第33話 証拠集め(森川、松本視点)
月華荘で拓海と別れ、森川は談話コーナーに一人残り、椅子に座ったまま窓から景色を眺めた。
「これからやらねばならぬことが山積みだな。」
森川の視界に広がるのは、枯山水を思わせる庭園だった。庭園の木々には雀や他の小鳥たちが留まり、楽しげな囀り声が響いていた。森川は庭園の景色をしばらく眺めた後、大きな溜息をついた。そのとき、ズボンのポケットからスマートフォンの着信音が鳴り響き始めた。森川は手をポケットに差し入れ、発信者が地元警察官の冴島であることを確認した。
森川はスマートフォンの通話をオンにし、耳に近づけた。
「もしもし、森川です。冴島さん、どうかしましたか?」
冴島は電話越しに森川に声を顰めながら言った。
『もしもし、森川さん。少し昨日の件についてお話をしたいのですが…今、大丈夫ですか?』
森川は一瞬、何の話かが分からなかったが、調べて欲しいと言った人物についてだと気づいた。
森川は「ちょっと待っててくれ」と冴島に伝え、電話口を手で抑えた。周囲に人がいないかを確認するために、周りを見回した。幸運にも、談話コーナーの近くには誰もいなかった。
しかし、重要な話をその場でするわけにはいかないと考え、自分の宿泊している部屋に移動した。
2階にある松の間へ戻った森川は、再び口を開いた。
「すみません、お待たせしました。それで、今回の連絡は『例の件』ですよね?」と森川は冴島に尋ねた。冴島からの返答は肯定的だったが、森川は固唾を呑みながら話を促した。
『実はですね、彼の経歴について調べたのですが…少し不可解な点が幾つか見つかったんです。』と冴島が口にした。
話の内容は、その警察官の東雲健太郎が5年前にこの朧谷温泉街に配属されたことだった。そして、彼がこの土地に配属される前の事件で精神的に追い詰められ、休職したことも挙げられた。
『朧谷温泉街でも、この5年間に何件か同様の殺人事件が起きていました。しかし、どの事件もあまり公にならないまま収束しているようなんです。奇妙じゃないですか?いくら有名な観光地と言っても、これだけ隠蔽されていると何か裏があるんじゃないかと感じるんです。』と冴島は続けた。
森川も話を聞く中で、あまりにも多い事件と東雲の休職中の間に起きた空白の期間が引っかかっていた。
「やはり、あの休職中の期間とこの事件で何かあったのかもしれないな。こちらでももう少し調べていこうと思います。忙しい中、情報提供していただきありがとうございました。」森川は電話越しに深々とお辞儀をした。冴島も森川の調査について、「何か手伝えることがあれば、いつでも連絡してください。」と一言添え、通話を切った。森川は終了した電話の画面を見つめ、軽く息をついた。
「これは思った以上に、複雑な背景がありそうだ。それに、冴島刑事の話をしていた空白期間と5年間の事件についてか…確かに、この朧谷温泉街は知る人ぞ知る温泉の観光地だ。あまり公になると売上に影響を及ぼす可能性があるからとも取れるが、それにしても多くないか?」と森川はぶつぶつと一人で呟き、顎を撫でた。
森川は一度頭の中を整理しようと、松の間の畳の上に座り、目を閉じた。頭の中に浮かべた事件や集めた情報の数々を思い浮かべ、時系列順に整理していく。
一昨日の三日の夜に起きた殺人事件、地元警察官の怪しい行動、そして彼の過去について、隠された凶器と事件の動機について。森川は記憶の中にある情報を整理しようと試みたが、思考が追いつかないことに苦しんでいた。
「やっぱり、考えるだけじゃ中々整理がつかんな。」
森川は目を開け、無造作に頭を掻いた。
「いくらなんでも、拓海君のようにあちこち調べ回った訳でもない。俺は俺で、集めた情報を元に推理を広げるだけだからな。だが……やはり一度、あの駐在所を調べる必要はあるかもしれないな。と森川は怪しいと思う場所に目星をつけた。森川はパンっと膝を叩き、徐々に立ち上がった。
「思い立ったが吉日、だな。それに、さっき拓海君が言っていた松本大輔という男にも、少し声をかけてみるか。本当は一人で行く予定だったが…人数は多い方が良いだろうしな。」と森川は決心し、松の間を後にした。森川が松の間から離れ、二階の廊下を歩いていく。
ふと、森川の視線の先に人が歩いてくる影が目に入る。その影は、どうやら件の松本大輔本人のようだった。松本は森川の姿に気づくと、柔らかな笑みを浮かべて小さく手を振った。人懐っこい笑顔を見せながら、松本は森川の元へと歩み寄った。
「こんにちは、森川刑事さん。今から何かお仕事ですか?」と松本が森川の予定を尋ねた。森川はやや眉を顰め、若干引きつったような笑みを見せた。
森川は軽く咳払いをし、松本に視線を向けた。
先程の拓海とのやり取りを思い出し、森川は松本に声をかけた。
「こんにちは、松本君。丁度良かった、少し俺も君に用事があって君に声をかけに行こうと思っていたんだ。少し外に出ないか?」と森川は外に行くことを提案し、松本は小首を傾げた。
「その様子だと、何かありそうですね…良いですよ、私でよければ付き合いますよ。」と松本は快く承諾した。森川は頷き、松本と共に月華荘の廊下を歩いていった。二人の間には、しばらくの間沈黙が広がっていた。時折、松本は森川の顔を覗き込みながら様子を伺っていた。森川は何度か松本の様子を気にかけて、時折後ろを振り返る姿勢を見せた。月華荘のロビースタッフに部屋の鍵を預け、外に出ると、森川はようやく口を開いた。
「君に用事があると言ったのは他でもない。実は一昨日の夜、起きた殺人事件の証拠集めや、証言を聞くために手伝って欲しいんだ。勿論、同じ宿泊者の拓海君とも協力しているんだ。」と森川は鷲のような鋭い目を見せ、静かな口調で松本に提案を投げかけた。
松本は森川の提案に一瞬だけ戸惑い、何度か口を開き掛けていた。
「えっと、その…ちょっと待ってくださいね。少し考えさせてください、それに…拓海って藤原拓海さんですよね。」と松本は戸惑いつつ、森川に確認のための質問を投げかけた。森川は松本の質問に一言だけ肯定の返事をした。松本は森川の返答に対し、足を止めて言葉を詰まらせた。森川は松本をじっと見つめ、静かに返答を待った。
松本と森川の前に強風が吹き、松本はゆっくりと口を開いた。
「分かりました。私もできる限りのことをします。一昨日の事件も、確かに私もその場にいましたからね。危険でなければ、何でも手伝いますよ。」と、松本は覚悟を決めたように口を引き締めた。森川は「ありがとう」と感謝の意を表し、二人は再び朧谷温泉街を歩き始めた。森川は歩きながら、松本にこれからの予定を説明した。
「先程伝えた通り、これから証拠の収集と証言の収集に行くつもりなんだ。本来は拓海君と一緒にやる予定だったが…彼には都合があるから、君にお願いしたい。街の人々から当時の出来事についての目撃情報を集めてくれるかな。君は聞いてまとめるだけでいい。
その中には不可解な証言も含まれるかもしれないからね」と、森川は松本に伝えた。松本は森川の話に相槌を打ち、真摯に聞き入っていた。
「分かりました、出来る限り情報を集めてみますね。そうなると、森川刑事さんは…証拠集めをするんですか?」
「あぁ、そのつもりだ。大体の場所は見当がついているんだ。問題は、その証拠がある場所に殺人犯がいないことを願うだけだな。」と、森川は睨むように目を鋭くした。松本は森川の視線にびっくりし、森川に合わせるように視線を合わせた。
「ま、どうにかするさ。お互い気をつけて証拠集めをしていこうか。」と、森川は軽く口角を上げて笑ってみせた。松本は緊張の中で顔を強ばらせながら、返答した。
森川と松本は、それぞれ別々に証拠の収集と目撃証言の取得に向かった。松本は朧谷温泉街を歩きながら、街の人々に殺人事件に関する目撃情報を尋ねた。
しかし、松本の期待とは裏腹に、殺人事件を目撃したという情報は一切得られなかった。
「やっぱり、この時間帯は人通りも少ないから、目撃情報が得られないのは当然だろうなぁ。」
「それにしても、現場の近くで悲鳴が上がったはずなのに…誰も見てないってのは奇妙だよね。本当に、誰も殺人事件を目撃していないのかな。」と、松本はブツブツと呟きながら、手を顎に当てて街を歩き回った。
その時、松本の背後から女性の声が聞こえた。
「あの、すみません……今、一昨日の殺人事件について聞いているんですよね?」と若い女性が、松本に話しかけて来た。松本は後ろを振り返り、女性の方へ向き直った。若い女性は時折キョロキョロと周囲を見渡し、何かを気にしているようだった。
「あ、えっと…」と、松本が戸惑ったようすで話しかけると、若い女性が話を切り出した。
「すみません、街の中で情報収集をしているのを伺って、声をかけに来ました。一応、私の名前は
人通りが少ない路地に着いた松本と明美は、彼女の口から目撃証言を聞き出すことにした。
「一応ここにしましたが、大丈夫ですか?あまり公に出来る内容ではないですし、あまり無理はしないでくださいね。」と松本は明美に伝えると、明美は軽く頷いた。
「大丈夫です。元々警察官にこの証言を止められていたので、せめて誰かに話しておきたくて…」と明美はおずおずとした様子で、ぽつりぽつりと話をしていく。
「実はですね、一昨日の夜…あれは私の家の近くだったんです。この街では、基本的に22時以降は外出禁止の規則があるんです。あの時はたまたま、用事があって急いでる様子で走ってるのは見たんです。だけど…」と、明美は話をしていたが次第に口篭もり始めた。先程の明美の様子から、尋常ではない事を察した松本は、「自分は告げ口はしないから、最後まで話して欲しい。」と伝える。明美は深く頷き、言葉を続ける。
「あの夜、走っていく人の後を追いかける人が居たんです。この日は月が明るい日だったから月明かり越しにその姿を私は窓から見えたんです。その……あの時見たのは、多分ここの駐在所の警察官が鎌を持っている様に見えたんです。見間違いかもしれませんが、そんな人が殺人をしたとは思えなくて。」と明美は視線を泳がせ、狼狽えたように視線を忙しなくきょろきょろと動かしていた。話を聞き終えた松本は、彼女への言葉が見つからずに口を噤んだ。明美は気まずそうに黙る松本に視線を移すと、慌てたように手を振った。
「す、すみません!私からの話はこれだけです。お役に立てるかどうか分からないのですが……これで失礼します!」と明美は松本に深々とお辞儀をし、急いで路地から離れて行った。
その場に残された松本は、ただ立ち尽くしたまま明美の背中を見送った。
その頃、証拠集めに向かった森川は一人で朧谷温泉街の道を歩いていく。ずんずんと自信を持って歩く道の中、森川は駐在所へ確信を持って進んで行った。
「この時間帯は本来なら街の巡回のはずだが、駐在所に居たら鉢合わせの可能性がある。慎重に様子でも伺わないとな。」と森川は一人呟き、駐在所から離れた茂みから様子を伺った。
森川は静かに息を潜め、駐在所から人が出るかどうかを数分ほど待とうとしゃがみ込んだ。森川が駐在所に張り込み、待つこと10分ほど経過した頃、駐在所から警察官の東雲健太郎が出ていく姿が森川の目に入った。東雲は駐在所から出ていくと、巡回中の札を立て掛け、自転車に乗ってその場を後にした。森川は東雲が駐在所から離れていくまでを見届け、周囲に人がいないことを確認した。
「よし、今のうちに突入しよう。」と森川は決意し、無人になった駐在所の中へ進入した。駐在所の内部は簡素なオフィスのような空間で、森川は躊躇いなく東雲のデスクへ向かい、一番下の引き出しに手をかけた。
しかし、一番下の引き出しは鍵が掛けられているのか、掴んだ取っ手を引くことができなかった。森川は悪態をつき、鍵の在り処を探そうと顔を上げた。
「もしかして、本人が鍵を持って出た可能性もあるのか。証拠品を持ち出せないように鍵を掛けたのならば、向こうも用意周到かもしれんな。」と森川は、苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。森川はしゃがみ込み、鍵をどうやって開けるかを思案した。
「このまま証拠品を隠滅される可能性もある。だが無理やり鍵を破壊した所で逆に向こうにもバレてしまう…なら、やる事は一つしかないだろうか。」と森川は悩んだ末に思いつき、近くに針金が無いかを探していく。幸運にも、机の上に置いてある落し物コーナーに置かれているヘアピンに目が入った。
森川はヘアピンを手に取り、力を加えて変形させていく。ヘアピンを使って引き出しの鍵を開けようとした。
「針金を使った鍵穴開けは、結構リスクが高いが、今はそんなことを言っている余裕はない。一刻も早くこの事件の解決のために見つけなければならないからな。」と森川は慎重に、針金を鍵穴に通して鍵開けを試みる。焦りと緊張から手に汗が滲み、しばらく誰かが来るのではとチラチラと周囲を確認しながら、カチャカチャと鍵開けを続ける。森川がヘアピンを使って鍵開けを続けると、カチャリと鍵が開く音が聞こえた。
彼は小さくガッツポーズを決め、慎重に引き出しを開けていく。引き出しの中からは、錆びた鉄のような匂いが一気に広がった。森川は鉄のような強烈な匂いに思わず「うっ」と呻き声を漏らし、口を手で押さえた。
中には茶色く薄汚れたタオルで包まれたビニール袋があった。森川はビニール袋を手に取り、中身を開いて中を覗き込んだ。そこには赤黒い液体がべったりと付いた草刈り鎌が入っていた。
「これが殺人に使われた凶器か。これを持って、一刻も早く拓海君たちに合流しなければならないな。」と彼は呟き、引き出しの扉を閉めた。森川は東雲が再び帰ってくることを考え、鍵開けに使ったヘアピンと凶器の入ったビニール袋を手に、駐在所から急いで立ち去った。彼はビニール袋を上着の内側に隠し、ヘアピンをズボンのポケットにしまい込んで街中を駆け抜けた。しばらくは人混みに紛れて移動し、その後、スマートフォンを取り出して松本に電話をかけた。
森川はスマートフォンを耳に当て、呼び出し音を聞きながら辺りを見回す。東雲が街の中にいないかを必死に周囲を確認していく。幸いにも、森川の周辺には東雲の姿は確認されなかった。
「早く出てきてくれ…松本君。」と森川は祈るように呟き、松本からの応答を待つ。すると、松本から電話の応答が入ってきた。森川は安心したと同時に、やや大きな声で通話口に電話の声を掛ける。
「もしもし、松本君か?!今、何処にいるんだ。」
『も、もしもし、森川さん?どうしたんですか、切羽詰まった声で、何かあったんですか?』と松本は驚いた様子で森川へ質問を返す。しかし森川は一切余裕が無いのか、「何処にいるんだ」と言葉を再度返した。
通話越しに松本は、自身のいる場所を確認するのか声が遠のいた。程なくして松本から返答が帰ってくる。
『今ちょっと、近くの人通りが少ない路地の辺りにいます。今から宿に一度戻ろうと思いますが、森川さんもそちらに向かいますか?』と松本は森川に確認の声を掛けた。森川も『一度月華荘に戻る方が、まだ落ち着けるかもしれないな。』と考え、松本に月華荘へ戻ることを伝えた。松本も森川の言葉に承諾し、松本は通話を切った。
「良し、きっと向こうも多少は証言も聞いたはずだ。証拠品はこちらも回収した。後は拓海君に、月華荘で待ってると連絡だけはしよう。いずれ駐在所に帰ったら彼にバレるかもしれない、時間はもう無いかもしれないが…やれるだけの事はしておこう。」と森川はこれからの予定を口に出していく。森川は拓海に月華荘へ戻る旨を伝え、再びポケットの中にスマートフォンを仕舞い、足早に月華荘へと戻って行った。
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