第22話 カフェの店主、ケーキに涙する
——黄昏の柑橘亭店主視点——
十五年前に師匠から独り立ちをして、この店を建てた。
それ以来、どうにかこうにか頑張ってきたが。
目標の師匠の味には到達できていない。
帝都一のカフェだと呼ばれてる今でも、俺はまだ満足できていなかった。
「らっしゃいませー!」
その日きた客は、皇女ユーフェリア様の友人らしかった。
だから俺たちは万全の準備を整え、最高の味を体験してもらえるように仕込みをしていた。
しかし——。
現れたその客は、ただの冴えないおっさんだった。
その隣にいる女性はなんとなく品がありそうなのは分かった。
しかしそのおっさん本人には、なんの品もなかった。
ユーフェリア様の友人ということで、俺はすごく期待していた。
しかしこれは外れだとすぐに興味を失う。
「あ、お邪魔します」
そのおっさんは、腰の低い人だった。
だからこそ、俺は舐めた目で見ていた。
こいつに俺の作るスイーツの味が分かるわけない、と。
「何にしますか?」
ウェイトレスが近づいて、おっさんたちにそう尋ねた。
おっさんはザッとメニュー表を眺めると、一つ指さした。
「それじゃあ、オレンジのケーキを一つ」
「ケーキですね。かしこまりました」
それからおっさんは隣の女性に視線を向けて尋ねた。
「レイナはどうする?」
「じゃあ私もマルセル様と同じもので」
なるほど……オレンジのケーキを選ぶか。
これは俺が唯一満足していない作品だ。
いや、売り上げ的にはこれが一番売れているし、一番の自信作でもある。
だが俺の師匠が作るオレンジのケーキはこんなものではなかった。
生地はフワフワ、オレンジも大雑把な味ではなく、繊細できめ細やかな味。
師匠はあれを蜜柑と呼んでいたな。
俺はあの味が忘れられなくて、一生追い求めていた。
しかしまだ追いつけていない。
まあこのおっさんだったら、俺の味でも泣いて喜ぶことを想像できるほどには自信があったが。
どうせ、その味の違いも分からんだろうと高を括っていた。
そして俺は手際良くケーキを作り上げ、おっさんたちに提供した。
「うわ〜、美味しそうですね!」
「そうだな! これはいいケーキだ」
なんだか他にケーキを食べたことがある口調だ。
このケーキという食べ物は、俺と師匠だけのモノだったはず。
一瞬、何故だろうと首を傾げるが、まあそんなことよりも。
奴の目が驚愕で見開かれるのを陰で見守ることの方が重要だな。
そう思っていたが、奴は一口食べても驚かなかった。
「う〜ん、やっぱりケーキっていいなぁ」
そんな淡白な反応しかしなかった。
……何故だ。
これを初めて食べた人間は、誰でも泣いて喜ぶほどなのに。
その反応を見た隣の女性も、パクリと一口食べて——。
「おお、なかなか美味しいですね。まあ、マルセル様の作ったもののほうが美味しいですが」
な、なんだと……。
その女性の一言で俺は思わず握っていた木のヘラをへし折る。
それに対し、おっさんは慌てたように言った。
「だ、ダメだぞレイナ! 思ったことをそのまま口にするのはよくない!」
「ああ、そうですよね……すいませんでした」
おっさんに叱られてシュンとなる女性。
どうやら思わず口が滑ってしまったという感じだ。
俺は我慢できず、そいつらのいる席に近づくと言った。
「おい、おっさん。お前の方が美味しいケーキを作れるのか?」
「あっ、ええと……店主さんですか?」
「ああ、そうだ。しかしそんなことはどうでもいい。お前の方が美味しいケーキを作れるのか、と聞いている」
すると、おっさんは困ったように頬をかいた。
そして気まずそうに視線を背けると、頷いた。
思わず机を叩き割りたい衝動を堪え、俺は低い声で言った。
「じゃあ、作ってみろ」
「……へ?」
「俺より美味しいケーキが作れるのだろう? だったら作ってみろ」
俺がいうと、おっさんは逡巡していたが、結局諦めたように頷いた。
「ああ、わかったよ」
「これで美味しくなかったら出禁だからな」
というわけで、急遽おっさんがケーキを作り始めることになるのだった。
***
——マルセル視点——
なんか急に店主が出てきて俺にケーキを作れと言った。
まあレイナが口を滑らせたのが悪いが……まあ仕方がない。
俺はキッチンに立って準備を進めていく。
旅のおやつに持ってきた蜜柑がまだ残っていたから、それを使ってケーキを作ろう。
というわけで、俺はいつも通りにケーキを作り始める。
このケーキも俺たちの村に伝わるものだった。
しかしこんなところにも売ってるんだなぁとか、思ったりする。
前に一旦村を出ていったトーリスおじさんは、ケーキ作りが上手かった。
俺は彼に習ってケーキ作りを覚えたのだ。
まあ、トーリスおじさんは既に村に戻ってきて、今はのんびり農業をしている。
彼は都会に行って、弟子を作り、スイーツ店を開いていたと何度も聞いた。
戻ってきてからは、ずっとその話を楽しそうにしていた。
そして俺は手際良くケーキを作り上げ、店主の前に差し出した。
彼はゆっくりとケーキをフォークで切り分けて、口に運ぶ。
その様子を固唾を飲んで見守っていると——。
彼は一口食べた途端、涙を流し始めるのだった。
「なっ、なんだこのケーキはッ!! これは俺の理想のケーキだ! これは長年追い求めてきた最高の完璧なケーキだッ!!」
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