7,ザイニンの灯

 かちゃり。かちゃり。かちゃり。


 リーパーの、前後逆についた脚がうごめく。通路では、その巨体は屈み、縮んでいたらしい。天井の高いホールでは、周囲を睥睨するように背を伸ばしていた。見上げるほどの蟷螂カマキリのようなシルエットだ。


 村のザイニンたちが悲鳴をあげて逃げ惑う。

「通路に逃げるな! 一人にならずに、誰かと一緒にいろ!」

 パニックを起こす彼らに、ツルネが叫ぶ。リーパーと何度も遭い、そして生き残った経験があるのは、もはや彼女だけだ。


(行動パターンが変わるような何かがあったんだ)

 リーパーは機械だ。《基礎》の材料となる死体を集めたり、時にはその材料をために動いている。今まで、ザイニンの村へあらわれたことがないのは、その活動の範囲に含まれていなかったからだろう。

 だが、今は姿を現した。


(何か重大な変化があったんだ。何か……)

 トオルはリーパーを見据えた。

 襤褸の奥から、リーパーもまたトオルを見ていた。


「僕だ」

 直感がそう告げていた。

(僕のランタンを探してるんだ。ランタンは《基礎》を操る認証キーだ。もし、やつが僕のことを、キーを盗んだ泥棒だと認識していたら……)

 奪い返しに来るだろう。それは、「材料集め」よりも優先度の高いタスクに違いない。


 ぞっとして、手が冷たくなってくる。

 リーパーはどこまでも追ってくる。《基礎》から脱出しない限り、どこまでも。

 気を抜いたとき。意識していないとき。諦めたとき。不意に現れて、刃を突き立てる。

(そういう仕組みシステムなんだ)

 《基礎》を支配する絶対のルール。あらがうことができるのか。あらがおうとしていたドスがどうなったか。忘れたわけではない。忘れるわけがない。


 数秒……もしかしたら十数秒、トオルは呆然と立っていた。ツルネは逃げ出そうとするザイニンたちを呼び集め、リーパーが姿を現したのとは反対側の壁際に集めている。

 異形の怪物は、ゆっくりと……だがまっすぐに、トオルを目指していた。かちゃりかちゃりという足音が、近づいてくる。

 反応が遅れたのは、トオルだけではなかった。彼が身動きできないままリーパーを眺める視界の端で、不意にもぞもぞと何かが動いた。


 ぼろ切れのようなテントから、少女が顔を覗かせた。おそるおそる周りをうかがい、ようやく状況を理解したらしい。

「チエ! テントに戻って!」

 ツルネが遠くから叫んだ。チエが混乱して、リーパーの気を引くとまずいと思ったのだろう。


「……」

 チエは一度だけツルネを見つめてから、テントを這い出した。

(何を……)

 そして、細すぎるほどの体を重たげに揺らして、リーパーの前へと歩いていった。

 リーパーのセンサーが、矮躯に気づいた。不揃いの腕のうち、大きな方が動いた。人間を材料に変えるためのかぎ爪が生えそろった腕。

 チエはじっと立って、リーパーに向かい合っていた。


『死ぬ時にどんな気持ちになるのか、心臓が止まるときにしか分からない』


 誘惑――刃に身を任せれば、

 気づくと、トオルは駆けだしていた。

(僕は、どうしたいと思ってるんだ?)

 自問したが、よくわからなかった。思い出したのは、ドスのことだった。

(あのとき、ドスは僕を守った。きっと同じ気持ちだ)

 そしてまた、トオルはランタンを掲げた。


「止まれ!」

 光がリーパーを下から照らす。襤褸の奥の顔は、ドスの頭蓋に変わっていた。

 かぎ爪を振り上げたままの姿で、リーパーは動きを止めた。光と言葉に反応している。

 カチッ、カチッ、と人の皮に隠れた基盤の一部が点滅する。

(入力待機だ)

「下がれ。僕らから離れるんだ」

 だが、今度の命令には従わなかった。リーパーは動きを止めたまま、入力待機の信号を放ち続けている。


(リーパーには命令を聞かせる手順があるんだ。合言葉パスワードか何か。でも、それが何なのかわからない)

 今はただ、次の入力を待っているだけだ。待機時間は三十秒か、六十秒か。それが過ぎれば、再び動き出すだろう。

 十分だ。その間にチエを連れて離れれば、彼女を守ることができる。

 トオルは少女の手を引こうとしたが、チエは動こうとしなかった。


「どうして?」

 濡れた青い瞳がトオルを見つめている。不安と不満がこぼれ落ちていく。

「ドスが最後にどんな気持ちだったかわかったんだ。君に伝えたい」

「どんな気持ち?」

「ひとが死ぬのは見過ごせない」

「勝手だよ、そんな」

 かぎ爪の真下で、チエは小さく笑った。


 少女の手を取って、後ろへ下がる。今度は抵抗しなかった。

「チエ! よかった。あんなことして」

 ツルネがチエを抱き留めた。心配のあまり、そばまで駆け寄ってきたらしい。

 ザイニンたちはひとかたまりになって、リーパーを見つめていた。この《基礎》でリーパーに遭うのは、もっとも恐ろしいことだった。


「あいつは僕を狙ってる。みんなのために、ここには居られない」

「でも、トオルはどうするの? 逃げたって、リーパーはどこまでも追いかけてくる。《基礎》から出ない限り」

 ツルネが聞いたちょうどその時、リーパーは待機を終えて再び動き出した。

 かちゃり、かちゃり……。

 襤褸の奥の顔はトオルへ向けられている。その手の中のランタンに。


「ツルネ、助けて欲しい。確かめたい場所があるんだ。そこまでの道は君しか知らない」

 サファリハットの少女は、驚きの後ぎゅっと帽子のつばをにぎった。

「リーパーを止められる?」

「確信はない。でも、やらずに終わりたくない」

「あたしも外の世界を見てみたい。ドスの見た世界を」

「ふたりで行くの?」

 チエが不安そうに見上げていた。ツルネはその手を握ってから、頷いた。


「閉じ込められて一生を過ごすくらいなら、トオルの賭けに乗るよ」

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