第9話 アジサイ・レッスン (1)

 次の週の火曜日午後、家庭教師として再度ヒキマユの部屋を訪れた。その日は彼女が苦手な英語リスニングを教えて欲しいということだった。


 その日の午後緊急に入った学会のために、中国語の講義が休講になったので、私が着いたのは3時を少し回ったところだった。いつものように満面の笑みを浮かべて、彼女は小走りに玄関へ出てきた。


 靴入れの上をふと見ると、大きなガラス瓶に数本の紫陽花が飾られていた。


「これどうしたんですか?」と私は尋ねた。

「さっき、大家さんが持ってきてくれたんですよ。この先に住んでらっしゃる大きなお屋敷の奥様で、お庭に咲いたからって。花切りバサミを置いて行っちゃった。返しに行かないと。」


「ちょっと待って。」と私は言った。

「これ、この様な形式のお花の飾り方を「投入れ」って言うんだけど、これだけ綺麗な紫陽花がもったいないよ。」

「あ、知ってる。コーサカさん、お花の先生なんでしょう。すごいなぁ。」

「まぁそうですけど、まだ時間早いから、ちょっとアレンジ変えようか。」

「うん。うれしい。」


彼女は両手を合わせて肩をすぼめて喜んだ。そんな仕草もあまりにカワユくて、また私の恋心に火がついた。


「何か新聞紙とか広告あります? ここでちょっと作業しましょうか。」

「あ、はーい。嬉しいなぁ。」


 彼女は小走りに急いで新聞紙と広告をひとまとめに持参した。私はそれをフローリングの廊下に敷いた。

「あと何か要ります?」

「うん。そうね、この左側のちょっと大きい鉢に盛り花にしようか。これ、色も形もいいし。」


それは赤茶けた素焼きの大きな鉢だった。


「これは備前焼かなぁ、備前はね、釉薬とかをかけずに高温焼成するんだよ。すると、趣のある色変化が出てね。このしっとり感が明るい色のお花を引き立てると思うんだよな。」

「コーサカさん、やっぱすごいなぁ。この鉢はおばあちゃんがここへ飾るように持ってきてくれたんですよ。で、これは備前焼の名工が作ったものだから割らないように大切にね、って言ってたもん。」


「あの、でも剣山はねぇよな。」

「うん、それはないなぁ。」

「あの、でも剣山はね。なくても花留めできる何か作ればいいんだよ、とりあえず。」

「え、どんなものですか?」

「お水のペットボトルとかある?できるだけ模様のない透明なやつ。」

「冷蔵庫にありますよ。持ってきましょう。」


 彼女はそう言うと、再び小走りにペットボトルを持ってきた。


「さぁ、まずお花を少し切ろうか。紫陽花はね。.大きなお花だからお水もよく吸うんだよ。だから水場って言ってね。茎をうまく切って、お水をたくさん吸わせてあげないと、すぐ枯れちゃうんだよな。」


 ヒキマユは作業をしている私の隣に小さくなって腰をかがめた。私は茎を斜めに切り、茎の中のワタ状の繊維を花鋏の刃でかい出し始めた。


「え、これって?何をしているんですか?」

「これね、こうやってワタを出してやると、お水をよく吸ってくれるんだよ。花屋では水場が進むような薬剤も売っているんだ。」

「へえ、そういうとコーサカさんち、お花屋さんですってね、コータが言ってたから。いいなあ、綺麗なお花に囲まれて。」


 彼女は感心したように何度も頷くと、なおも目を輝かせて作業を見つめていた。


「あ、そのペットボトルこちらへ貸して。」


 私はミネラルウォーターのペットボトルを手に取り、蓋を開けて、鉢の中にたっぷりと水を入れた。それでも余った水を半分ほど飲んで、彼女に渡した。彼女は残った水を全部一気飲みし、私に空のボトルを返した。


「ちょうどよかった。喉乾いてたの。はい、これね。で、間接キッスしちゃったもんね。」


「やめて下さいよ、そういう冗談。」


私は目を逸らしながら枝を切り、葉を落としながら言った。


つづく
















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