2 船乗り

 歌の聞こえる船に近づいてみると、遠目の印象よりも全長があり、船上の水夫たちは見える範囲だけでも数十人はいるようだった。年齢から背格好、国籍まで様々に見える男らが息を合わせて立ち働く姿は、陽気な労働歌も相まっていかにも楽しげだ。


 バタルとジャワードがその船を真っ直ぐ目指して埠頭を歩いていると、一番小柄な水夫が気づいて、船端ふなばたの手摺りから身を乗り出した。


「兄ちゃんたち、なにか用かい」

「この船はなんの船なんだ」


 小柄な水夫の人懐っこい口調につられて、バタルが気さくに返すと、今度は柄の褪せたターバンを巻いた水夫が、手を止めてこちらを見下ろした。


「あんたらよそ者だな」


 言葉は荒いが突き放す声色ではなかったので、バタルは素直に頷いた。


「今日着いたばかりなんだ」

「こんな時にサージビアに来るたあ、もの好きだな。なんにもなくて驚いたろ」

「ああ。虹海有数の港って聞いてたから、こんなに静かだとは思わなかった」

「船が出せねぇからな。近くの港はどこもこんなもんだ」


 男は軽い口調で言ったが、名の通ったサージビアの港でこのありさまなのだから、小さな港ではさらに深刻に違いないと、バタルは思った。


「それで、これはどういう船なんだい。すぐに海に出られそうな船はこれだけみたいだけど」


 バタルの投げかけた疑問に、今度は真っ黒に日焼けした上半身をさらした水夫が、小柄な水夫の頭上から見下ろすように首を伸ばして答えた。


「この船は海を見張ってんだ。定期的に巡視して、食人鬼グールの船が見えたら港に近づかれる前に追っ払うのがおれたちの仕事だ」

食人鬼グールが出るのか」


 バタルが思わず声を大きくすると、小柄な水夫が半裸の水夫を押しのけながら胸を反らせた。


「出る! 沖の方から、黒いボロ船が走ってきやがるんだ。最初の一回は上陸されてっけど、おれらが雇われてからはまだ一度もない」


 小柄な水夫は得意げに笑って言ったが、聞かされたバタルは愕然とした。虹海の向こうのマシュリカ国で増えているという食人鬼グールが、もう手の届くところまで来ているのだ。ある程度の予想はしていたとはいえ、バタルが考えていた以上に状況は逼迫しているようだ。


「ロック鳥が出るっていうのも、虹海だったろう?」


 深刻になるバタルの横からジャワードが言うと、ターバンの水夫は忌々しそうにちょっと顔を歪めた。


「ロック鳥の方がずっと厄介だ。食人鬼グールは船で来るし、船上の経験はこっちの方がずっと年季が入ってっから、追っ払うだけならそう難しくねぇ。多少悪くしても、群れの頭さえ叩けばどんな形勢でもすぐに逃げてく。だがロック鳥はそうはいかねぇ。やたらでけぇ上に空から来るからな。空を飛べねぇ人間様じゃあ分が悪すぎる。島で大人しくしててくれりゃあいいのに、なんでこんなに出てきやがるようになったんだか」

「そのロック鳥の島って、どこにあるんだ」


 サージビアの街まで来た目的に話題が及んだとみたバタルがすかさず問うと、ターバンの水夫は胡乱げな眼差しを向けた。


「そんなことを聞いてどうする」


 他の水夫たちも不審そうな色を見せたが、バタルはひるまなかった。


「行き方を知りたいんだ。場所を教えてくれるだけでいい」

「正気じゃねぇぜ、兄ちゃん!」


 小柄な水夫が声を張り上げ、これまで会話に参加していなかった水夫たちまでどよめいて船端に集まってきた。海で鍛え上げられた男たちの迫力にバタルがぎょっとするかたわらで、ジャワードは関わるまいとばかりに数歩後ろへと退いた。


「やめとけ兄ちゃん。死にに行くようなもんだ」

「度胸試しなら、もっと他にできることがあるだろう」

「同じ男として危険に飛び込みたくなる気持ちは分かるが、勇気と無謀ははき違えちゃいけねぇ」

「まだまだわけぇんだから早まるな兄ちゃん」


 矢継ぎ早に次々と言葉をかけられて、バタルはたじろいだ。まだロック鳥の島に行く理由も口にしていないのに、各々で勝手な解釈がされている。否定をしようにも、返事をする暇を与えて貰えなければ当然ままならない。潮焼けで真っ黒な男らに詰め寄られ困り果てたバタルは、助けを求めてジャワードへ目線を向けたが、彼はあさっての方角を向いて我関せずの態度であった。


(この野郎……)


 白人アフランジの魔法使いの薄情さに、バタルは内心で悪態を吐いた。彼がこういう人物であることをとっくに承知してはいても、やはり腹は立つ。


 その時、船上でしわがれた怒号が轟いた。


「てめぇら、うるせぇぞ!」


 船縁から身を乗り出していた水夫たちの顔が、一斉に引っ込んだ。後ろを振り返った水夫たちの向こうから、同じ声がさらにわめいた。


「一体なんの騒ぎだ」


 小柄な水夫が手摺りに上り、自身の存在を主張するように声をあげた。


「船長! ロック鳥の島に行きたいって言う兄ちゃんがいたんで、みんなで止めてたんでさあ」

「ロック鳥の島だあ? どこの気違いだそいつは」


 気違いと言われて、バタルはさすがにむっとした。事情も心得ぬ見ず知らずの人間に、そこまで悪く言われる筋合いはなかろう。


 バタルが気分を害していると、船端の水夫たちが声の主に道を空けるように左右に分かれた。屈強な男らの間を抜けて姿を見せたのは、意外にも細身の男だった。上背のあるその男の顔には、右のこめかみから頬にかけて大きく引き攣れた傷痕があった。それが彼の人相をたいそう凶悪なものにしており、目が合わずともぞっとするほどの威圧感を放っている。傷痕のせいで外見から年齢が判然としないが、中年には差しかかっていそうだ。


 派手なスカーフで束ねた濃いオレンジ色の長髪を潮風になびかせながら、船長だという男は不遜にバタルを見下ろした。


「てめぇか、気違いは」


 男の尊大な様子にバタルはますます反感を覚え、眉間に皺を寄せて睨みつけた。


「初対面の人間に気違いと言われる筋合いはない」

「ロック鳥に自分から食われに行こうってやつなんか、気違いに決まってるだろう」

「食われに行くわけじゃない。人を捜してる」

「人捜しだあ?」


 船長は怪訝に顔をしかめた。そうすると、彼の人相の悪さに拍車がかかった。バタルはひるみそうになるも、負けまいと腰と眉間に力を入れ直した。


「家族がロック鳥に連れ去られたから、行方を捜してる」

「そりゃご愁傷様。もう食われちまってるよ」

「どうして断言できる」


 バタルが思わず食ってかかる口調になると、船長はいかにも嘲る様子で鼻を鳴らした。


「逆に聞くが、どうして食われてない可能性があると思う。島まで行ったところで見つかりゃしねぇよ。あって食べかすだ。そんなもん見ちまう方がむごいだろう」


 一番可能性の高い事実をはっきりと口にされ、バタルはぐっと言葉に詰まった。短剣の魔人ズラーラもバタルの願いに対して同じように可能性は提示したが、ここまで明確な言い方はしなかった。しかし、そのズラーラは捜索からまだ戻っていない。すなわち、少年魔人にもまだファナンの生死がつかめていないということだ。


「確かめるまでは、可能性はある」


 目を怒らせて、バタルは押し出すように言った。ズラーラが戻らない。むしろそれこそが今は希望だ。

 船長は興ざめしたように顎を上げて、拳を震わせるバタルを睥睨へいげいした。


「ああ、そうかい。そんじゃまあ、せいぜい頑張れ」


 これ以上話す気はないという意思表示として背中を向けた船長は、集まっていた船員たちを散らすように手を振った。


「おら、手を止めてんじゃねぇ。仕事に戻れ」


 その一声で、水夫たちは後ろ髪引かれる仕草を見せつつも、各々の持ち場へと戻っていく。船長もすぐに、船端の手摺りから身を離した。


「待ってくれ」


 バタルが声を張って呼び止めると、船長はいかにも面倒そうに歪めた顔で振り返った。


「なんだよ。おれらも暇じゃねぇんだ」

「いくらだ」

「あ?」

「いくら出したら、ロック鳥の島まで案内してくれる」


 船長は目を細めてしばらくバタルを見詰めてから、傷がない側の口角を上げた。


「おれと取引しようってか」


 凄むように低めた声で言った船長を、バタルは正面から見詰め返した。傷跡のある顔は、間違いなく他人を恐れさせる効果を持っていた。燃えるようなオレンジ色の髪が堂々たる獅子のような威厳までをも彼にもたらしていて、畏怖にも似た緊張からバタルの手の平に汗がにじむ。


 気持ちを落ち着かせるよう息を吸ってから、バタルは船長の表情をまねるように口角を上げた。


「海上戦の技術と経験があって、島の場所も知ってるんだろう? しかも、今この港で船を出せるのはあんたたちだけだ。無茶を言ってる自覚はある。だから金に糸目はつけない。いくらで頼まれてくれる」


 船長はおもむろに体ごと向き直った。その厳しい眼差しが、バタルの足先から頭の先まで、くまなくじっくりと時間をかけて往復する。値踏みするような視線を向けられるのは落ち着かなかったが、バタルは堪えて、じっと彼の返答を待った。やがて、気が済んだように船長は息を吐いた。


「どうしたって命懸けになる。並の報酬じゃあ動けねぇよ。見たところ大した金は持ってなさそうだ。あんたにゃ無理だ。諦めな」


 船長の答えは、バタルの予想に違わないものだった。しかし、ここで引き下がれはしない。


「金のあてがあると言ってもか?」

「どっかの君主スルターン宰相ワジールとお友達だったら考えてやらぁ」

君主スルターンの報奨金よりも、割がいいかもしれないぞ」


 バタルがはったりでなく自信を持って言えば、船長はやや驚いたように片眉を上げた。そのわずかな表情の変化で、獅子を捕らえたとバタルは確信した。この船長は、きっと話に乗る。その証拠に、厳しいばかりだった眼差しに、少年じみた好奇心がちらついている。


 バタルは一語一語を際立たせるように、はっきりと言い放った。


「砂漠の盗賊の、財宝の在処ありかを知ってる。この船じゃあ積みきる前に沈むだろうほどの財宝だ。それを全部くれてやる」

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