第8話 英作文の誘惑 

「あら、いらっしゃい、お久しぶりね、コーサカさん。」


満面の笑みで私を迎えたヒキマユに私は息も絶え絶えになり、激しい目眩に襲われている思いだった。


「何か飲みます?」

「あ、オレ、いや、冷たいお茶とかある?」

「はーい、ありますよ。待っててね。」


 キッチン付きのワンルームの部屋は小綺麗に掃除されていた。中央のガラステーブルを挟んで、私たちは向かい合った。小さなグラスにウーロン茶と氷を入れて、彼女は私の前に置いた。ゆったりとした青ラインのボーダーTシャツと黒いハーフパンツがボーイッシュにきまっていて、もし付き合っているカノジョだったらきっとこう言うだろう。


「そのシャツ夏らしくってめっちゃカワユイぜ、似合ってるよ。」


 私はそのセリフをグッと喉の奥に飲み込んだ。ストリート系の可愛いコーデが自分のツボなのを知ってているのだろうか、などとあらぬことを考えてしまい、余計に眩暈がする。


「じゃ、勉強始めましょうか。」

「はーい、コーサカ先生。」

「あ、これこれ、英語基礎表現って言う科目の課題、見てもらえます?」

「あー、これ1年生で取っておかないとダメなやつじゃないの。」

「あたし、去年単位落としちゃって。」

「大丈夫、今年頑張ってA評価以上もらおうよ。オレに任せてください。」

「ほんと、コーサカさんて優しいなぁ。コータには、何してんだよ、って言われたから。あのヒト、C評価だったくせにさ。」


 私はますます声が上ずってしまい、ようやくの思いでこう言った。


「あー、じゃぁ君のノートに書いてるこの課題から行こか?」


まずテキストを確認した。


( in order to 〜、〜するために、という表現で文章を始め、Finally 〜、ついに〜、という表現で閉じる英作文を作りなさい。最低でも20語以上。)


私は彼女の答えを見た。


In order to meet him, I waited for 30 minutes at the airport.

(彼に会うために、私は空港で30分待ちました。)


「これって、コータのこと?」

「うん、そう。去年の冬、離島行った時のこと。」


「離島好きだな、あいつ」


どうせ水着にさせたいんだ、と私は思い、思わず笑いがこみ上げてきた。


「何かおかしいですか?」

「あ、い、いや、これうまく作ってるよ。」

「それで…、」


We took an airplane, and went to a southern island.

(私たちは飛行機に乗り、南の島へ行きました。)


「なるほど。」


Finally I changed into my favorite swimsuit ,and swam whole day with him.

( ついに私はオキニの水着に着替え、彼と一日中泳ぎました。)


1日中泳いだって、どうせ1日中ベタベタしてたんだろ。

妄想で虚ろになっていると、彼女が「どうしたんですか先生?」とたしなめてきた。


「あ,あ、い、いや、これ、全部うまく作れてるから。」

「私、コーサカさんとなら南の島、行ってもいいかなぁ。もっとちっちゃいカワイイビキニ着てハジケちゃったりして。」


ヒキマユはあらぬことを口にした。


「い、いや、今、こ、これ、英作文の問題でしょ、か、関係ねーし。」

「ね、そんときの写真見ます?コータが撮ってくれたやつ。」

「今そんなのいいですよ。次の問い行きましょうよ。」

「じゃぁコータから送ってもらおうかな。きれいな南の島とハジケたあたし。」

「いや、別にいいですよ。そんなの、どーでもイイことっしょ。」


 初日は早めに切り上げたので、彼女の夕食は遅くならないはずだった。私は少し安心していた。


 案の定、その夜コータから


「南の島とマユリン」


が、LINEを通じて何枚も送られてきた


「コーサカさんに見てもらいたいってさ。今晩のオカズにしてもいいぜ。あいつに言っておいたから、シンちゃん人一倍エッチだって。」

「バカにしやがって。」と私は独りごちた。


なにげに写真を見てしまった。それは真っ青な空と白い砂のビーチ、典型的な離島の風景だった。そして黄色い三角ビキニを着たヒキマユの連続写真がハジケていた。


海岸で伸びをするヒキマユ。

海に入ってこちらに水をかけるヒキマユ。

パラソルから笑顔をのぞかせるヒキマユ。

そしてビーチで寝そべってビキニのトップを外し、

砂がついた頬を熱そうに歪ませた変顔のヒキマユ。


ベッドに横になって、スマホで拡大して見ていると、胸が熱く締め付けられるように痛い。

心臓の鼓動が速く強くなっていった。もうひとりの冷静な自分が


「お前、何してるんだ。早くスマホしまえ。馬鹿野郎、そんな画像全部、消しちまえ。」


と叫ぶ、それを横に突き飛ばして、スマホで拡大した変顔のヒキマユに思わずキスしていた。


「マユリン、カワユイ、マユリン、オレ、オレ、もうダメだよお、好きだよお。」


つづく











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