14 脱走

「ゼーナ!」


 バタルが叫ぶが早いか、ゼーナは鳥籠ごと主人シディを抱え上げた。今度は横抱きではなく、背中から胴に腕を回して持ち上げられる。バタルも鳥籠を落とさぬよう、しっかりと両腕で抱え込んだ。そのまま飛び上がったゼーナは、脇見せずに窓から飛び出した。


 外に出た途端に、背後から怒号が轟き渡った。巨人の言葉は分からないのでなにを叫んでいるかは不明だが、怒り狂っているのは確かだ。破壊する勢いで扉が開く音も聞こえ、巨人がバタルたちを追ってきたのだと分かる。ゼーナが垂直に飛んで崖の上まで逃れても、巨人は岩壁の階段を駆け上がってすぐに追いついてきた。


「わー! つかまる! 助けてー!」

「じっとしてろ!」


 籠の中で暴れ回るコッコを、バタルは叱りつけた。ゼーナに胴だけを抱えられた態勢は、手足が固定できずただでさえ不安定だ。その状態でどうにか抱えている鳥籠の中で暴れられては、衝撃で落としてしまいかねない。


 巨人が一歩踏み出す度、大地が震えて荒れ地に散らばる小石が踊った。巨人の動きはそれほど速くは見えなかったが、人とは比べものにならない大きな歩幅でずんずんと駆けてくる。ゼーナは必死で逃げてくれているが、やはり運ぶものが不安定では飛びにくいらしい。巨人の住居に侵入した時ほどの速度が出ていない。ゼーナ一人であれば巨人と直接戦って退けることもできるのだろうが、両腕が塞がった今の状態ではままならないのだろう。自分の矜持のために余計なことを言うのではなかったと、バタルは後悔しつつ鳥籠を抱える腕に力を入れた。


「わー! 鏡が! オレ様の鏡が落ちる!」


 コッコがさらに騒ぎ出し、こんな時でさえ自分のことばかりかとバタルは苛立った。


「鏡くらい放っておけ! 食べられたいのか!」

「鏡くらいとはなんだ! オレ様の大事な鏡だぞ! 落としたら声のこと教えてやらないからな!」


 そう脅されては聞いてやらないわけにもいかず、バタルは舌打ちして片腕を伸ばした。


 格子の隙間から、するりと鏡が滑り落ちた。すんでのところで、それがバタルの手に収まる。鏡は午後の陽光を反射し、まばゆく輝いた。その刹那、巨人の動きが鈍ったのが足音で分かった。体勢を崩さぬように背後を見やれば、足を止めた巨人が、虫でも払おうとするように首を振っている。


 揺すぶられるバタルの手の中で、また鏡が光を投げた。巨人が手をかざして顔を背ける。それでバタルは巨人がなにを嫌がっているか気づいた。


 巨人の住居は、陽光の差さない谷底にあった。ロック鳥の巣を襲撃していたのも、日が昇りきらぬ早朝の薄暗がりだった。闇に暮らすわけではないものの、直射日光は苦手としているのかもしれない。


 その推測を確かめるためにバタルは、今度は狙って、鏡に陽光を反射させた。

 鏡面から、金の煙が噴き出した。


「嘘だろ!」

「なんだ、なんだ! なにが起きたんだ!」


 見知った色の煙にバタルは仰天し、煙をまともに浴びたコッコはさらに動転して翼を格子にぶつけた。


 ゼーナの飛ぶ速度に合わせて、煙が空中に金の筋を描いた。散ったかに見えた煙はすぐに寄り集まり、バタルたちと巨人の間で凝固して実体を得ていく。煙の金色は力強き鋼色へと変わり、まさしく鋼のように固く黒く鍛え上げられた肉体の男が現れた。滑らかに剃り上げられた頭が陽光できらりと輝き、そこから一筋伸びる辮髪べんぱつが鞭のようにしなる。


 筋肉の盛り上がった背中をバタルたちに向けた半裸の大男は、迫り来る巨人を見て顔の横で両手を組み合わせた。


「んまああぁ! なんてことなの! こんなに黒くて毛深くて大きなご主人様シディは初めて!」


 男の野太い声で発せられた言葉に、バタルは巨人への恐怖も忘れてぽかんとした。これまで喋り通しだったコッコまでもが言葉を失い、あんぐりと嘴を開いている。唯一冷静さを保っていたのは、指輪の魔人ゼーナだった。


「その方は違います! ご主人様シディはこちらです!」

「あららん?」


 ゼーナの声で大男が振り返った。逃げるバタルたちと、追う巨人の間で、彫りの深い顔をきょろきょろさせ、やっと勘違いに気づいて頬に手を当てた。


「やっだぁ、あたしったら! どうりでおかしいと思ったのよ。久しぶりに呼ばれたから間違えちゃった」


 きゃっ、と少女のように恥じらう仕草をする大男の姿に、バタルの全身の産毛がぞわりと逆立った。彼は誰の味方をすべきか理解し、ゼーナの背中にすぐさま追いついてきた。


「それで、これってどういう状況? なんだか危ない感じ?」


 暢気な調子で問われ、バタルはやけくそ気味に声を張り上げた。


「めちゃくちゃな危機だ! このままじゃ、あの巨人に食われる!」

「んまあ大変! それじゃあなんとかしなくっちゃ」


 大男の姿が溶けて金の煙になった。同時にゼーナが飛ぶ速度を緩め、抱えたバタルごと体を反転させた。たくましい男だった金の煙は、もう巨人の前にいた。煙に視界を塞がれ、ひるんだ巨人がたたらを踏む。攪乱するように巨人の周りで渦を描いた煙は、今度は足もとで凝固した。再び現れた大男が巨人の足を綿でも拾うように片手ですくい上げて見せ、バタルはさらにたまげた。


 どうと大地を震わせて、巨人が後ろにひっくり返った。立ちのぼった土煙が収まらない内に、倒れた体勢のまま巨人の体が浮き上がる。背中側へと入り込んだ大男が、両腕で巨人の大きな体を持ち上げたのだ。巨人が仰天して身をよじるも、大男はそんな抵抗などものともせずに宙へと飛び上がった。


「ちょっと大人しくしなさい」


 しきりに宙を掻いて暴れる巨人を、大男は叱りつける。それでも巨人が藻掻くのをやめないと、彼は頭上に掲げた両腕で、なんと巨人の体を回転させた。仰向けたままコマのように回され、巨人の口から絶叫がほとばしる。回転速度はどんどん上がり、巨人の手足が風を切って音をたてるほどの勢いに達する。


 ついに絶叫が途絶える、大男はゆっくりと回転を止めた。目を回して失神した巨人の手足が力なく垂れ、地面に届きそうになる。少しだけ高度を上げた大男は、回転に巻き込まれぬよう距離をとっていたゼーナに向かって、巨人の体を軽く揺すった。


「これ、どうしたらいいかしら」


 ゼーナは迷う様子で少し首を巡らせたが、すぐに心当たりを思いついたらしかった。


「こちらへ」


 指輪の魔人はバタルを抱えたまま、伸びている巨人の脇をすり抜けて元来た方向へ引き返した。


 ゼーナが大男を案内したのは、巨人の住居だった。失神した巨人を大男が家の中に押し込んでいる間に、ゼーナは荒れ地と谷底を繋ぐ階段の下へバタルを下ろした。


「少し、ここでお待ちください」


 言い置いてから、ゼーナは谷底を飛び回って岩を拾い集め始めた。人間の体よりも大きな岩が次々と運ばれ、巨人の住居の前に積み上げられていく。大男とゼーナの二人で協力して、住居の扉はすっかり塞がれてしまった。岩は頑丈にかみ合っていてびくともせず、これでは中の巨人もそう簡単には出てこられまい。


 ようやく一仕事終えたといった様子で手の平をはたき、ゼーナは大男と連れだってバタルのところまで飛んで戻ってきた。

 先に口を開いたのは、大男の方だった。


「やっと挨拶できるわね。もうっ。呼ばれていきなり緊急事態なんだもの、びっくりしちゃった」


 鋼のような体で腰をくねらせる大男の姿にげんなりしながら、まったくそうは見えないという言葉をバタルは飲み込んだ。それよりも、この後起きるだろうことに気持ちを備える。バタルはとっくに、彼が何者であるか承知していた。例によって、大男はバタルの前に両膝をつき、大きな体を丸めるように叩頭した。


「あたしはスライマンに作られた鏡の魔人ウマイマ。鏡面が太陽にかざされて三度輝いた時、鏡を手に持つ人に仕えて願いを三つ叶えるわ。今回のご主人様シディはなにをお望みかしら」

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