非日常と精霊王との邂逅 その8
ここ最近、ミアが忙しかったこともあり、事務所にミアがロロカカ神は祟り神ではないと抗議をするためにやってくることは少なかった。
一時期、ミネリア以外の事務員にも抗議活動をしに来ていたが、結局のところ誰も対応できず最終的にミネリアに回されるようになり、ミネリアは事務員の中でミアちゃん係的な立ち位置になっていた。
他の事務員には内緒で、大した額でもないが、特別手当も出るようになっていた。
未知の神、それも祟り神と目される神の巫女の相手を長時間するのだからそれくらいあっても不思議ではない。
ミネリアも祟りは怖かったが、実際に祟りに会うようなことはない。少なくともミアの話を聞いているだけで祟られるようなことはないように思えた。
そもそもミアの話では、ミアがかぶっている帽子をミア以外がかぶらなければ人が祟られるようなことはなかったという話だ。
それもあってか、慣れてきているのか、ミネリアも以前よりはミアのことを必要以上に恐れることはなくなっていた。
まあ、そのミネリアとてミアの話を気が済むまで聞いてやるだけで、何か対応できるわけでもないのだが。
そんなミアも今は古老樹の朽木様に会いに行っているらしいので、突然やってくる心配もない。
今日か明日辺りには帰ってくる予定のはずだが、帰ってきてすぐ事務に用事があるわけではない。
精霊を借りに行ったのなら、申請の用事くらいはあるだろうが、今回は行き先は同じでも朽木様に用事のはずだから事務所に用事もないだろう。
今日と明日くらいは、願うならばもうしばらくはだけれども、ミアが事務室に顔を出しに来ることはないだろう。そうミネリアは考えていた。
昼が過ぎて少し経ったくらいの時刻だろうか。
事務の仕事も割と暇な時刻ではある。
たまっていた書類の整理も終わり手持ち無沙汰になっていた時間でもある。
それは突然やってきた。
事務の扉がゆっくりと開かれ、それが入ってきた。
普通の人には見ることができない。ただ水晶眼と呼ばれる特殊な眼を持つミネリアには、それを見るとこができた。いや、見ることができてしまった。
人では抗えないほどの強大な自然の力そのもの。それが具現化したような荒々しい力の塊が不定形をなして、一人の少女にまとわりついている。
それを一目見たミネリアは、
「ヒィ!!」
と、声にならない悲鳴を上げる。
はぐれ精霊。
ミネリアにはそれがすぐにわかる。彼女にはその姿を見ることができるのだから。
しかも、大きな荒々しい力を持ったはぐれ精霊。
それがミアにまとわりついている。
普通なら、あれほどのはぐれ精霊にまとわりつかれたならば、既にその力に飲み込まれ人の形が残らないほどの肉塊になっていてもおかしくはない。
だがミアは平然としている。しかもミネリアのほうへと向かって歩いてきている。
ミネリアはたまらず再び叫んだ。しかし今度は意味のある叫び声だ。
「だ、誰か、早くカール教授を!! ここに呼んで来て!!」
絶叫にも近い叫び声を聞いたその他の事務員達が動き出す。だが他の事務員たちもミネリアが水晶眼を持っていることは知らされていない。
数人が事情を聞きにミネリアに近寄り、熟練の事務員たちはとりあえず事情もわからずにカール教授を呼びに走り出す。
カール教授は精霊魔術の権威である。ならば精霊関係の何かが起きたということだけは理解できている。後はミネリアの動揺と必死さから事の深刻さを肌で感じ取りでもしたのかもしれない。
ミネリアは事情を聞きに来た他の事務員たちを危険だから、と、とにかく遠ざける。
そして、ミアの対応に一人で当たる。
「ミ、ミ、ミ…… ミアさん…… あ、あなた…… な、何ともないんですか?」
ミネリアが震えながら聞くと、
「え? はい? どういうことですか? とりあえずすこぶる元気ですよ。えっとですね、今日はですね、なんと精霊を貸し与えてもらえたので、登録にきました! 登録のための用紙を頂いてもいいでしょうか?」
と、ミアはにこやかに話しかけてくる。
ミアにまとわりついているはぐれ精霊の目のような部分が、ぎょろりと値踏みするようにミネリアを睨む。
「ひ、ひぃ……」
にらまれたミネリアは恐怖で固まる。
ただ睨むだけではぐれ精霊はミアにもミネリアにも何かしてくるようなことはない。
ただただミアにまとわりついているだけだ。
「ミネリアさん、どうしたんですか?」
恐怖で固まっているミネリアを不審に思ったミアがそう聞くことで、ミネリアも何とか恐怖ながらにも正気を取り戻す。
ミアに憑いているはぐれ精霊は安定している。怒ってもいない。
だからミアは今も無事なのだろう、恐らくミア自身そのことに気づいていないのではないかと、ミネリアは考えた。
実際のところは、久しぶりに来た場所も遠く離れた人里に、はぐれ精霊の方が不安になり主人であるミアにしがみ付いているだけなことに、水晶眼を持っているミネリアでさえも気づけるはずもない。
ミネリアはとりあえずミアにはぐれ精霊が憑いていることを自覚してもらい、ミアごと隔離して後はカール教授に任せるしかない、とミネリア自身も覚悟を決めて口を開く。
「ミ、ミアさん…… あ、あなた、は、はぐれ精霊にっ」
と言ったところで、再びはぐれ精霊の目のような部分がミネリアをじっと見つめた。
それでミネリアは言葉をそこで詰まらせてしまう。
精霊的には呼ばれたからそちらに向いただけだ。目の前の人間がミアに敵意を持っていないことは既に分かっている。
「え? わかるんですか? 凄いですね! でも、見えないのにどうして? ああ、そう言った魔術でもあるんですか?」
ミアは不思議そうにしている。
水晶眼を持っていることで何かと狙われたりすることもある。あまり身を守るすべを持たないミネリアはそのことを隠している。
ただ今はそんなことはどうでも良かった。目の前のはぐれ精霊が暴れ出したら、この事務所にいる全員が瞬時に死ぬことになる。
それほどの精霊がミアにまとわりついている。
「ええ…… そ、そう、です…… え? はぐれ精霊に憑かれてるって、わ、わかっているの?」
ミアの返事を改めて理解するとそう言うことになる。
ミアはわかっていて、こんな笑顔をしている。ミネリアにはそのことが理解できない。それと同じくらい目の前のはぐれ精霊がこんなにも大人しいことが理解しがたい。
精霊、特に大きく育ったはぐれ精霊は自然そのもののような存在だ。
ここでまで育つと精霊は基本的に人間のことを下に見だすものだ。そうなってはそんな精霊を支配下に置くことはまずできない。支配下にも置かれていない精霊がなぜこんなにも安定して大人しいかなどミネリアには理解できない。
しかも、ミアに憑りついている精霊は荒々しいとても強い気を発している。元々は天災か何かを司っていた精霊なのかもしれない程の精霊なのだ。
それが目の前にいるのだ。ミネリアにとっては氾濫し濁流となった川が足元に流れているのとそう変わりがない。いつその濁流に飲み込まれてもおかしくはない。気が気ではない状態だった。
「はい、朽木の王から貸し与えてもらえました!」
ミアのその言葉で、ミネリアの疑問はすべて解決する。が、同時に今度はミアが今しがた言った言葉がミネリアには理解できない。
精霊王はその名の通り精霊の王である。精霊達は王に付き従う。それははぐれ精霊でも変わりはしない。
なので、精霊王からはぐれ精霊を借りれると言うことは理解できる。
ただ精霊王は精霊に無理意地するような命は基本的にはくださない。各精霊の意志を尊重する。特に意志を持った精霊が望まない命令は理由なくすることはない。
精霊王の命とはいえ、はぐれ精霊がミアの配下になると言うことは、はぐれ精霊もそれを望んでそうなったという可能性が高いのだ。
とてもじゃないが、ミネリアには信じられないことだ。
通常、はぐれ精霊となった精霊が再び人間の配下に加わることはまずないのだから。特にこれほどの力を持った精霊がとなると聞いたことすらない。
「は、はぐれ精霊を? じゃあ、そのはぐれ精霊は……」
と反射でそう言葉を返してはいるが、ミネリアの頭は追いついておらず理解もできていない。
ミネリアの持っている知識と常識が続く言葉を否定している。
「はい、私の配下ですよ!」
ミアが元気よく嬉しそうに答えた言葉を、ミネリアは素直に信じることができない。
けれども、その言葉を聞いているはずの精霊が怒ってすらいない。
目の前にいる精霊は天災を起こしてもおかしくはないほど力を持った精霊だ。水晶眼を持つミネリアにはそれがわかる。
何度も言うようだが、大精霊が人間の配下になるようなことなど本来はあり得ないことだ。
そして、もし本当にミアの支配下にこの大精霊があるのであるとすると、それはミアの意志で天災を引き起こせるということでもある。
精霊魔術の権威と言われるカール教授にだってできないようなことだ。
「え? う、うそ……」
と、ミネリアが呟いてしまうのも無理もない。
そこへカール教授が急いでやってきて、ミアを見て固まる。
口をぽかんと開けて、驚いてそのまま固まった。
それは魔術学院の教授としては余りふさわしくない姿だが、精霊魔術のことを誰よりも詳しく知っているだけにその驚きは尋常ではなかったのだ。
暗く黒い、暗黒神の教会の礼拝堂。
異形の像の前にダーウィック教授が立ち、そのすぐそばにスティフィが跪いている。
さすがにレグナ草はすべて取り払われている。
スティフィからの報告を直接受けたところで、ダーウィック教授は渋い表情を見せた。
「やはりそうですか。ここ最近、どうも耳達の動向がおかしいとは思っていました。よく知らせてくれました」
ダーウィック教授が珍しく褒めてくれた。スティフィはそのことが嬉しい。が、顔に出すことはここでは許されない。
嬉しいという感情よりも、ダーウィック大神官様にこんなにやついた顔を見せつけるなど失礼、といった感情の方が強いからだ。
「当然です」
と、スティフィは平然を装って返事を返す。
「ただ…… 事前に送られた密書には、やはりオーケン大神官のことは書かれていませんでした」
オーケン大神官。デミアス教、第五位の大神官。
スティフィもその名は初めて聞く。そんなことよりも密書にその大神官のことが書かれていなかったことにスティフィは驚く。
「そんな…… 私は確かに……」
確かにあの夜にスティフィはそのことを付け加えておいたはずだ。
だが、スティフィが直接報告に来るまで、ダーウィック教授の下にその情報は届いてはなかった。
「ええ、わかっています。相手は私より上の位の大神官です。耳達もそうするしかなかったのでしょう。しかし、オーケンですか。はぁ…… どう対処するか考えるのが馬鹿らしくなる相手ですねぇ…… オーケンのことは捨て置きましょうか。考えるだけ無駄です。あれこれ考えても徒労に終わるだけです。混沌の申し子のような人間なのですから。その結果のみに対処していくほうが、苦労は少なくて済みます。関わらずにいる方が被害が少なくて済む。そんな相手です」
ダーウィック教授にしては珍しく、そうまくし立てた後、ため息をついた。
そして、言葉を続ける。
「あなたも、なるべくなら関わらないようにしなさい。ろくなことにはなりませんよ。あやつに関わっても苦労するだけで何も…… 何も得られません。無駄に労力を奪われるだけの相手です」
ダーウィック教授が感情的にそう力説した。
それには経験からくるものだろうか、何とも言えない説得力が伴っていた。
スティフィは跪いて下を向いたまま無言で相槌を打つ。
「こちらからは手出しをしないで静観しているだけでいいでしょう。オーケン大神官もこちらには…… いえ、考えるだけ無駄ですね。相手はあのオーケンですし、何をしでかすか予想もつけられません。考える時間を割くだけ時間の無駄です。しかし、ミア君もミア君で予想だにしない結果を持ち帰ってくるものです。流石に驚きました。精霊や古老樹が言うように、本当に世界の行く末に関わるような存在なのかもしれないですねぇ。ならば、是が非でも迎え入れたい。スティフィ・マイヤー。これからも彼女の良き友人であるように。そういえば、参考人としてあなたも呼ばれていましたね」
「はい」
と、名を呼ばれたことで再度歓喜の感情が溢れだすのを何とか押しとどめながらスティフィは返事をする。
「つまらない会議で気は進みませんが、そろそろ行くとしましょうか」
デミアス教、第五位の位を持つ大神官。
オーケン・アズメイルはシュトゥルムルン魔術学院の正門前にやってきていた。
マーカスが戻らないことは既に知っている。なんなら最初からわかっていて送り出している。
ならば、自分が動くしかない。彼は傍観者だが傍観者だけでいることはない。見ていることに飽きればすぐにでも当事者となり周りに厄災を振りまく。
ただその大きくも頑丈な門は閉じられオーケンの侵入を妨げている。さらにその門の前には、その姿だけを見たならば男か女かもわからないほど巨大な筋肉でできた塊のような、それこそ巨人ともいえるような人物が立ちふさがっている。
「よぉ、巨人さん。俺はさ、ちょっとばかし用事があるんだ、そこ、通してくんないかな?」
と、オーケンはそう言って目の前の相手を見上げた。かなり身長の高いオーケンだが、それでも相手の腰ほどにしかオーケンは届いていない。
誰がどう見てもその巨体は人間という種族には当てはまっておらず、言うならば巨人という言葉がしっくりくる。
が、そう言われた者は、巨人と言われ渋い表情を見せる。
「私は巨人ではない。法の神が直々にそうお認めしてくださったのだ」
そう答える。だからこそカリナはここにいる。この世界にいることが許されている。
「あー、そうかい。そりゃ悪かったなぁ。そういや、あんた法の神の信徒なんだってな」
オーケンは見上げながら世間話でもするように話しかける。
「だからなんだ」
それにカリナはつまらなさそうに返事を返す。
「だとすると、俺を通さないといけなくなるぜぇ?」
オーケンはそう言って、相手を嘲笑うかのような嫌な笑みを浮かべる。
「なら、その理由をさっさと述べろ。それから判断してやる」
それにカリナは顔色一つ変えずにそう返した。
「んー、言ってもいいが、それじゃあ、詰まらねぇだろ? あんた、随分強いんだってな。色々と聞いてるよぉ。実力で言わせて見せてくれよ、なぁ?」
そう言ってオーケンは今度は心底楽しそうに笑って見せた。
ミア達が学院に帰ってきたその日、シュトゥルムルン魔術学院ではサリー教授の報告を受け、夕刻より緊急会議が開かれた。
十二人の教授のほかに、騎士隊においてこの魔術学院の責任者であるガスタルも出席している。
それ以外には、ミア、マーカス、そして、ミアの配下となった精霊と戦闘した経験のあるスティフィも参考人として呼ばれている。
「さすがに何から話していいか、迷うことばかりだな」
一通り報告書に目を通したポラリス学院長がそう言ってため息をついた。
ミアが将来的に世界の行く末に関係する巫女に選ばれた。それを守るための護衛者という存在。行方不明となっていたマーカスの存在。ミアの使った巨人の火の魔術。デミアス教のオーケン大神官の存在。
ミアが朽木様より授かった杖。使い魔の荷物持ち君の刻印が朽木様に書き換えられたこと。大精霊と言っても過言でないほどの精霊がミアの配下になったこと。本来この地域に居ないはずの危険な虫種が存在していたこと、その他もろもろだ。
どれもこれも大なり小なり簡単には答えの出せない問題ばかりだ。一週間ちょっと旅をしただけでよくもこれだけの問題を抱えて帰ってこれた物だと感心すらする。
「一番気になるのは、ロロカカ神の巫女と護衛者という存在じゃないのかの? 世界に関係する巫女とか与太話として笑い飛ばせる話じゃが、それを言ったのが上位種となると、笑ってもおれんぞ。次点で、冥界の神が欲しているものかのぉ」
大いなる海の渦教団の神官でもあるウオールド教授が長く白い髭をいじりながらそう言った。
貸し与えられたという大精霊の話も気にはなるが、現状では落ち着いている、と言うことで優先度はやや低い。
それに確かに精霊は脅威だが、最悪、神に頼めばどうにかなる事案でもある。
「ああ、ウオールド教授、それは簡単ですよ。冥界の神が黒次郎の復活の対価に欲したのは、天に属する精霊王の体の一部ですよ」
と、とんでもないことをマーカスが悪びれもせずに、さらっと言った。
その様子を見て、騎士隊のガスタルが申し訳なさそうに俯いた。顔色も良くない。なんなら胃の調子も悪いかもしれない。
この場にハベル教官がいたらマーカスを殴りつけていたかもしれない。マーカスとハベルは以前からそう言った間柄でもある。
「それは報告書に書かれているから知っておるよ、マーカス君よ。はぁ…… それをどう解決するか、という話じゃよ」
と、ウオールド教授が椅子の上に胡坐をかきながらそう返した。
精霊王の体の一部などというものは、そうそう手に入るものではない。しかも天に属する精霊ともなると人に対して友好的でもない。
人がそれを得るだなんてことは無謀にも等しい。
が、黒次郎という名の犬は結果的には死んだままであり、魔術自体は失敗している。
そうであるのであれば、相手が神であったとしても対価は必ずしも支払う必要はない。
ただ高位の、神格の高い神による仲裁が必要となってくるかもしれない。
難題ではあるが魔術学院であれば、対処できる問題ではある。
逆に、ミア関連の問題は情報が少なすぎて対処のしようがない。
ロロカカ神の巫女、その護衛者。どちらもその本当の意味を知っている者はいない。またほとんどの神がロロカカ神のことに対して口を閉ざしている。
神に聞いても神託を下してくれる可能性すら低い。
また一番知っている可能性がある者は今、正門にいる。
「そもそも、ロロカカ神の巫女の真なる意味と言われても、我々はロロカカ神の名すら知らなかったのですよ。考えても無駄なのでは? 唯一知ってそうなカリナさんはどちらへ?」
と、エルセンヌ教授がポラリス学院長に向かい質問をする。
ミアがムッとした表情を浮かべているが、この場にいる全員がそれに触れることはない。
カリナは以前、ロロカカ神の名は名前くらいしか知らないと言っていたが、護衛者という言葉の方なら心当たりがあるのかもしれない。
それにミアが使ったのが本当に巨人の火なら、カリナが一番気になる話でもあるはずだ。
それにミアが精霊王達が言うように、世界に関係するようなことなら、カリナなら逆に知っていなければおかしくもある。彼女もまた世界に直接関係する人物の一人だからだ。
ただ彼女は法の神により、巨人ではなく人間であることを認める代わりに、その力も知識も制限されている。それを知っていても人に伝えることができるかどうか、それはまた別の問題だ。
「今は野暮用でな。そのうち戻ってくる」
と、ポラリス学院長は答える。
「なら、解決できるのから話をしていくしかあるまいて」
ウオールド教授がそう言ってサリー教授がまとめた目録に目を通す。
どれでも頭痛の種になりそうなことばかりがあげられている。
ウオールド教授が迷っていると、ポラリス学院長が口を開いた。
「まずは、そうだな。ミア君が配下にと貸し与えられたはぐれ精霊からにしようか。カール教授、現状では早急に対応する危険はないということだが?」
現状で今一番危険性がありそれでいて解決できそうなものと言えば、はぐれ精霊だと、ポラリス学院長は判断した。
事前に届けられている資料では山一つを土石流にして半壊させているとある。事実であればもはや天災とそう変わらない。
それが人の支配下にあると言うことは、人の意志で天災を起こせると言うことでもある。
「はい、現状では、ですが、精霊は落ち着いており危険はありません。また、完全にミアさんの支配下に置かれています。ついでに、今ミアさんが纏っている、とでもいうべき精霊は、大精霊と言っても過言ではないほどの精霊です。はぐれ精霊を配下にできた精霊魔術師は、有史で四人程確認されていますが、その中でも一、二位を争うほどの精霊かと思われます」
と、カール教授が答える。
その頬には冷や汗が垂れ落ちている。単体で天災級の自然現象を起こせる精霊など、目にできるだけで稀な事でもあり、それが人の支配下になるなど、カール教授からしてもあまり信じられるようなことではない。
「その精霊と戦ったことがあるという、スティフィ君、どんな精霊か話せるかな?」
ポラリス学院長がスティフィに向かいそう聞くと、スティフィはまずダーウィック教授を見つめる。
そして、ダーウィック教授が軽く頷いてから、スティフィは語りだす。
「はい、あのはぐれ精霊は水を操ることにたけた精霊で、雨も降っていない山で土石流を起こしたり、何もない場所からいきなり鉄砲水のようなものを発生させたりします。さらに天気と関係なく雨を降らせ霧を発生させ、水を自在に操り、その水を凍らせたりまでしていました」
端的に精霊の能力だけを伝える。狩り手の一部隊が壊滅させられたなどと、ましてや自身の左手を失うことになった相手だということまで伝える必要はない。
「一介の下位精霊にできる事ではないのぉ」
そう言ってウオールド教授がふんぞり返った。半ば呆れかえってさえいる。
「さらにサリー教授の話では、護衛者なる使命を全うすれば新しい精霊王にもなれるほどの精霊、という話だそうです。に、にわかには信じれない話ですが、私の目から見ても、それだけの偉大な大精霊であるように思えます」
カール教授がそう言うと、ミアにまとわりついている精霊が嬉しそうにその身をくねらせている。
その姿を見ることが出来てしまうカール教授は、精霊から視線を外す。余りにも強すぎる精霊でミネリアと同じく精霊眼を持つカール教授にとってもその力もその姿も畏怖に値する。
彼の支配下にある精霊達もミアの持つ精霊に完全におびえてしまっているほどだ。
それもそのはずで、カール教授の持っている膨大な精霊に関する知識からしても、あれほどの大精霊が、一時的に力を貸してくれるようなことはあっても、完全に人の配下になるようなことはない。
ない、のだが、現実にあの精霊王にすら近いともいえるような大精霊は、ミアの配下になっており、精霊自身もそれを自覚している。
精霊に詳しいからこそ、それが理解しがたく、認めたくもない。
ただミアの支配下にあるとはいえ、危険は危険だ。
意志を持った天災とも言うべきものがその場にいることは変わりない。
何らかの方法で普段は力の制限をしなければ、ここが魔術学院でもミアはここで暮らしていくことはできない。それほど危険なものだ。
何がきっかけであの精霊の力が発動してしまえば大惨事になる事だけは間違いがない。
それが何時発動するかなど人の身にはわからないし、何よりミアは優秀な生徒ではあるが、精霊魔術も初心者の域をでていない。
そんな者に管理を任せられる精霊ではないし、配下にいる精霊は主人の命に全力で応じようとする。
しかもミアは初めて契約し貸し与えられたのが、あのはぐれ精霊なのだ。精霊魔術は扱いやすい魔術ではあるが、最初の精霊としてはその扱いの難易度が悪すぎる。
ミアが熟練の精霊魔術師であるというのであれば、また話は別なのだがミアは正真正銘の初心者なのだ。
その彼女にすべて任せるというのは流石に危険すぎるし、それは魔術学院の教授としての責務を全て投げ出しているようなものだ。
魔術学院の教授としてそれなりの誇りを持つカール教授にはできない話だ。
それに一歩間違えばこの魔術学院そのものを壊しかねない精霊だ。大雨を降らせ土石流でも起こせばその被害は甚大なものとなる。
そのままにしておけるわけもない。
「そもそも報告書には、そこのスティフィ君に対してかなりの怒りを持っていたと書かれてはいるが? 精霊がそうやすやすと怒りを忘れてくれるもんなのかのぉ?」
ウオールド教授が見えない精霊にではなく精霊魔術の権威でもあるカール教授に向かい問う。
「それだけ護衛者というお役目が、精霊、いや、上位種というべきでしょうか、それにとって名誉な事というわけですね。この中で護衛者という言葉に心当たりがある方は?」
カール教授も護衛者という言葉に聞き覚えはない。
言葉通りならミアを守るための者なのだろうが、それだけということはないはずだ。
そこには執念深い精霊が怒りを忘れ、捨て去るほどの意味があるはずなのだ。
だが、カール教授の問いに答えれる者はいない。
その代わりに、グランドン教授が口を開く。
「誰も知らないと言うことは我々人間には関係のないことなのかもしれませんな。ついでに、ですが。ミア君の使い魔、荷物持ち君もその護衛者の一人だそうですな。荷物持ち君の刻印が朽木様によって書き換えられていましてな、吾輩も拝見してみたのですがその内容は解析不可能ですな」
「それはどういった理由で?」
と、ポラリス学院長が問う。
「ロロカカ神の神与文字ではあるようなのですが、ミア君も知りえない文字が使われていましてな、現状では解析不可能です。ミア君にも読めない文字がある以上はどうにもなりませんなぁ」
グランドン教授がお手上げとばかりに両手を上げてひらひらをさせている。
「なるほど」
とポラリス学院長もそれで納得する。
神与文字はそもそも神の文字で、人では解析不能だ。神から与えられ教わり、初めてその文字の理解が人には可能となる。
「ああ、ついでに流石は古老樹の朽木様と言った具合で、動き方が、泥人形としてはいろいろと規格外になってましてな。木登りなどもできるようになっていましたし、あやとりまでしてみせてくれましたぞ」
「泥人形があやとり? ですか……」
珍しく会議ではあまり口を出さないサンドラ教授が驚いたようでそう聞き返してきた。
予算の会議では色々と言ってくる教授ではある。それだけにそれ以外の事には口を出してこないようにしている教授だ。
その教授が口を開いたのだ、サンドラ教授も本気で驚いているのだろう。
「ええ。あの様子なら武器なんかも楽々扱えますな。人間よりよっぽど器用なのかもしれませんな。もしかしたら楽器なども扱えるのかもしれませんなぁ。時間があれば試したいですな。あと、これもまだ時間がなくて試せてはいないので確証はないですが、おそらくは魔術自体の使用も可能かと…… この意味、分かってくださりますよねぇ、皆さん」
グランドン教授がそう言うとそれを聞いた教授たちがざわめき始める。
使い魔に魔術を仕込むことは技術的には可能だ。特に使徒魔術や精霊魔術であれば楽に仕込むことができる。
ただそれは使い魔が自発的に魔術を使うわけではない。当たり前だ。そもそも通常の使い魔には自我や意識などない。
それらがあるように見えても、そう見える様に演出しているだけだ。
ミアの使い魔、荷物持ち君は、その核に使われている古老樹の苗木は生きた苗木であり、古老樹であるため意志も自我もある。
普通ならば、苗木を仮死状態とし核として機能させるのだが、苗木自体が神から命じられてだが、ミアの使い魔になることを望んでいたため、仮死状態にせずそのまま核として使用していた。
ただし、古老樹としての本来の能力は魔術的に封じてはいる。さすがに上位種の能力そのままに使い魔にするなど危険すぎるとの配慮だったのだが、それらもすべて取り払われている。
言うならば、今の荷物持ち君は動き回れる古老樹のような存在だ。
ただそもそも地に根を降ろしていない古老樹は力を制限されているようなものでもあるのだが。それでもその力は人間にとっては脅威に他ならない。
グランドン教授の言葉は、暗にそれを意味している。泥人形が古老樹として解き放たれた、と言うことを間接的に言っている。
ただそれを直接言葉にすることはできない。
あの苗木は、破壊神が託した苗木であり、古老樹である朽木様が愛している子なのだ。
そして、上位者である朽木様が態々その力の制限を取っ払ったのだ。人の身でそれをもう一度制限することなどは無礼に当たるというものだ。
こちらの方はもう魔術学院では手の打ちようがない。
そもそも破壊神が関わっているのであれば、他の神々もこの件に関しては力を貸してくれる可能性すら低い。
「使い魔が魔術の使用ですか……」
教授の一人がそんな言葉を漏らす。
そして、既に手の打ちようがないことも全員わかっている。
それに、はぐれ精霊に比べればだが古老樹はまだ危険が少ない。特に地に根を降ろしていない荷物持ち君であれば、必要以上に成長することもない。
ある意味では管理もできる。必要以上に荷物持ち君の核を成長させなければいいだけの話だ。古老樹とは言え、苗木のままであるならば、それほど危険はない。少なくともミアが配下にした精霊よりは安全だ。
ならば、そのことには極力触れないことにする。ある意味この世界の常識でもある、触らぬ神に祟りなし、というやつだ。
そう言う訳ということもないのだが一つの切っ掛けではある、一人の教授が話を変える。
「そう言えば、ミア君の持っている杖も相当のものですね。正直、私の持つ杖よりも……」
使徒魔術、特に天使と呼ばれる存在の力を行使する魔術の教授であるローラン教授が元々気にはなっていたのか、ミアに授けられた杖の話をしだす。
「ローラン教授の持つ杖は、神より与えられた神器のおひとつなのでは?」
それに対し、ローラン教授の隣に座っている、主に巫女に神術学のエルセンヌ教授が疑念を抱く。
確かにローラン教授の持つ使徒魔術の触媒である杖は神から授かった由緒正しき神器だ。
それが生徒の持つ杖に劣ると言うのだ。ローラン教授もそれを既に認めているようにもエルセンヌ教授には思えた。
「ええ、そうです。主が与えてくださった物ですが、使徒から契約破棄されれば恐らく破壊される物でもあります。契約破棄されて再生する触媒だなんて物は、私の知る限りでは存在しえないものです。逆に法を順守するような御使いからは盟約を結べなくなる可能性もあるのではないかと思うほどの物ですよ」
使徒魔術は神の御使いとの間で交わした盟約によりその力を行使される。
契約破棄とは、基本的に御使い側からされる物で、なんらかの理由で盟約を無効化すると言うことだ。
盟約を無効化するには、その盟約書とも言うべき触媒を根本的に、再度利用されないように、破壊する事を意味している。
それらは神の先兵である御使いの力によって行使されるため、通常では防ぐことも壊された物を再生させることも不可能だ。
それを破壊されても再度、再生してしまう触媒など、使徒魔術の根本を覆すようなものだ。
神であればそのような触媒も作れるだろうが、神であるがゆえにそのような物は人には与えない。
「名のある古老樹がその身で作ったものじゃからのぉ…… 常識では測り知れないものがあってもおかしくはあるまいて。はぁー、こんな杖の存在を中央の連中共が知ったら、なにを言ってくるかわからんぞぉ」
ウオールド教授はそう言って身を震わせた。
報告しない訳にもいかないのだが、報告したらしたで中央の、特に学会の連中は何かしら行動を起こすはずだ。
それを考えるとウオールド教授はめんどくさくて仕方がない。
ここで会議中ずっと気だるさそうにしているマリユ教授が話しに入ってくる。
彼女もこの会議の前に杖を一目見ただけだが、その異常さにすでに気づいている。
「しかもねぇ、その杖には朽木様による強力な呪いがいくつもかけられていて…… 現状では、ですけど、ミアちゃん以外が持つことは危険かもぉ? 手を出そうとしたら敵意を向けられちゃいましてねぇ。何が起こるかまるで分らないし、怖くてまともに調べることもできないわねぇ、あの調子じゃ命がいくつあっても調べきれないと思いますよぉ。まあ、その辺は時間をかけて追々って感じかしらねぇ? 急がないほうがいいですねぇ。今分かっていることは、刻印らしき物が七つ刻み込まれているので、再生以外にも七つはなんかしらの能力があるんじゃないかしらねぇ? って事くらいよ」
そう言ってマリユ教授はミアの杖に目をやる。
強力な、その身に余るような力は身を亡ぼす。呪術を専攻としているマリユ教授はそのことをよく理解している。
だから、喉から手が出るほど、なんらかの力が宿っているミアの髪の毛を欲してはいるが、それに手を出さないでいる。ミアの髪の毛はマリユ教授にとっては過ぎたる力であることを理解しているからだ。
それと同じように、あの古老樹の杖も手を出せば手痛い仕打ちを受けることは一目見ただけで理解できた。それだけの逸品だ。それこそ選ばれた者にしか手にできない物だ。
そんな物を一介の生徒であるミアに扱い切れるのか、と言われればマリユ教授には判断がつかない。が、それはマリユ教授にとっては他人事でしかない。
けれども、杖以外にも様々なものがミアに集約しつつあるのも事実だ。そうであるのならば、それはなるようにしてなったようなものだ。
言うならば、それこそ神に選ばれた巫女とでもいうものだ。手を出せば滅ぼされるのは自分だ、とマリユ教授はわかっている。ただ観察対象としてはとても面白い、とも思っている。
「帽子に杖、使い魔に精霊。どれもこれも伝説級じゃな。まるで伝説の大魔法使いのようじゃのぉ」
ウオールド教授もそれがわかっているのか、そんなことを言っている。
もちろんその言葉はそのまんまの意味ではなく、そのような者とその装備にも、簡単に手を出すべきではない、暗にそう言っている。
のだが、それをそのまんまの意味でとらえた者もいる。グランドン教授だ。
「いやー、ウオールド老。本人の才能もかなりのものですぞ。将来は本当にそうなるかもしれないですなぁ」
と呑気にそう言っているグランドン教授をマリユ教授は冷ややかな目で見ている。
グランドン教授は人を騙しはするが、騙されやすい人間でもある。特に信頼できると彼が判断した人間の言葉は素直に受け取ってしまうところがある。
ウオールド教授はその反応に苦笑しつつも答える。
「そりゃぁ、楽しみじゃのぉ。まあ、精霊も完全に配下となっているならば、問題は…… あるのぉ、大ありじゃのぉ。ミアちゃんも、初めての精霊なんじゃろう?」
「は、はい、そうです」
ただ会議を傍観していたミアがそこで初めて返事をする。
実のところミアはこういった大人たちの話し合いはよく知っている。
リッケルト村でもよくあったことだ。
何か村で大きな揉め事や事件が起きたときも巫女であるミアも駆り出されていた。ミアはそれをただただ傍観しているだけだった。
色々もめても結局は神様が、ロロカカ神が決めたことに落ち着くのだ。そういうものだと言うことをミアは既に知っている。それも一つの通過儀礼のような物だと思っている。
だからミアはただこの会議を傍観している。
「んー、ならば、扱い切れるようになるまではどうにかしないとのぉ…… 幸い、この学院にはカリナがおるでな。あまり頼りたくはないが、それほどの精霊であるならば頼らなくてはならんて。悲しいがな、既にいくつかの件は既に人の手を離れている」
人は無力だ。
この世界では人には力を与えられずに神に作られたという話もある。
その通りに人は上位種と呼ばれる存在と比べると、あまりにも弱い。脆弱で愚かだ。
できることも限られている。
で、あるからこそ神の命により上位種は人に力を貸さなければならない。
「いたしかたなし…… か」
そう言って、ポラリス学院長は表情には出さなかったが、悔しそうに下を向いた。
人間である以上、魔術学院の教授やその学院長であるとはいえ、できることは限られている。それが人の宿命なのだ。
その様子をダーウィック教授がつまらなそうに無言で見つめている。
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