11 魔人

(なにが、起きてるんだ……)


 娘も少年も、どこから現れたのかすらバタルには分からなかった。ただ二人の様子を見るに、敵ではないことだけは感じられた。隙をついてバタルに襲いかかろうとする者がいても、必ずどちらかが瞬時に反応して排除される。


 少年が現れてからは、本当にあっという間だった。気づけば、四十人もいた盗賊の内、立っている者は誰一人いなかった。財宝の上で重なるように倒れている盗賊たちの姿を驚嘆の思いで眺めてみると、意外にも出血している者はほとんどいないようだ。皆、気絶をしているか、怪我で呻いているだけで、バタルの見る限り死んだ者もいないようである。


 娘は向かってくる者がいなくなったとみると、体の前で両手の平を擦り合わせた。その合わせ目から下に向かって縄がするすると伸び出てきて、これ以上驚くことはあるまいと思っていたバタルをさらに仰天させた。固くあざなわれた頑丈そうな縄は途切れることなく娘の手の平から生み出され、瞬く間に山を作る。少年はそれをなんの疑問も抱く様子もなく拾い上げると、近くで倒れている盗賊の手足を縛り始めた。


 娘と少年とで分担して手際よく縛り上げられた盗賊が、金貨で埋まった床に積み上げられる。これでは再び襲ってくることもできまい。きっちり四十人を縛り終え、少年はやっと一仕事終えたように手の平を服で拭った。


「こんなところか」

「そうですね」


 なぜこの娘と少年の間で意思疎通が成立しているのか。彼らの正体も含めさっぱり分からなかったが、尻餅をついたままだったバタルはようやく腰を持ち上げた。いかに正体不明の相手であっても、命を救われたからには礼は言うべきだろう。まだまだ状況が飲み込めないながら、バタルは握りっぱなしになっていた短剣を鞘にしまって口を開いた。


「あの。助けてくれて、ありがと――」

ご主人様シディ!」


 娘が叫んで、飛びついてきた。首に腕を回して強く抱きつかれ、出端を挫かれたバタルはたまらず仰け反り目を白黒させる。娘はバタルの肩に顔を埋めると、わっと声をあげて、たががはずれたように泣き出した。


ご主人様シディっ、よく、ご無事で……ずっと……ずっとお探しして……よか……っ、よかった……!」


 娘があまりに泣きじゃくるので、バタルは振り払うこともできずに困惑した。あまりの急変に、つい先ほどまで盗賊を圧倒していた娘とは到底思えない。しかも彼女が着ているのは、胸と腰周りを隠しているだけの舞踊装束だ。どうあっても素肌に触れてしまうため、バタルは手の置き場にも困った。女性経験が皆無ではないが、身内であっても女性の肌にはたやすく触れるべからずという幼少期からの教えは根深い。なによりも、今にも装束からあふれんばかりのたわわに実った膨らみが存在を主張しているのが、精神的に大変よろしくなかった。


 突き放すことも離れて貰うこともできず、バタルが身動きできないでいると、娘の後ろでなりゆきを眺めていた少年が、見かねたように口を開いた。


「あのさ。一人で感激してるのは分かるけど、ご主人様シディが困ってるからそろそろ放してやったら?」


 呆れまじりな少年の言葉を聞くと、はっとしたように娘はぴたりと泣き止み、慌てた様子でバタルから離れた。


「も、申しわけございません! わたくし、なんて失礼なことを」


 娘はまだ涙の跡のある頬を赤面させ、狼狽えたように胸の前で何度も指を組んだ。動揺のあまり右往左往する緑の瞳がまたすぐに潤むのを見て、バタルは慌てふためいて彼女の顔の前で手を振った。


「大丈夫! おれは大丈夫だから、謝らなくていい」

「ですが――」

「それよりも、おれがお礼を言わないと。助けてくれてありがとう。お陰で命拾いした」


 バタルがやっと機会をつかんで感謝を告げれば、娘は目元を拭って首を横に振った。


「いいえ。ご主人様シディをお守りするのも役目の内ですから」


 娘の言に同意するように、後ろの少年も数度頷いた。それがますます、バタルを当惑させる。


「その、おれが主人シディだというのは、どういうことなんだ。おれは、君に会ったことが?」


 娘はバタルの灰色の目を真っ直ぐに見上げると、ふわりと表情をほころばせた。


「はい。今のお姿を拝見するのはこれが初めてですが、あなた様は間違いなくわたくしのご主人様シディです」


 そう言って娘は一歩下がると、膝を折った。びっくりするバタルの前に両手をつき、額を地面に当てて深くひれ伏す。


「わたくしはスライマンが作りし指輪の魔人ゼーナ。指輪を持ちて内側を三度こすりましたお方の下僕しもべとなり、願いを三つ叶えます。どうかこの度のご主人様シディの名をお聞かせくださいませ」

(指輪の魔人……?)


 胸の内で反芻して、バタルは自分の右手に目を落とした。その中指には、この場所で見つけた細い金の指輪がはまっている。目の前の彼女――ゼーナは、この指輪から出てきたということなのだろうか。


 そこまで思考して、バタルはもう一度、自分の前にいる娘へと目を向けた。ゼーナは変わらず平伏したまま、主人シディの返答を待っている。

 バタルは頭痛を堪えるように額を撫で、一度深く呼吸してからようやく答えた。


「……バタルだ」


 ゼーナが、ゆっくりと顔を上げた。どこか恍惚とした笑みを向けられ、バタルはどきりとした。


「バタル様……主人シディバタル様。やっと、お聞きすることができました。本当に、ご無事でよかった」


 噛み締めるように、ゼーナは繰り返す。盗賊に襲われたバタルの身を案じての言葉なのだろう。だが彼女の感無量な様子を見ていると、それ以上の含みがあるようにも聞こえた。バタルがゼーナにどう声をかけたものか悩んでいると、少年が割り込むように声を発した。


「もう済んだなら、おれの番でいい?」


 待ちくたびれた様子の少年に、ゼーナはをちょっとだけ振り向いて素早く立ち上がった。


「ああ、そうですね。お待たせして申しわけありません」


 ゼーナはやや早口に言って、横へ数歩退いた。少年の番とはどういうことだろうかとバタルが思っていると、入れ替わるように少年が正面まで進み出てくる。彼はバタルの腰の高さから、狼に似た目で軽く覗き込むように見上げてきた。そして膝を折り、驚くバタルにかまわずゼーナと同じように額ずく。


「おれはスライマンの作った短剣の魔人ズラーラ。剣身が三度打ち鳴らされた時、その柄を握っていた者に従い、願いを三つ叶えることができる。主人シディバタル。なんなりと申しつけを」


 子供らしからぬ淡々とした口調で、少年ズラーラは告げる。その内容に、バタルは言葉を失った。


(嘘だろ……)


 大魔法使いスライマンの魔人を名乗る者が、一度に二人も現れることなどありえるだろうか。一体なんの計略であろうかと思えてならない。


 しかしたった二人で四十人もの盗賊を倒してしまった戦いぶりは常軌を逸していたし、ズラーラ少年の方にいたっては煙と共に現れる瞬間を見てしまっている。ゼーナがなにもないところから縄を生み出したのも、魔法の類いなのだろう。信じられない、という感情以外に、彼らの言を否定できるものがバタルにはなかった。


 状況に思考が追いつかず、バタルは両手でこめかみを押さえた。


 ふと、男の低い呻き声が近くであがった。気を失っていた盗賊の誰かが目を覚ましたのだ。縄を解けとわめきだしたら、とても落ち着いて話していられない。バタルは考えることよりも、まずは邪魔が入らず話せる場所の確保をすることに決めた。


「悪いんだが、先に状況を整理させてくれ。一度外へ出よう」





 ゼーナとズラーラを連れて外に出ると、洞穴の正面でこちらに背中を向けて座っている人影があった。まだ他にも盗賊の仲間がいたかとバタルが警戒すると、窪地の馬たちに囲まれているその人物が、身を反らせて振り向いた。その顔の白さと青い瞳を見てとり、意外な人物の出現にバタルは唖然とした。


「ジャワード?」


 思わず呼びかけると、白人アフランジの魔法使いは歯を見せて笑った。


「やあ、バタル。思ったよりも元気そうだね」

「どうしてジャワードがここにいるんだ」


 当然の疑問を投げかけながら、バタルはジャワードの方へ大股に歩み寄った。


 ジャワードはちょうど西日で岩山の影が落ちる地面に絨毯を広げて、ゆったりと足を伸ばしていた。小ぶりな真鍮の水煙草シーシャまでかたわらに置いて、煙をくゆらせているくつろぎっぷりである。


 好奇心で鼻を寄せてくる馬の額や喉を片手で撫でてやりながら、ジャワードは甘い香りの煙をぷかりと吐き出した。


「君が一人で盗賊を追ってしまったから、一度は助けた身としてなりゆきくらい見届けようかと思って」


 気のなさそうなジャワードの口調に、バタルはちょっと眉をひそめた。ジャワードにバタルを助ける義理はないし、バタル自身もそんな期待はしていない。さりとて生きるか死ぬかの危機を分かっていながら放置されたならば、結果的に助かったとは言え少々恨めしい心地はしてしまうのだった。


商隊キャラバンの人たちは」


 不満より先に懸念をバタルは口にした。水煙草シーシャを一口吸ったジャワードは、吸い口をバタルに向かって軽く振った。


「心配いらない。多少の怪我人はいたけどみんな無事だし、もう当初の目的地に向かってる。奪われた荷物がとり返せたなら、届けてあげたら喜ぶだろうね。今から追いつけるならだけど」


 一息に言ったジャワードは水煙草シーシャの吸い口を置き、絨毯からやおら立ち上がってバタルの方を向いた。


「よく生きていたね。本当に運がいいな君は。それにしても――」


 ちら、と。ジャワードはバタルの後ろに従う二人を一瞥した。


「ずいぶんと面白いことになっているみたいだ」


 ジャワードがなにか企むように口角を上げるので、バタルは少々気味の悪さを感じた。魔法使いの彼ならば、ゼーナとズラーラが人でないと一目で見抜けても不思議ではないだろう。しかしそれで彼がなにを考えるのか、魔人にも魔法にも馴染みがないバタルにはまるで想像がつかなかった。


 ジャワードはバタルの肩を軽く叩いて、絨毯へ座るように動作で促した。


「もう日が暮れるから、暗くなる前に火をおこそう。なにがあったか、聞かせてくれるだろう?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る