第2幕 おしゃべり鸚鵡(おうむ)と人食い巨人

1 港町

 砂漠の東。虹海こうかいに面したサージビアの街に足を踏み入れたバタルは、すっかり寂れた街並みに言葉を失った。初めての地ではあるので以前の姿を直に知っているわけではないが、それでも交易の要衝都市として伝え聞いていた印象とずいぶんかけ離れている。


 もちろん、都市としての面影が失われているわけではない。街を囲う石造りの外郭は故郷ジャヌブの町のものより高さも厚みも倍はあろうかという堅牢さであるし、石畳が敷かれた目抜き通りの幅は横断に何秒もかかりそうなほど広い。道の両側に並ぶ家々は高さこそジャヌブと大きくは違わないが、一つ一つの幅が明らかに広く、赤いレンガ壁に漆喰で描かれた幾何学文様が大変に鮮やかで美しかった。目抜き通りの先、街の中心でひときわ高くそびえる丸屋根の神殿にはいくつもの尖塔ミナレットがそそり立ち、真っ白な大理石の壁面で日光を照り返し輝いている。


 これほどの大通りであれば通常、道の両側にところ狭しと露店がのきを並べ、怪しげな魔法使いもあちこちで離れ業を披露し、そこに集った民衆がひしめき合うように絶えず往来しているものだ。しかし今はどれだけ歩いても、露店の多くが畳まれてしまっていて、そこを歩く人の姿もまばらだった。


「これが、商隊キャラバンの人たちが言ってた、ロック鳥と食人鬼グールの影響?」


 アウジラール国、随一の港街とはとても思えぬありさまに、バタルが呆然と呟けば、隣を歩く白人アフランジも視線を巡らせた。


「そうだろうね。思った以上にひどいみたいだ。傭兵が歩いているところを見ると、もしかしたらすでに食人鬼グールが虹海を渡ってきているのかもしれない」


 言われてみれば確かに、ちらほらと行き交っているのは長剣を提げた男が多く、屈強な者も少なくないようだ。正直、あまり治安のいい街の風景とは言いがたい。余計な揉めごとを避けるにも、指輪の魔人ゼーナを一緒に歩かせなくて正解だったかもしれない――彼女は今、右手中指の指輪の中にいる。


 バタルたちが盗賊の隠れ家を発ったのは、昨日の朝のことだ。


 盗賊が所有していた空飛ぶ木馬に興味本位で乗ってみたところ、見た目にも速いとは感じていたが、普通の馬など比でない速度が出せることがはっきりした。それでも乗りこなすには慣れが必要であったため練習がてら砂漠を飛び回り、世話になった商隊キャラバンを見つけ出して、盗賊からとり戻した荷物を届けた。さらに木馬を何度か往復させて、捕らえた盗賊たちも彼らに引き渡した。熟練の隊長が率いる彼らならば、町へ着いたのちに、しかるべき対処をしてくれるだろう。


 そうして一日かけて空飛ぶ木馬を乗りこなせるようになったバタルは、虹海にあるロック鳥の島を目指すべく、魔法使いジャワードと指輪の魔人ゼーナと共に、サージビアの街へやってきたのだった。力強く飛ぶ木馬であれば、食人鬼グールが出没するという虹海も渡れるのでは、と考えたのだ。


 今は短剣の魔人ズラーラが妹ファナンの捜索をしてくれているので、本来ならバタルがこれほど行動する必要はないかもしれない。けれど、ただ待つというのはあまりに心が落ち着かず、少しでも可能性のある場所ならば出向かずにはいられなかった。


 虹海に面した一番大きな街ならば、ロック鳥の島の情報も手に入りやすいだろう。そう期待してサージビアの街まで来たバタルたちだったが、どうやら早々に雲行きが怪しそうである。港街といえば埠頭に近づくほど人と物が増えると相場が決まっているが、どうしてか潮の香りが濃くなるほど、さらに目に見えて人通りが減り、無人と分かる荒れた建物が増えていった。やがて開けた港の景色に、バタルは言葉もなく立ち尽くした。


 サージビアの港は、バタルの育った外海の漁港とはまったく違う顔をしていた。まずなにより、海の色が違う。


 白く突き出した埠頭の先には、澄み渡った翠玉色エメラルドグリーンの水が彼方まで広がっていた。陽光を浴びて絶えず七色にきらめくさまは、まさしく虹海の名にふさわしい。海面は穏やかにたゆたい、波のいただきに散りばめられた光が、溶け合おうとする空と海とを切り分けている。白く泡立つ暗色の海ばかりを見てきたバタルは、ひとくくりに海と呼ばれるものにもこれほどの違いがあるのかと、大変な衝撃を受けた。


 この鮮麗な海上に、沸き立つ雲のごとき帆を広げた商船が集い走る姿は、どれほど雄大で心躍るものか、想像に難くない。しかし今は、沖に一つの船影も見えず、埠頭にもやい綱で繋がれている数隻は、帆をはずされて眠るように船体を揺らしているばかりだった。


 停泊している大小の船の多くは、それなりに手入れされてはいるものの、長く海に出ていないことが見てとれた。舳先や帆桁ほけたが折れたまま修理されずに置かれているものも何隻か見受けられるのは、いつ再び海に出られるか分からない状況ゆえだろう。船を維持できずに、放棄した持ち主もいるのかもしれない。


 そういった船を横目に眺めながら埠頭を歩いてみると、常なら貨物がたんと詰め込まれているだろうレンガ倉庫の屋根や壁が、あちこち崩落しているのが目立つ。ロック鳥の襲撃によるものだろうかと考えると、故郷の市場スークでの惨劇が嫌でも思い出されて憂鬱になった。潮風を切ってすれ違うのも、水夫や荷役人夫ではなく、三日月刀を提げた見回りの傭兵ばかりだ。


「砂漠の反対側がこんな状態だったなんて、全然知らなかった……」

「自分の暮らしに大きな影響が現れていなければそんなもんだ。まあ、影響が出た頃には、えてして手遅れなものだけどね」


 ジャワードの皮肉に、バタルは苦々しく口を引き結んだ。彼の言う通りだ。不都合が自身に降りかからなければ、あらゆる問題の多くは衆人の目には些末に映る。ジャヌブの町で砂漠の向こうの危機を叫ぶ者は、バタルの知る限りいなかった。バタルとて、故郷がロック鳥に襲われ、妹までが攫われていなければ、目の前にある事態を知ることもなかったし、こうして砂漠を渡ってくることもなかっただろう。


 そんなバタルの沈鬱を察してか、ジャワードは励ますように肩に手を置いた。


「少なくとも君は、知るための行動を始めた。妹を救うためとはいえね。まだまだ水際で頑張れる段階だ。ついでにロック鳥が行動範囲を広げた原因を突き止められれば、君は英雄になれるかもしれない」


 ロック鳥の被害が虹海に留まらず、砂漠やさらにその向こうの港にまで及び始めているとなると、すでにアウジラール国全土の危機と考えて相違ないだろう。虹海に接した諸国はどこも似たような状況だとも予想できる。妹を無事にとり戻せたとしても、同じ悲劇が繰り返されては、確かに意味がない。英雄になりたいとは思わないが、大切な者たちがこれ以上脅かされないための方法は考える必要があった。被害が虹海沿岸の国のさらに外まで広がる可能性とて、十分にありえるのだ。


(いざとなったら、ゼーナとズラーラがいる)


 大魔法使いスライマンの魔人がついているというのは、バタルを大変心強くさせた。彼らへの願いはあと二つずつ。それだけあれば、この危機を退けることもできるはずだ。


 バタルがそうして思索にふけった最中だった。陽気な歌声が、潮風に乗ってバタルの耳に届いた。単調ながら軽快で耳に心地よいこの節回しは、水夫の労働歌だ。漕ぎ出す船もないのに一体どこからと思い、歌声のする方角を見定めれば、埠頭の中央に停泊している船の上の人影が目についた。よく見ればその船だけは帆桁が下ろされておらず、三枚の三角帆を広げればすぐに出航できる状態のようだ。静まり返っている埠頭でその船にだけ水夫が集まり、歌の節に合わせて甲板を整えている様子は、少しばかり異様にも思えた。


 隣を歩くジャワードも同じように感じたらしく、歌の聞こえる方角を見て言った。


「あそこだけは、なにやら景気がよさそうだね」

「荷を積んでいるようには見えないけど」


 貿易のために出航準備をしているならば、荷役人夫が船の周りで作業をしているはずだが、賑やかなのは船上だけに見えた。


「行ってみようか」


 ジャワードの提案に、バタルは興味に背中を押されるまま頷き、陽気に歌う水夫たちの方へと足を向けた。

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