13 家畜

 コッコはしな垂れかかるかのように、鳥籠の格子へと体をすり寄せた。


「もうずっとここに入れられっぱなしなんだ。最初は他にも色んな奴がいたんだが、みーんな食われて、今じゃあオレ様と、そこの意地汚い人間どもだけ。オレ様が賢かったから生き残れたが、このままじゃあ食べられるのも時間の問題だ!」


 おいおいと人間のような泣き声をあげて、コッコは翼で顔を覆った。バタルはいかにも哀れっぽい鸚鵡の仕草よりも、彼の言葉に引っかかりを覚えた。


「意地汚い人間ってのは、おれのことか」


 バタルが気分を害して声を低めると、コッコはあっさりと泣きまねをやめて翼の間から顔を出した。


「は? なに言ってるんだ? オレ様が言ってるのは、そっちのぶくぶくに太った人間どものことだ」


 その言葉にバタルは凍りついた。すぐ隣で、ゼーナが息をのむのも聞こえた。


 糸に引っ張られるような心地で、バタルは恐る恐る扉の方を振り向き、そのすぐ横の餌桶へと目をやった。そこでは先ほどと変わらず、白二頭と黒一頭の合わせて三頭の豚が鶏肉の塊にむしゃぶりついていた。肉塊はもう元の三分の一ほどの大きさにまでなっていて、豚たちの異様な食欲が分かろうというものだ。肉塊にしがみつくように添えられた豚の前脚へと、バタルの視線は引きつけられた。そこに、豚ならあるはずの蹄がなかった。代わりに、むっちりと脂肪のついた五本指がついているのを見てとり、血の気が引いた。


「これが、人間……?」

「ロック鳥の肉なんか食べるからだ。馬鹿な奴らだ」


 吐き捨てるように、コッコは言った。


 背筋の冷たさを意識しながら、バタルは足もとへと目をやった。家畜たちの寝床として積み上げられている布がぼろぼろに裂けた衣服であることは、とっくに気づいていた。問題は、目の前の事象と関連づけた考えた場合と、その量だ。もしこの布の山がすべて、太り過ぎて脱ぎ捨てられた服だとしたら、この山を作るだけの人間がここにいたことになる。


 想像するだに悪夢でしかなく、バタルは吐き気を覚えて胃のあたりを押さえた。


「ロック鳥を食べた動物はみーんなぶくぶくに太って、巨人に食べられるんだ。賢いオレ様、はそんなことにならなかったけどな」


 コッコは得意げにいいながら、鳥籠の中に押し込まれた肉片を嘴で拾い上げた。彼をそれを食べることなく、格子の隙間から外へと投げ捨てる。白く焼かれた肉が湿った音をたてて床に落ちると、それを聞きつけた豚――家畜と化した人間がすぐさま転がってきて、一口で平らげた。ぶよぶよと脂肪のつき過ぎた醜怪な生きものの正体が分かると、途端に嫌悪感をもよおすものとなり、バタルはあとずさった。変わり果てた姿の醜悪さ以上に、人間らしい意識や思考力が失われているのが恐ろしかった。

 コッコが周囲の異常に自力で気づいて生き延びたのなら、賢いのだという自己評価はあながち間違っていないかもしれない。


 鳥籠の中の肉片をすべて捨て終えると、コッコは丸い嘴を格子にこつこつと打ち当てた。


「さあ早くここから出してくれ! 巨人に食べられなかったとしても、このままじゃあオレ様は飢え死にだ」


 痛切に訴えられて、無視できるバタルではなかった。これまでのコッコの態度からするに、嘘だとも思えない。それに、妹ファナンの所在も聞き出さねばならないのだ。

 バタルは満腹になってその場に転がった家畜から目線を引き剥がし、ゼーナの方へと顔を向けた。


「コッコを助けてやろう」

「はい」


 一言でゼーナは意を汲み、バタルの足と背中を支えてひょいと抱き上げて飛んだ。再び横抱きにされたバタルはやはり居心地が悪かったが、すぐに棚の上へと下ろされて息をついた。


「なあ、ゼーナ。おれを抱えて飛んでくれるのはいい助かるけど、今みたいな抱き方はやめないか」


 バタルが控えめに要望してみると、真横に着地したゼーナは不思議そうに緑の目をぱちくりした。


「どこか、お苦しかったでしょうか」

「いや、そうじゃないんだけど。ちょっと居心地が悪いっていうか」


 恥ずかしいと言うのもそれはそれで男の矜持が傷つく気がして、バタルを濁した。案の定ゼーナは理解できていない表情をしていたが、それ以上はなにも聞かずに頷いた。


「かしこまりました。それでは、次からは違う抱え方にします」

「そうしてくれると助かる」


 二人が些細なやりとりする間に、コッコは痺れを切らして翼を鳴らした。


「早くしろ。のんびりしてたら巨人が戻ってきちゃうだろう」

「分かってるから、ちょっと待てって」


 急かすコッコをなだめながら、バタルは鳥籠の方へと歩み寄った。


 棚の上は、下から見た印象よりもずっと混沌としていた。巨人用の大きな道具は下からでも見えていた。けれど棚にのぼってみると、通常の人間が使う大きさの道具までもが、隙間を埋めるように散らばっていた。ナイフや財布、酒瓶など、あらゆる雑多なものが、どれもこれも陰気な灰色の埃に埋もれている。おそらくここで飼育された人間たちが所持していたものなのだろう。だがコッコの鳥籠の周りだけは埃が払われていた。先ほどのように巨人が頻繁に、鳥籠を手にとり確認しているからだろう。


 コッコの傍まできたバタルは、服についた埃を軽くはたいてから鳥籠を持ち上げた。鳥籠の扉に手をかけると、コッコの目が期待に見開かれる。鳥籠の扉を数度引っ張ってみて、バタルは軽く肩をすくめた。


「鍵が閉まってる」

「出られないのか!」

「焦るなって」


 悲壮に叫ぶコッコをなだめて、バタルは鳥籠を持ち直した。


「それほど頑丈ではなさそうだから、壊せると思う。外に出てからやってみよう。もう少しだけ入っててくれ」


 コッコは不服そうに翼を開閉したが、バタルの言葉を渋々とでも飲み込んで大人しくした。


「ううむ。仕方ない。丁寧に扱うんだぞ。あまり揺らされると酔うからな」

「分かった、分かった。行こう、ゼーナ」


 指輪の魔人を促し、バタルは棚の横にある窓の方へと足を踏み出した。

 一歩進んだ瞬間、間近で固いものが落ちる音がしてバタルはすぐに足を止めた。それは、甲高い金属音であるようだった。

 なんの音かとバタルが反射的に足もとを見ると、手に収まるほどの円形の鏡が落ちていた。


「しまった。それを拾ってくれ」


 頼み込むようにコッコが言ったが、彼の持ちものとしてはずいぶん意外な気がした。


「お前の?」

「お前じゃない。コッコ様だ」


 驚きで呼び方を失念したバタルを、コッコはすかさず叱った。


 怪訝に思いつつも、バタルは鏡を拾い上げた。片手で持てる円形の鏡には、繊細な蔓草文様が彫り込まれた金の縁がついてた。文様の様子から上辺と思しき縁には、薄赤いの珊瑚がひとつ填め込まれている。ずしりと重さのあるその鏡は小振りではあっても、それなりの値打ちはありそうに見える。コッコの鮮やかな羽色にばかり目がいって、鳥籠の中にこんなものが入っていたとは気づかなかった。


「鸚鵡が鏡を持ってるなんて。一体なにに使っているんだ」

「この場で一番輝いているものを、オレ様が持つのは当然だろう。オレ様の美しい羽をいつでも眺められるしな。ほら、早く返してくれ」


 自意識の高さもここまでくれば尊敬にあたいする。妙に人間くさいとは思っていたが、鏡が必要なほど身だしなみに気を遣うとは、ますます変わった鸚鵡だ。


 返さなければずっとわめき続けるだろうと思われたので、バタルは格子の隙間から鏡を差し入れてやった。コッコはすぐに近づいてきて、鏡の前でくるくると回りながら自身の姿を映してご機嫌に頷く。


 手のかかる鸚鵡だと思いながら、バタルは鳥籠を抱え直した。


 ようやく出発できると、バタルが思った矢先だった。今度は棚の下で大きな音がした。バタルは飛び上がるほど驚いて、床を見下ろした。


 ロック鳥の肉を貪っていたはずの人間が、餌桶に体を半分突っ込んだまま床の上に転がっていた。おそらく餌を食べ尽くしてしまったものの、まだ食べ足りずに桶をなめ回している内にひっくり返ってしまったのだ。大きく肥え太っているせいで、倒れた衝撃も音も大きく響いたのだろう。しかも体が桶にみっちりとはまり込んでしまったらしく、ぶよぶよの足をしきりに蠢かせて、石床の上をごろごろと転がっていく。ついには扉にぶつかってそれ以上転がれなくなり、子供のように泣き叫び始めた。わんわんと響き渡るその慟哭に、バタルは状況の悪さを悟った。


 予感に違わず、慌ただしい足音と共に飼育部屋の扉が開いた。


 泣き声を聞きつけて扉を引き開けた巨人は、餌桶に体を突っ込んでいる人間をすぐさまつかみ上げた。桶を持って軽く振った程度では人間は抜けず、足をつまんで両手でぎゅうぎゅうと引っ張り始める。肥え太った人間の泣き声が悲鳴に変わり、あまりに哀れな声にバタルは絶えきれず耳を塞いだ。その拍子に、持っていた鳥籠が大きく揺れた。コッコがびっくりしてわっと声をあげ、格子にぶつかった鏡が甲高い音をたてる。


 音に気づいて棚を見上げた巨人と、目が合った。

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