18 癇癪

 短剣の少年魔人ズラーラは狼に似た瞳を怒らせ、目覚めたばかりのバタルの前に仁王立ちした。


「どうして主人シディバタルがこの島にいるんだ」


 なぜ怒られているのか分からず、地面から上体だけを起こしてぽかんとするバタルに、ズラーラは苛立って足を踏みならした。


「わざわざこんな危ない島に来るなんて、なにを考えてるんだ。なんで大人しく待っていられないんだ」


 状況への理解が追いつかないまま、バタルは起き抜けのよく働かない頭をどうにか巡らせる。


「えっと……おれはただ、少しでも手がかりがあればと――」

「じゃあなんのために、おれに願ったんだ!」


 声を荒らげて、ズラーラはバタルの言葉を遮った。癇癪を起こす少年魔人の姿は、まさしく見た目通りの子供だ。淡々と話す大人びた彼の姿を知っているだけに、バタルは余計に戸惑わないでいられない。そんなバタルの表情にますますズラーラは苛立ち、感情の高まるまま谷底に響き渡るほどの声でわめき散らした。


主人シディバタルにとって、おれはそんなに信用できない魔人なのか! おれを信じたから願ったんじゃないのか! おれの見た目が子供だからいけないのか!」


 短剣の魔人の悲痛な訴えで、バタルはようやく彼の怒りを理解した。確かにズラーラからしたらバタルの行動は、彼のことを信じ切れなかったゆえと見えても仕方ないのかもしれない。


「違うんだ、ズラーラ。君を信じなかったわけじゃない」

「じゃあなんで待てないんだよ。おれを信じられない理由があるならはっきり言えよ」


 ズラーラはバタルの言い分を聞き入れずに、地団駄を踏んだ。これだけ興奮状態であると、多少の言いわけには聞く耳を持たないだろう。むしろ癇癪を加速させる結果になりそうで、バタルは途方に暮れた。


 すっかり我を失っているズラーラを宥めようと、ゼーナもそっと横から彼の肩に手を添えた。


「ズラーラ様。わたくしもついていましたし、ご主人様シディも無事だったのですから、どうか落ち着いて――」

「ゼーナもゼーナだ! どうして危ないのが分かってて、ご主人様シディを止めなかったんだ」


 怒りの矛先が変わり、途端にゼーナは言葉に窮した。すくんで胸元に手を当てる指輪の魔人に向かって、ズラーラはさらに畳みかける。


「ロック鳥の巣なんだぞ。普通の人間が上陸しようとするだけでどれだけ無謀か、考えなくたって分かるだろう。魔人の守護だって絶対じゃありえないんだ。ご主人様シディをわざわざ危険の中に放り込むなんて馬鹿げてる。自分の力がどれほどのものだと思ってるんだ。またご主人様シディを死なせるつもりか」


 ズラーラの最後の一言で、ゼーナが明らかに傷ついた色を浮かべたのが、バタルからも見えた。島に渡ることを望み、そのように行動をしたのはバタルだ。それに本当に無謀なことをしようとした時には、ゼーナは決して譲らずにバタルを止めることをしたのだ。さすがに彼女が責められるいわれはないはずだ。


「ズラーラ、だからこれは――」

「ぼくちゃん、さすがに今のは言い過ぎよ」


 バタルの言葉を遮る声と同時に、ズラーラの両脚が地面から離れた。鏡の魔人ウマイマが、少年魔人の襟首をつかんで自身の目の高さまで持ち上げる。日の出と共に起き出していた鸚鵡のコッコが、ウマイマの肩の上から身を乗り出して少年魔人の顔を間近に覗き込んだ。


「話はよく分からないが、オレ様もそう思うぞ。お前なんだか偉そうだしな」

「今、大事な話をするから、聞き逃さないようにコッコちゃんはちょっとだけ静かにしていてね」


 ウマイマはすかさず、片目をつむってコッコに黙るよう促した。鸚鵡は前に傾けていた身を引き、鏡の魔人の黒い顔へ嘴を向けた。


「そんなに大事なことなのか。それならオレ様がしっかり聞いておこう」

「それがいいわね。ありがとう」


 それでコッコが確かに嘴を閉じたのを見届けてから、ウマイマは改めて目の前の少年魔人を見やった。猫にするようにつかみ上げられた少年ズラーラは、宙に浮いた足をばたつかせ、ウマイマの丸太のごとき腕から逃れようと藻掻き続けている。


「放せっ、放せよ!」

「ゼーナちゃんに謝ったらね。ご主人様シディの行動を制限するようなこと、道具のあたしたちにはそうそうできないの、ぼくちゃんだって分かってるでしょう。それじゃあ見た目だけじゃなくて、中身までお子ちゃまよ」


 肩をすくめながら嫌みを言われ、ズラーラは元々鋭い目つきをさらに厳しくしてウマイマを睨みつけた。


「お子ちゃまって言うな。あと、ぼくちゃんもやめろ」

「それなら謝りなさい。言うに事欠いて、ご主人様シディを死なせる、だなんて。魔人が一番言っちゃだめなやつよ」


 ウマイマに正論をぶつけられ、ズラーラはぐっと言葉に詰まった。反抗的だった眼差しは気まずくさまよい、やがてふてくされ気味に顔を背けた。


「……悪かった。言い過ぎた」


 抵抗をやめたズラーラがぼそぼそと呟くように言い、ゼーナは首を緩く横に振った。


「いいえ、いいんです。事実ですから。実際、わたくしは一度……」

「それ以上はいいわよ、ゼーナちゃん」


 萎れるゼーナを、ウマイマはそれ以上落ち込ませなかった。それですっかり場が収まったのを見届け、バタルは鏡の魔人への評価をまた改めた。ウマイマはバタルなどよりずっと、相手の個性に合わせた対応に長けている。故郷で少数ながら従業員を抱えていた身から見ると、魔人として従う側でしかいられないのは、大層もったいなく思われた。


 襟首をつかまれたままだったズラーラが手を持ち上げて、ウマイマの腕を軽く叩く仕草をした。


「ほら、ちゃんと謝っただろう。早く放せ」

「そうだったわね。よくできました」


 ようやく地面に下ろされたズラーラは、不機嫌に口を尖らせたまま、よれた襟元を軽く引っ張って整えた。


 ウマイマのおかげでズラーラが落ち着きをとり戻し、バタルは胸を撫で下ろした。しかしまだ、彼の怒りの原因がとり除かれたわけではない。バタルは一度立ち上がってからしゃがみ込み、小さな短剣の魔人と目線を合わせた。


「話は終わったか」


 突然にコッコが喋り出し、バタルの出端は折られた。ウマイマが肩にいる鸚鵡の嘴を軽く撫でて指を立てる。


「もうちょっと待ってね」

「ううむ。そうか」


 空気の読めないコッコにバタルの心はへたれそうになったが、再び静かになったところで気をとり直して息を吐いた。


「ごめん、ズラーラ。スライマンに誓って君のことを信じてなかったわけじゃないんだ。実を言うと自分でも、浅い考えで馬鹿なことをしたと思ったばかりだ。おれが不明なばっかりに、自分の身を危険にさらすだけじゃなくて、ズラーラを傷つけた。本当にごめん」


 できうる限りの誠意を込めて、バタルは謝罪した。ズラーラはぶすっとした表情のまましばらく沈黙していた。目が潤んでいるのは、先ほどまでの興奮の名残だ。少年魔人はグズるのを我慢する子供のようにゆっくりと瞬きを繰り返してしたが、最後には胸で深呼吸をして感情を抑え込んだ。


主人シディバタルには特別に一つだけ教えておく」


 唐突にそう言ったズラーラの口調は、出会った当初と同じ淡々としたものだった。狼に似た眼光が、真っ直ぐにバタルを見据える。


「魔人にとって、一番の打撃はご主人様シディの死だ。特に、ご主人様シディがいなければ成立しない願いを受けとっていたなら、それは決して叶えられない願いとして、魔人の中に永遠に残り続ける。おれたちは受けとった願いを絶対に忘れられない。たとえどんなに屑なご主人様シディの願いだったとしても、絶対にだ。それがどれほど絶望か、人間のご主人様シディにはおそらく理解できないと思う。それでも、おれはもう、そんなのは嫌だ」


 ズラーラが感情を爆発させた一番の理由はこれかと、バタルは思った。きっとこの小さな魔人は、決して叶えることのできない願いを永劫抱えているのだろう。もしも今回のことでバタルが命を落としていたなら、願いのためとはいえ傍を離れたことを、彼は生涯悔やみ続けることになったかもしれない。その様が目に浮かぶからこそバタルは、申しわけないことをしてしまったという思いを強くした。


「なあなあ」


 コッコが、我慢しきれなくなったように声を発した。しかしその声量は彼にしては控えめで、頬をつつかれたウマイマは顔を振り向けて応じた。


「どうしたの、コッコちゃん」

「あれは、なんだ?」


 丸い嘴が頭上を指し示し、言われるまま、バタルと三人の魔人も空を仰いだ。


 すっかり日の昇った空の青さに目がくらみそうになり、ここが薄暗い谷底であることを思い出す。顔の前に手をかざしながら目を凝らすと、空の真ん中に穴が開いたように四角い影があるのが見えた。指先ほどだった影はみるみる大きくなり、バタルたち目指して降下しているのが分かった。


 近づくにつれ、影の中に茜の色彩と幾何学文を見てとることができた。縁取りの金の房飾りが、風を受けて揺れている。それは、よく見知った絨毯だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る