非日常と精霊王との邂逅 その6

 清々しいほど清らかな澄んだ空気の中、まだ日も上がらない薄明るい早朝。

 二人と一体はまるで木々達に導かれるような道を進む。

 ここは人の手も入れてないのに、地面も普通の土なのに、草木が一本も生えていないし、ぬかるんでもいない。非常に歩きやすい一本道だ。

 この道以外は木々がうっそうと茂っていて人の侵入を拒んでいるかのようだ。

 ただ空は見えない。見上げても木々の枝が見えるだけで、その様子はまるで木々の隧道のようだ。

 そんな道を荷物持ち君を先頭に歩いている。

 会話はない。

 サリー教授もミアもこの神秘的な道に気を取られてか、それともこれから会う者達への緊張からか一言も言葉が発せられることはない。

 ただただ淡々と足を進めていく。

 いつしか木漏れ日が木々の隙間を縫って落ち始める。

 もうそんなに時間がたつほど歩いたのか、とミアは思ったが、その割には疲れも喉の渇きもない。

 普段ならもう嫌気がさすほど蒸し暑い時間なのだろうが、ここは風もないのに少しひんやりとしている。

 とても過ごしやすい気候だ。

 もしかしたら、これくらいの気候がこの地方本来の気候なのかもしれない、とミアはなんとなく思った。

 そもそも、この地方の異常なまでの寒さと暑さは、天に属する精霊王と海に属する精霊王の仲が悪いせいだ。

 始まりは冬山の王という精霊王を人間が怒らせたことから始まる。

 ミアはどうして冬山の王が怒ったかは知らないが、怒った冬山の王は北の山から人々が住む街へと寒く乾いた凍えるような風を吹かした。

 それが海にまで届いてしまい、この地域の海を治める精霊王がそれに怒り、今度は海から蒸し暑く湿った風を吹かせる様にしたのだという。

 そのため、冬山の王の力が強くなる冬季の間は、北の山から冷たい風が吹き続け、海の精霊王の力が強くなる夏季の間は海から蒸し暑いほどの湿った風が吹いてくる。

 だがここはまた別の精霊王、地に属する朽木の王の支配下だ。

 そんな風もここまでは届かないのかもしれない。

 どれくらい歩いたのだろうか、時間の経過すらわからなくなるような、幻想的な木々の隧道。

 辺りもしんと静まり返っている。小鳥のさえずりも虫の音も聞こえない。

 まるで時が止まったかのような静寂な空間。

 永遠と続く様な、ある意味、禊を意味するような、そんな清廉な空間。

 そんな道を粛々と進んでいく。

 ずっと続くかと思えていた木々の隧道に終わりが見え始める。

 隧道を抜けた先には、一面の花畑が広がっていた。

 様々な色の花が咲き乱れ、ところどころに小川が流れている。

 とても、とても穏やかな空間。先ほどの木々の隧道とは空気がなにか違う。

 もう暦の上でも春ではないのにも関わらず、この場所だけは春を思わせるような、そんな花が一面咲き乱れる高原が視界の限り広がっていた。

 余り登って来た印象はなかったのだが標高はかなり高いようで、空の雲がとても近い。

 そんな高原の真ん中にまるで山のような大きさの巨大な木が生えている。

 荷物持ち君が道案内でもするように、小川に沿った小道をその巨大な木に向かい進んでいく。

 サリー教授もその後に続く。

 この風景にあっけに取られ、見惚れていたミアも少し遅れてそれに続く。

 高原に出てからも、またかなり歩く。

 遠くに見えていた巨大な木が本当に小山のような大きさでわかりにくかったが、その木までも小一時間ほど歩いてやっとその根元までたどりついた。

 根元から見上げると本当に山のように思えるほど巨木だ。その根も植物というよりは岩に思えるほど重厚なものだ。

 木があまりに巨大なため、根元のところまで来ると木漏れ日すら漏れ出してこない。

 けれど、不思議と暗くはない。

 本来なら真夜中とそう変わらないほどの暗さになるはずなのに、巨木の下を随分と進んだこの辺りまでも不思議と明るい。

 だが、その光源となるものもない。まるで自然の太陽の光が、わざわざ回り込んでここまで届いているかのようにも思える。

 サリー教授が木の根元まで行き、そこに頭を下げ跪く。

 ミアも訳も分からずそれに習う。

 サリー教授がなにか言葉を発する前に、

「頭をお上げなさい。人の礼儀など我らには意味はありませんよ」

 優しい声がすぐそばからかけられる。

 その声は若くもあり年老いているようでもあり、男のようで女のようでもある、そんな人間のようで人間のものではないとはっきりとわかる不思議な声だった。

 ミアが顔を上げると、そこには先ほどまでなかったはずの、人とそう変わらない大きさの一本の木が目の前にあった。

 いや、ちがう。

 人の形をしている木。という表現が正しいのかもしれない。

 まるで生木そのものでありながら、木でできた人形のような、そのような存在がすぐ近くに立っていた。

 人の髪の毛にあたるようなところは完全に木で葉が青々と生い茂っている。ただ遠目から見たのなら人か木なのか、判断がつかないだろうが、こうして間近でみればそれが人でないことはすぐにわかる。

 サリー教授がゆっくりと立ち上がり、再度頭を下げた。

 ミアもそれに習う。結局のところ、ミアにはどれが失礼にあたるかまるで分らない。サリー教授に倣うしかない。

「朽木の王。お久しぶりでございます。シュトゥルムルン魔術学院にて講師を務めさせていただいているサリー・マサリーです」

 たどたどしく喋る普段とは違いサリー教授はしっかりとした口調で丁寧に挨拶をする。

 朽木の王の表情はない。ただ笑顔のような模様が人間の顔に当たる部分にあるだけだ。それらはもちろん表情のように動きはしない。

「はい、久しぶりです。今日は良く来られました。私も、我が君も、この日をとても待ち望んでいました」

 精霊王、朽木の王は優しく話す。ただその顔の模様はやはり変わらず、その感情などを読み取ることなどできない。

 大いなる存在がただその姿を借りているだけのような、そんな印象を受ける。

 目の前の人形のような木は、精霊王本来の姿ではなく、人と関わり合うためだけの仮初の姿なのかもしれない。

「そうとも。この日をどれだけ待ち望んでいたことか」

 深く低い声がどこからともなく聞こえる。

 ふと声の方にミアが目をやると、巨大な木の根の一部に、人間大の人の顔のようなものが浮きでていた。

 さっきまでそこにそのようなものはなかったはずだ。

 きっとこの巨大な木が朽木様で、朽木様もわざわざ人と話しやすい形で出てきてくれたのだと、ミアは理解することができた。

 なのでミアはその大きな顔に向かい頭を下げ、

「ミアと申します」

 と挨拶をし、そして、

「待ち…… 望んでおられたのですか?」

 と聞く。

 どうも歓迎されているようにミアは感じとれている。少なくとも嫌な感情は向けられていない事だけは確かだと感じる。

 事前に聞いていた話とは少し違うようだ。

「ええ、なにせ我が君の愛しき子の躍進です。これを祝わずにはいられませんでした」

 そう答えたのは精霊王の朽木の王だった。

「うむ」

 すぐに朽木様も器用に浮き出ている顔で相槌を取った。

 朽木の王も朽木様も、人間ではないので余りあてにはできないのだろうが、その表情というか雰囲気は穏やかで喜んでいるように思える。

「朽木様のお子を使い魔に貶めてしまったことに対してお咎めは……」

 と、サリー教授がしっかりとした口調で聞くと、

「まあ、思うところはある。特に名前とかがな。それも些細なことよ。なにせ我が息子は護衛者となるのだからな」

 と、朽木様からそのような返答があった。

「護衛者? ですか? それはどのような?」

 サリー教授も護衛者という言葉の意味が分からなかったのか聞き返してみるが、

「それは我が王より聞いてくれ。まずは我が息子と話させてはくれぬか? 我が息子は地に根を下ろしておらぬ。知恵を貸し与えることも出来ぬどころか、話すらままならぬ」

 と、いう言葉が返ってきた。

 サリー教授がミアに慌てて視線を送る。ミアもそれに頷いて答える。

「は、はい、荷物持ち君、行ってきてください」

 ミアがそう言うと荷物持ち君は大きな顔のところまで歩いて行った。

 そして、朽木様と荷物持ち君は互いに見つめ合う。

「うむ、ありがとう。巫女候補よ。我が王よ、後の話は頼んでもいいですかな? 少し我が息子と話をしたくてな」

 そうは言うものの、朽木様も、荷物持ち君は最初から喋れはしないが、ずっと見つめ合うだけで声を出して何かを話し合うようなことはしない。

 ただ見つめ合っている。ただそれだけで何千何万もの言葉を交わし合っているかのような印象を不思議と受ける。

 ただミアは巫女候補と呼ばれたことに、不安を覚え動揺する。

「はい、我が君よ。私も最近誰も訪れに来てくれないので、話し相手を欲していたところです。お任せください。まずは…… 立って話し合うのもなんです。ここは人に習い、なにか飲みながらとしましょうか」


 机と椅子。

 それが地面から生えて来た。木である、木材ではなく生木が机と椅子の形をしている。

 地面から芽が出て育ち、机と椅子の形と凄い勢いで成長していった。

 余りにも成長が早く、地面からそれが生えて来たようにミアには思えた。

 椅子には座布団替わりか、橙色で大きな傘の太い茸まで生えている。

 逆に座っていいものかどうか迷うほど立派な茸だ。

 サリー教授も迷っているが、朽木の王がまずその椅子に腰かけた。

「ふむ、地から生やしたせいか、椅子が引けない。座りにくいが座り心地はまずまずと言ったところですか。せっかく生やしたのです。座ってくださいな」

 と、声をかけて来た。

「し、失礼します……」

 サリー教授が慎重に椅子に座る。ミアもそれに続く。

 確かに地から生えた椅子は動かすことができずに少々座りにくいが、座り心地はいい。

 お尻に敷いてしまった茸に少し悪い気がするくらいだ。

 サリー教授とミアが腰かけると、朽木の王は手をパンパンと、まるで給仕でも呼ぶかのように軽くたたく。

 そうすると、机のような木から枝がサリー教授とミアの前まで伸びてきて実を付けた。

 それが自然とゴトっと音を立てて、へたごと机の上に落ちた。

「飲み物といいましたが、それを代わりに飲んで喉を潤してください。硬い実ですが、へたの部分から吸うことで中の果汁を飲むことができますよ」

 そう言って、その見た目は硬く大きな種のような実を薦めてくる。

 確かに切れたばかりのへたの部分から透明な液体が玉のようになって溢れてきている。

 サリー教授とミアはそれを受け取った。

 サリー教授はそれを両手で大事そうに抱え込んだ。ミアは好奇心で一口飲みたかったのだが、とりあえずサリー教授と同じように両手で抱え込んでおいた。

 へたからは甘い瑞々しい果物のような甘い匂いが漂ってくる。

「あ、ありがとうございます、いただきます」

 その実は結構重く中にたっぷり果汁のようなものが入っているのもわかる。

 二人が受け取ったことに満足したのか朽木の王は、少し迷いながらも語りだした。

「ふう、まずはなにから話しましょうか」

 ただそう言った後、本当に迷っているのか、話が続かない。

 自分はここへ許しを乞いに来たと思っていたミアはそれがいたたまれない。

「あの、お怒りになられているということは……?」

 ミアがおずおずとそう聞くと、

「そんなことはありませんよ。そもそもジュダ神にはこうなることがわかっていて託した子です」

 という言葉が返ってきた。

「え? そうなのですか? ジュダ神はそんなことはなにも仰られていないように思えたのですが……」

 あの時のジュダ神はまるで偶然出会ったかのように振舞っていた。

 朽木様の苗木をくれたのもミアが泥人形の核を探していると言ったからだ。

 けど、よくよく考えるとそもそも神が魔術学院の傍の山に用もなく来ること自体が珍しい話だし、そういう風に会話を持っていかれた気もする。

「ハハハッ、あの方はおふざけが好きですからね。知っていながら偶然を装ったのでしょう。あの方はあなたに我が君の苗木を渡すために、あの山にやってきた。と、言うのは流石に過言ですが、偶然見かけたあなたに託すために、先に我が君の苗木を受け取りに来ていたのですよ」

「偶然見かけて? え? ええ?」

 朽木の王の言葉でミアが混乱する。

 そもそもが緊張してこの場にいる、ミアの頭も緊張のせいかうまく回っていない。

 なにより先ほど朽木様に巫女候補と言われたのだ。自分はロロカカ様の巫女であるはずなのに。その言葉が今もミアの心をかき乱している。

「ああ、そうですね。人にはわかりにくいですね。ジュダ神は神の座にいなくとも未来を見通すこともできます。なので、あの日にあなたと出会うことは、すでにわかっておられたのです」

「そ、そういう事なのですか……」

 そう言われてミアは初めて納得できる。

 つまりジュダ神には事前にすべてわかっていたことなのかもしれない。

 その上で偶然を装っていたのだろう。

「話を折って申し訳ないのですが、先ほど巫女候補と呼ばれていたのは?」

 サリー教授が巫女候補という言葉が気になったのか、やはりしっかりとした口調で聞いた。

 さすがに普段のたどたどしい口調ではまずいと思っているのか、本人も凄い気を張り詰めている。

 それ以上に、ミアは気が気でないほど気になってはいる。ミアの動揺がサリー教授に伝わり、話を遮ってでもそう聞くことを決心させたのかもしれない。

「ああ、そうですね。それは…… どうしましょうか。私の口から話すことではないので。けれど、これだけは伝えておきましょうか。ミアでしたね。あなたはロロカカ神の巫女ではありません」

 朽木の王からそう言われミアの視界が一転する。

 脳がその言葉を理解する前に体が瞬時に拒否反応を起こし始める。

 その言葉は理解しがたいと。

「え…… そ、そんなことは……」

 視界が暗くなり意識を失おうとするのを辛うじて阻止しながら、ミアは何とかそう言って、頂いた実のへたに口を付け強く吸う。

 視界が定まらずやけに喉が急に渇きだしたせいだ。

 すぐに瑞々しくもほのかに甘い果汁が口に広がる。

 そして一息つくと、不思議と気持ちが落ち着いている。が、それでもミアは動悸が収まらず浅い呼吸を繰り返していた。

 動いていないのに汗が出始める。そして、すべての思考を放棄して考えることを諦めた。

 精霊王に言われた言葉を理解することを諦める。理解してしまったら自分は自分でいられなくなる気がする。

 あからさまに動揺しだしたミアの様子を見た朽木の王が慌てて付け加える。

「ああ、すいません。そういう事ではありません。今は、まだ。ということです。それにあなたが言う意味でのロロカカ神の巫女、という意味ではあなたは立派な巫女ですよ。ただ、この世界にとってロロカカ神の巫女は別の大きな意味を持つのです」

 その言葉を聞いて、ミアの止まっていた思考が動き出す。

「ジュ、ジュ、ジュ、ジュダ神もそう言っておられました」

 確かにそのようなことをジュダ神も言っていた。特別な意味を持つ、と。

 しかし、世界にとって大きな意味ともなると、ミアにとっては想像を超える話となる。

 ロロカカ様は凄い偉大な神様だとは常々ミアは思っていたが、ミアの想像以上に大きな話なのかもしれない。

「はい、その通り。そして、あなたが言う巫女と我々が言う巫女はまた別ものなのです」

「別もの…… ですか?」

 そう聞いたのはミアではなくサリー教授だった。

「はい、その本質、意味合いが全て違います。あなたが本当の意味でロロカカ神の巫女になれるかどうか、それはあなたに掛かっていますが……」

 と、朽木の王が話している途中でそれは遮られる。

 低く響く大きな絶叫によって。

「おお、おおおおおおお、我が王よ!! これを、これを見てくれ!!」

 朽木様の低い声が辺りに響き渡る。

 ミアが朽木様の方に目を向けると、荷物持ち君がその身を開き、核をあらわにしている。いわゆる点検状態となってその核の苗木及び、そこに刻印された魔法陣やそこから生える髪の毛が丸見えになっている。

 それを見て朽木様が驚いている。

「あれは…… そんな、これは一体……」

 朽木の王もそれを見て驚き、椅子から慌てて立ち上がる。

「こ、刻印がまずかったのですか?」

 と、ミアも慌てて声を上げる。ミアに思い当たるのはそれくらいだ。

「いえ違います。あの髪…… あれはあなたのものですか?」

 と、朽木の王が慌てた口調で聞いてくる。が、その表情はやはりただの模様で変わらない。慌てているのがわかる今でも笑顔のようだ。やはり目の前にいるのは人形であり、ただの人型なだけなのだろう。

 のだが、その笑っているような模様が、本当に驚いているかのようにミアには一瞬だけ見えてしまった。

「は、はい、わ、私のですが…… 魔術で培養した物もありますし、勝手に伸びてはいますが……」

 と、ミアも慌てて返事をする。確かにあの髪は自分のものだ。

 ただ苗木に移植した時点で際限なく伸びたとグランドン教授から聞かされている。

 だとすると、呪物のような髪とも言われている髪の毛を移植したことがまずかったのだろうか。

 苗木自体は髪の毛と相性が良いという話だったが。

「その帽子を取っていただいてもよろしいでしょうか?」

 朽木の王、その表情のない顔を向けられてミアも慌てて帽子を取り、それを大事そうに抱きしめる。

 右手で帽子、左手で実を持つようにして、不安を抑え込むように両方を抱きしめる。

「はい、と、とりました。この帽子は……」

 とミアが帽子の説明をしようとするが、それは朽木の王の歓喜の言葉によって遮られる。

「な、なんということでしょうか、我が君よ。見てください、この髪を」

「こ、これは…… これは、これぞ、ロロカカ神の加護の証ではないか、我が王よ」

 その言葉にミアも歓喜に包まれる。

 ミアにはどういったことか理解はできなかったが、ロロカカ様の加護が、その証がこの髪であるというのであれば、それはミアにとって喜ばしいことでしかない。

 上位種の二人が言っているのだ、そのことに間違いはない。

 自分はロロカカ様の加護を受けている。そのことがミアをどうしようもないほど至福の感情へと押し上げる。

「え? ええ? ど、どういうことですか?」

 そう聞き返すミアの表情は自然と頬が緩み笑みがこぼれ落ちていた。

 その感情を隠すことがミアにはできなかった。どうしてもあふれてきてしまう。

「いえ、これは、これも我々からは伝えることはできません。ですが、いずれ、そう遠くない未来にでも、あなたも知るときが来ます。その時をお待ちなさい」

「いや、これはこれは。巫女候補などと言って悪かった、これはもう決まりのようなものだ!」

 そう言って朽木様が盛大に笑い出した。その声は本当にうれしいことがあり、それを隠し切れないかのようだ。

「そうですね、我が君よ。これはお祝いをしなければなりません」

 朽木の王も興奮気味でそう言っている。

「そうだな。我が王よ! ミアと申したな。我から幾つか祝いの品として贈り物をしたい。息子の出世祝いだ。ぜひとも受け取ってくれ。よろしいかな?」

 根の一部に浮き出ている朽木様の顔は万遍の笑みだ。

「え? ど、どうしてですか?」

 ただミアの思考はそれについていけてはいない。

 サリー教授もただ茫然とし、成り行きを見守っているだけだ。

「それはいずれわかることです。私からもいいですかな、未来の巫女よ」

「ちょ、ちょっとよくわからないのですが……」

 よく理解はできてないが、未来の巫女、おそらくは未来の本当の意味でのロロカカ様の巫女、という言葉に、ミアはまた自然と頬が緩む。

 そして自分はやっぱりロロカカ様の巫女なのだという、確信を、今度こそ揺るがない確信を得ることができた。

「戸惑うのは無理はありませんが、受け取ってください。これは祝いの品なのです」

 朽木の王がそう言って恭しくミアに対して頭を下げた。

 その光景を見たサリー教授が酷く驚いて、いや狼狽した。精霊王が人間に仮初の体であろうと頭を下げたなど聞いたことがない。

 そして、ミアに視線だけで、いいから早く受け取りなさい、と必死に訴えている。

「よ、よくわかりませんが、そう言うことであるのならば……」

 何が祝いなのか、ミアにはまだ理解できていないが、祝いの品と言われてしまえば受け取らない訳にもいかないし、サリー教授の必死の視線にも気づいている。

「まずは我から。我の枝を授けよう。道中に杖を壊していただろう、見ていたぞ。虫共はすぐに際限なく増えて悪さをする。よくやってくれた。その行為に報いるためにも我の枝を、巫女殿の杖として送ろう」

「く、朽木様の枝を杖にですか?」

 と、サリー教授が驚いて、その気はなかったのにもかかわらず聞き返してしまう。

「不満か?」

 と、半笑いで朽木様は聞き返してくる。

「い、いえ、そんなことはないのですが、彼女はまだ見習いで、頂いたとしても、また壊してしまうかと……」

 と、サリー教授が慌てて答えると、

「気にするな。どんなに壊されようとも我が枝は再生する。気にせず好きに使うがよい。そうだな、それとまじないをいくつかかけておいてやろうか。どれ一番適した枝をさがそう、しばし待ってくれよ」

 と、答え帰ってきた。朽木様の表情は非常に満足そうだ。

「あ、ありがとうございます!!」

 新しい杖を、それも壊れても再生する凄そうな杖を貰えるということでミアは、とりあえず感謝の言葉を述べる。

 ただ、その杖の価値までもは完全に理解できていない。

 神からの贈り物ではない故に、神器ではないが、神器と何らそん色ない世界有数の杖であり、使徒魔術の最高級の触媒でもある。

 その価値は計り知れない。

 少なくとも魔術学院の学生が持つような物ではない。

「それともう一つ。我が息子に巫女を守る体を与えてくれたことは感謝する。その体は良き物であるが、それを動かすための魔術がどうも幼稚だ。我が息子もそれで歯がゆい思いをしている。それを改善してやろう」

 朽木様の言葉にグランドン教授は本当に良い素材を提供してくれていたんだと、ミアも感謝する。

 正直ミアは、なんかいい素材なんだろうな、程度にしか思っていなかった。

 逐一自慢げに、グランドン教授が説明してくれてはいたが、なにかよくわからないが凄い素材なんだ、という感想しかミアにはなかったのだ。

 なにせグランドン教授が素材の自慢をするときは、早口で回りくどくそれでいて要点を掴めずに長い、ひたすら長い話なのだ。

 その話を完全に理解できるのは、彼の配下の助教授達くらいのものだ。

 また動かすための魔術、つまりは刻印の魔法陣ことを言っているのだろうが、これは仕方がない話しでもある。

 人間の扱う魔術と古老樹の扱える魔術では天と地程の差がある。

「ええ! そ、そうだったんですか、あ、ありがとうございます!!」

 とりあえず荷物持ち君が歯がゆい思いをしていたことにミアは驚き、それを解消してくれるという事で感謝の言葉を口にする。

 それしかミアにはできなかった。

 ミアもこの状況をまるで理解できていない。許しを乞いに来たはずなのに、ひたすら歓迎され、祝いの品まで送られているのだ。

 しかも、一度はロロカカ様の巫女であることも否定されてもいるし、その後すぐに今度は逆にロロカカ様の加護を受けていると言われ、本当の意味での巫女も確定だとまで言われて、何が何だかミアの頭の中もぐちゃぐちゃになっている。

 ただ目の前のことに、本能的に反射で答えているようなものだ。

「うむ」

 と、朽木様は満足げにうなずく。すぐに荷物持ち君の付近から伸びた根が、荷物持ち君の核の刻印の辺りを目指して伸びていく。

 そして、その根たちはそのまま荷物持ち君の核の刻印の辺りに留まった。

 それ以外荷物持ち君に変化はない。たまにビクッとその体を揺らすくらいだ。

 ミアとしてもできることはなく、ただ見守るしかない。

「では、私もなにか贈り物をしないと…… とはいえ、私にできることは精霊を貸し与えることくらいですが。どのような精霊が良いか言ってみてください。これに遠慮はいりませんよ」

 朽木の王は自分も何かしたい、とばかりにわくわくとした感じで、ミアに話しかけてきた。

「精霊……」

 精霊を貸し与えられる、と聞いてミアは一つのことが思い浮かんだ。

 いや、思い浮かんでしまった、というべきか。

 ミア自身、遠慮はいらない、とは言われた物の、どうなんだろう、と思う事だ。

 その迷いを悟られてか、

「はい、どんな精霊でもかまいませんよ」

 と、朽木の王にやさしく後押しされる。

 そこでミアも決心する。というか、他にもうなにも思い浮かばない。

 ミアの頭が正常に働いてなかった事もあるが、それでも一度、それが思いついてしまうと、もうそれしか思い浮かばなかったのもある。

 言ってしまえば他に何も浮かばなく選択肢がなかっただけでもある。

「別の…… 遠くの地にいる精霊でもかまいませんか?」

 ミアがそう言うと、サリー教授はすぐに思い当たったのか驚いた表情を見せる。見せるが、成り行きを見守るつもりなのか何も言わない。

「はい、精霊には本来距離はあまり意味を持ちません」

 朽木の王がそう言うと、ミアは、少しだけ決心する時間を空けてから喋り出した。

「わ、私の…… 友人に…… スティフィという人間がいるんですが……」

「はい」

 と朽木の王は優しくゆっくりと相槌を打ち、ミアの言葉が続くのを待つ。

「スティフィははぐれ精霊に嫌われてしまっているらしくて……」

「ああ、それをどうにかして欲しいのですか?」

 そこまで言って朽木の王はその怒りを解いて欲しいのだと理解する。それならお安い御用だと。

 が、ミアはこう続けた。

「はい! その精霊が欲しいです!! できればで良いのですが……」

 その言葉に朽木の王も流石に驚く。その顔はただの模様で表情には出ることはないのだが、それでも見てわかるほどには驚いている。

 精霊王としても、まさかその友人に対して怒り狂っている精霊を欲しがるとは思っていなかった。

 そして歓喜の声を上げる。朽木の王にとってそれは、すべてうまくいけばだが、実は喜ばしいことでもある。

「ほぅ! それは予想外でした。私はてっきりその精霊の怒りを鎮めて欲しいものとばかり思っていましたが…… ふむ、その精霊のことは私も気づいています。私の配下の精霊達も騒いでいましたのでね。ふむふむ。同族ではあるので聞いてはみましょう。ただ私の配下ではないし、かなり成長しているので断られる可能性もありますが」

「お、お願いします」

 ミアは願う。もしその精霊を配下として貸し与えてもらえるのであれば、スティフィの不安を取り除けるし、スティフィが手も足も出なかったような強力な精霊なら、何とも心強いと。

「まずはむこうの王に話を通して…… これでいいですね。むこうの王には了承を得ました。とりあえず、この場にその精霊を呼びますので、それで交渉しましょう」

 それは一瞬の出来事であったが、遠く離れた地の、その地を支配する精霊王との話は既についたとのことだ。

 それらのやり取りをミアが理解するようなことは出来なかったが、次の瞬間、何かがやって来た。それだけは理解できた。

 目には見えない。

 けれど、それは怒っている。何かがとてつもなく怒り狂っている事だけはミアにもわかる。

 そばに居るだけでその怒りを感じることができる。チリチリと肌にやきついてくるほどの憤怒を。

「ミアの目には見えないでしょうが、今、この机の上空にその精霊はいます。

 精霊の身ででありながら、人に手ひどくやられたようで、未だ怒りに囚われています。さて、手ごわそうですが交渉していきましょうか。まずはミア。この精霊を配下にしてどうしますか?」

 そう朽木の王に問われ、ミアは自分が思っていることを素直に口にする。

「スティフィと仲直りして欲しいです」

 それがどれだけ無謀な事なのか。ミアは理解できていない。

 ただそれはミアの心からの願いでもある。

 サリー教授は固まり、朽木の王はクスリと笑い声を漏らす。

「中々面白い提案ですね。ですが、それは無理だ、という返答が返ってきました」

 精霊は、精霊王と呼ばれるような存在にまでなるとまた話は違ってくるのだが、精霊の意志や意識は人間と関わることで生まれるもので、それはとても未熟なものでしかない。

 それ故に一つのことに囚われやすい。一つのことをずっと思い続け、それを成し遂げるまであきらめもしない。

 そうであるからこそ、意識に芽生え始めた精霊は精霊王になることができ、またそれ故に精霊王から遠ざかる。

 はぐれ精霊と呼ばれるような存在は無数に存在するが、それが精霊王にまで成長できるのは本当に奇跡のようなことだ。

「そ、そうですか」

 ミアも二つ返事で解決するとは思ってはいなかったが、目の前にいるのは精霊王だ。

 もしかしたら、と期待していたことも事実だ。

「未熟な精霊は一つの思念に囚われやすいのです。また、それを成し遂げるまでは諦めることもありません」

 はぐれ精霊が執念深い、と言われる理由だ。

 特に怒りという感情は精霊にとってとても強く囚われやすい。またその怒りが人間のように時間と共に冷めていくこともない。

 その感情のみが精霊の中でぐつぐつと煮えたぎっていくだけだ。

 その怒りがなくなるときは、ほとんどの場合、対象が死んだときのみだ。

「スティフィは左手を失い、その仲間のほとんどは死んだと聞きました。それでも怒りは収まらないものなのですか?」

 ミアは必死に訴えかけるが、そもそも精霊に取って死など理解できないものだ。

 ただ死ねば居なくなることだけは理解できる。その存在がいなくなることで精霊は次へとやっと進めるのだ。

「収まらないそうです。さらに神によりその者達へ危害を加えることを禁止されたため、その思いを発散することもできずに怒りに囚われていますね、これはあまりいい傾向ではありません」

 そう伝えて来る朽木の王も少し悲しそうに思える。

 スティフィの言っていた、精霊を剥がす、という言葉の意味は、精霊の方に神からこの人間には手出しするな、という命令をしてもらう行為である。

 その命令を下された精霊は、神の命により手出しができなくはなるのだが、その怒りが収まったわけではない。

 そして精霊は一つのことに囚われ続ける。

 そうなった精霊は手も出せない相手に怒り続け、恨み続ける。対象が死ぬまでずっとだ。

「どうすれば怒りを治めてくれるのでしょうか」

「対象を殺し尽くすこと、だそうです。それ以外にはないと言っています」

 その言葉にミアはゾッとする。

 この精霊はそれだけを望み、それだけをずっと願い続け、呪っているのだ。

 その結果が、自分に向けられているわけでもないのに、肌で感じれるほどの憤怒なのだ。

 この怒りを向けられたなら、どれほどの恐怖を感じるかミアには想像もできない。

「でもそれは神により止められているのですよね?」

 確かスティフィはそう言っていた。

 だからスティフィは、今も無事で、今もこのはぐれ精霊を恐れている。

「そうですね。ですから何もできずにこの子は憤っているのでしょう。これでは前に進めません。ふむ。これでは堂々巡りですね。では一つ私から提案させていただきましょうか。よくお聞きなさい、このミアという名の人間は、ロロカカ神の巫女となる可能性が非常に高いです。その護衛者となり、そのお役目を完遂すれば、あなたほどの精霊なら新しき王としての道が開くことでしょう」

「新しき王? 新たな精霊王ってことですか?」

 今まで冷や汗を垂らしながらもなりゆきを見守っていたサリー教授が驚いて聞き返してしまう。

 新たな精霊王の誕生の瞬間など、カール教授が聞いたら泣いて喜ぶ話だろう。

 そうでなくとも新しき精霊王の誕生など歴史的瞬間でもある。

「はい、ほら見てみなさい。あれは我が君のご子息ですが、神により護衛者の任を与えられ、人により身を与えられました。護衛者になれるのは、とても光栄なことです。あなたほどの精霊であれば、それはもう理解できることですよね? それにほら、彼女の髪をご覧なさい。彼女がロロカカ神に愛されていることは一目瞭然です」

 朽木の王がそう言うと、確かに誰かに自分の頭部をじっくりと見られているような気がミアにはしてくる。

 無論その視線の主はミアからは見えはしないのだが、余りにもじっくりと観察されているようなものを感じ、なんだか気恥ずかしくもなる。

 なにせ学院を出てからお風呂などにも入れずにいる。さすがにだいぶ汚れてきているはずだ。

「わ、私の髪って、そんなにすごいものなんですか?」

「はい、それはもう。大事にしなさい。抜け毛はすべて、荷物持ち君、でしたか。我が君の子に与えてください。他の誰にも与えてはいけませんよ」

「は、はい」

 グランドン教授やマリユ教授も燃やすか、荷物持ち君にと言っていたことを思い出す。

 恐らくロロカカ様から頂いたこの、今、よくわからない硬い実と共に抱きかかえている帽子も、それを隠し守るために授けてくれたものなのかもしれない。

 ミアはなんとなくそう思う。自分はロロカカ様に愛されていたんだ、ということが実感でき心の底から歓喜が止めどもなくあふれてくる。

「おや、迷い始めましたね。もう一押しというところでしょうが、今は待ちましょう。一度怒りの感情から外れれば、もうその感情に囚われることもないでしょうし。その判断を今は待ちましょう」

 精霊は精霊王を目指す。それは精霊にとって本能のようなものだ。

 特に意識の芽生え始めた精霊はそう強く思う。

 もちろん、それは簡単なことではなく精霊達にとっては長い、本当に気の遠くなるような修行ともいえるものを経てなお、ほんの一握りの精霊が辿り着ける道だ。

 だが、精霊は怒りなどの強い感情で我を忘れてしまい、それに囚われてしまう。

 その間、精霊は精霊王への道から道を外れ遠のいて行ってしまう。精霊王から言わせるならば、それも修行だそうなのだが、とうの精霊からすればどんどん道を外れていくのにも関わらず、それに自ら気づくこともできない。

 精霊がそれに気づくときは対象が死んだときのみなのだ。

 ただ今回は違う。護衛者という精霊王にいたるための近道があった。

 その近道を行くには怒りに囚われていてはいけない。怒りを捨て去ればその近道を通って良い、と朽木の王が諭してくれたのだ。

 それでも未熟な精霊であれば、それでも怒りを取るかもしれない。だが今目の前にいる精霊はかなり育った精霊であり、怒り狂ってはいるのだが、精霊王のへの近道とで、迷うほどには成長できている。

 逆にここまで成長している精霊は人の配下になることを嫌がるものだが、護衛者ともなれば話はまた別なのだ。それはこの世界に生きる者にとってとても名誉なことなのだ。

 朽木の王は精霊がその答えを出すのを待っている。

「はい。ご助力ありがとうございます」

「いえ、これは新しき王が誕生する機会でもあります。それは大変、稀な事で我々王にとっても嬉しい事なのですよ。本来は気が遠くなるほど長い年月をかけてたどり着く道なのですが、あなたの護衛者となれば、それは素晴らしい近道となります」

「護衛者…… ですか?」

 ミアにもその言葉の意味合いは推測でき理解はできる。

 巫女の護衛者。つまり巫女を守る存在だ。

 荷物持ち君がやたらと自分を守ろうとしていることもそれで説明がつく。

 それが精霊王への近道にどうしてなるのかまでは理解できない。

 それこそロロカカ様の巫女が世界にかかわるような巫女ということなのだろう。

「あなたを守る存在です。あなたが巫女となれば四人まで持つことを許されます。いずれわかります。今はただ成り行きを見守りなさい」

 ミアはいずれわかる。その言葉を信じて今は深く考えることを止めた。

 護衛者。つまり守られる必要がある、ということでもある。

 たとえ自分に何が起きても、どんな危険があっても、ロロカカ様の巫女の使命であるのであれば、全力でその役割を全うすればいいだけだ。

 ミアにとってそれらは障害にもなりはしない。ただ乗り越えていくだけのことだ。それだけの決意がミアにはすでにある。

「は、はい、わかりました。で、でももし、私が…… ロロカカ様の本当の巫女に…… な、なれなかったときは……」

 ミアにとってはそれが怖い。不安でしかない。

 自分に危険が及ぶことなんかよりも、自分がロロカカ様の巫女になれないことのほうがミアは怖い。それがなによりも恐ろしい。

 自分が思っている意味とは違った意味での巫女。

 世界にかかわるような、そんな大それた巫女に自分が選ばれるのか、と言われるとミアは不安でしかない。

「ふふっ、まあ、実はその心配は最初からありませんよ。なぜなら、ジュダ神様が朽木様の息子を護衛者にと、そう言われて託したのですから。最初から決まっていたことなのでしょう。それに、すべては時が来ればわかることです。今はただ信じて待ちなさい」

「は、はい!!」

 ミアにはそう返事することしかできない。

 ロロカカ様は偉大な神である。それこそ世界の大事に関わるような神と言われても、ミアは当然だと納得できる。

 が、自分が世界にかかわるような巫女か、と問われたらそれは答えれない。

 けれど、ロロカカ様がそう望むのであれば、ミアはそれに全力をもって、その魂のすべてをかけて、誠心誠意応えるだけだ。

 恐らくそれにふさわしい人物になれと、シュトゥルムルン魔術学院で学ばせてくれているのだろう、と、ミアはそう思うことにした。

 魔術学院に戻ったらより一層、色々なことを学ばなければならい。ふさわしい巫女になるために。

「おや、精霊も判断を下したようです。怒りを捨て精霊王への道を目指すそうです」

 そう伝えてくれた朽木の王の顔の模様はやはり笑顔のような模様だけれども、本当にうれしくて微笑んでいるようにミアには見えた。

「そ、そうですか、良かったです」

 これでスティフィの不安も一つ取り除いであげられて、その上で自分を守ってくれる強力な精霊を得れることになる。

 ミアからしても、嬉しいことばかりだ。

「では命名の儀を行います。この子は初めに貰った名はすでに失われました。新しく名を授けてやってください。今度は失わないように素敵な名を……」

「では、私は少し席を外しています……」

 サリー教授が慌てて立ち上がり、その場から足早に去っていった。

 その去り行く背中に朽木の王が声をかける。

「サリー、すみませんね」

 そして、朽木の王はミアに向き直る。

「これから名付ける名は誰にも教えてはなりません。精霊に命令するときに、心の中だけでそっと念じるものです。いいですね?」

「は、はい……」


 サリー教授は少し離れた場所で一面の花畑を愛おしそうに眺めていた。

 そこへミアがやってくる。すでに帽子は被りなおしていて、両手で頂いた実を大事そうに持っている。

 サリー教授もその実を持っていて、そこで初めてその実の果実を吸う。

 喉が潤い、活力に満ち、心を落ち着かせる。そんな効果があるのかもしれない。それにほんのりと甘い果汁はとても飲みやすい。

 素晴らしい飲み物だと、サリー教授は感動する。

 そして、一度深呼吸をしてからミアに話しかける。

「名付けは…… もう終わった…… のですか?」

「はい。それとこれが朽木様の杖です」

 そう言って一本の枝、というよりは見た目も普通に杖なものを見せてくれる。

 とっても簡素で飾り気はないが、強い力に満ちている。またミアに扱いやすいようにそれほど大きくもない。

 朽木様がまじないをかける、と言っていたので、おそらくは使徒魔術の触媒としての杖以外にもなにか超常的な力が込められているのかもしれない。

 恐らくだがシュトゥルムルン魔術学院にも、ミアの手にある杖を超えるような使徒魔術の触媒は存在しないだろう。

 そもそも契約破棄され壊された触媒が再生するなど、それだけで破格の能力だ。使徒魔術の常識を覆すような能力だ。

「ま、また、凄いものを…… 朽木の王は……?」

 サリー教授が辺りを見回すが朽木の王も朽木様の顔もこの近くにはいない。

「今は、荷物持ち君の中に、精霊さんの社を作るとかで朽木様と一緒に荷物持ち君をいじくってます。あのはぐれ精霊さんはかなり育っていて、普通の精霊用の社では収まらないからと……」

「確かに…… 古老樹と精霊は…… 相性がいいですからね…… それは安心…… ですね…… けれど、そこまで育った精霊…… だったのですね……」

 その精霊相手に生き残ったというスティフィの実力も確かなものだ。

 そして、目の前の少女はその精霊を今は配下にしているのだ。

 はぐれ精霊を人が配下に出来た事例はある。それが記録に残っているのは人類史上では四度だけだ。

 それほど貴重で難しい、精霊王の強い介入があったからとはいえ、とても珍しいことだ。

「サリー教授、さっきまで普通にしゃべってたのに……」

 ミアがそういうと、サリー教授は少しはにかむ。

 とりあえず何事もなく、いや、想像とは逆の方向でいろいろとありはしたが、とにかく無事で終われそうで気が抜けてしまったのかもしれない。

「凄い…… 気を使うんで…… す…… 疲れ…… るんです」

 そう言ってサリー教授は息をついた。

 その息には様々な心労が含まれている。

「けど、お二人ともお怒りになってなくて良かったですね。その上、こんなすごい物迄頂いてしまって……」

 事前に聞かされていたことから考えると、凄い歓迎されっぷりだ。

 許しを請うどころか、様々なものを逆に頂いてしまっている。

「まあ…… 帰ったら…… また会議…… です……ね。色々と起きすぎました……」

 サリー教授はそう言って疲れた表情を見せる。

「お二人ともお待たせしました。我が君の息子の調整が済みました」

 そう言って朽木の王が荷物持ち君と共にやってくる。

 近くの巨大な根から、朽木様の顔も浮き出ても来る。

「なにからなにまでありがとうございます」

 ミアはどうしていいかわからず、とりあえず頭を下げた。

「いえ、我々こそ。ミア、あなたに幸が多くあらんことを」

 そう言って朽木の王はミアを祝福するように両手を広げる。

「息子よ。巫女殿をしっかりとお守りするのだぞ」

 ミアの元へと行く荷物持ち君に朽木様が声をかける。

 その言葉に反応するように、くるりと上半身だけ振り向き、大きく頭を下げて頷く。

 それは今までの荷物持ち君にはできない動きだが、そのことにミアが気づくことはない。

「では、お行きなさい。ここは精霊の領域。あまり人が長くいていい場所でもないですので」

「はい、では」

 と、サリー教授が返事をして、また深く頭を下げる。

「ああ、そうそう。本当の意味で巫女となったら、またおいでなさい」

「はい、その時は必ず報告させていただきます。では朽木の王、朽木様。ありがとうございました」


 二人と一体を見送った後、朽木の王が朽木様の顔に向かい話しかける。

「世界の鍵となり、そのための贄となる門の巫女。彼女がその最初の一人となるのでしょうか。必要なものとは言え悲しきことです」

 朽木の王はやはり表情などはないが、悲しい、と言った意思を見せる。

「我が王よ。それこそ我らには何もできない。我らがしてやれるのは選りすぐりの護衛者を付けてやることくらいだ」

 朽木様は逆に冷静にそう言った。

「ミア、と言いましたか。いい娘でしたね。彼女に幸が多くあらんことを心から願います」

 朽木の王はミア達が帰っていったほうをいつまでも見つめていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る