3 奇襲

 サージビアの港で出会った船長は、ガザンファルと名乗った。砂漠の窪地に隠された財宝の話に、彼は始めこそ眉唾な様子でいたが、街の外に隠していた空飛ぶ木馬を見るとすぐさま関心を示した。


 そこでバタルは、ジャワードを船に残し、ガザンファル船長を木馬の後ろに乗せて、砂漠の洞穴へ向かった。普通に地上を行くと往復で何日もかかるだろうが、空飛ぶ木馬なら明日には戻れるだろう距離だ。


 目的の窪地に着き、バタルが呪文で洞穴の入り口を開いてみせると、ガザンファルは驚くよりも興味津々にはしゃぎ、中に入るとさらに感嘆の声をあげた。


「こいつはすげぇ!」


 ガザンファルは長身を子供のように弾ませて、財宝の山へ意気揚々と駆け寄った。その後ろ姿を視界の端に置きながら、バタルはまばゆいほどの金銀に埋め尽くされた洞穴の中を改めて見回した。山となった財宝は昨日に見た時とまったく変わりなくそこにあった。他の誰かがここに来たらしい痕跡がないことを確認したバタルは、身を屈めてポケットに金貨を押し込んでいるガザンファルの背中に歩み寄った。


「本当の話だったろう」

「こりゃ確かに、いっぺんに積もうなんてしたら船が沈んじまう。君主スルターンの宮殿だって買えそうだ。一生遊んだって釣りがくる」


 上機嫌に言ったガザンファルは体を伸ばすと、今度は宝箱にまとめて立てられた百振りの宝剣に手を伸ばした。いくつか掻き分けて気に入ったものを見つけたのか、黒の鞘に金装飾が華やかな一振りの三日月刀を引っ張り出す。鞘から抜き放ったそれを篝火かがりびにかざし、ガザンファルは自身の髪と同じ色に輝く刀身をあらゆる角度から眺めた。


 ガザンファルの威圧感ある見た目に反した無邪気な様子を、バタルは目をすがめて眺めた。


「それだけ持って、そろそろ戻ろう。もうこれは全部あんたのものだ。また改めて仲間を連れてきて運んだらいい」

「おう。そうだな」


 返事をしながら、ガザンファルは三日月刀の振り心地を確認するように手首で数度回転させた――直後、バタルの方へと切っ先が飛んできた。白刃の向こうでガザンファルが残忍に笑い、瞳が野蛮に光る。


 まずい、とバタルが思ったその瞬間、視界が金色の煙に覆われた。ガザンファルの顔が見えなくなると同時に、苦悶の呻きが間近であがる。バタルが状況を理解する前に煙は消え失せ、瞬く間に明瞭になった視界に現れたのは、舞踊装束の娘に地面へ組み伏せられているガザンファルの姿だった。


 指輪の娘魔人ゼーナは、うつ伏せたガザンファルの長身を膝で押さえ込み、細腕一本で彼の利き腕まで封じてみせていた。


ご主人様シディへの手出しはわたくしが許しません」


 涼やかながら怒気のこもった声で、ゼーナは言った。突然訪れると同時に過ぎ去った危機に、バタルは瞬間的に上がった心拍数を抑えようと胸に手を当てた。


 とても堅気には見えないガザンファルがバタルを殺そうとするだろうことは、少なからず予測はしていた。素行の悪い人物であろうからこそ取引できると踏んでここへ連れて来たが、見た目をまったく裏切らない悪党っぷりに逆に感心する。ゼーナが助けてくれるに違いないと思えたからこそできたことではあるものの、やはり心底、肝が冷えた。


「ありがとう、ゼーナ。また助けられた」

「いいえ。これがわたくしの役目ですから、お気になさらないでください」


 ゼーナはガザンファルを押さえたまま、本当になんでもないようにほほ笑んだ。彼女が味方で本当によかったと思いながら、バタルは地面で藻掻いている男を見下ろした。


「だあ、くそっ! なんなんだ一体!」


 まだ状況が理解できていない様子で、ガザンファルは首やら足やらを跳ねさせて悪態を吐いている。その程度でゼーナの体勢がびくともしないのを確認してから、バタルは彼の正面に身を屈めた。


「おれに危害を加えようとするからだ。ここでおれを殺せばここの財宝がそのまま手に入ると思ったんだろうが、残念だったな」


 ガザンファルが目論んだろうことをあえて口にしてやれば、彼は上目にバタルを見上げた。続いて首を反らせて背中のゼーナの方を見やり、忌々しそうに舌打ちして抵抗をやめた。諦めのため息をつきながら、ガザンファルは脱力して顎を地面に置いた。


「美女に乗られるのは嫌いじゃねぇが、できれば乗る側を希望したいもんだな。一体どこから出てきやがった、この馬鹿力の姉ちゃんは」


 この状況でよく下品な口が叩けたものだと、バタルは呆れ返った。


「あんたみたいな奴が、どうしてサージビアで水軍のまねごとをしてるんだ」


 抱いて当然だろう疑問に、ガザンファルは目だけでバタルを見上げ、皮肉げに口の片端を上げた。


「こっちだって好きでやってるわけじゃねぇ。ロック鳥だの食人鬼グールだので航行がままならねぇんじゃ商売あがったりなんだよ。そしたら港を守るのに船も人も足りねぇってんで金を積まれたから、傭兵まがいのことをしてやってるってだけだ。あちらさんとしても、おれらみたいのに頼みたかねぇんだろうが、お互い背に腹はかえられねぇってこったな」


 ならず者の手を借りねばままならぬほど、虹海沿岸の被害が広がっているのかと、バタルの中で苦い思いが湧いた。


 ガザンファルはすっかり大人しくはなったが、やはり押さえられたままでは窮屈なようで、長身を数度よじった。


「おい。スライマンに誓ってもうなにもしねぇから、そろそろ放してくれ」


 意気を失った懇願に、バタルは少し考えてから、まずは足もとに落ちたままの宝剣を拾って遠くへと投げた。さらに、うつ伏せるガザンファルの周りを一周して、彼の身につけている舶刀はくとうと短剣もそれぞれ抜きとって手の届かぬ距離へと注意深く放る。


 そうして見える限り武器になるものを遠ざけてから、バタルはもう一度ガザンファルの正面に立った。


「ゼーナ、もう放して大丈夫だ」


 指輪の魔人は頷いて、慎重にガザンファルを解放した。それでも警戒は解かず、なにかしようとすればすぐにとり押さえられる距離を保ったまま、素早くバタルの傍に立った。


 ようやく自由を得たガザンファルはようよう体を起こして、疲れ切ったようにそのまま地面へ座り込んだ。細身のわりに太さのある腕には、握った指の形の鬱血が、重ねた日焼けの上からでもはっきりと分かるほどに濃く浮かび上がっている。それを痛そうにさすりながら、ガザンファルはゼーナの方を恨めしげに一瞥した。


「そそる女だが、こんな馬鹿力じゃかえって不能にされそうだ」

「彼女に失礼なことを言うな」


 口の減らない様をバタルが咎めると、ガザンファルは視線を移していやらしく笑った。


「馬鹿力のご奉仕で、並の女じゃ相手できなくなってんじゃねぇのか、兄ちゃん」

「本当にいい加減にしやがれ。また黙らせられてぇのか。あと、ゼーナはそういうのじゃない」


 一体どんな暮らしをしていたらこんなに下品な言葉が次々と出てくるのかと、露骨な表現への不快感からバタルの言葉もつい荒れた。ところがその反応にガザンファルはなぜか満足げな表情を見せ、一変して嫌みなくあっさりとした態度で両手を顔の横に上げた。


「へいへい。おれが悪かったよ。で、どうすんだ。おれを捕まえて突き出すか?」


 抵抗する気はないという意思表示に、ガザンファルはあげた両手をさらにひらひらと揺らした。彼の急な開き直りにバタルはすっかり鼻白み、本当に縛り上げてやろうかと考えたが、思い直して軽く首を振った。


「そんなことはしない。最初の約束の通り、ロック鳥の島へ案内してくれたらここの財宝は全部あんたのものだ」


 ガザンファルは意外そうに片眉を上げて、へぇ、と声を漏らした。


「殺されそうになったってのに、ずいぶんと心の広いこった」

「あんたが分かりやす過ぎるんだ。あんたみたいな奴と二人きりなんて、危なすぎてなんの準備もなくできるか」

ちげぇねぇや」


 同意して豪快に笑うガザンファルに、単純なようでなんと理解不能な男なのだろうとバタルは思った。砂漠を一緒に旅してきた白人アフランジの魔法使いもつかみどころがない人物だが、それともまた別種のわけの分からなさだ。根本的な思考回路からバタルと違っている。


 ガザンファルを理解するのは困難そうだと判断し、バタルはそれ以上深く考えるのはやめて話を進めた。


「それで、受けてくれるってことでいいんだよな」


 バタルからの改めての確認に、ガザンファルは軽い調子で肯定した。


「ああ。これだけのお宝を見せられて、断る道理もねぇ。分捕ぶんどるにも、この姉ちゃんにはかないそうにねぇしな。ただし、だ。ここまで乗ってきた木馬も込みでよこせよ」

「木馬も?」


 意外に思ってバタルは問い返すと、ガザンファルはやれやれと言いたげに肩をすくめた。


「お宝だけ貰っても、運ぶもんがなきゃなんもできねぇだろう」

「一度に多く運ぶならいっそ駱駝らくだとかの方が――」

「分かってねぇなぁ」


 呆れ声で言って、ガザンファルはバタルの顔を下から覗き込むように身を乗り出した。


「どうせいっぺんに運べやしねぇんだから、必要な時に必要なだけとりに来た方が楽にきまってんだろう。しかもおれは海賊だぜ? お宝の為とはいえ毎回毎回、何日も砂漠を歩くなんざまっぴらだかんな。木馬なしなら、この話もなしだ」


 あくまで自分の主戦場は海だと主張したいらしい。正直、目の前のガザンファルの行動も含めてこの先なにがあるか分からないことを考えると、空飛ぶ木馬という無二の足がなくなるのは痛手になりそうにも思う。


 少し思案して、バタルは隣のゼーナに意見を求めた。


「どう思う?」


 ゼーナはバタルと目線を交わして、胸元に手を当てた。


「なにがあってもわたくしが主人シディバタル様をお守りしますし、願われればどこへなりともお運びします。あとは、ご主人様シディのお心のままに」


 問う相手を間違えたろうかと、バタルはちらと思った。魔人としての教えが強固なせいか、ゼーナは自身の意見を言うのは不慣れらしい。咄嗟の判断でバタルを生まれ変わらせるだけの思い切りのよさと機転はあるのだから、非常にもったいない気もする。


 時間をかけて考え抜いた据え、バタルはようやく決心した。


「分かった。木馬もあんたにやろう。その代わり、ロック鳥の島まで間違いなくおれを連れて行ってくれ」


 ガザンファルがにやりと笑い、勢いよく立ち上がった。反射的に身構えたバタルたちに向かって、彼は真っ直ぐに右手を差し出した。


「契約成立だ」

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