11 侵入
なにもできないまま、ただ待つというのは、大変にじれったいものだった。不安と焦燥にじりじりとさいなまれる時間は、普段以上に長く感じられる。ゼーナが巨人の住処の偵察に出て、まださほど経っていないことは影の角度で分かったが、それでも今のバタルには永遠のように思われた。
巨人が顔を出してからというもの、ファナンの声も聞こえなくなっている。気を揉んだ末にやはり自分も行くべきかと、バタルがいよいよ考え出した頃、ようやく動きがあった。岩壁に穿たれた窓から、金色の煙が漂い出てきたのだ。
煙は影の中できらめく軌跡を描きながら、バタルのもとへと真っ直ぐに飛んでくる。待ちわびて立ち上がったバタルの前で煙は一塊となり、輪郭を現して男装の乙女へと姿を変えた。乱れた栗色の髪を背中へと払うゼーナに、バタルはとり縋るように詰め寄った。
「ファナンは」
開口一番に、バタルは期待を込めて問うた。けれどゼーナがやや眉をひそめたのを見て、途端に不安が大きくなる。指輪の魔人は、一瞬迷う素振りを見せてから答えた。
「それが……それらしい方はどこにもいませんでした」
「そんなはずない」
反射的に、バタルは否定した。
「ゼーナだって声を聞いただろう。あれは、ファナンの声だった」
「ですが……」
「絶対に、あの中にいるはずなんだ」
反論する間を与えずに畳みかけるバタルに、ゼーナは眉尻を下げて困惑をあらわす。縋りつくバタルの眼差しにゼーナはつかの間考え込み、唇を湿した。
「では、今度はバタル様も一緒に行きましょう。妹君を知っているのはバタル様ですから、わたくしでは分からなかった手がかりを見つけられるかもしれません。中の構造はもう分かっていますから、危険がないように案内します」
ゼーナの提案に、バタルは一も二もなく飛びついた。
「そうしよう。やっぱり、じっと待ってるなんて無理だ」
「では急ぎましょう。今ならまだ、見つからずに入れるはずです」
言うなり、ゼーナはバタルの膝裏へ腕を入れた。そのまま背中を支えて横抱きに持ち上げられ、バタルはぎょっとする。いくら魔人とは言え、大の男がうら若い娘に軽々と抱き上げられる絵面は、あまり格好がつかない。そんなバタルの心理などお構いなしに、ゼーナは重さを感じさせない動作で飛び上がる。重力に反する浮遊感に、バタルは慌ててゼーナの首にしがみついた。
次にゼーナが地面に足をつけた時には、もう巨人の住居の真正面にいた。指輪の魔人はバタルを抱いたままもう一度地を蹴り、先ほど煙になって出入りした窓枠に飛び乗る。そこでようやくバタルを下ろすと、窓枠の縁に身を屈めて、部屋の中を覗き込んだ。バタルも彼女にならって、中の様子を窺った。
覗き見た部屋は、居室ではなく家畜の飼育部屋であったようで、バタルはひどく驚いた。窓の位置から遙か下に見える床には、元の色が分からないほど汚れてすり切れたぼろ布が敷き詰められていた。厚く層になっているその上には、よく太った白豚二頭と黒豚一頭の合わせて三頭、なかば埋もれるように寝転がっている。丸々とした豚たちは、時おり四肢で寝床の布や宙を掻く以外はほとんど動かず、遠目では眠っているのか起きているか判断ができなかった。
飼育部屋に巨人がいないことをよく確認したゼーナは、バタルを再び抱き上げて部屋の中へと飛び降りた。部分的に布がとり除けられた窓下の一角へと、緩やかな降下で着地する。豚たちは特に騒ぎ出す様子はなく、無気力に転がったままだ。
近くで見ると、豚たちは思った以上に大きな体をしていた。体長も横幅も、成人男性の身長と同じくらいはありそうだ。全身がぶよぶよとたるむほどに脂肪がついており、どう見ても運動不足で太り過ぎている。このような体では腹が邪魔で、四肢で歩くのも困難なのではとさえ思う。だからずっと寝転がったままで、ほとんど動かないでいるのだろう。
バタルは家畜独特の獣臭さに軽く鼻を押さえながら、音をたてぬよう気をつけて布の山を踏み分け、改めて室内を見回した。
巨人の体に合わせて作られている部屋は、この一室だけで一般的な住居が何軒も入りそうな広さがあった。これだけ広大な部屋をたったの豚三頭で使っているのだから、ずいぶんと贅沢なことだ。開口部は入ってきた窓の他には扉が一つそびえているだけで、その扉の横には空の餌桶が無造作に置かれている。豚の飼育に必要最低限のものが置かれているだけの室内は、石壁の無機質さも相まってひどく殺風景だった。
「この部屋から声がした気がしたけど、人はいなさそうだな」
巨人に聞こえないよう声量を抑えて言ったバタルに、ゼーナも同じように声を低めた。
「はい。わたくしもそう思ってここから探してみたのですが、見当がはずれたようで」
「この他に部屋は?」
「その扉の向こうが居間と調理場になっていて、あとは寝室があります」
ゼーナの説明に、バタルは意外に思って目を見張った。
「たった三部屋? こんなにでかいのにか」
「先ほどすべて見ましたから、間違いありません」
「規模感が狂うな……」
あまりに大きな建造物なので
「とりあえず、他の部屋も見に――」
「きゃー! 助けてー!」
バタルの声を掻き消す悲鳴が、室内に響き渡った。声は間違いなく今いる飼育部屋の中で聞こえて、バタルは心臓が止まったかと思った。慌ててもう一度、室内に視線を巡らせる。しかしどれだけ目を凝らしても、三頭の豚が寝転がっているだけで、妹どころか人の姿すら見当たらない。
「ファナン! ファナン、どこにいる!」
「助けて、兄さーん!」
やはり声は間近に聞こえる。しかしどんなに周囲を探そうと、それらしい姿はまるでなかった。
「ファナン! どこなんだ!」
「誰だ、そりゃ」
呼びかけに答える声が、唐突に変わった。口調だけならず、声色までががらりと違っている。その声は澄んだ娘のものでなく、ややしゃがれのある少年の声に聞こえた。わけが分からず、バタルは怪訝に眉を潜めた。
「ファナン、近くにいるのか」
「知らないぞ、そんな奴」
また少年の声だ。その声が頭上からすることに気づき、バタルは首を反らせた。壁の上の方へと視線を滑らせると、窓のある壁に棚が作りつけられているのを見つけた。横木に板を渡しただけの簡易な棚には、水差しやランプなど雑多な日用品が無秩序に並んでいる。
その棚の、窓から遠い方の端に、この場では明らかに場違いなほど鮮やかな緋の色彩があった。小さな鳥籠に入れられたそれは、緋に瑠璃の差し色が入った翼をばたつかせ、白い嘴を格子の隙間から突き出した。それは、極彩色の
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