9 天敵
バタルが仮眠から目覚めると、枝葉の隙間から見える空は淡く白み始めていた。ロック鳥も普通の鳥と変わらず日の出と共に起き出すらしく、唸るような鳴き声が遠くから聞こえている。
体を起こしてみれば、西の空にはまだわずかに夜の気配が残っており、寝過ごしてはいないらしいことにバタルはほっとした。
「おはようございます」
かたわらからゼーナの声がして、バタルは軽く目をこすりながら振り向いた。
「おはよ、う……」
見慣れぬ姿がそこにあり、バタルは驚いて挨拶の語尾がぼやけた。横たわっていたバタルを見守れる位置に座っているのは、確かにゼーナだ。しかし彼女はいつもの舞踊衣装を身に着けておらず、代わりに男物の
ぽかんとして見詰めるバタルの視線に、ゼーナはやや居心地悪そうに体の前で両手を組んだ。
「その……やはり、おかしいでしょうか」
自信なさげな様子でゼーナが瞳をさまよわせ、バタルは慌てて我に返った。
「いや、おかしくない。おかしくはないけど……なんでおれとお揃い?」
問われるとゼーナはなぜか恥ずかしそうに頬を染め、上目づかいにバタルの方を見た。
「バタル様に言われて、自分がどうしたいか考えてみたんです。それで、まず一番にしたいことは、誰よりもバタル様の近くにお仕えして、お役に立ちたいということだったんです。それで、同じ服を着たら、もっとバタル様のお近くにいられるのではと……」
言いながら、自身の論理のおかしさに気づいたらしく、ゼーナの言葉はどんどん尻すぼみになっていった。しょげたように俯いてしまった魔人の姿に、バタルは笑い出しそうになるのを必死で堪えた。彼女なりに一生懸命に考えて、これを着ようと思ったことに意味がある。少々ずれていたとしても、これまで自分の意見や意思を表現せずにきた彼女には大きな一歩であるはずだ。ここで笑ってゼーナの心を折ってしまっては悪手になることは、バタルにも分かった。
「よく似合ってる」
バタルの言葉に弾かれたように、ゼーナは顔を上げた。まだ震えている緑の瞳を、バタルは正面からとらえた。
「そんなに心配しなくていい。よく似合ってる」
言い含めるように、バタルは繰り返した。緑の瞳でじっとバタルを見詰め返してそれを聞いたゼーナは、やがて安堵したように顔をほころばせた。
実際、姿勢のよいゼーナに男物はとても見栄えがした。もちろん女性らしい色香のようなものは薄まっているが、それ以上に凜々しさが備わって、バタルとしてはこちらの方が好ましくすら思えた。男女でお揃いの服というのは正直かなり気恥ずかしくはあったが、今のところ誰かに見せるわけでもないので、ゼーナが自分の気に入る服装を見つけるまでは我慢してやろうと、バタルは決めた。
バタルとゼーナがそうしたやりとりをした直後だった。鼓膜を突き刺すようなロック鳥の声が轟き渡った。
見つかったかと思い、ぎょっとしてバタルは頭上を見上げたが、枝葉から覗く空に鳥影はない。けれど声は数を増やし、複数羽のものが重なって絶え間なく続く。脳天に響くようなけたたましさにバタルはたまらず耳を塞ぎ、正体を探して首を巡らせた。
「なんなんだ一体。なにが起きてるんだ」
「巣でなにかがあったのかもしれません」
「行ってみよう」
即座に立ち上がって森を出たバタルは、ロック鳥の巣が見える位置まで身を低くして藪の中を移動した。ロック鳥を警戒しながら慎重に、藪の隙間から目を覗かせる。少し先に昨夜登った岩の斜面があり、日が差す前の薄暗がりの中にロック鳥の巣も確認できる。しかしそこにある光景に、バタルは度肝を抜かれた。
人がいた。ただの人ではない。船のように大きなロック鳥よりも、さらに大きい――巨人だ。
バタルは驚きに思わず声をあげそうになり、慌てて口を押さえた。
二本足で立ち上がって歩く姿は、まさしく人と言えた。けれどその足でしゃがみこんでロック鳥の巣を覗き込んだその大きさは、あまりにも人とかけ離れていた。周りで騒いでいるロック鳥がただの鷲にしか見えないことからも、その桁外れな巨大さが分かろうというものだ。
巨人は、黒く硬そうな毛に全身が覆われていた。顔や手の平には白い肌が見えているので、歩く姿を見ていなければ猿と思ったかもしれない。顔は山の岩肌のようにごつごつと彫りが深く、髭が生えていることから男だろうと思われる。
威嚇の叫びをあげて飛びかかるロック鳥を、片手に持った棍棒を振って遠ざけながら、巨人はもう一方の手を巣へ伸ばした。大きな手で巣の中からつかみ出されたのは、斑点模様のある卵だった。怒り狂ったロック鳥の悲鳴が耳をつんざいた。
卵をとり返そうと、親鳥がさらに激しく爪と嘴を突き出す。猛烈な攻撃にさすがにひるんだのか、巨人は不快げに顔を歪めた。かと思えば、持っていた極太の棍棒を振り上げて、なんと親鳥を叩き落としてしまった。脳天を砕かれてあっという間に動かなくなったロック鳥は、鈍い音をさせて岩の上に落ちた。
仲間がやられたことで、周囲でやかましく絶叫していたロック鳥たちは急に身を引いた。威嚇の声はあげているが、攻撃をしかける様子はない。巨人は死んだロック鳥の羽毛の中に卵をしまいこむと、まとめて抱え上げて巣に背中を向けた。その足どりは、卵に加えて親鳥まで手に入れて機嫌がよいのか、外見に似合わず軽快だった。
凄まじいものを見てしまった心地で、バタルはついつい詰めていた息を吐き出した。
「見たか、今の」
「はい。見ました」
分かりきっていることを思わず口にしたバタルに、隣で同じように身を潜めていたゼーナは律儀に答えを返した。バタルは一度ロック鳥の巣から目を離して顔を下げ、頭を抱えて唸った。
「あんなのがいるなんて聞いてないぞ」
昨夜、巣を調べた時に遭遇しなくて本当によかったと、バタルは心の底から思った。あんなものに出てこられては、ロック鳥どころの話ではない。
「どうなさいますか」
項垂れるバタルを気づかうように、ゼーナが目線を下げて問いかける。バタルはつかの間、呻いて考えたあと、やっと顔を上げて、もう一度ロック鳥の巣の方角を窺った。ちょうど、山の陰へと巨人の背中が消えていくところだった。
「あの巨人のあとをつけてみよう。どうせ今はロック鳥が興奮してて、巣に近づけない」
「承知しました」
バタルとゼーナは身を屈めたまま方向転換をして、ロック鳥の巣が集まる場所を回り込むように、藪を進んだ。
ロック鳥に見つからぬよう藪や森の深いところを選んで進んだのでかなり遠回りになったが、幸いにも追う相手が巨大であるために、その背中をすぐに見つけることができた。巨人は、短い草がちらほらと花を咲かせている荒れ地をずんずんと歩み、巨人の背丈では腰ほどの深さになる森を踏み分けていく。その大きさゆえに多少離れても簡単に見失うことはないが、一歩が大きいので、油断するとすぐに距離が開いてしまう。
少しも息つく暇もなく、バタルは必死で、巨人の毛むくじゃらな背中を追いかけた。
ロック鳥を担いだ巨人は、島に二つある山の間に向かっているようだった。山に挟まれた荒れ地は影が濃く落ちかかり、他の場所よりずっと日当たりが悪く地面に露出する岩肌も多かった。巨人が縄張りとしているからか、あれほど騒がしかったロック鳥も入り込んでこないようだ。けれど身を隠せる場所がほとんどないので、バタルは巨人が荒れ地を通り抜けるまで、手前の森の藪から様子を窺った。
巨人が荒れ地のちょうど中央辺りに差しかかった時、その頭の高さが急に低くなった。
なにかの見間違いかと目を凝らすバタルの視線の先で、巨人の体が一歩進むごとに地面へと沈み込んでいく。やがて巨人の大きな体が完全に地面へと消えてしまい、バタルは周囲を警戒しつつ藪から走り出た。
山間の荒れ地へ出ると、途端に風が強くなった。山と山の狭い隙間を、他に行き場のなくなった風が走り抜けていく。ターバンを飛ばされぬよう片手で軽く押さえながら、バタルは荒れ地を軽やかに駆け抜けた。
巨人が姿を消した辺りに着くと、そこにあったのは長大な地面の裂け目だった。ここまでやや登り坂になっていた上に、ちょうど山の影が濃くなる場所だったため、バタルが隠れていた位置からでは岩場に隠れて見えにくくなっていたのだ。
裂け目は、山間の荒れ地を完全に分断するほどの規模があった。これを越えようと考えるなら、それこそ空が飛べなければ無理だろう。ほぼ垂直に切り立った縁から足を踏み外そうものなら、谷底に叩きつけられて一巻の終わりだ。けれどおそらく、巨人はこの裂け目の下へと降りていったのだろう。
足を滑らせぬよう膝をつき、注意深く身を乗り出して谷底を覗き込む。そうして見つけたものに、バタルは肝をつぶした。
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