8 盗賊

 砂丘の上で立ちのぼる砂煙が、バタルにも見えた。遅れて、低い蹄の音が耳に届く。熱砂を蹴立てる騎馬の群れが、銀の刃を掲げながら一塊になって斜面を駆けくだる。


「剣をとれ! 駱駝を走らせろ! 荷を守れ!」


 商隊長が鋭く指示を飛ばす。商隊キャラバンに参加している数十名の内、半数が剣を抜き、半数が興奮する駱駝たちを急き立てて走り出した。


「お兄さんたちも行け!」


 隊長がバタルたちを見ないまま叫んだ。咄嗟の行動を判断しかねたバタルの背中を、ジャワードが押す。


「行こう」

「だけど」

「ぼくらがいても邪魔だ」


 ジャワードの言葉はその通りだった。しがない織物職人の息子に、盗賊と戦う力があろうはずもない。促されるまま、バタルは歯がゆい思いで駆け出した。


 戦闘の始まりを告げる鬨の声と、刃を打ち合う音がいくつも響いた。バタルは我慢しきれずに、駱駝の間を走りながら後ろを窺った。


 青いターバンをした商隊キャラバンの戦士たちが果敢に三日月刀を振るい、てんでばらばらな格好の盗賊が一人二人と落馬し切り伏せられていた。しかし押し寄せる騎馬の盗賊は凶悪な勢いであり、瞬く間に青いターバンの男らへ向けて馬上から鈍色の刃が降り注ぐ。


 敵味方が入り交じる断末魔が鼓膜を突き刺し、バタルはそれ以上見ていられずに顔を戻して駆け足を速めた。


 近くで、駱駝とは違う蹄の音がした。二手に分かれた盗賊の一団が追ってきたのだ。追っ手に回った盗賊たちは荷を運ぶ駱駝たちと併走しながら、息の合った連携で広がり、確実に獲物をとり囲んでいく。


 絶体絶命の状況に、バタルは救いを求めて、隣を走る白人アフランジに呼びかけた。


「ジャワード」

「なんだい?」

「魔法でどうにかできないのか」

「嫌だよ。こんなにたくさん人いるところで」

「そんな暢気なこと言ってる場合か!」


 ジャワードの態度があまりに平時と変わらないものだから、バタルは苛立ってわめいた。


 その時、頭上を黒い影が通過した。全力疾走する商隊キャラバンを一瞬で遠く追い抜いた上空の影は、しかしすぐさま引き返して再びこちらへと向かってきた。


 それは、人を乗せた黒い馬だった。


「馬が飛んでる!」

「違うな。あれは木馬だ」


 肝をつぶしたバタルの叫びを、ジャワードがごく冷静に否定した。言われてみれば確かに、四肢を動かすたび硬質な艶を放つ馬の体は、生き物らしいしなやかさに欠けていた。


「まさか盗賊の中に魔法使いが」

「それも違う。どこかで強奪した魔法道具だろう。速く飛ぶ以上の能はないよ」


 だから大したことはない、とジャワードは言いたいようだったが、バタルには十分驚異に思われた。


 戻ってきた空飛ぶ木馬が、駱駝の背すれすれを駆け抜けた。途端に、駱駝に積まれていた荷が後ろへと崩れ落ちた。荷をくくっていた綱が切られたのだ。周囲を走っていた盗賊の一騎が、落ちた荷へと駆け寄り、馬上へ拾い上げて駆け去っていく。


 空飛ぶ木馬は、恐慌して列を乱した駱駝たちの上を何度も往復して、次々に綱を切った。側面からの攻撃であれば他の駱駝や人の身を使って多少の防ぎようがあるが、手の届かぬ空中から長剣を伸ばされては、どうすることもできない。駱駝から落ちた荷を、盗賊たちが駆け抜けざまに次々と強奪していく。とり返そうと抵抗する者もいたが、馬上から簡単に蹴散らされた。


 バタルの真横にいた駱駝の荷がついに崩れた。中身の詰まった頭陀袋ずだぶくろが、バタル目がけて転がり落ちてくる。思わず腕を伸ばして受け止めたが、想定以上の重さにたたらを踏んだ。


 あわや転倒しようかというバタルの間近へ、盗賊の青毛馬が走り寄ってきた。すれ違いざまにバタルの持っている頭陀袋をつかみ、力尽くで奪おうとする。バタルは負けじと足を踏ん張り、馬上へ引き上げられる前に、全身を使って引っ張り返した。すると、盗賊の体が驚くべき軽さで馬上から投げ出された。ぎょっとするバタルの上へ、盗賊が降ってくる。巻き込まれる形でひっくり返ったが、それでもバタルは荷を手放さなかった。盗賊もまたしかりで、二人はそのまま砂上でとっ組み合いになった。


 頬を殴られたので、バタルは腹を蹴り返した。ふらついた相手の足もとをさらに狙うも、それは飛んで簡単にかわされてしまう。頭陀袋を挟んでの睨み合いから頭突きで攻撃を仕かけたが、自分の視界にまで星が飛んだ。


「引き上げるぞ!」


 別の盗賊が、近くを駆け抜けざまに声を張り上げた。バタルと組み合っていた盗賊は舌打ちして頭陀袋を放し、自分の馬の方へと走っていく。その途中で彼が地面から素早くなにかを拾うのを見て、バタルは慌てて自分の腹に目をやった。革帯に挟んでいたはずの短剣が、なくなっていた。顔を上げれば、馬上の人となった盗賊の握る短剣の柄で、見慣れた紅柘榴石ガーネットが鮮やかに輝いていた。


「返せ!」


 バタルは叫んで、持っていた頭陀袋を放り出した。駆け出す青毛馬の鞍にとり縋ろうとするも、一歩届かず、勢いのまま顔面から砂に倒れ込む。砂を振り払いながら顔を起こすと、潮が引くように一斉に撤退する盗賊たちの背中が見えた。


「待て! 剣を返せ!」


 父が成人祝いに贈ってくれた短剣なのだ。おいそれと奪わせるわけにはいかなかった。しかし徒歩では、馬の足に到底追いつけるはずもない。


 その時バタルは、後方から遅れて走ってくる一頭の馬に気づいた。鞍に乗る者はなく、葦毛に血しぶきがぽつぽつと飛んでいる。最初の乱戦で倒された盗賊の馬かもしれない。


 乗り手を失ったまま仲間のもとへ戻ろうとしている馬へバタルは駆け寄り、垂れ下がる手綱をつかんで強く引っ張った。驚いた葦毛馬が棹立さおだちになり、大きくいななく。バタルは危うく振り回されかけたが、よく調教された馬はすぐに落ち着いたので、その鞍へと飛び乗った。騎乗動物といえば驢馬ろばと駱駝にしか乗ったことはなかったが、大して変わらないだろうと思い切って、馬の横腹を蹴った。


 砂丘の向こうへ消えようとする盗賊たちの影を、バタルは馬を駆って追いかけた。

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