17 浅慮

 完全なる夜の訪れと共に、コッコは本能に従ってあっという間に寝入ってしまった。鳥籠の中に戻った緋色の鸚鵡は、ウマイマの鏡を腹の下に抱き込み、頭を羽の中へしまうように丸まって規則正しく寝息を立てている。つい先ほどまでのかしましさが嘘のような静けさの到来に、バタルはふと苦笑を漏らした。


「自由な奴だな」


 口をついたバタルのぼやきに、鏡の魔人ウマイマがつられるようにほほ笑んだ。


「たくさん話せる相手ができて嬉しいのよ。この子、巨人に捕まってからずっと、鏡に映った自分に話しかけてたんだから。主人シディのいない魔人は一度、道具の中に入るとなかなか出てこられないから、あたしも話し相手にはなってあげられなかったし」

「こいつも寂しかったってことか」


 鏡の自分にいくら話しかけても、言葉が返ってくるはずもない。島にいた他の動物は次々に狩り尽くされ、巨人の住居へと攫われてきた人間たちもすぐに言葉を失い、あるいは姿を消してしまったことだろう。コッコの声まねも、消えていった人間の残したわずかな声や言葉を再現することで寂しさを紛らわせる手段だったのかもしれない。そう考えると、どこまでも不遜で無礼な緋色の鸚鵡にも、同情ができる気がした。


「コッコ様は、島で生まれた鸚鵡ではありませんよね」


 気になった様子でゼーナが問うと、ウマイマは両手で顔を包むように頬杖をついた。


「多分ね。元は魔法道具として、どこかの富豪か魔法使いにでも飼われてたか、商船に乗せられてたんじゃないかしら。船が沈むか、自力で逃げ出したかして、この島に迷い込んでそのまま住み着いたんでしょう。こんな鸚鵡、勝手に発生するはずないもの」


 それは、バタルも思っていたことだった。これほど流暢に人間と会話し、思考する鸚鵡となれば、むしろなんらかの魔法が作用をしていない方が不自然だ。摩訶不思議な鸚鵡として囲われて、食うに困ることのない暮らしが、もしかしたら彼にはあったのではなかろうか。


 けれど今は、コッコの過去を詮索したところでなにかが進むわけではない。そう思い直して、バタルは常に身に着けている短剣を抜いた。焚き火にかざせば、少しの曇りもない献身が炎の色にきらめく。


「ズラーラ様、なかなかお戻りになりませんね」


 バタルの内心を代弁するように、ゼーナが押さえた声音で言った。


「あら、やっぱりそれ、魔人つきだったのね。今はいないみたいだけど」


 少々の驚きをみせたウマイマに、バタルはそんなことも分かるのかと思いながら肯定した。


「この短剣の魔人は、おれの願いで妹のファナンの捜索をしてくれてるんだ。でもじっと待ってはいられなくて、ファナンを連れ去ったロック鳥を追って、おれもここまで来た」


 これまでのできごとを思い返し、バタルは目を伏せ、短剣を握った手を額に当てた。


「考えてみたら、この島にファナンがいるんなら、今頃とっくにズラーラが戻っててもおかしくないんだよな。冷静なつもりでいたけど、全然そんなことなかったみたいだ――馬鹿だな、おれ」


 ロック鳥に攫われたことは伝えていたのだから、ズラーラが真っ先にこの島に来ていたとしてもなんら不思議はないのだ。そのことに、ファナンが島にいないと分かってから気づいているのだから世話がない。


(ジャワードは気づいてたかな)


 あの白人アフランジの魔法使いならば、気づいた上でわざとなにも言わなかった可能性が高い。馬鹿は自分だけだったのだろうと、バタルは自嘲した。


主人シディバタルちゃんはそれだけ妹ちゃんが大事ってことでしょう。なにも馬鹿にするようなことじゃあないわ。おかげであたしも、久しぶりに外に出られたし」


 ウマイマがはっきりとした口調で言い、バタルは目を開いて短剣を下ろした。鏡の魔人は色黒の強面に柔らかな微笑を浮かべていて、眼差しも思いやりあるものだった。筋骨たくましい男に和やかな気持ちにさせられるのは初めてだと思いつつ、バタルは自然と、笑みと感謝が口をついて出た。


「ありがとう、ウマイマ」


 すると、ウマイマが急に目を見開いた。かと思えば両頬に手をあて、きゃあと声をあげるものだから、一体なにごとかとバタルは目を点にした。


 ウマイマは黄色い声とも言いがたい叫びをあげながら飛び上がり、突進する勢いでゼーナに身を寄せて手をつかんだ。


「ちょっとちょっとちょっと、今の聞いた! ご主人様シディからありがとうなんて言われたの、何人ぶりかしら! しかも見た? あーんな笑い方して、やだもう可愛くてあたしどきどきしちゃーう」


 再び、きゃあとあげられた野太い声に、バタルの背筋を悪寒が走り抜けた。コッコに対する優しさといい、バタルへの励ましといい、なんて思いやり深い魔人かと、思った矢先に台なしである。内容は褒められているはずなのだが、まるでそんな気がしないのが不思議だった。


 両手をがっちりと握られているゼーナも、ウマイマの圧と勢いに苦笑いをした。


主人シディバタル様はそういう方なんです。魔人として当たり前のことをしただけでも、人に対するのと同じようにお礼を言ってくださる。とても、素敵なご主人様シディです」


 ゼーナが頬を染めて誇らしげに言うものだから、バタルは今度は急に気恥ずかしくなって顔を撫でた。こうして目の前で褒められるのは嫌なものではないが、嬉しさより先に照れくささが表に出てしまう。落ち着かなげにする主人シディを横目に見て、ウマイマは愉快そうにうふふと笑った。


「本当にそうね。魔人にとって、優しいご主人様シディに仕えられるほど素敵なことってないわ」

「別に、そこまでのことでもないと思うんだけどな……」


 むしろ、相手が人間か魔人かで態度を変えるというのが、バタルには理解ができない。魔人の能力は確かに人ではありえぬ強大なものであるし、当人たちが仕えるという言葉を使っている以上は、主従関係が発生するのも変えようのないことなのだろう。けれどもこうして接すれば、外見だけでなく思考や感情も人と変わらなく見えるのだから、必然的に人と同じ接し方になる――と、バタルは思うのだが、魔人たちの反応を見るにそういうものでもないらしい。


 だとしても今さら、バタルは彼らとの向き合い方を変えようとも思わなかった。


「助けられたことに対してお礼をいうのは、当たり前だろう。実際、今日もゼーナとウマイマがいたから、おれは無事でいられたんだ」


 それでふと、バタルは昼間のゼーナとの応酬を思い出した。


「そういえば、ゼーナにまだ謝ってなかった。昼間、巨人の家に入る前にきついことを言った気がするんだ。ごめん。あの時のおれは、本当に正気じゃなかった。止めてくれてありがとう」


 強引だったとはいえゼーナの制止がなければどうなっていただろうかと、バタルは考えた。指輪の魔人は間違いなくバタルを守るだろう。けれどそれでファナンの手がかりを失えば、バタルはゼーナへの願いを使って無理にでも島に残ろうとしたかもしれない。島にもうファナンがいなかったとしても、あの時のバタルには分からなかったのだから。


 ゼーナの制止があったからバタルは時間も願いも無駄にすることなく、コッコとウマイマに出会って、次なる手が増えたのだ。感謝しない理由はなかった。


 ゼーナとウマイマは顔を見合わせると、どちらからともなく笑み崩れた。


「ほら。こういう方なんです」

「そうね。あたしたち、本当に運がいいわ。しっかりスライマンちゃんに感謝しなきゃ」


 笑い合う魔人たちの姿に、なにが楽しいのだろうとバタルはただただ首をひねった。


 生まれ変わりを経験していようとも、所詮は只人ただびとの彼には分からない。道具でしかない魔人たちがいかなる扱いを受け、いかなる理不尽と欲望に身をさらしてきたか。創造主スライマンの意思の中でしか生きられない魔人にとって、彼のような主人シディを得ることがいかに奇跡的で幸福なことか。


 けれど魔人たちはそんな悲哀への理解を求めることは決してなかった。彼らはそれがいかにむなしいことかを知っている。ただこの夢のような出会いが長く続くことを願い、スライマンへの感謝を捧げるだけだ。


 只人バタルと魔人たちの心温かく和やかな語らいは夜が更け、バタルが眠りに落ちるまで続いた。


 そして翌朝――短剣の魔人ズラーラが帰還した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る