いませんでしたわ。ああ、叔父様には挨拶だけはしていかないといけませんね、もうっ!」
そう言ってルイーズは振り返り遠目ではあるが、ミアをもう一度だけ確認した。
その視線はやはり複雑な感情が入り乱れている。
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