13 願いごと

 娘魔人の真っ直ぐな言葉に、バタルは急に気恥ずかしさを覚えた。自分は今、かなり気障きざなことをしなかっただろうか。気にし出すとゼーナとの距離の近さまでが俄然、意識され、彼女が纏う舞踊装束の露出の多さを思い出して目のやり場に困った。


 淡い小麦色の肌と、こぼれ落ちそうな娘の胸元から、バタルは意識して目をそらした。


「そういえば、まだ分からないことがあるんだが」


 できるだけ気を散らすように、バタルは話題を移した。


「さっきゼーナが、最初におれがいたのは別の世界だって言ってたけど、それってどういう意味なんだ」

「そのままの意味だ」


 答えたのは、短剣の魔人ズラーラだった。顔を向ければ、少年魔人は幼い口元を歪めてこちらを見ていた。なぜか少々機嫌が悪いようにも見受けられるが、彼の機嫌のよい顔というのもまだ見たことがないので実際の感情は読みとれない。


 ズラーラは、上衣ペロンの襟元を落ち着かなげに引っ張りながら続けた。


「世界っていうのは平行していくつも存在している。それぞれ地形や気候が違うし、時間の流れ方にも差がある。文化や棲んでる生き物も、多少似たものがあったとしても同じとは言えない。おれたちがいるここだって、たくさんある世界の内の一つだ」


 生まれ変わりの話もまだ完全には受け止めきれていない中、さらに話の規模が大きく広がり、バタルは面食らった。


「国や大陸とは違うものなのか」


 自分が分かるものに置き換えて理解しようとするバタルに、ズラーラは数度瞬いてから首を縦に振った。


「似たように考えてもいいと思う。ただ、同じ世界にある国や大陸は陸路なり海路なりで行き来ができるものだけど、世界と世界の間にはそういうみちになるものがないから、普通は存在を認識できない。でも、スライマンは知っていた」


 またスライマンか、とバタルは思った。この砂漠に住む者で大魔法使いスライマンの名前を知らない人間はいないが、信仰や伝説として語り継がれ、記録されている内容以上に、様々なことをやってのけているようだ。実際、スライマンが作った魔人の存在など、今日彼らに出会うまでまるで聞いたことがなかった。


 ズラーラはどこか遠くを見詰めるように、琥珀の瞳に焚き火の光を映した。


「スライマンに作られた魔人は世界を渡れる。前のご主人様シディの願いをすべて叶えた魔人が、新たなご主人様シディを求めて別の世界へ行くのは珍しくない」

「わたくしがバタル様に最初に拾われたのも、新しいご主人様シディを捜している時でした」


 ズラーラの話を肯定する形で、ゼーナが言葉を継ぐ。


 バタルはもう一度だけ、右手の指輪を一瞥した。彼らの話をすべて信じるならば、この指輪を再び手にできたのは、途方もない確率ではなかろうか。主人シディを求めるゼーナの執念があったからこそなのだろう。


「ズラーラも、別の世界へ渡ったことがあるのか」

「そう言ってる」


 バタルの問いに、ズラーラは当たり前だとばかりに即答した。


「一つの世界に留まっていると、近しい人間同士だけで受け渡されるばかりにもなりやすいから」


 なるほど、と腑に落ちて、バタルは顎を撫でた。魔人たちが絶えずいくつもの世界を往来し、一つの土地に留まることが少ないのだとしたら、明確に存在を伝える話が残りにくいのも頷けるかもしれない。


「魔人が特定の個人や集団に占有されにくいようになってるってことか。よく考えられてるんだな」

「君は知らずに何年も持っていたようだけどね」

「うるさい」


 ジャワードの横槍を一蹴して、バタルは握ったままだったゼーナの手を一旦離した。体の角度を変え、魔人が二人とも視界に入る向きで座り直す。思うところがあり、バタルは二人の目を交互に見やってから語調を改めて問うた。


「願いっていうのは、なんでもいいのか」


 指輪の魔人ゼーナは頬へ手を当てて、少し考える素振りを見せてから答えた。


「基本的には、どんな願いでもお聞きします。魔人の禁忌に触れなければ、という条件つきなので、本当になんでもと言えるわけではありませんが」

「そういえば、死者を生き返らせるのは禁じられているって言ってたな。他にも、そういう禁止事項が?」


 重ねられた問いに、ゼーナは居住まいを正して答えた。


「一番の原則として、スライマン様の定められた原理を歪める願いは叶えられません。例えば、叶えられる願いごとの数を増やして欲しい、のような。わたくしたち魔人は自我を持つとはいえ、スライマン様の魔法から生じているに過ぎませんから。創造主の意思はなにより優先されます」


 彼らが本当に大魔法使いスライマンの作ったものだとしたら、強大な力を持っていることは間違いないだろう。悪用されないためには、ある程度の制約が設けられていても仕方ないのかもしれない。願いごとを三つより増やせない以上、有効に使えるよう慎重に考えねばなるまい。


 ゼーナの説明を自分なりに咀嚼しながら、バタルはさらに内容を掘り下げる方向へ話を促した。


「他にできないことは?」

「殺生と、感情を操ることは禁じられています。ですから、誰かを殺して欲しいという願いや、誰かを自分に惚れさせて欲しいといった願いは叶えることができません」


 だから洞穴における乱闘で、ゼーナとズラーラは盗賊を拘束しただけで殺さなかったのだと、バタルは理解した。そうでなければ今頃、洞穴は死体で埋め尽くされていただろう。もしもの光景を想像してしまい、バタルはぞっとした。


「なんでもとは言っても、人倫には反するなってことか。さすが、正しき者の味方スライマンの魔人だな。その気になれば殺しができるだけ、人間の方ができることがあるとも言えるのか」

「禁じられてはいるけど、不可能って意味じゃない」


 バタルの呟きに被せるように、ズラーラが否定した。焚き火越しに、少年の狼に似た瞳と視線が合った。


「魔人だって殺しができないわけじゃない。ただ、その後に待っているのが自身の死ってだけだ」

「魔人が死ぬ?」


 バタルが瞠目して問えば、ズラーラはゆっくり頷いた。


「人間のように死体になるわけじゃない。魔人は基本的には不死身だから、首を落とされても胴を半分にされても死ぬことはない。ただ、禁を犯せば簡単にその身の魔法が解けて消滅する。人倫というよりは、魔人を暴走させないための制限だ。生死や人心の操作を自由にできたら、魔人はたやすく人間を滅ぼせる。一人一人がそれくらいの力は持っている」


 バタルを映す、少年魔人の瞳の輝きが鋭さを増した。


「魔人に殺しを命じるということは、魔人自身に死ねと言うのと同じだ。それでも強く押し通されて消えた魔人を、おれは知ってる。なんだかんだ言っても、ご主人様シディには逆らえない」


 どれほど万能に見えても、魔人とはずいぶんと不自由なものであるらしい。ズラーラも魔人である以上は見た目通りの子供ではないのだろうが、彼のどこか擦れた印象はそういったものを見てきたゆえなのかもしれない。


 ジャワードが鼻で笑うように息を漏らした。


「そういう主人シディに当たってしまったら、運がなかったと思うしかないだろうね。人間同士でもただの道具扱いは珍しくないんだから、魔人なんてますますだろう」


 そうかもしれない、とバタルも内心でジャワードに同意した。人であっても使い捨てや売買の対象とすることは当たり前に行われている。人に使われることを目的に作られた魔人であるなら、それ以上にひどい扱いを受けていても不思議ではないだろう。


 それを裏づけるように、ズラーラが口を開いた。


「実際、魔人は道具だ。人に使われなければ存在理由がなくなる。過去にどんなに酷いご主人様シディと出会っていたとしても、新たなご主人様シディを求めないではいられないんだ。この感情と行動だけは自分でもどうしようもない。多少の選り好みは覚えるようにはなるけど」

「選り好みって、どうやって?」


 バタルがつい興味を持つと、ズラーラは口の片端をかすかに上げた。少年魔人が初めて見せる、笑みらしき表情だった。


「やばそうなご主人様シディだったら、できるだけ小さい願いごとを拾って、さっさと叶えてさっさと離れる。同じご主人様シディに二度仕えることはないから、それで完全にさよならだ」


 つまり、願う側も誠実でなければ、適当にあしらわれて終わる可能性もあるわけだ。これまでの会話で、魔人たちも人と同じように感情を持ち、思考していることは明白だ。ある程度の見切りや強かさがなければやってはいられないのだろう。


「ズラーラから見て、おれはどういう主人シディに見える?」


 問いかけられ、ズラーラは再び表情を消した。炎を映してきらめく琥珀の目が、じっとバタルを見詰める。ふと、鋭い目元が弓形に細まり、今度は口の両端が上がった。そうして笑うと、少年魔人の見た目の幼さが際立つようだった。


「いいご主人様シディだ。魔人の話にこんなに耳を傾けてくれるご主人様シディは、滅多にいない。この出会いに、スライマンへの感謝を捧げる」


 ズラーラが断言すると、ゼーナも同意するように笑顔で頷いた。


「そうか……」


 魔人たちからよい印象を持たれているらしいことに、バタルはひとまず胸を撫で下ろした。これならば、彼らを信頼して願いを託せるだろう。


 バタルは一度息をついてから、改まって魔人の名を呼んだ。


「ズラーラに、一つ目の願いごとをしたい」


 少年魔人は、笑みを消してバタルを見た。真っ直ぐなその眼差しで先を促されているのだと分かり、バタルは彼の瞳を見詰め返して願いを口にした。


「ファナンを助けてくれ」

「ファナン?」

「おれの妹だ」


 ズラーラの疑問に即座に答え、バタルは素早く言葉を継いだ。


「ロック鳥に連れ去られて、行方が分からない。お願いだズラーラ。妹を見つけて、助けてくれ」


 今のバタルにとって、魔人の力が一番の希望だった。別の世界にまで行ける彼らならば、ファナンを見つけるのもたやすいに違いない。


 バタルの縋る眼差しを受けて、ズラーラは少し考えるように唇を湿した。


「そのファナンという名前の妹を探すことはできる。ただし、生きている保証はできない。さっきの話の通り死者を生き返らせることは禁じられているから、すでにロック鳥に食われてた場合、それを知らせる以上のことはできない。それでもいいか」


 念を押すように言われ、バタルは言葉に詰まって唇を噛んだ。ズラーラの提示した可能性が大きいことはバタル自身も十分に分かっている。それでも、はっきり言葉にされると、心臓を握り込まれるような痛みを覚えずにはいられなかった。


「……それでいい」


 バタルが絞り出すように答えると、ズラーラは立ち上がって早足に傍まで来た。焚き火を背にしてバタルの正面に膝をつき、地面に額を押し当てて平伏する。


主人シディバタル、一つ目の願いを承った。妹ファナンを探し出し、可能であれば救い出して連れて来よう」


 ズラーラはすぐに顔を上げて立ち上がった。


「おれが戻るまで短剣を手放すな。それがないと今度はおれがご主人様シディを見失う」


 釘を刺すように言われ、バタルは革帯に挟んでいる短剣に手を当てた。一度落としたのを教訓に、今は紐でしっかりとくくっている。


「大丈夫だ。もう落とさない――ファナンのこと、頼む」


 バタルの言葉にズラーラが頷くと、少年の姿が溶けるように揺らいで黄金色の煙へと変わった。煙は一塊になったまま夜空へ真っ直ぐに飛び上がり、数多の星の間を走る流星のように尾を引いて彼方へと飛び去る。瞬く間に星に紛れ消えた輝きをなお追うように、バタルは冴え渡る砂漠の星空を見詰めた。


 不意に肩に触れる者があり、バタルは視線を下ろした。ほほ笑むゼーナの緑の瞳がそこにあった。


「きっと、妹君はご無事です」

「そうだとも」


 ジャワードも声をあげ、振り向いたバタルに嫌みでない笑みを向けた。


「君には魔人が二人も従っているんだ。そんな君の妹なら、スライマンの加護もさぞ強力に違いない。あとは、短剣の坊やができるだけ早く戻ることを期待しよう」


 魔人だけでなく白人アフランジの魔法使いにも言われると、バタルは心強さを覚えた。ジャワードは性格に難があるが、嘘や気休めは言わない印象があったのだ。


「――ありがとう」


 バタルはもう一度、満天の星を仰いだ。





 悪しきは遠ざけられよ。かの者たちに偉大にして高潔なるスライマンの恩寵あれかし。




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