18 信頼

 ジャワードが鉄格子の前に立つと、格子の向こうで身を寄せ合っている女の一人が気配に気づいて顔を上げた。その周囲にいた女たちも、つられるようにぱらぱらと振り向き、白皙の美貌に目を見張った。


 突如現れた完美な白人アフランジに、敵味方の判断をしかねた女たちが囁き合う。小さなさざめきのようなその声を気にもとめず、ジャワードは牢の中を見渡した。


 灯りが控えられた地下牢は奥まで光が行き届かず、格子から離れた女たちの顔が判然としないほどの暗さだった。しかし牢に入れられている者が皆、年頃の娘ばかりであることは見てとれる。大半を占めるのは、身幅のゆったりとした装束を着た近隣の町や国の女たちだが、中にはかなり遠方から連れて来られたか旅してきたのだろう娘の姿もある。


 そのような娘たちの視線を一身に受けながら、ジャワードは格子扉の閂に手をかけた。閂に錠前はついていない。通常であれば閂を横に滑らせるだけで扉は開くはずだ。だが、扉を留めている鉄の棒は、ジャワードがいくら力を込めてもびくともしなかった。


「どうした? 開かないのか?」


 肩に乗っている緋色の鸚鵡コッコが、ジャワードの手元を覗き込むように頭を下げた。うん、とジャワードは軽く頷いた。


「これでは確かに、短剣の坊やが開けられなかったはずだ」


 短剣の魔人ズラーラが言っていた通り、地下牢の扉には魔法がかけられていた。人の手で開けられないようにする魔法だ。ここまで来るまでに多く巣くっていた食人鬼グールたちであれば容易に開閉できるだろうが、牢に入れられている娘たちには、たとえ錠前がかかっていなくても決して開けられない。さらに言えば、錠前がないということは鍵もないということだ。外の人間が娘たちを救いに来たとしても、魔法を解く方法を見つけなければここを開けられないのだ。


 そしてこの扉の魔法は、術者の意図か偶然か、魔人にも有効に働いている。


「ぼくを警戒して――なんてことはないか」


 ジャワードの性格をよく知る彼が、そんなことを考えるとも思えない。とは言っても、魔人にとってもっとも脅威となりえるのが、同じ力を持つ魔人であることは事実だ。自分が逆の立場だとしたら、同じように魔人を退けることを考えるだろうと、ジャワードは自身に置き換えて分析した。


 ジャワードはちらと横目に、肩に留まっているコッコを見た。


「君なら開けられるんじゃないかい」

「やっとオレ様の出番か! 見てろよ、オレ様があっという間に開けてみせるからな」


 コッコは張り切って翼を広げ、ジャワードの肩から格子扉へと飛び移った。格子に細い二本脚でつかまって器用に体を支えながら、丸い嘴を閂へと伸ばす。コッコが引っ張ると、閂はがちゃがちゃと音をたてた。


「うん? どうすんだこりゃ?」


 不思議そうに首を傾げながら閂を縦に引っ張り上げようとする鸚鵡に、ジャワードは苦笑した。


「横に動かすんだ。回しながら、こちら側に滑らせて」

「お、こうか?」


 コッコが格子を伝って上や下に移動しながら噛んだり押したりしていると、ようやく閂がわずかに横へ滑った。


「それでいいよ。焦る必要はない」


 扉を開けるためコッコが奮闘している間に、ジャワードはもう一度、牢の中へと目を向けた。中にいる女たちの視線は、今度は鸚鵡へと注がれている。正体不明の白人アフランジと、流暢に人語を喋る鸚鵡のとり合わせは確かに珍妙で、警戒や気後れをしたとしても仕方ない。さりとて、わざわざ味方だと主張する気はジャワードにはなかった。


 それでも、最初に顔を上げた娘が、勇気を振り絞った様子で格子の近くまで膝で進み出てきた。


「あの……助けてくれるの?」


 格子を握って黒目がちなまなこでこちらを窺う娘を、ジャワードは見下ろした。その娘は、顎の線にまだ幼さの残る顔立ちをしていた。少女と表現した方が適切かもしれない。


「結果的にはそうなるかな。ぼく自身はそれが目的ではないけど。この中に、ファナンっていう子はいるかい」


 ジャワードの問いに、少女は格子から手を放して牢の奥へと顔を向けた。暗がりの中で、幾人かの女が囁き、身動きするのが分かる。座って身を寄せ合っている女の中から一人が立ち上がり、前へと歩み出てきた。青い長頭巾シェイラを巻いた、凜としたたたずまいの娘だった。


「ファナンは、あたしだけど……あなたは?」


 娘は目を怪訝にすがめて、白人アフランジを見た。眉間の皺が、彼女の強い警戒心をよく表わしている。暗がりで深みを増す灰色の眼差しと立ち姿に見覚えがあり、ジャワードは思わず笑いそうになって口を押さえた――魔王に近づくためウマイマの魔法で乙女に化けたバタルと、瓜二つだったのだ。


「君がバタルの妹なのは、どうやら間違いようもなさそうだ」

「兄さんを知ってるの?」


 訝しげだったファナンの目が見開かれた。驚いた顔をすると本来の姿のバタルとも印象がよく似ていて、ジャワードは彼女に親しみを覚えた。


「君の兄さんの願いで、ぼくはここに来たんだよ」

「兄さんも近くまで来てるの?」


 勢い込んで、ファナンは扉の格子をつかみ顔を寄せた。途端に、扉が軋む音をたてて開いた。閂をいじっていたコッコが押し出されるように飛び上がる。


 突然扉が開いたことでたたらを踏んで飛び出したファナンを、ジャワードは片腕で抱きとめた。その頭上で数度羽ばたいたコッコもジャワードの肩へと留まり、嘴でターバンを軽く引っ張った。


「ほら、開いた! お前にできないことをやってやったんだ。オレ様をよーく敬え」

「そうだね。ご苦労様」


 空いている手でターバンを押さえながら言ったジャワードの声に、感情はこもっていなかったが、コッコは労われたことに満足して胸を張った。


 勢い余って前屈みにジャワードへしがみついたファナンは、その体勢のまま彼の碧眼を見上げた。


「兄さんはどこ? 兄さんに会わせて」


 縋る灰色の眼差しを見詰め返して、ジャワードはファナンの肩に両手を置き、そっと身を離させた。


「バタルは今、君を守るために戦っている最中だ。ここには来られない」


 ファナンの瞳に、再び訝しげな色が戻った。


「あなた、本当に兄さんを知ってるの?」


 柳眉をひそめるファナンの疑念の眼差しに、ジャワードは不敵に笑みを返す。


「だから君を迎えに来たんだよ」

「兄さんの居場所も教えてくれないのに、素直に信じられると思う?」


 兄妹で顔はよく似ていても、性格は妹の方が慎重であるらしい。他者にたやすくは惑わされないだろう芯の強さが垣間見えて、ジャワードにはかえって好ましく感じられた。


 ファナンの気の強い眼光にいたずら心を刺激されたジャワードは、華奢な娘の腰を抱き寄せ、顎をつかんで鼻先が触れる寸前まで顔を近づけた。


「信じて貰う必要はない。君をここから出して故郷へ連れ帰るのが、バタルからぼくへの願いだからね。君が泣き叫んで抵抗しようと、ぼくは君を連れて行くよ」


 ジャワードの突然の言動に、牢の中で誰かが悲鳴じみた声をあげた。対してファナンは面食らって目を丸くし、白人アフランジの碧眼を無言のまま凝視している。けれど即座に眉間の皺を深めた彼女は、ジャワードの手首をつかんで顎から手を放させた。


 腕を突っ張って押しのけるように体も離したファナンは、睨む眼差しでジャワードを見据える。先ほどとは別の色合いの警戒を彼女は見せたが、ジャワードがそれ以上の手出しをしないでいると、不本意そうながら状況を飲み込んだようだった。


「分かった。今は、あなたを信じるわ。どうせここにいてもなにもできないし、これ以上状況が悪くなることも、そうそうないでしょう」


 どこか開き直ったようなファナンに、ジャワードは小気味よさを覚えた。だが今はそれを面には出さず、口の端で薄く笑むにとどめる。


「君が理性的な子で安心したよ」

「あなたは、性格悪いってよく言われるんではないの」

「それは自覚があるから、どうしようもないね」


 あくまでつっけんどんなファナンとのやりとりを内心で楽しみながら、ジャワードは肩にいる鸚鵡の脚を指で払って、手の上へと乗り移させた。


 急に脚の位置を変えられて翼をばたつかせたコッコを、ジャワードは腕を伸ばして牢の方へと放った。勢いのままジャワードの手から離れた鸚鵡が、再び牢の鉄格子にしがみつく。


「なんだ。今度はなにするんだ」

「君はここに残るんだ。まだ外には出ない方がいい。じきに鏡の彼が来るだろうけど、それまで君の十八番おはこの武勇伝でも彼女たちに聞かせてあげたらいいよ。ただ待つだけでは退屈だろう」


 得心がいったとばかりに、コッコは首を大きく上下に揺らした。


「よしきた! それならオレ様の飛びっきりの話を聞かせてやろう」


 コッコはくるりと向きを変えて、格子の隙間から牢の中へと頭を突っ込む。その間にジャワードはファナンの手を引いた。


「ぼくらはこっちだ」


 牢に背を向けて歩き出すジャワードに、やや躊躇いを見せつつファナンが続く。


「置いていって平気なの? 他の人たちも助けてくれるのよね?」


「もちろん。心配いらない」


 懸念するファナンに、ジャワードはよどみなく断言する。その彼の足もとへ、常に傍にある絨毯が滑り込むように飛んできた。ジャワードは迷わず絨毯を踏み、ファナンも乗れるよう引き寄せる。おののく彼女を絨毯に座らせながら、ジャワードは言い聞かせるように言葉を重ねた。


「バタルにはスライマンの加護がついている。必ず彼はすべてやり遂げて、君のところへ帰ってくるよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る