第3話 だから私は飛び出した ③

 気づいたときには走り出していた。

 酒場のドアを押しのけ、人込みに逆らいながら走り続けた。自分の影を追いつかれないように。そしてあのパーティーから逃げるように。

 大切なものを失ったことすらも、今の私は気づかないまま…。


 いつの間に帰路についていたのだろう…。そういえば、酒場で注文したけど何も口にしてない。

 私の気も知らずに腹の虫は泣くだけ。


(あれ………ちょっと待てよ。)


 私はある重大なミスを犯したことに気づき立ち止まる。

 支払い、そう支払がまだなのだ。傷心であろうがなかろうが、正当な代価を払うのは世の法だ。

 私は良心を沸き立たせ、頼んだ分は返さねばと奮闘した…が。

 私は財布代わりの小袋を取り出し中を確認する。1万2000アースってところかな。

 

「……軽く死にたい。」


 世間様のルールとやらも、今は憂鬱に感じる。足は縫い付けられたように動くことはない。心がそこに戻ることを許さないと体に命令するのだ。

 金も腹も心すらも今となっては貧しいからだろうか。

 いつの間にか、言わないようにしていた弱音が漏れてしまった。


「帰ろ。明日の朝にでもお金を返せばいいか。」


 帰路に向かう時だけ軽くなる重い足。不思議で身勝手な体を疎んだふりをする。

 鈍足な脚から生まれた無駄な時間は、私が失ってしまったものを整理する猶予を与えるのだ。

 そして、またゆっくりと歩き始めた。


(もうあの酒場にはお世話になれないな…)


 自分の気持ちを優先した者の末路はそれはそれは寂しいものだ。

 エールの美味しい行きつけの場所だった。よく皆で宴もしたし、どんちゃん騒ぎで夜が明けてグレッグが道端で倒れて吐く。それがいつもの流れだった。

 本当に楽しかった。でも私は今日、それをすべて失った。


「はは……。今の私何もないじゃん。」


 とても惨めだ。きっとひどい顔をしているのだろう。酔ってもないのに意識がちぐはぐしてきた。足取りもフラフラだ。早く休みたい、ベットに飛び込んで、全てを委ねたい。早く帰りたいのに足が上手く動いてくれない……。


「おーい! 待ってくれリズ!!」


(リズ? 誰だっけ…そうだ。私だ。)


 振り返ると、そこにいたのは見慣れた団長と姿があった。

 金糸のような髪は乱れ、戦闘後かと見間違えるほどに息は上がっている。どうやら走ってきたらしい。

 でもなぜ? ああそうか。集金に来たのか、これはご迷惑を…。


「君、足速いよまったく。何にも言わず行っちゃうんだからさ。」

「オリウス…その、何?」

「はいこれ。」


 息を荒げた彼が差し出したものは、小さな小袋だった。

 私は受け取って中を確認する。


「何。これ?」

「ん? 硬貨だけど。」

「いやそうじゃなくて。」

「ああそういうこと。今回の報酬だよこれは。」

「え、でも私。何の役にも立ってないし。」

「そんなの関係ないよ。だってこれは君の分け前だからさ。」


 何を言っても返せないらしい。やっぱり団長はいい人だ。


「…ありがとう。」

「いいよ礼なんて。俺たちの仲じゃないか。」


 俺たちの仲か……。

 優男の団長はそう言って、死にかけた私に笑いかけてくれた。

 嬉しい気持ちが先行して、自然と顔が変になりそうだったので、私は顔を力ませる。


「なあリズ。もしよかったらだけどまた一緒にダンジョンに行かないか? 今度は二人きりで。」

「え?」


 まさか、そんなことを言ってくるだなんて思ってもみなかった。さっき脱退したばかりの私にどうしてこんなにも優しくしてくれるんだろう。嬉しい、とても嬉しいけど…。


「さっきも言ったでしょう。今の私じゃ釣り合わないって。」


 強気なこの性格がなんと憎たらしいことか。

 折角の優しさを無碍にする卑屈な態度に反吐がでる。

 だがそれでも、私は団長の優しさを見誤っていた。


「いや…うん。パーティでならね。でも二人なら気を使う必要はない。俺もパーティーと交互だし長い間は潜ってられないけどさ。それでもよかったら誘ってくれないか?」


「……えっ?」


 それは思いもよらない提案で、卑屈になった心が晴れる。

 その内容はデュオでの攻略。パーティでない限り、奥深くまでは潜らないと言えど二人ならばできる幅が大きい。

 

「ソロじゃやっぱり危険だし。行けても三階層入口辺りだろ。それに効率もよくなるしさ。後は、その……。」


 どこか早口気味なオリウス。

 そんな彼の優しさを目の当たりに、私も心に余裕ができ、思わず笑みが溢れる。


「ふふ、…ありがとうオリウス。なんか元気出た。そうね! 気分が乗ったら誘うわ。」

「ほ、本当か!? 分かった。その時はまた声をかけてくれ! それじゃあ!」

「うん。じゃあまた。」


 そうして彼は元来た道を戻っていく。私もまた、帰路へ…。

 ちょっと楽になったかもしれない。彼の言葉は一つ、私の心のささくれを取ってくれたようなそんな気がした。



ーーーーー



 ある少女の背中へと送られた金色の視線。

 獲物を狙う夜の獣は狩時を察したかのように輪郭をあげた。今まで獲物を取り逃したことはない。生まれ持った天性の仮面達、今日はどんな私になりきろうかと、金髪の優男は舌鼓を鳴らす。


「あ、オリウスぅ~今夜どう? 寄っていかない。」

「おい色男! 店に金落としてけ。」

「あ、オリウスさん。あの時はありがとうございます! 助かりました。」

「あいつ確か『朱色のかぎ爪団』の…。」


 道を歩けばいつもこうだ。『冒険者オリウス』の仮面はやはり最高の出来だ。有象無象の女たちは甘い声で誘ってくる。臭い飯の老人も底辺な同業者も、皆こびへつらうように私の周りに集まるのだ。

 そうだ、これこそがあるべき姿。下等な王国民など高潔な帝国の血を前に、足りない頭を地につけるべきなのだ。ただ一人を除いては。


「ああすまない。今夜は一人で飲みたい気分なんだ。」


 今日は女を抱く気にはならないな。

 どうやら私は満たされているようだ。欲しいものを手に入るまでの遊戯、それがもうすぐ終わりクライマックスを迎えようとしている。この時が最も愉悦だ。

 さあどうやって、主人公オリウスを進めようか。

 傷心には甘い言葉を、孤独には唯一の存在を。そうして堕落し、甘く溶ける人間の姿を見るのが人生のスパイス。


「剣も居場所も心も全て奪う。存分に楽しませてくれよ、リーズロッテ。」


 夜の獣は暗夜の道へと足を運ぶ。いつか来る狩時をじっくり待ちながら。

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