9 洞穴

 果てしなく広がる砂漠には、身を隠せる場所などほとんどない。砂上を走りながら乗馬のこつをつかんだバタルは、見失わないぎりぎりの距離を保って、注意深く盗賊たちを追った。彼らには空飛ぶ木馬があるので、下手に距離を詰めればすぐに捕まってしまうだろう。そうなれば、確実に命が危うい。なぜこんなにも災難が続くのかと自身の不幸を呪いながら、バタルはできるだけ砂を巻き上げぬよう慎重に馬を進めた。


 黄色い砂の大地は、しだいに岩場へと変わった。砂の中からごつごつとした赤い岩が突き出しているのが見られるようになり、やがて足もとも固い岩に覆われる。荒れた地層を見せている岩山の隙間へ盗賊の一団が消えるのを見届け、バタルは馬の足を速めた。


 近づいてみると、岩山には風雨で削られただろう穴が大小いくつも開いていた。蹄の音で気づかれぬよう少し手前で馬を降りたバタルは、そのような穴に身を隠しながらゆっくりと岩場の奥を目指した。


 盗賊らが通ったろう岩の間の道を抜けると、その先は深く見下ろす窪地になっていた。窪地は地面の真ん中を匙ですくったようなすり鉢状になっていて、外から見ただけでは岩場の中心にこんな空間があるなど誰も気づくまい。窪地の底には風で運ばれた砂がたまっており、その上で数十頭の馬たちが体を休めていた。それは間違いなく、バタルが追ってきた盗賊たちの馬だった。


 改めてその数を見て、勢いとはいえここまで一人で追ってきてしまったことを、バタルは後悔した。かといって今から引き返したところで、再び砂漠の真ん中で商隊キャラバンと合流するのは難しいだろう。


 仕方なくバタルは、人の姿がないことをよく確認してから、慎重に窪地の底へとくだった。


 底に着いても、やはり人の気配はなかった。思い切って馬の間を歩き回ってみたが、馬のいななきと足音の他には、岩の隙間で風がひょうと鳴る音がするばかりだった。一頭だけまったく動かない黒馬を見つけて歩み寄ってみれば、それはさっきまで空を駆けていただろう木馬だった。


 バタルの通ってきた道以外に窪地の出口があるとして、果たして馬だけをこんなところに置いていくだろうか。それでもいずれここには戻ってくるに違いないと考えて、バタルは隠れられる岩の隙間を見つけて体を滑り込ませた。


 それからさほど待つことなく、変化は起きた。


 バタルが隠れている場所から正面に見える岩壁。そこに突然、縦に真っ直ぐな亀裂が走った。崩壊の兆しかと思い息をのんでいると、ずるずると重いものを引きずる音をさせて、亀裂が均等に広がっていく。なにが起きているのか分からず釘づけになっているバタルの前で、岩の割れ目は人が通れるほどの幅まで広がり、ゆっくりと止まった。


 赤い岩壁の真ん中に、黒い洞穴がぽっかりと口を開いた。そしてそこから、盗賊が出てきた。


 砂漠で商隊キャラバンを襲撃した盗賊が、ぞろぞろと列をなして岩壁の洞穴から出てくる。息を潜めながらバタルが四十人まで数えたところで、最初に出てきた一人が洞穴の前に立って叫んだ。


「閉じろ、胡麻!」


 直後、再びずるずると重いものを引きずる音がして、今度は岩壁の割れ目が閉じ始めた。開いた時と同じ早さで割れ目は亀裂の細さになり、ぴったりと閉じてしまえばもうそこに洞穴のあった痕跡さえ見出せなくなった。


 岩壁の出入り口が完全に閉じたのを確認すると、盗賊たちは次々に馬に飛び乗り、岩山の間道を通って砂漠へと繰り出していった。窪地から馬が一頭もいなくなったのを見てとってから、バタルは隠れていた岩の隙間から忍び出た。


 そのまま岩壁の前に立ったバタルは、先ほど洞穴が開いただろう場所に手を当てた。近づいても触れてみても、裂け目らしきものは見当たらず、ただ固い岩壁がそこにあるだけだった。


「こういうの、どっかで見た気がするな……」


 おそらく、幼少期に読むか聞くかしたもののように思う。だがジャヌブの町で書物の流通は多くないし、語り部から聞きいたものでもないだろう。となればバタルの中のもう一つの記憶にあるのだろうが、当時にあまり興味を抱かなかったのか、すぐには詳細が浮かんでこなかった。しかし一つだけ、はっきり分かっていることはある。


 バタルは岩壁から手を離して深呼吸すると、先ほどの盗賊をまねて叫んだ。


「開け、胡麻!」


 思った通り、目の前の岩壁に亀裂が走った。亀裂がゆっくりと広がり、再び洞穴の入り口が開く。岩の動きが完全に止まるのを待って、バタルは意を決して洞穴へと足を踏み入れた。


 洞穴の中は、灼熱の風が吹く砂漠と打って変わって、ひんやりとした空気が留まっていた。入ってすぐは、人が一人余裕を持って歩ける幅の通路になっており、少し先にはすぐに出口らしきものが見え、金の光が斜めに差している。人の往来で滑らかになっている石の床を踏んで短い通路を通り抜けたバタルは、目の前に広がった光景にあんぐりと口を開いた。


 金銀の硬貨に、インゴット。色とりどりの宝石に絹、錦。美姫の肌のごとき象牙。思いつく限りのありとあらゆる財宝が、見渡す限りにうずたかく積み上げられていた。袋や箱からあふれ、こぼれ落ちた財宝が床を埋めるほどに散らばっていて、文字通り足の踏み場もない。それらが、壁に等間隔でかけられた篝火かがりびの光を反射して、まばゆく輝いている。岩肌そのままな丸天井までも、反射光を浴びて黄金に染まっていた。


 バタルはしばらく言葉を失って立ち尽くしたが、ここがどこかを思い出して慌てて視線を巡らせた。盗賊たちが戻ってくる前に、奪われた短剣を見つけなければ。


 なにも踏まずに歩くのは不可能に見えたので、バタルは幾重にもなって散らばる金貨の上に、そうっと足を乗せた。


 財宝のある空間は、盗賊四十人が全員入っても、まだ十分ゆとりがあるだろう広さがあった。壁際までびっしりと財宝が積まれているところをみると、強奪品を奥から順に詰め込んでいるのだろう。だとすれば持ち込まれたばかりの品は入り口近くにあるはずだと目星をつけて、バタルは捜索を開始した。


 先ほど商隊キャラバンから奪ったのだろう品は、簡単に見つかった。入り口から右手に進んですぐの場所に、砂を払い切れていない頭陀袋が乱雑に積まれていた。口が開いて横倒しになっている袋からは、絵画のように繊細な花文様が織り込まれた錦と、乳の雫のように白い真珠がこぼれ出ている。この隙間に短剣も入り込んでいるに違いないと、バタルは山積みにされた袋を一つずつ丁寧にとりのけ、目を光らせた。


 しかし最後の袋までとりのけても、そこに短剣は見つけられなかった。


(別の場所にしまわれたのかな……)


 ここにある財宝を全部掻き分け探すとしたら、どれだけ時間があっても足りないだろう。バタルは途方に暮れて、俯けていた顔を上げた。すると、正面に鎮座する宝箱が目についた。さっきまで袋の山の後ろに隠れていたものが、バタルが山を崩したことで視界に入るようになったのだ。蓋が開いたままのそれには、金や宝石で飾られた刀剣が、百振りはあろうかというほどぎっしり立てられていた。そしてその隙間に、バタルの短剣も押し込まれていた。


「あった!」


 歓喜して、バタルは宝箱に駆け寄った。


 他の刀剣の装飾やつばに引っかかってとり出すのに少々苦労はしたものの、バタルはついに短剣を己の手へとり戻した。鞘と柄の銀装飾と、そこに填め込まれた紅柘榴石ガーネットは、間違いなく父から贈られたものだ。目立った損傷がないことを確認すると、バタルは短剣をまた落とさぬよう念入りに革帯へ固定した。


 そうしてやっと、息をついた時だった。真横で大きな金属音がした。バタルは飛び上がるほどに驚いて、音の方へ振り向いた。そちらには、山になるほど金貨を積み上げられて蓋の閉まらなくなっている宝箱があった。その山のいただきから、バタルが見ている前で数枚の金貨が崩れ、滑り落ちていく。落ちた金貨が宝箱の外へと転がり出た先まで目で追うと、地面にひっくり返った小さな宝石箱を見つけた。先ほどの音は、この宝石箱が金貨の山の上から落ちた音だったのだろう。


 人でなかったことに胸を撫で下ろしたのもつかの間、今度はその宝石箱の中身がバタルの注意を引いた。蓋が開いて転がり出ただろう珊瑚の腕輪や金剛石ダイヤモンドの耳飾りに混じって、金の指輪が控えめに輝いていた。


 先ほどとはまったく別種の驚きを覚え、バタルの心音は急に速くなった。誘われるように恐る恐る手を伸ばし、指輪を拾い上げる。


 間近に見ると、細く円を描く指輪には、小さな赤い石が一つ填っていた。ゆっくりと回して見れば、内側に細かな文字が彫られているのに気づく。


 この指輪を、バタルは知っている。それは、バタルがバタルとして生まれる前のものだろう記憶。街の中でこの指輪を拾い、その直後に、命を落とした。


 バタルは意識して深呼吸を繰り返し、動揺を追い出そうとした。なぜこの指輪がここにあるのか。いくら考えたところで、分かろうはずがない。けれど、不可解な自分の記憶に繋がるものならばと、バタルは右手の中指に指輪をはめた。


 少々長居をし過ぎたかもしれない。急いでこの場を離れようと、バタルは体を伸ばした――その首筋に、ひやりとしたものが触れた。


 そして背後からかけられる、ごく低い声。


「動くな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る