17 中幕

「典雅なる君主スルターンよ。以上が、大魔法使いスライマンの魔人に導かれし若者の旅について、わたくしの知る真実のすべてでございます」


 そう話を閉じた乙女は、可憐な艶を宿す睫毛を伏せて床に口づけた。


 黒髪の青年君主スルターンは、ふっと笑いを漏らした。背を丸めてくつくつと喉を鳴らし、やがて堪えきれずに体を反らして声をあげ笑う。


 ひとしきり笑った君主スルターンは、千の灯火を映してきらめく紅のまなこを大きくし、額ずく乙女を見据えた。


「ジャワードはそこまで見せたか。奴もずいぶんといい性格になったらしい――それで、この茶番はいつまで続ける?」


 今度は、乙女が淑やかに笑った。鎖を鳴らして体を起こし、優雅な動作で立ち上がる。


「ご安心めされよ。すべては、ここで終わる――ウマイマ!」


 乙女が叫ぶと同時に、彼女の背後で金の煙が噴き上がった。煙は瞬時に寄り集まって形をなし、鋼のごとき肉体の大男が姿を現す。


「やっと呼んだわね。待ちくたびれたわよっ」


 言葉と共に大男が丸太のような腕で円を描けば、その指先からさらなる金の煙が噴き出し、凜と立つ乙女を包んで姿を隠した。鎖の砕ける音が響き渡る。音の余韻と共振するように、煙は薄れ、晴れていく。そこに、乙女の姿はなかった。


 代わりに、羚羊かもしかのごとくしなやかな四肢を持つ、青年が立っていた。

 臆することなき青年の姿を、君主スルターンは紅の眼差しで壇上から見下ろす。青年の灰色の瞳には、若者らしい生気がみなぎっていた。


「一応、君の名前を聞いておこう」


 あくまで尊大に、君主スルターンは問うた。それに青年は、ごく短く答える。


「――バタル」


 大広間にひしめいていた食人鬼グールが、真っ黒な塊となって一斉にバタルへと飛びかかった。


 ところが、また金の煙が、今度は二筋吹き上がり、食人鬼グールたちの行く手を阻むようにうねり、走り抜ける。二筋の煙はそれぞれに寄り集まり、現れたのは栗色の髪をなびかせる男装の娘魔人と、狼の眼光を持つ少年魔人。二人が同時に食人鬼グールをなぎ払い切り開いた道を、バタルは全力で駆けた。革帯から素早く短剣を抜き、灯火に照らし出される壇上の玉座へ向かう。黒髪の君主スルターンはわずかも動くことなく、紅のまなこをただ細める。段差を駆け上がり振りかざされた短剣の切っ先は、過たず君主スルターンの白い喉を切り裂いた。


 刃が肉を断つ感触が、短剣の柄からバタルの手の平に伝わる。しかし君主スルターンの喉から噴き出したのは血ではなく、金の煙だ。


 バタルの視界がまばゆい黄金色に覆われた。直後、煙の中から突き出された白い手にはっとする。一瞬の反応の遅れを逃さず、手は的確にバタルの首をつかんだ。


 煙が晴れ、紅と灰色の視線が交差した。バタルの首を片手でつかんだ君主スルターンは、その繊細な見目に相応しい優雅さで立ち上がる。そのまま片腕で若者の体を持ち上げ、細い指がバタルの喉に食い込んだ。


 だが、息苦しさに呻くバタルの中に、強い危機感はなかった。相手がその手でバタルを殺す可能性が低いことが分かっているからだ。


 短剣を素早く持ち直したバタルは、首をつかんでいる腕に深く切りつけた。指の力が緩んだ一瞬に手を振り払い、横方向へと転がって相手と距離をとる。床に片膝をついて呼吸を整えるバタルの方へ、君主スルターンがゆっくりと体を向けた。その腕に、傷はない。


 君主スルターンは紅い目を細め、薄ら笑う。


「今のは、分かってやっているのだろう」


 バタルも口の片端を上げて、笑んで答える。


「もちろんだ。魔王――ランプの魔人アラディーン」


 名を呼べば、マシュリカ国の君主スルターン――魔王アラディーンは笑みを消して顎を上げた。蔑むようなその眼差しに、バタルの眉間に自然と皺がよる。膝をついたまま、バタルはもう一度、短剣を体の前に構えた。


「人間が魔人と戦って、本当に勝てると思っているのか」


 問うたアラディーンの声には、侮蔑よりも憐憫れんびんの響きがあった。彼の目にバタルは、分を知らぬ哀れな弱い人間と映っているのだ。バタルとて、圧倒的な強さの相手に内心ではおののき、ともすれば短剣を持つ手が震えそうだった。だが今、それを見せるわけにはいかない。


 アラディーンの紅の瞳から目を離さぬまま、バタルは足裏に力を込めた。


「勝つために、おれはここに来たんだ」


 バタルは全身を押し出すように、力強く床を蹴った。

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