12 生まれ変わり

 日が落ち始めれば、夜の訪れはすぐだった。周囲の岩山はひゅうひゅうと音をたてているが、窪地の底の風は穏やかだ。時おり馬がぶるぶると身を震わせるのを聞きながら、魔人二名を含めたバタルたちは砂の上で火を囲み、洞穴でのあれこれを求められるままジャワードに語って聞かせた。誰かに詳細を語るというのはバタルにとっても、もつれた思考をほぐしてまとめ直すのに大変有効だった。


 ズラーラの出現に仰天した話を聞くと、ジャワードは声をあげて大笑いをした。


「その短剣がどんなものか、知らずに持ってたのか君は。盗賊を追うくらい大事にしてるんなら分かってるもんだと思ってたよ」


 ジャワードがいかにもおかしいという風に腹を抱えるものだから、バタルはむっとして隣から睨めつけた。


「分かるはずないだろう。おれの成人祝いに父さんが中古で買ってきたものなんだ。その時になにも聞いていないから、父さんだって知らなかったんだろう。剣を抜くのだって、鉛筆を削る時と、綱を切る時と、手入れをする時くらいで。強いて言うならさそりを退治する時にも使ったけど、それだけだ。使い方を教えられてなきゃ、気づけるはずがない」

つばの裏に書いてある」


 バタルがまくし立てるように言った直後に、ズラーラがぼそりと呟いた。そんな馬鹿なと思ってバタルは革帯から短剣を引き抜き、目の前にかざした。見慣れた銀装飾が、焚き火の光で金にきらめき、濃い陰影を見せる。繊細に彫り込まれた文様をよくよく眺めると、鍔の柄に面した側に、彫刻がより密になっている部分があった。周りの文様と絡み合うように描かれた曲線を辿ってみれば、確かに文字になっており〝これを持ちて刃を三度打つべし〟と読むことができた。


「魔人つきの魔法道具は必ずどこかに、魔人との契約方法が書いてある」


 少年魔人に淡々と教えられ、バタルは自身の観察眼のなさへの羞恥やらなんやらで呆然としながら、気まずく黙って短剣を仕舞った。


 ジャワードが、ますます笑い声を大きくした。よほどツボに入ったのか、目の端に涙まで浮かべている。水煙草シーシャを吸えないほど息も絶え絶えに笑うジャワードに、バタルは恥ずかしさが裏返っていよいよ腹が立ってきた。


「そんなに笑うことないだろ。失礼だ」


 バタルが身を乗り出して文句を言うと、ジャワードは少しだけ笑いを納めた。それでも堪えきれぬ様子で口元を押さえて、水煙草シーシャの吸い口を揺する。


「責任転嫁はいけないな。失礼なのは君だろう。そんなにいい短剣を手に入れておいて。そうは思わないかい、鉛筆削りの魔人君」


 急に話を振られ、向かいで胡座に頬杖をついていた短剣の少年魔人は、ちょっと眉を上げた。


「別に。大抵の所有者はそんなもんだし。普通に刃物として使われてる分にはなんとも思わない。ここ何人かは契約しない所有者が続いてたし、皆気づかなかったんだろう。主人シディバタルだけの話じゃない」

「存在を忘れられたってことだろう」

に鉛筆削りと呼ばれるよりかはまし」


 ズラーラは相変わらず子供らしさと無縁な無愛想さだったが、ジャワードの嫌みにしっかり反発するあたり感情が動かないわけではないと分かる。大人のような顔で喋る少年魔人に、ジャワードは笑いを不敵な微笑に変えた。


「おや。坊やの気に障ってしまったかな」

「今のは完全にジャワードが悪い」


 バタルはたしなめたが、ジャワードはまるで気にする素振りを見せなかった。水煙草シーシャを咥え、悠々と煙を吐いている。


 一度命を救われたこともあり、ジャワードに対して始めはなんと親切な人物かと思ったものだが、どうにも評価を訂正せざるをえなさそうだと、バタルは考えた。一緒にいるほど、彼の性格の歪みが浮き彫りになってくるようである。


 甘い煙を吐いて、ジャワードは改めてバタルの方へ空色の眼差しを向けた。


「それで、彼らへの願いごとはもう決めてるのかい」


 ジャワードに水を向けられたことで、バタルはそういえばと思い出した。性悪な白人アフランジには返事をせず、反対隣に座る娘魔人の方へと顔を向ける。


「確か、三つ願いを叶えて貰えるんだよな」


 バタルの確認に、指輪の魔人ゼーナは首肯した。


「はい。ですがバタル様の願いはすでに一つ叶えていますので、わたくしが叶えて差し上げられるのは、あと二つです」

「あと二つ?」

「君がとっくに願ってたとは意外だな。なにを願ったんだい?」


 バタルの鸚鵡返しに、被せるように言ったのはジャワードだ。白人アフランジの言葉はひとまず無視して、バタルは眉をひそめてゼーナに問うた。


「おれはいつ、君に一つ目の願いを言った?」

「それは――」


 ゼーナは、一度言葉を途切れさせた。緑の瞳をわずかにさまよわせ、やがて答える言葉を一つずつ探して拾い集めるように続きを言った。


「バタル様が、最初にわたくしを手にされた時です。その……亡くなられる寸前に、生きたい、と。わたくしに願われました」


 ゼーナの答えに、バタルは言葉を失った。そして確かめるように、恐々と自分の右手へ視線を落とす。細い金の指輪の上で、小さな赤い石が焚き火の光を反射して、繊細にきらめいていた。


 そういえば、指輪の内側を三度こすった者の下僕しもべになると、ゼーナは言っていた。自分がそれをしたのはいつだろうか。考えると共に、バタルの中でばらけていた記憶が、一つ一つ紐を結ぶように繋がり始めた。


 バタルの中に刻まれている、もう一つの人生。その死の直前に、間違いなくこの指輪を拾っている。その時に、確かに輪の内側をこすったのを思い出した。回数までは覚えていないが、おそらく三回だったのだろう。そしてまさに命が消えるその瞬間に聞いた声は、果たしてゼーナのものだったのではないか。


 絶句するバタルに代わって、ゼーナの話に反応したのはジャワードだった。


「へえ。君の話を信じるなら、バタルは一度死んでいることになるのかな。それは興味深い。ぜひ詳しく聞きたいね」


 ジャワードは煙を吐き出しながら、ゆっくりと目を細めた。少年魔人ズラーラも好奇心を刺激されたのか、声は出さないまでもやや身を乗り出す素振りを見せる。二人からの好奇の目に、ゼーナは少々まごついてバタルを見た。


「お話しても、よろしいでしょうか」


 許しを請うように上目に見られ、少女じみたその仕草にバタルは思わずどきりとして我に返った。


「ああ。大丈夫だ。おれも聞きたいし」


 バタルが許せば、ゼーナは重々しく頷いてから続けた。


主人シディバタル様がわたくしを手にされたのは、こことは別の世界です。ご主人様シディはわたくしをお呼びになりましたが、直後に亡くなられてしまって……生きたい、という願いだけが、わたくしに残されました。ですが、わたくしたち魔人は、死者を生き返らせることは禁じられています。なので、ご主人様シディの魂を運んで、別の新しい命として生まれ変わらせたのです」


 ゼーナの語りの終わりと共に、ジャワードは感心した様子で口笛を吹き、ズラーラはこれまでの無愛想を忘れたように口を丸くした。


「やるな、君。よくそんなことを考えついたものだ」

「気づかなかった……確かに、生き返らせるのは禁忌でも、生まれ変わらせるのは禁じられていないんだ」


 それぞれの反応を示す二人に、ゼーナは眉尻を下げて苦笑した。


「正直、賭けではあったんです。でも、ご主人様シディをお守りできなかったのは、わたくしですから……ただ、生まれ変わらせるのには成功しても、お姿が変わったことで、わたくしはご主人様シディを見失ってしまいました」

「それで、ずっとおれを探してたと?」


 バタルが目を見張ると、視線を合わせたゼーナは胸元に手を当てて頷いた。


「わたくしが至らないばかりに、時間がかかってしまいました。ですが、わたくしを再び手にとってくださった瞬間、お探ししていたご主人様シディだとすぐに分かりました。本当に、よくご無事で……」


 そこまで言って、不意にゼーナが涙ぐんだ。洞穴での大泣きがあっただけに、バタルは焦って両手をかざした。


「そんな、泣かなくても」

「申しわけありません。思い出したら、つい……」


 謝りながら目元を拭い、はなをすするゼーナに、バタルは困り果てて首を掻いた。妹が相手ならば頭や背中をさすって慰めるのだが、魔人とはいえ出会ったばかりの女性にそれをしていいか分からない。悩んだあげく、バタルは慎重に手を伸ばしてゼーナの後頭部に触れ、栗色の髪を軽く撫でてやった。


 ゼーナは潤んだ目を見開いて、バタルを見た。やはり触れるのはまずかっただろうかと思った矢先、彼女の目が細まり色づいた口元が緩く笑みを描いた。嫌がられなかったことに、バタルは胸を撫で下ろした。


 隣で、ジャワードが小さく笑った。


「君も、なかなか隅に置けないな」


 言いながら、彼はバタルのもう一方の手になにかを持たせた。見やれば、それは幾何学文様に染められた手巾しゅきんだった。顎を持ち上げたジャワードの仕草から意図を察して、バタルはその手巾をそのままゼーナに手渡した。


 手巾を受けとったゼーナは、ほのかに頬を染めて顔をほころばせた。


「ありがとうございます」


 落ち着きをとり戻して涙を拭うゼーナの様子を見ながら、バタルは彼女の後頭部に置いていた手をそっと引いた。今、反対隣を振り返れば、ジャワードがさぞ得意げな顔をしていることだろう。あえてそれを見ないようにして、バタルは自分も冷静になるために顔を両手でこすった。


「それにしても……そうか。そういうことだったのか。これで全部が繋がった」


 バタルが顔を押さえたまま呟くと、ジャワードが上体を屈めて下から顔を覗き込んできた。


「その様子だと、身に覚えがあるようだね」


 言葉と一緒に水煙草シーシャの煙を吹きつけられ、バタルは不快さに顔をしかめながら即答した。


「ある。あるからこんなに驚いてる」


 片手を振って煙と白人アフランジの顔を払えば、ジャワードは面白がる笑みはそのままに体を引いた。バタルは吸い込んだ煙で軽く咳き込み、もう一度顔をこすってから続けた。


「覚えてるんだ、死んだ時のことも、もっと前のことも。でも、それがどうしても今のおれには繋がらなくて、ずっと正体が分からなくて、怖かったんだ。今生きてるのに、死んだ記憶があるなんて、どう考えても変だろう? だけど、やっと分かった。おれはやっぱり、一度死んでいた」

主人シディバタル様……」


 呼びかけと同時に手を握られた。顔を向ければ、身を寄せたゼーナが不安げな表情でこちらを見ていた。責任を感じているのだろう彼女を安心させる為に、バタルは努めて笑みを返した。


「まだ混乱はしてるけど、おれの頭がいかれてたわけじゃなかったんだと分かって、正直ほっとしてる。話してくれてありがとう、ゼーナ」


 すると、ゼーナは虚を突かれたように呆けた顔をした。どうしたのだろうとバタルが思った一瞬あとにはわずかに目を伏せ、首を横に振った。


「いいえ。感謝をしていただけるようなことはなにも……もっと早くお探しできていたらと、悔やまれてなりません」


 指輪の魔人の生真面目さに、バタルは苦笑した。


「もう見つかったんだからいいだろう。おれはここでゼーナに会えてよかった。命まで救われた。もし早く見つけて貰えてたとしても、あんまりガキの内だったら結局よく理解しないまま、くだらない願いごとをして終わっただろうし、これでよかったんだよ」


 励ますように言いながら、バタルはゼーナの柔らかな手を握り返した。空いている手で顔にかかる栗色の髪を軽くのけてやり、緑の瞳を覗き込む。そうしてやってようやく目を上げたゼーナは、頬を緩めて頷いた。


「ありがとうございます――今度こそ決して、お傍を離れません」


 指輪の魔人は改めて、主人シディの手を強く握った。

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