8 孤島

 波で堆積した砂浜と、海藻が貼りついて滑りやすくなった岩場をしばらく歩いて、バタルはようやく岩壁の上へ登れる場所を見つけた。ほぼ垂直に切り立つ岩壁ばかりの中で緩い傾斜となっているその場所は、地面がもろくなっていたが、足の置き場に気をつければ問題はなかった。


 崖の上は、人の手が入らぬ木々が鬱蒼とした森になっていた。けれどそれは縁の方だけで、少し歩けばすぐ、背の低い草が蔓延る荒れ地に出た。どうやら島全体はほぼ岩であるらしく、草の間には灰色の岩があちこち露出していて、緩くのぼる傾斜の先はまた岩壁がそびえている。さらにその先、島の中心には尖った二つの山が天を突くようにたたずんで、風雨に削られた岩肌を見せていた。


 その山の周りを巡るように飛ぶ鳥影を見つけて、バタルは慌てて木々の下へと戻った。ゼーナの手も引いて、絡み合う根の隙間に身を伏せる。幸いロック鳥はバタルたちの存在には気づくことなく、山の陰へとすぐに姿を消した。


「あそこに巣があるんだ」

「そのようですね」


 真っ直ぐ山に向かいたいところだが、開けた荒れ地を歩けばすぐにロック鳥に見つかってしまうだろう。遠回りにはなるが、バタルたちの姿を隠してくれる森の縁を辿っていくのが、一番安全で確実に見えた。ゼーナに願って連れて行って貰うという方法もあったが、今はまだ妹ファナンの行方が確かでないので、身を守る最終手段として温存しておきたかった。


 ロック鳥に見つからぬよう慎重に歩を進めたバタルたちが、山麓の藪に辿り着いた時には、東の空に星が輝き出していた。西の水平線では、溶けた鉄のように赤くとろりとした色合いの太陽が、海に沈み始めている。その赤い黄昏の中、虹海の向こうから巣のある山を目指して、ロック鳥の影がいくつも飛んでくる。十は下らないだろうその数に、これまで見てきたロック鳥が一部に過ぎなかったと分かり、バタルは身を隠す藪の中で自身の肩を抱いた。


 山の岩肌に作られた巣へ、一羽ないし二羽ずつ、ロック鳥の巨体がすっぽり収まっていく。そのまま巣の中をぐるぐると歩き回るような動きを見せていたが、夜の訪れと共に身を丸めて動かなくなった。


 バタルは油断せず、身じろぎするロック鳥がいなくなるのを待ってから、夜陰に乗じて茂みから滑り出た。


「急いで巣を調べよう」

「お手伝いします」


 ごく低めた声でゼーナと囁き合いながら、バタルは月明かりを頼りに山の岩肌へと素早く身を寄せた。両手をつき、きつい斜面を四肢でもってのぼっていく。そんなバタルの横を、ゼーナは音もなく体を浮かせて抜かしていった。山の上へ上へと向かうゼーナの背中に、高い位置の巣を確認してくれるつもりなのだと分かる。登るのが困難な位置は彼女に任せることにして、バタルは一番低い場所にある巣へと這うように忍び寄った。


 その巣では、一組のつがいが折り重なるように眠っていた。その圧倒的な大きさに改めて身が凍る。痛いほどに早鐘を打つ胸に手を当て、バタルは息苦しさで喉が鳴りそうになるのを堪えた。巣の横で身を伏せ、悲鳴をあげそうな自身を落ち着かせようと試みる。深呼吸を繰り返してどうにか感情を抑え込んだ上で、バタルはようやく巣の縁に手をかけて中を覗き込んだ。


 ロック鳥の巣は、枯れ枝や倒木を幾重にも積み上げて作られていた。大きな籠のように頑丈に組み上げられた巣の底には、柔らかな羽毛と枯れ草が厚く敷き詰められていて、寝心地はよさそうである。バタルはそのままゆっくりと巣の周りを一周してみたが、内側のほとんどはロック鳥の体に隠れてしまっていて、つぶさに捜索することは困難だった。


 かといって、さすがにロック鳥が眠る巣の中にまで忍び込む度胸はなかった。起こさずに済んだとしても、その巨体でうっかりつぶされてしまえば、ひとたまりもない。とり急ぎ見える範囲に人の姿がないのを確認して、バタルは次の巣へと移動した。


 ロック鳥を起こさぬよういくつもの巣を回るのは、大変に神経がすり減るものだった。しかも夜闇の岩場では、月明かりがあるとはいえどうしても足もとがおぼつかない。あちこち擦り傷を作りながらバタルは巣を覗いて回ったが、これでは埒が明かないと判断して、崖下の藪へと一旦引き返した。右手の指輪をはずしてこすれば、山の上の方にいたゼーナもすぐに戻ってきた。


「ここでの捜索は終わりですか」


 不思議そうに問うゼーナに、バタルは首を横に振った。


「このままじゃあ、見つかるものも見つからない。少し作戦を考えよう」


 身を縮めるようにしてさらに茂みを移動し、頭上を守ってくれる木々のあるところまで戻った。月光が遮られるほど密に繁茂する森の中、ほぼ手探りで小枝を拾い、できるだけ小さく火をおこす。最低限の視界を確保したところで、バタルは手近な木に背中を預けて腰を下ろした。


「なんか、ずいぶん静かだな」


 火を挟んで向かいに座ったゼーナに言うと、彼女も気づいた風で頷いた。


「わたくしも、気になっていました。この島には、ロック鳥以外の動物はいないのでしょうか」

「やっぱりそう思うよな」


 バタルが違和感に気づいたのは、ロック鳥の巣から引き返して火の準備を始めてからだった。荒れ地が多いとはいえこれだけ木が茂っている場所があるならば、獣や長虫が出てもおかしくない。けれども、バタルたちが茂みを移動する間も、森を歩く間も、木々が風にざわめくばかりで生き物らしき気配がまるで感じられなかった。ロック鳥以外の鳥の声ひとつしないのだ。


 これまでロック鳥にばかり気をとられて意識していなかったが、落ち着いて夜闇に身を置くとその異様なまでの静けさが際立ち、かえってバタルたちを警戒させた。


「なにも出なきゃいいんだけど」

「なにが出ようと、わたくしがバタル様をお守りします」


 不安がる主人シディに、指輪の魔人は力強く宣言する。それを心強く思う一方で、彼女のひたむき過ぎる実直さにバタルはつい笑いをこぼした。あまり笑っては失礼とも思って口元を押さえるバタルに、ゼーナは首を傾けた。


「わたくしは、おかしなことを言ったでしょうか」

「いや、そうじゃないんだ。ごめん」


 謝罪を口にしながらも、ゼーナの成熟した見た目と言葉づかいに反して幼さの見える仕草に、ほほ笑ましさを感じてしまう。盗賊や海賊船長、はてはロック鳥までもをいなしてみせた姿を思い出すと、本当に同一人物なのかと疑いたくなる。


「守ってくれるのはすごくありがたいし、おれも心からゼーナを頼りにしてる。そもそもゼーナがいなかったら、今のおれは存在してないわけだし。ただ、ゼーナの場合は、もうちょっと自分のことも考えていいんじゃないか」


 バタルの言葉が思いもよらなかったのか、ゼーナは緑色の目を見張って数度瞬いた。


「自分のこと、ですか?」


 いまいち理解しきれない様子でぽかんとするゼーナに、バタルはどう伝えたものかと頭をひねった。


「例えば、おれの言ったこと全部に頷くんじゃなくて、嫌だとか気に入らないだとか、間違ってると思うことがあれば言ってくれて構わない。もっとこうしたい、みたいなことでもいい。ゼーナは大魔法使いスライマンが生み出した魔人なんだろう? それなら色々な世界や文化、歴史を直に知っていて、たくさんの悪人も善人も見てきてるはずだ。一回生まれ変わってる程度のおれじゃあ、遠く及ばないくらいの。そういうゼーナの意見なら、聞く価値はあると、おれは思う」


 バタルが言葉を重ねるごとに、ゼーナは一言一句を聞き逃すまいとするように前のめりになっていた。真摯な眼差しで息を詰めている魔人に、バタルは自然と目元をなごませる。


「ゼーナには、ちゃんと自分で考えて判断を下したり、実行したりするだけの能力がある。だから、主人シディだからと言って、おれに対してあまり盲目的にもなって欲しくないんだ――まあ、これはおれが慣れなくて、こそばゆいってのもあるけど」


 少々説教臭くなってしまった照れから、最後は苦笑いしてお茶を濁した。それでも届くものがあったらしく、ゼーナはバタルを見詰めながら言葉を探すように何度も唇を湿している。彼女の言葉を引き出すにはもう少し踏み込みが必要だろうかと考え、この際ならばとバタルはずっと気にかかっていたことを問いとして投げかけた。


「おれに対して意見を言うのが難しかったら、まずは自分の身につけるものに意識を向けてもいい。例えばその服は、自分で選んで着てるのか?」


 出会った当初からゼーナが身につけている舞踊装束は、彼女の体を扇情的に強調するものだった。正直、こうして真面目に向かい合っている今でさえも、意識していなければ、こぼれ落ちそうな胸元や腰布に透ける脚線美に目を奪われそうになる。


 引き寄せなくていいものを引き寄せる可能性があったので町を並んで歩くのは憚ったものの、彼女が好きでその格好でいるのならば、バタルは特になにも言うつもりはなかった。しかしもしそうでないのなら、話は違ってくる。


 ゼーナは初めて意識したといった顔で、自身の体を見下ろした。


「この服は、バタル様の前のご主人様シディがお好みだったんです」

「あー……なるほど」


 とんだ助平がいたものだと、バタルは眉間を押さえた。バタルとて健全な男なので気持ちが理解できないとは言わないが、それを実行に移すとなると話は別である。そのような事情であるなら、もっと早く聞いてやるべきだったと、バタルは少々申しわけない気持ちになった。


「そんな格好をしろって言われて、ゼーナは嫌じゃなかったのか」


 これだけ露出が多いのはさすがに辱めに近い気がして、バタルが思わず問うと、ゼーナは目線を自身の装束から主人シディへと戻した。


「いいえ、それほどでは。その前のご主人様シディの時にはもっと――」

「待った。それ以上は言わなくていい。変なこと聞いて悪かった」


 ゼーナの言葉を遮りながら、下には下がいるものだと、バタルはげんなりした。こんな主人シディが続いていたのだとしたら、彼女の認知に歪みが生じていても仕方ないのかもしれない。従順過ぎる彼女が、過去の主人シディたちを図に乗らせた側面もあるだろうが、それで許されていいはずもあるまい。


 一度咳払いをして気をとり直し、バタルはゼーナに向かって人差し指を立てた。


「それじゃあ、その服から考えていこう。その服が気に入っているならそのままでもいいし、他に着たい服があればそうしたらいい。どういう格好をしたとしても、それがゼーナの意思によるものなら、おれはなにも口出ししない。これはおれの命令でも願いでもなくて、ゼーナが自分で考えることだ」

「わたくしの意思……」


 咀嚼するように口の中で呟くゼーナに頷きながら、バタルは焚き火に小枝を投げ込んだ。


「今すぐじゃなくてもいいから、またゆっくり考えてみたらいい。さあ、雑談はこれくらいにして、ロック鳥の巣をどう家捜やさがしするか作戦を立てよう」


 語調を改めたバタルは手近な枯れ枝を広い、火で照らされた地面に図を描き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る