第32話 祠参り

 朝食が楽しいひとときとなり、拓海は腕時計の時間を確認した。時刻は既に8時半で、祠参りまでには十分な時間があるようだった。

「うーん…祠参りまでにはまだ時間があるし、ちょっと部屋に戻ってこようかな。」と拓海が提案すると、未来が続ける。

「それでしたら、荷物をまとめるついでに、最後の思い出作りにも付き合ってくれませんか?」

未来の提案に、さくらは嬉しそうに応じた。

「それいいね!私も記念写真を撮りたいし、こんな旅先で出会ったのも何かの縁でしょ?またいつか会える時のために、ちょっと欲しいかな。」

拓海は香織に視線を向け、恥ずかしそうに笑いながら尋ねてくる。

「この二人は凄い乗り気だけど、香織さんはどうですか?」

香織は頬を淡い紅潮で染めながら、恥ずかしそうに答えた。

「わ、私も…拓海さんと一緒に写った写真、欲しいかなぁ…なんて。あ、でも勝手にSNSに写真を上げたり、言いふらしたりしないから!」

香織は大袈裟なジェスチャーを交えて、自分の気持ちを拓海に伝えていった。四人の笑顔が、この思い出深い瞬間をより特別なものにしていく。

 未来とさくらは、香織の真っ赤な顔を見てにやにやと笑みを浮かべていた。拓海は二人に注意するような視線を送りながら、香織に向き直った。

「分かったよ。でも、二人ともそんなにからかわないでくれ。」未来とさくらは拓海の注意を受け、肩を竦めてその場を離れた。拓海はため息をつき、頭を掻きながら誤魔化すように笑った。

「全く…彼女とはそんな関係じゃないって。」

拓海は誰に言うでもない独り言を呟き、香織に視線を戻した。香織は顔を更に赤らめてもじもじしていた。

拓海は言葉を掛けることが難しく、頬を掻きながら黙っていた。

「取り敢えず、記念写真は後で機会があればいいかな。今は色々と準備や荷物があるだろうから。」

拓海は話を濁しながら、レストランを見渡した。未来、香織、さくらの三人は拓海の言葉に同意し、頷いた。

「それじゃあ、9時15分にエントランスで集合しよう。それまでに色々と準備しようか。」

三人は部屋に戻ることに同意し、それぞれの部屋に向かうことになった。さくらは兄に声をかけて部屋へ戻り、拓海も自分の部屋に戻るために廊下を歩いていた。そのとき、拓海の肩を誰かが軽く叩く。

 拓海が振り返ると、森川が真剣な表情で立っていた。拓海は森川の表情から、重要な話があることを察し、彼に向き直った。

「拓海君、ちょっと今から話をしてもいいか?」

「はい、構いませんが…あまり長くはできませんが、大丈夫ですか?」と拓海は祠参りのことを考えながら、話し合いに同意した。

しかし、拓海はこの場で話すのは少し難しいと感じ、周囲を見渡した。レストランに近い廊下には人影は疎らで、静寂が広がっていた。

「ここでは少し話しにくいから、場所を変えましょうか?」と森川が提案し、拓海はそれに同意した。

「ならば、ここから少し進んだ先に談話コーナーがあるんだ。人通りが少ない場所だし、そこでゆっくり話をしようか。」と森川は廊下の先を指差した。

「分かりました、それではそこで話しましょう。」と拓海は同意し、森川について廊下を歩き始めた。


 拓海と森川が廊下を歩く中、しばらくの間沈黙が広がった。拓海は何か言葉を口にしようとしたが、口を開く前に森川が話しかけた。

「着いたぞ、ここでなら話しやすいだろう。」

辿り着いた談話コーナーは、朝の明るい光が差し込む場所で、柔らかな雰囲気が広がっていた。森川が席に着くと、拓海もそれに続いた。

「さて、今から私が拓海君に伝えることが一つある。私はこれから殺人事件の証拠を集めに行くつもりだ。本当なら君にも手伝ってもらおうと思ったが、また彼に妨害される可能性もある。それを踏まえて、確認を取ろうと思っている。」拓海は森川の言葉に驚きの表情を浮かべた。

「ほ、本当に一人で行動するのですか?いくら森川さんが現役の刑事とはいえ、一人で行動するのは危険じゃないですか?それならば、私も予定を早めて協力しましょうか?」森川は大きく息を吐き、考え込むように腕を組んだ。拓海は森川と同行できる可能性がある人物を考え始めた。その中で、宿泊者の松本大輔のことが浮かんだ。

「もし森川さんが良ければ、同じ宿泊者の松本大輔さんに協力してもらえませんか?彼も同じ現場にいたはずです。あまり関係ない人を巻き込みたくないですが、少し声をかけてみる価値はあるかもしれません。」

森川は拓海の提案を受け入れた。

「確かに、彼も同じ現場にいたからね。あまり関係のない人を巻き込みたくないけど、少し声をかけてみる価値がある。」

拓海はほっと胸を撫で下ろし、安堵のため息をついた。

「ありがとうございます。できる限り、早めに予定を終わらせるようにしますね。」森川は笑顔を浮かべて言った。

「気持ちは有難いが、大切な思い出はゆっくり楽しんできなさい。私も解決に向けて手を打っておくよ。」

 森川とのやり取りを終えた拓海は、自身の腕時計の時間を確認した。時刻は9時を指しており、エントランスに集まる時間が迫っていた。拓海は部屋に戻る余裕がないことに気づき、焦りを感じて森川に目を向けた。

「すみません、森川さん。ちょっと用事の時間が迫ってきたので、これで失礼しますね!」と、拓海は焦った様子で席を立ち上がり、戻るかどうか迷っていた。森川は拓海の焦りを察し、行っていいよと促した。拓海は軽く会釈して、慌ただしそうに足速に部屋に戻った。

朧月の間へ向かう中、予定に間に合わないかもしれないという焦りと、事件を早く解決したいという気持ちがせめぎ合っていた。息を切らしながら、朧月の間の扉に手をかけ、勢いよく扉を開けた。

「うわ、ビックリした…!」と、同じように部屋を出ようとしたさくらとぶつかってしまった。さくらは二歩後ろに下がり、胸に手を当てながら拓海を凝視する。

「もう、いきなり入ってこないでよ、お兄ちゃん!」

「すまんすまん、ちょっと引き止められてて遅れそうになったんだ。」

「時間だってほぼないんでしょ?お兄ちゃんの財布も一緒に持ってきたんだから、早く行くよ!」と、さくらは奇妙な形をしたマスコットを模したポーチから財布を取り出して投げ渡した。拓海は受け取ろうとした財布を落としそうになったが、焦る妹の急かしに応じて部屋を追い出された。


 ばたばたと二つの足音が、勢いよく階段を駆け下りていく。拓海は落ち着く間もなく、たださくらの背中を見つめながら一階エントランスに向けて走っていく。さくらはヘロヘロになった兄の手首を掴み、引っ張る形でエントランスへと飛び込む。」

「二人ともお待たせ!!」とさくらは頬から汗を伝いながら、先に待っている未来と香織へ声を掛ける。

拓海はさくらから手を離し、膝に手を当ててゼーハーと荒い呼吸をしていた。

「おわぁ…二人とも、大丈夫?凄い汗だよ。」

「私達もちょっと前にきたばっかりだし、そこまで焦る必要無かったでしょ。」

「いや、ちょっと……俺がちょっと用事があって…部屋に、行こうとしたら……ここまで」と拓海は必死に呼吸をしながら、途切れ途切れに事情を話していく。

「もうお兄ちゃんたら、私ちょっとお兄ちゃんが来るまで部屋で待ってたのに全然来なかったんだよ。だから私が先にエントランスに行こうとしたらお兄ちゃんが来たから一緒に急いで来たんだよ。」とさくらは口を尖らせながら、まだ肩で息をする兄を見下ろす。

「あはは、拓海さんもお疲れ様。でも、用事って何かあったのかな…?今話せる?」と香織は優しく拓海の背中を擦る。拓海は息を整え、「大丈夫」と言葉を返す。

「話は道中でするから、途中で花屋でも寄りながらにしようか。」

「そうですね、こんな場所で立ち話してると他の人にも邪魔にもなりそうだからね。」

「確かにそうだね。皆、そろそろ行こっか。」

さくらと拓海は頷き、未来、香織と共にスタッフに鍵を預け、月華荘を後にした。

 月華荘から離れ、朧谷温泉街の道中を歩く拓海達四人。燦々と眩い太陽の陽射しが街中に降り注ぎ、拓海は軽く目を細めながら空を見上げる。

「一応お兄ちゃんが来るまでの間、私も寄りたい花屋を調べたから案内できるよ!」とさくらはスマートフォンを片手にニコニコしながら三人の前を歩いていく。

「それは頼もしいが、あまりふらふらしてると人にぶつかるから気をつけろよ。」心臓が高鳴ってきた拓海は、ハイテンションで歩き回るさくらに声をかける。

当の本人であるさくらは、「大丈夫大丈夫!」と声を上げながらどんどん先に進んでいく。そんな様子のさくらを心配した未来も、さくらに続くように足早に進んでいく。先に行くさくらと未来の二人の背姿を見ながら、拓海と香織はゆったりとした足取りでついて行く。

「えぇと、拓海さん。さっきの用事ってなんだったんですか?」と香織は大きめの麦わら帽子の被った頭を軽く傾け、拓海の顔を覗き込む。

「あぁ、まぁ……昨日の殺人事件について、森川さんと色々と話をしてたんだ。」

「昨日の、もしかして…『黒面の鬼』がやったと言われる事件ですか?」

「うん、まだ犯人が捕まってなくてね。だから少しでも証拠でも集めに行こうという話になったんだ。」と拓海は表情を曇らせ、言葉を濁す様にぽつりぽつりと話をしていく。香織は拓海の話にうんうんと相槌を入れつつ、静かに聞いていた。

「それでですね…俺が森川さんと一緒に証拠集めに行っている間、香織さんと未来さんに妹を任せてもいいですかね。」

「それって、もしかして…さくらちゃんを、暫く私達と一緒に部屋、もしくはどこかで待っててくれと言うことですか?」香織の問いに、気まずそうに一度だけ頷く拓海。香織は戸惑う様に未来とさくらの方へ顔を向け。もう一度拓海の顔へ向き直る。拓海は額から伝う汗を拭い、ごくりと生唾を飲む。

「やっぱり、ダメですよね。今こうして急に妹を押し付けようだなんて」と拓海はしどろもどろになりながら、提案を取り下げようとしたが、香織から意外な返事がかえってくる。

「良いですよ。私も未来も、少し変えるには時間がありますからね。それに、毎日こうして頑張って解決しようと動いている拓海さんのお手伝いにもできるなら大歓迎ですよ。」


 ふわりと、花のような柔らかな笑みを浮かべ、拓海の顔に向けて笑ってみせる。それを見た拓海は拍子抜けしたように、一瞬だけ固まった。

しかし、香織が「自身も手伝う」と言った言葉に、拓海は感謝の言葉を告げた。その時、拓海と香織に呼び掛ける二つの声が、二人を現実に引き戻す。

「二人とも、早く早く〜!!!」

「早くしないと置いてっちゃうよ!!!」

気づけば、未来とさくらは先の道にある花屋の前で大きく腕を振って待っていた。香織と拓海は、先に待つ二人に向けて返事の代わりに手を振り返す。

「はーい、今行く〜!!」と香織は大きな声を返す。

「二人も待ってるし、行きましょう。拓海さん。」

香織は拓海の手を握り、太陽のような明るい笑顔を浮かべる。拓海は柔らかい香織の手に、目を丸くしていたが、そのまま手を引かれるまま小走りになる。

拓海はドキドキと高鳴る胸の音を感じつつ、香織と共に花屋の前で待つ未来とさくらに向かって駆けていく。

「もう、二人で何を話ししてたのよ。すっごい良い雰囲気に見えるけど……実際どうなの?」

「いや、単に予定について色々と話してたんだよ。それについては後で香織さんから聞いて欲しいかな。」と拓海は先程の香織との会話について未来とさくらへと伝える。未来とさくらは軽く互いの顔を見合わせたが、大事な話かもしれないと気づいて軽く頷いた。

そんな時に、さくらは香織と拓海が手を繋いでいる事に気づいて声を掛ける。

「あれ、お兄ちゃんと香織さん手を繋いでるんだ。」

「あ、本当だ。へぇ……そんなに仲良くなったんだ。」

未来とさくらは、ニヨニヨと笑いながら拓海と香織を見つめる。二人の視線に気づいた香織と拓海は、互いが手を繋いだままだったことに気づいてぱっと手を離す。まるで茹でダコのように、真っ赤にさせながら互いに顔を逸らす。拓海は、未だに揶揄う未来とさくらの二人を諌めつつ、目的の花屋の中へと入っていく。

 朧谷温泉街の花屋は、鮮やかな色と豊かな香りが漂う、小さながらも魅力的な場所だった。店の入り口には季節ごとに変わる鮮やかな花々が並び、その美しさが通りすがりの人々を引き寄せていた。

拓海達四人は店内に入ると、木製の棚やカウンターには、さまざまな花束やアレンジメントが並んでいる。

拓海達は感嘆の息を漏らしつつ、花屋の奥に進むと、おしゃべりを楽しむためのテーブルや、花束を選びながらコーヒーを楽しむスペースも設けられていた。

店内には優雅なクラシック音楽や、花々の香りが漂っており、訪れる人々にリラックスと安らぎを提供している雰囲気が漂っていた。拓海達は祠参りに必要な花束をそれぞれどのような花がいいかを選んでいく。

「花屋って、あまり行ったことは無かったけど……結構花が沢山置いてあるんだな。」

「私もあまり知らなかったなぁ、色々な花もあって選ぶのに凄い迷ったなぁ……」

「でしょ?私このお店良いなぁって選んだ甲斐があったよ。」

「ふふ、さくらちゃんのセンスって結構いいかもしれないね。だって皆でこんなにも楽しく出来るとは思わなかったもん。」と拓海達はそれぞれ花屋で購入した花束を手にしながら楽しそうに会話を広げていく。

拓海達四人はそれぞれ選んだ花束を手に、花屋を後にする。極彩色に彩られた花束の数々は、拓海達の歩みに合わせてゆらゆらと揺らめいていく。


 拓海達は花束を抱えながら、鬼の祠がある山道へと順調に進んでいった。その道中では、写真撮影を何枚か撮りながら四人の思い出を記録として残していった。香織は時折、手にしたスマートフォンに映し出された写真を眺めて顔を赤らめていた。そんな香織の顔を愛おしそうに見つめながら拓海は微笑んだ。

「わざわざ、写真撮影まで付き合ってくれてありがとうございます、拓海さん。」

「これも良い思い出作りじゃないですかね、俺も結構楽しかったよ。」

「家に帰ったら、この撮った写真を現像して写真立てに入れようかな……」と香織は花束に顔を埋めながら、嬉しそうに小さく呟いた。拓海は怪訝そうな顔で香織の顔を覗き込むが、拓海の視線に気づいた香織はふいと顔を逸らす。甘酸っぱいやり取りを繰り広げる香織と、拓海の様子を微笑ましそうに眺める未来とさくら。

「やっぱり二人とも、良い感じの雰囲気だよねぇ。」

「うん、お互い初めてあった気がしないくらいにもう結構いいところまで進んでるよねぇ。」

「そりゃあ、自分の憧れの作家がこんなにもかっこいいお兄さんだなんて惚れるでしょ。」

「女っ気のなかったお兄ちゃんには、良い機会じゃない?」と未来とさくらの二人は口々に話していく。

木々が生い茂る山の坂道を登っていく四人の足は、次第にゆっくりと止まり始めていく。拓海は三人より一、二歩ほど前に進むと、土砂や瓦礫に埋もれた場所を指さした。

「ここが鬼の祠があった場所だよ。どうやら、俺達がここに来る前に土砂崩れがあって潰れちゃったんだ。」

「こんな場所にあったなんて、知らなかったなぁ。」

「本当にね。結構奥かと思ったけど、割と近いのかな?でも、大事なものが壊れるのってなんか寂しいね。」

「とはいえ、今俺達ができることは限られるよ。今はこれを供えるしかないかな。」と拓海は膝をつき、瓦礫を手でなぞった。花束を手にしたまま、拓海が傍に居る鬼の祠だったものに対して視線を落とす三人。

 拓海達四人は静かに、鬼の祠があった場所へ次々に花束を供えていった。微風に揺られ、花束の包み紙がカサカサと音を立てていく。拓海達は鬼の祠の前に並び、手を合わせた。朧谷温泉街にある伝承「黒面の鬼」が穏やかに過ごせるよう、祈りを込める四人。

拓海がゆっくり目を開けると、さあぁっと大きな風が鬼の祠の近くに居た拓海の前に靡いていく。

「もしかして、今のって『黒面の鬼』かな?」

「かもしれないね、私達の祈りが鬼に届いたのかな?」

「きっと届いてるよ、ずっと苦しんでいた『黒面の鬼』もゆっくり出来るかもしれないしね。」

「そうだと良いね、私達も何かもうスッキリしたかも!!!御利益あるといいなぁ〜」とさくらは大きく伸びをし、大きな声を上げながら笑ってみせた。

さくら、未来、香織達三人は楽しげに笑いながら山道を歩いていく。拓海も三人に合流するように祠から離れて歩いていこうと足を踏み出す。その時、拓海の背後から茂みが揺れる音が耳に入る。

音につられて拓海が振り返ると、土砂崩れがあった場所の奥に見える一つの人影が目に入る。

拓海は、その見覚えのある人影に向かって軽く手を振る。その人影は、ぎこちなく拓海に手を振って返した。

「お兄ちゃ〜ん!!!早く早く〜!!!」と拓海を呼ぶ快活な妹の声が山道から飛んでくる。拓海は、山道へと向き直り、「今行く〜!!!」と返事を返し、山道を駆け下りていった。

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