3 期待
ズラーラは最初の願いの時と同じようになにも言わず、真っ直ぐな眼差しで言葉の先を促した。バタルは深く呼吸をして意を決し、彼への二つ目の願いを口にした。
「おれを強くしてくれ」
「強く、というのは?」
具体性を求められ、バタルは言葉をまとめながら唇を湿して続けた。
「君たちに魔王アラディーンが倒せないなら、おれがやるしかない。でも今のままじゃあ、乗り込んだところで無駄死にするだけだと思う。おれは、自分の身を守る程度の戦い方すら、まともに知らないから。だから、おれに戦う力をくれ。万が一、魔王と正面からぶつかることになったとしても、ちゃんと戦える強さが欲しい」
なるほど、とズラーラが口の中で小さく呟いた。緊張して拳を握るバタルを、少年魔人は斜め下から覗き込むように見上げた。
「おれの魔法で、魔王に対抗するだけの力と技術は与えてやれる。でも、勝ちの確約はしてやれない。何百年と生きているような相手だ。積み重ねた経験ばかりは魔法だけじゃあ埋められない。それでもいいか」
一つ一つ言い含めるように、ズラーラは言う。
以前にも思ったことだが、可能なこと、不可能なことの説明と同意を経てから願いを受けとるズラーラの誠実さがなにより信頼できると、バタルは考えていた。だからこそ安心して、願いを託すことができる。
「かまわない。経験の分は、なんとか自分で知恵を絞るさ。今のおれじゃあ、どちらにしろ魔王どころか、
「……そうか」
「
言葉の終わりと同時にズラーラは立ち上がり、改めてバタルを見上げた。
「早速始めよう。ついてこい」
✡
「ぼくを呼びに来たわけではなさそうだね」
ジャワードは目を向けないまま言ったが、相手が小さく肩をすくめたのが吐息の音で分かった。
「空気が悪いとか言いながら、そんなもの吸ってるのね」
こちらの言葉には答えないまま野太い声で言われ、ジャワードは煙と一緒に笑いを吐き出した。
「一度試したらすっかり気に入ってね。なかなかうまいんだよ、これが。もう手放せそうにない」
「他人の嗜好にとやかく言うつもりはないけど、やっぱり変わってるわね。吸えない間はどうする気かしら」
鏡の魔人の嫌みなど歯牙にもかけず、ジャワードは顔を上向けて、肺を満たした煙をゆっくりと吐いた。こうすると、
「バタルは?」
ジャワードもまたウマイマの疑問に応えないまま問えば、やや不服げなため息が聞こえたが、気づかない振りをした。
「ズラーラちゃんのところで、二つ目の願いを叶えてる最中よ」
「なにを願った?」
「興味あるの?」
「それなりにね」
腕を組んでもったいぶるウマイマに、ジャワードは素直に返す。鏡の魔人は相変わらず胡乱げな態度でいたが、さりとてジャワードに反発を示すわけでもなく答えた。
「魔王と戦えるくらい強くなりたいんですって。大した度胸だわ」
「彼に度胸がなかったら、そもそもこんなところにもいないさ」
ジャワードの声の響きにはバタルへの確かな期待と信頼があり、ウマイマは絨毯でくつろぐ姿勢を崩さない彼を横目に見下ろした
「あんた、一体どういうつもりでバタルちゃんといるの? 嘘は禁に触れるんじゃないかしら」
ウマイマの指摘にジャワードはつい笑ってしまい、吐き出す煙が乱れた。
「嘘は禁止だけど、隠しごとは禁じられてないからね。余計なことを言っていないだけさ。こちらに主導権があってもいいと思わないかい?」
ジャワードは同意を求めたが、ウマイマはさらに軽蔑を強め、深い彫りの奥にある目をすがめた。
「ま、それはあんたの自由だけど。
魔人の意思は、結局すべてが
「迷惑をかけるなんてとんでもない。むしろ、ぼくの方がかけられてきた側さ。ぼくがいなきゃ、彼は砂漠で干からびていたよ」
「ますます解せないわね。どうしてそんなにバタルちゃんに構うのかしら」
腕を組んだまま、ウマイマは苛立たしげに指で肘を叩いた。ジャワードは戯れに、煙の輪を一つ宙に吐き出した。
「さっきも言っただろう。ぼくはバタルに期待しているんだ。分からないならそれでも構わないさ。別に理解されようとも思っていないし」
言い終わると共に、ジャワードは
「まあ、でも――」
煙と一緒に吐き出した声までもが甘さを帯びた気がして、ジャワードは口の端で自嘲しながら続けた。
「そろそろ頃合いかな」
✡
地面に腰をついたバタルは、そのまま後ろへ倒れるように大の字に寝転んだ。岩がむき出しのごつごつとした地面の寝心地は悪かったが、今は起き上がるだけの体力が残っていない。流れる汗を拭うのも煩わしく、バタルはひたすら荒い呼吸を繰り返してぜえぜえと喉を鳴らした。
身動きできないバタルの傍まで歩み寄ってきたズラーラは、しゃがみ込むようにして顔を覗き込んだ。
「体力の補強がもう少し必要だな」
「……多分、おれの体力だけの……問題じゃない」
絶え絶えな息の合間に、バタルはかろうじてそれだけ主張した。
ズラーラの魔法は、正直なにをされたのか分からなかった。ただ少年がバタルの体に触れ、それで終わりだと告げられたのだ。その後、力の使い方を教えてやると言われるまま、ズラーラと手合わせすることになった。
体を動かした瞬間に、ズラーラの魔法が確かに働いていることはすぐに分かった。明らかに体が軽く感じられ、少し跳躍するだけで今までよりずっと高く飛べる脚力に驚いた。始めこそ魔法が働く前後の差に戸惑ったが、慣れてしまえば全身が躍動する感覚は爽快だった。相手をしてくれているズラーラに、ああしてみろ、こうしてみろ、と言われるまま腕を突き出し、脚を振り抜けば、思い描いた通りに体は対応して動いていく。けれど言われた以上の動きがまだ思い描けないのは、ズラーラの言っていた経験のなさなのだろう。
ない経験を少しでも埋めようと、バタルとズラーラは間断なく打ち合い、日が傾き始めたところでついにバタルが力尽きたのだった。午前中から休みなしなのだから、むしろ人間の体力としては驚異的な部類だろう。けれどズラーラは息一つ乱しておらず、魔人は力が強いだけでなく疲労という感覚を持ち合わせないのだと知った。
「なんだ、もうへばったのか。大人なのにチビに負けるなんてだらしないな」
見守るゼーナの肩の上で二人の手合わせを囃し立てていた鸚鵡が、生意気に言い放った。その言葉に、バタルではなくズラーラが反発を示して顔を上げる。
「おれより小さい奴に、チビと言われる筋合いはない」
反論に驚いたように、コッコは目と嘴と翼をまとめて大きく開いた。
「なんだと! オレ様がチビだってのか! やるなら相手になるぞ!」
「弱い者いじめは好きじゃない」
「オレ様が弱いだと! 馬鹿にするなよ!」
ズラーラへ飛びかかろうと、コッコがゼーナの肩を離れた。けれど素早く反応したゼーナが、鸚鵡の体をつかまえて胸元まで引き戻した。
「コッコ様、喧嘩はよくありません」
ゼーナは優しく押しとどめるも、コッコは聞く耳を持たず緋色の翼をばたつかせて身をよじった。
「このチビがオレ様を馬鹿にしたのが悪い。こういう奴にはしっかりオレ様の強さを思い知らせてやらないといけない」
威勢よくコッコはわめき散らすが、魔人のの手から鸚鵡の力で逃れられるはずもない。諦め悪く暴れ続ける緋色の鸚鵡に、ゼーナは呆れとほほ笑ましさの混じった息をついた。
「コッコ様。賢い方ほど、喧嘩や暴力はしないものです」
途端に、コッコの動きがぴたりと止まった。翼は広げたまま、顔だけを上向けてゼーナを見る。
「むむ。そ、そういうものなのか」
狙い通りに反応を示したコッコに、ゼーナはにこりとして答えた。
「はい。賢い方は、どうしたら暴力や喧嘩をせずにすむかを考えることが得意なものですよ」
「そうか。うむ。それもそうだ」
急に聞き分けよくなったコッコはゼーナの手の中で居住まいを正すように翼を畳み、ズラーラへと嘴を向けた。
「そういうことだ。オレ様は賢いから、今は引き下がってやる。しっかり感謝しろよ」
すべて自分が偉いのだというコッコの振る舞いに、ズラーラは呆れ果ててそれ以上の反論する気持ちが失せた。バタルのかたわらにしゃがみ込んだまま、ただげんなりとした心地で緋色の鸚鵡を見やる。
「……なんなんだ、あいつは」
「まともに相手をしない方が、精神衛生上おすすめだぞ」
バタルは寝転がったまま、目の前の少年魔人へ静かに助言をしてやった。
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