5,顔

「確かめてみよう」

 ザイニンの村があるホールと、《基礎》に伸びる隘路のはざまに立って、ツルネが言った。

 探検チームは探索を一日一度と決めている。気力や体力の消耗が激しく、何度も続けられないからだ。だから、トオルが《基礎》にやってきてから、およそ二十四時間が過ぎていた。


 だから、探索チームの面々――ツルネ、ドス、トオルの三人は出発する前に話し合う時間を得ることができた。

 ツルネは自分が考えた、ある仮説を検証しようとしていた。

「通路にはあちこちに罠がある。見てて」

 少女はゴミ処理場から持ってきた、ぐにゃぐにゃのゴムボールを通路へ向かって投げた。

 放物線を描くボールが、暗い中に進んでいく。と、ある場所に到達した瞬間、


 ぱんっ!


 左右の壁がせり出して、ボールを挟んだ。動いた壁が開くと、ボールははじけて押しつぶされ、平らになって床に滑り落ちる。


「普通に進もうとしたら、あたしたちも同じようにぺしゃんこだ。それで……トオル」

「うん。……ほんとうに、効果があるのかな」

「確かめてみよう」

「ン」

 ドスがもう一個のボールを取り出し、ツルネに渡す。

 トオルは血を拭き取って透明性を増したランタンを掲げた。


 煌々と灯りが通路を照らす。濃灰色の壁は、強い灯りで照らすほど立体感を失うように思える。気を抜くと壁に描かれた絵のようにも思える通路のほうへ、ツルネはボールを放った。


 てん、てん、てん……。


 ボールは床に弾み、そのまま慣性と反発のままに転がっていった。

「やっぱりそうだ」

 ツルネの声は熱を増し、灯りの下では頬に赤みが差しているのがわかった。

「その灯りの中だと、罠が動かないんだ」


「でも、どうして?」

「トオル、君の父親は技術者だったって言ってただろ? きっと、《基礎》に関わりがある仕事をしていたんだ。そのランタンは、認証キーみたいなものなんだ。この《基礎》の機能を操ることができる」

 彼女はかぶった帽子の位置を直し、興奮のままに続ける。

「このランタンが、認証キー?」

「それがあれば、罠のことを気にしないで探索できる! すごいぞ、脱出できるかもしれない!」


「ン……」

 ドスが、口元に指をあてた。「静かにしろ」という意味の動作ジェスチャーだ。

「リーパーだって、基礎の一部なんだ。ランタンで止められるよ、きっと」

「ンン……」

 ドスは首を振った。

「リーパーは他の罠と違うって言うの? いったい、何が……」

 その言葉をさえぎるように……


 かちゃり。


 静かな通路の中に、あの音が鳴った。

 ランタンの灯りがとどく通路の奥に、異様なシルエットがあった。かぎ爪のついた、異様な姿。後ろ向きについた両足が、床をこすりながらこちらを目指していた。


(リーパーだ)

 トオルは異形をにらみつけた。

(母さんの仇。ザイニンを何人も殺した怪物)

 血のにおいが思い出される。母を失ったことを実感する。体の震えを押さえ込むために、チエのことを思った。

(恐怖でザイニンを閉じ込めている。あいつがいなければ、暗い《基礎》から出られるはずだ」

 自分の体内で怒りの伝達物質ノルアドレナリンが分泌されることをイメージする。震えが収まり、一歩を踏み出した。


「ン!」

 ドスが肩に手を添えて引き留める。だが、トオルはその手を振り払って駆けだした。

 自ら、リーパーへと走り寄っていく。

「ダメだ、戻れ!」

 ツルネが叫ぶのが聞こえた。探索チームのリーダー。命令に従うべきだ。トオルの冷静な部分はそう言ったが、トオルには別の声が聞こえていた。


『父さんが、危険から守ってくれる』

 母の死に際の言葉。まるで伝達物質に呼び起こされたように、その言葉が頭の中を反響していた。

(僕は守られている。死ぬわけがない!)

 恐怖を押し殺し、トオルはリーパーの前でたかだかとランタンを掲げた。

 異形が襤褸の奥で目をちかちかと光らせながら、通路を塞ぐように体を起こす。


「ダメだ、そいつの顔を見るな!」

 背後の声……だが忠告むなしく、トオルはまっすぐにリーパーと相対していた。

 ランタンの光が、リーパーの姿をくっきりと映し出している。手足の本数だけが人間をまねているような異形の姿。襤褸ぼろに隠れていた上半身までが、はっきり見えた。

 ねじれた金属と繊維が、脊髄を斜めにねじったような形を作り、体を支えている。その脊髄もどきのてっぺんに、頭が乗っている。そこには、チカチカと光を反射する基盤を覆い隠すものがあった。


 顔だ。


 頭蓋骨の後ろ側がくりぬかれ、仮面をかぶるようにリーパーの頭部に置かれている。

 固定されていないらしく、リーパーの身動きのたびに、その頭部が揺れ動いて『ほんらいの頭部』をちらちらと覗かせている。

 生気のない顔からは血に濡れた髪が垂れて、リーパーの『脊髄』と襤褸に絡みついていた。


「う……あ……」

 トオルはその顔を見て、喉から漏れ出しそうになる声を抑えられなかった。だが声は悲鳴にはならず、行く当てのないまま暗闇をさまよっていた。

 伝達物質の力はとっくに失われていた。上下の感覚が曖昧になり、立っていられなくなった。

 床に腰を落としながら、トオルはリーパーの顔を見ていた。


 異形がかぶっているのは、トオルの母親の顔だった。


 取り落としそうになるランタンをつかむのが精一杯だった。すがるように握り締めていた。

 トオルの頭を埋め尽くしているのは、単なる恐怖ではなかった。

 失望。

 嫌悪。

 忌避。

 後悔。

 慚愧。

 それらすべてが目や鼻からあふれ出していた。


「殺したザイニンの顔を奪うんだ。トオル、立て! 殺されるぞ!」

 すでにトオルはリーパーのすぐ目の前だった。かぎ爪が振りかぶられる。赤黒い金属製の爪が、しゃがみ込んだままの少年へ、振り下ろされた。

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