19 見つけたもの

 乙女の姿で大扉を潜った時、大広間を隅々まで照らす灯火の群れに、実を言えばバタルは内心で絶望をしていた。壁や柱の装飾、あるいは天井から吊り下げられた台座に並べられた、千は越すだろう蝋燭とランプ。その中から目的とするたった一つのランプを見つけるのは、途方もなく思われたのだ。


 それでもバタルは必死に探した。言葉と身振りを尽くして物語を紡ぎ、少しでも時間の猶予を作りながら。所有者のない魔法道具から魔人が離れられないならば、必ず玉座の近くにあるはずだと、信じて。


 床を蹴ったバタルが向かったのは、正面のアラディーンではなく、玉座の後方。玉座を見下ろす壁にある段状装飾の上に、金の燭台とランプが敷き詰めるように並べられている。遠目では、隙間のできぬよう互い違いに置かれたランプひとつひとつの違いを見分けるのは困難だった。けれど焦る心を押さえて紡ぎ続けた物語の終わり際、バタルはようやく見つけていた。背の高い燭台の影に置かれた、たった一つの異物――人間の頭骨。灯火に囲まれた白い骨は、真鍮とタイルが反射する黄金色の光で壁と同色に染め上げられ、不思議と違和感なくそこにあった。


 それは、アラディーンが持ち去った残虐妃ラフィーアの首の、なれの果てに違いなかった。


 壁つけの燭台に手足をかけて機敏に体を持ち上げたバタルは、その頭骨と寄り添うように置かれたランプへと手を伸ばす。それこそ、バタルが時間をかけてまで探していたもの。ジャワードの追憶の中で見たのと寸分違わぬ、魔法のランプだった。


 ジャワードがすべてを見せてくれていなければ、おそらく千の灯火の中から見つけることすら叶わなかったろうそのランプに、バタルの指先が触れた。


 瞬間、バタルの体が後ろへと引っ張られた。しまった、と思い、さらに伸ばそうとした腕が周囲の灯火をなぎ倒す。宙を舞ったバタルの体は玉座の上を越え、壇の下まで軽々と飛ばされる。背中から大理石の床に叩きつけられ、呼吸が一瞬止まった。


「バタル様!」

主人シディバタル!」

「バタルちゃん!」


 食人鬼グールを退けていた三人の魔人が、それぞれに主人シディの名を叫んだ。咄嗟に傍へ駆けつけようとする彼らに向かってバタルは手をかざし、動きを制する。


「大丈夫だ」


 落下の衝撃で肺から押し出された空気をもう一度吸い込みながら、バタルは痛む体をどうにか起こして玉座を見上げた。


 なぎ倒された灯火と共に床へと落ちた頭骨を、アラディーンが丁寧な手つきで拾い上げていた。白く形よい骨の額を、ランプの魔人は愛しそうに撫でる。ゆっくりとした動きでバタルに向けられた紅の瞳は、怒りの炎を点して震えていた。


ご主人様シディに触れるな」


 アラディーンの声は、獰猛な眼差しと対照的に低く冷めていた。それがかえって彼の怒りを体現していて、バタルはおののいた。


 バタルに背中を向け、ラフィーア妃の頭骨を壁の段差の上へと戻したアラディーンは、壁際に散らばったランプの一つを拾い上げた。ランプの把手に左手指をかけて体の横に提げた魔王は、玉座の前まで進み出て、最初の対峙の時と同じようにバタルを見下ろした。


 奥歯を噛み締めて、バタルはアラディーンを見詰め返した。今のでランプを奪えなかった時点で、元々不利な形勢がさらに悪くなった。バタルの狙いが明確に示された以上、アラディーンはもうランプを手放しはしないだろう。唯一、希望を見出すとすれば、アラディーンが魔人である、ということだ。


「ズラーラ!」


 背後で食人鬼グールと戦っている短剣の魔人の名を、バタルは叫んだ。姿は見えなくても、魔人は呼べば必ず主人シディの言葉に意識を向ける。それを分かって、バタルは続ける。


「三つ目の願いだ。おれとアラディーンの戦いを、誰にも邪魔させるな。決着がつくまで、なにが起きたとしても、絶対にだ」

「バタル様!」


 バタルの言葉に、ズラーラでなくゼーナが先に反応を示す。だからゼーナには願えなかった。彼女なら、この願いにどこかで抗おうとするに違いないのだから。


 黒い波のように押し寄せ襲い来る食人鬼グールから主人シディを守るため、魔人たちは戦いの手を休めない。しかし力があるゆえに殺さぬ加減を強いられる彼らの戦いは、圧倒的数を前にどうしても長引いた。少しずつ戦闘不能なものを増やしたとしても、倒れてなお牙を剥こうと立ち上がってくるものが必ずいる。


 魔人たちの勇猛かつ厳しい戦いのありさまを背中に感じながら、バタルが待っていると、やがて強く叫び返すように少年の声が応えた。


「――願いを承った、主人シディバタル!」


 ズラーラへの感謝を胸の内で呟き、バタルは少年魔人の半身たる短剣を握り直した。


 息を整えたバタルは、再び段差を駆け上がった。短剣の柄を両手で握り、全身をしならせるように振り下ろす。狙うのは、ランプを持っているアラディーンの左腕。しかし当然、そんな単純な攻撃が通るはずもない。怪我を恐れぬランプの魔人に右手で剣先をつかまれ、動きを止められる。刃を押すことも引くこともできなくなり、バタルは顔を険くする。距離を詰めなければ、いずれにせよ勝機はない。ここからどうすべきか、バタルは必死で思考を巡らせた。


「なぜこんなことをするんだ。ラフィーアの復讐のつもりか」


 残虐妃の名を出すと、アラディーンが眉で反応をした。先ほど頭骨を拾い上げた時の様子といい、やはり彼に隙を生ませるにはこれしかない。そう、バタルは確信した。


「ラフィーアを処刑した人間はもういない。無関係な人を食人鬼グールに殺させて、一体どうしたいんだ」


 アラディーンの紅い目が、不快そうに細まる。


ご主人様シディの願いを叶えるためだ」


 答えた声は、囁くほどの低さだった。バタルは相手に合わせるように声量を抑え、しかしはっきりと事実を突きつける。


「ラフィーアはもう死んだ」

主人シディラフィーアの願いは生きている」


 事実を打ち消さんとばかりにアラディーンは言い、刃を握った右手を横へ薙いだ。強い力で振り払われ、バタルの手が短剣の柄から離れる。バタルは受け身から素早く体勢を立て直し、瞬時に身を低めてアラディーンの足もとへと滑り込んだ。相手が足を引く動きに合わせて一歩踏み込み、奪われた短剣へ手を伸ばす。柄をつかむ寸前、アラディーンの手の中で短剣が回転して刃がバタルに向く。舌打ちして、白刃を握りかけた手を咄嗟に開いた。


「お前の言うラフィーアの願いっていうのはなんだ」


 手の平が皮一枚裂けるのを感じながらも、バタルは問いかけるのをやめない。バタルがラフィーアの名を口にする度、アラディーンの動きが目に見えて苛立ったものになる。


主人シディラフィーアにとって邪魔な人間がいなくなるまで、消し続ける」

「違う。ラフィーアから受けとった願いは、そうじゃなかったはずだ」

「わたしは間違えないっ」


 バタルの指摘に被せるように、アラディーンが声を荒らげた。


「わたしは、主人シディラフィーアの願いを間違いなく叶えている。主人シディラフィーアが邪魔者を殺して欲しいと言うから、食人鬼グールに殺させた。君主スルターンに愛されたいと言うから、わたしが君主スルターンとなって愛した。わたしは――間違えていない」


 今アラディーンが主張しているのと同じ言葉を、ラフィーア妃が彼に対して放ったのをバタルは知っている。しかしそれはすべて、アラディーンが願いとして受けとれなかったものばかりだ。それらを叶えたところで、彼の中にこびりついたラフィーア妃の幻影が消えるはずもない。ランプの魔人が残虐妃から受けとった願いは、残虐妃の重ねる罪を隠し続けることだったのだから――しかし、その願いは砕かれた。偽の証拠と、主人シディの死によって。


 主人シディの願いは永遠に魔人の中に残り続けると、ズラーラが言っていた。少年魔人の小さな体の中にも、叶えられなかった願いが抜けない棘のように残っているのだろう。そしてアラディーンもまた、決して遂げられぬ願いにとらわれ続けている魔人の一人なのだ――だとしても。


「もうやめろ。願いを歪めても、お前は救われない。叶えられる願いは、もう一つもないんだ」


 らん、と。アラディーンの瞳が炎の色に光った。


「うるさい」


 短い囁きと共に、剣身が空を切る音が、バタルの顔の真横を下から上へ走り抜けた。刃の軌跡が灼熱し、反射的に頬を押さえる。指先が、ぬめる感触を拾った。


 そこにあるはずの、耳がなかった。


 バタルの絶叫が、大広間に響き渡った。

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