第26話 それぞれの思惑
月華荘の前に佇む「黒面の鬼」を前に、森川と拓海は今朝の出来事もあり警戒心を抱いていた。二人は鬼の祠の一件で何らかの対立が生じる可能性も考えており、慎重な様子で拓海が男に問いかける。
「こんな場所まで、一体何が目的ですか?」と拓海は、警戒心を剥き出しにした声で鬼を睨みつける。拓海の警戒に対し、男は静かに沈黙を貫きながら拓海を見つめる。森川も予期せぬ事態に備え、拓海より一歩前に出て男を睨みつける。しばらくの間、重苦しい空気が三人の間に広がる。月華荘の前で男と拓海、森川が対峙する中…男は重たい口を開いた。
「待っていたぞ、藤原拓海。今からお前一人だけで『鬼の祠』まで来い。話をしたい。」と男が告げる。
「何で…俺を指定するんですか。俺一人だけとわざわざ指定する意味は?」と拓海が問いかけるが、男は黙り込み、ただ真っ直ぐに拓海を見つめる。
拓海は不安げな表情を浮かべ、隣に立つ森川に助けを求めるように視線を向けた。森川は男と拓海の顔を交互に見つめながら、眉間に皺を寄せて考え込む。
「明らかに罠かもしれないが、どうする?拓海君…君の選択肢によっては断るという選択もあるよ。」と森川が言う。
「それはそうですが、俺は……彼のことを信じたいと思ってます。」と拓海が答える。
「正気か?言っちゃ悪いが、拓海君…君は二度も殺されかけたんだろう?今回こうして接触してきたことが、必ずしも良いとは言いきれない。」と森川は拓海の言葉に対し、男の脅威に対する警戒を示していた。
森川と拓海の二人がひそひそと話し込む中、男は拓海と森川の前で踵を返し、静かにその場を立ち去っていく。拓海は「あっ」と声を上げ、男の背中を追いかけようとするが、森川は拓海の右肩を掴んで引き留める。
「ちょっと待つんだ、拓海君。そのまま無策であの男の言葉通りに行くのか?」と森川は額から緊張の汗を垂らし、緊迫した表情で拓海に問いかける。拓海は森川に向き直り、ゆっくりと深呼吸をして息を整える。
「分かっていますよ、森川さん。彼が信用していい相手かどうかだなんて…分からないんですよね。でもですね、これは一種のチャンスだと思うんです。」と拓海は言葉を返す。
「チャンス……と言うと、今回の殺人事件について何か情報を知っている可能性があるとでも?」と森川は懐疑心から来る疑問を拓海に問いかける。森川は、刑事としての立場がある以上、目の前で無茶をする若い男が危険を犯してでも飛び込むべきものか?と疑問が彼の思考に絡みついていく。
「確証はありません、ですが…もし、彼が本当にこの事件の『目撃者』であるならば、そんな目撃情報を知る必要もあるんですよ。」と拓海は声を震わせながらも、ハッキリとその口で森川に伝える。
拓海の返答に対し、森川は拓海の肩を掴む手を震わせながら、今は拓海を信じるしかないと判断した。
「……分かった。君を信じよう。だが、何度か言った気がするがあまり無茶をしないでくれ。万が一のことがあった場合、俺や君の妹もあるんだ。慎重に行動してくれると約束してくれ。」と森川は答える。
「出来ない約束は出来るだけしたくないんですが、ちゃんと考えておきます。では、行ってきます。」と拓海は言葉を濁らせつつ、覚悟した様に頷いて走り出す。森川は走り去る拓海の背中を見送る。
森川の心の中では、拓海の姿をかつての自分と重ね合わせていく。
「こうなったら、誰にも止められないんだろうよ。ならば俺は俺で出来ることをするしかないかもな。」と森川は苦笑いしながら一人呟いた。森川は拓海の姿が見えなくなるまで見送った後、先に月華荘へと戻るべく玄関へと足を伸ばしていく。その時、森川のポケットが規則的に震え出す。森川はポケットの中に手を入れ、スマートフォンを取り出した。スマートフォンの液晶画面に映し出される着信者の名前には「冴島」と名前が書かれていた。
拓海は息を切らしながら、男が待つ『鬼の祠』のある山へと足を踏み入れる。男は拓海の足音に気づくと、ゆっくりとぎこちなく身体を動かして振り返る。
「やはり来たか。約束通り、お前一人で来たな?」と男は、ギラギラとした鋭い目で拓海を睨むように見つめる。拓海は、ごくりと固唾を呑んで大きく頷く。
「それと、わざわざ俺を一人でここまで来るように頼んだってことは……今朝の殺人事件について、話してくれるんですね?」と拓海は男へ問い掛ける。
男はゆっくりと頷く。拓海は確認として聞いた言葉に、安堵の息が口から漏れ出ていた。
「なら、話しては」と拓海は男へ言いかけたが、男は手を前に突き出してまだ話さないようにと遮る。
「その前に、俺はお前に問う。」と男は言葉を言い切る。拓海は危うく声が喉から引っかかりかけたが、言葉を飲み込んで口を閉ざす。男の口から静かな深呼吸をする音が聞こえる。拓海は、男の言葉をただ待っていた。
「あの時、お前は言ったな。俺に『俺は、お前が無実であることを証明したい。』と……あれはお前にとって、本心からの言葉か?」と男は拓海を睨むように見つめる。拓海は大きく頷き、大きく口を開く。
「勿論だ。この言葉に嘘偽りはない。俺はこれ以上、誰かが傷つくのも見たくない…悪意を持った誰かによって貶められるのも俺はもう嫌なんだ。」と男に向かってしっかりと本心から来る言葉を伝える。
男は拓海の真剣な様子に戸惑いながらも、拓海の返答を待つように佇んでいる拓海に対して深呼吸を繰り返す。拓海は男の戸惑いに対して黙り込み、余計なことを言わずに男の言葉を待つ。男は手で顔を覆い、ゆっくりと深呼吸を何度か繰り返す。その後、先程までの敵意剥き出しの鋭い目つきから、寂しさと諦めの色を滲ませた目で拓海を見つめる。
「分かった。お前の本気はこの目でしっかりと見た。俺は、藤原拓海……お前を信じる。」と男は無造作に伸びたぼさぼさの髪の毛を手でなぞるように後ろ側へと撫で付ける。拓海は男の顔を見ることができた喜びで息を呑む。男は拓海の視線に気づき、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる。拓海の目に映るのは、年相応に笑う男の優しい顔をしているように見えた。
拓海は男との和解ができたことを確信し、目尻から涙を零しながら嬉しそうに顔を綻ばせた。そして、親愛の証として握手を求めるために手を差し出す。
男は拓海の行動に戸惑い、差し出された手をどうしたらいいか分からず、右往左往していく。拓海は優しく教えながら「挨拶としての握手だよ」と伝えると、男は恐る恐る手を差し出し、握手を交わす。
その後、拓海は真剣な表情になり、男の顔を見つめながら言葉を続ける。
「それと、こうして信じてくれたのはとても嬉しい。しかし、今こうしている間にも最悪な事態は進んでいるかもしれないんだ。」と拓海は伝える。男は表情を曇らせ、小さく頷く。男は慎重に周囲を見回し、拓海に促される形で拓海に見たものを伝えることを決意する。
二人は周囲の人の気配が感じられないことを確認し、緊張が漂う中、男は拓海の両肩をがっしりと掴み、目を合わせて伝える。
「あの夜、俺は確かに朧谷の街を歩いていた。走っていく若い男を追いかける鎌を持った影も、俺は見た。俺は知っている。あいつの名前は───」
男の口から語られる名前に、拓海は言葉を失った。
───── 一方その頃、拓海が男の待つ『鬼の祠』へと向かっている間の話。
朧谷温泉街の事件捜査のため、現場指揮を行っていた刑事、冴島からの着信を受け取った森川。
冴島からの返答はどのようなものか、森川は頭の中でシミュレーションを行いながら電話に出た。
「もしもし、森川慎一郎です。冴島さん、どうされましたか?」と森川は緊張気味に応答する。電話越しに冴島のくぐもった声が森川の耳に届いていく。
『もしもし、冴島です。森川さん、少しだけ単刀直入に伝えてもいいでしょうか?』
「はい、構いませんよ。電話をかけてきたということは…やはり本件で起きた事件についてですか?」
『それもありますが……重要参考人である藤原拓海さんに対して、僕の代わりに森川さんから謝罪を伝えてもらっても構いませんか?』とおずおずと冴島は話す。森川にとっては好都合な状況のようだった。森川は一度落ち着くために、咳払いを一つした。
「分かりました。拓海君には冴島さんについてそのような謝罪があったとお伝えします。差し支えない範囲で構いませんが、本部での調査の方はどうされていますか?」と森川は慎重に冴島に問いただす。
電話の向こう側にいる冴島は、伝えるかどうかを躊躇しているかのようで、口篭もる音が微かに耳に入る。
森川にとっては一刻を争う状況の中で、冴島の迷いが見える様子に、自身の腕時計を何度も確認するように焦りを感じていた。
『情報を伝えることは構いませんが、あくまで捜査上の情報ですので内密にお願いします。』と冴島は囁くような声で森川に忠告をする。森川は『大丈夫だ』と返答するが、内心では拓海に伝えるための準備を練っていた。
『一応、警察署本部にまとめられている資料では、この朧谷温泉街で起きた殺人事件は…今から約5年前から、1年の間で3〜5件ほど発生していることが分かりました。どうやらこの殺人事件は、どれも同じ凶器、同じ手段を用いて引き起こされたと書かれています。恐らくこの朧谷温泉に滞在している、または朧谷温泉街に在住している人物による犯行と考えられますね。』と冴島は慎重に答える。森川は情報を整理しながら気になる部分を追及していく。
『犯人については、目星などは?』と森川は自身の頭の中で情報を整理しながら尋ねる。冴島はファイルを捲っているのか、パラパラとページをめくる音が通話越しに聞こえてくる。
『そうですね、5年間で犯人が捕まった様子はありません。上手く逃げているのか、それとも犯人に迫れるほどの確実な証拠がそこに残されていないのか… 考えるだけでもキリがありませんが、その可能性は考えられます。』と冴島は自身の推測を交えながらファイルのページをめくっているようだった。その言葉を聞いた森川は顎に手を当ててうーん… と深く唸る。森川の頭の中では既に犯人の人物像についての輪郭が描かれつつあった。
森川は自分の推測を確かめるために、冴島の現在の場所を確認することにした。
「ところで、冴島さん。冴島は今、本部にいるんですよね?」と森川は本題に入る前の確認をする。
『え?あぁ、今はまだ本部にいますよ。何か知りたいことでもありますか?』と冴島は答える。
森川はほっと軽く息をつき、スマートフォンの通話口を手で軽く押さえて周囲を見渡す。万が一、今から伝えることを誰かに聞かれたり、犯人がその場に居合わせてしまうことを想定したら、事態は深刻なものとなるだろうと森川は考えていた。しかし、今はまだ自分の周囲には人の気配は一つも感じられなかった。森川は用心深く警戒しながら、通話口を押さえた手を離す。
「冴島さん、少し調べていただきたいものがあるのですが…よろしいですか?」と森川は声のトーンを一つ落とした低い声で冴島の返答を聞く。冴島も森川の雰囲気を察したのか、囁くような声で返答をする。
『はい、今調査ファイルもありますし…できる範囲であれば構いませんよ。』
「それでは、この朧谷温泉街の駐在所に勤務している東雲健太郎巡査の経歴について調べていただけませんか?」と森川は冴島に東雲の調査を申し出る。
電話の向こう側では、えっと驚くような声が聞こえる。
『わ、分かりました。ですが…一体なんの根拠があって』と冴島の動揺した声が森川の耳に入る。
「根拠はまだありません。ですが、この殺人を犯す動機としてはあり得なくはないと考えています。もし、彼が本当に殺人犯であったのなら…恐らく『朧谷温泉街へと派遣された5年前』の辺りから殺人の線があったと言ってもおかしくないと考えています。私も現地の調査を進めていきますので、経歴の洗い出しもお願いします。」と森川は電話越しに、冴島に深々と頭を下げる。ほんの僅かな間、冴島は返答出来ず沈黙した。
『もしも本当に、森川の推測通りに警察官が殺人を5年もの間犯していた場合は?』
『朧谷温泉街の駐在巡査の東雲健太郎が、この殺人事件の犯人だった場合…我々のような他の警察官は、警察署自体の信頼はどうなる?』
『犯人を隠蔽する、見過ごす等などは我々がするべき行為では無い。市民の安全を確保し、そして二度とそのようなことが起きない様にするものでは?』
冴島の頭の中では、ぐるぐると目まぐるしく思考が回っていく。本来ならばあってはならない行為が、依然として行われているという現状と、自分自身がそれを受け入れ、逮捕しなければならないのでは無いかという葛藤が、冴島の心を酷く締め付けていく。
『……分かりました。調査結果は全てまとめた上で森川さんのスマホに送らせていただきます。我々警察は、このような非道な行為に走る犯罪者を罰し、市民の安全を守る為にあります。僕としても、心苦しい状況には変わりありませんが、出来る限り助力を尽くさせていただきます。』と冴島は覚悟を決めた様な声色で森川の申し出を受け入れた。
「ありがとうございます。冴島さん、それでは……また何かあれば連絡させていただきますね。」と森川は約束を取り付け、通話を切った。
森川は、スマートフォンを手にしたまま息を大きく漏らしながらずるずるとその場に座り込む。緊張の糸が切れ、喉の奥から笑いが込み上げてくる。森川は項垂れるように俯き、肺に溜め込んだ空気を全て吐き出すような溜め息を吐く。
「はあぁ、かなり緊張したぞ……これでようやく、必要なことは全て揃った。後は」と森川は疲れたようなぎこちない笑顔を浮かべ、拓海のいる山の方へと目を向ける。『もし、拓海があの男からの目撃情報を得ることができたなら、きっとこの事件は全て終わるのだろう。』と森川は、どこか確信めいた言葉を心の中で呟き、拓海が月華荘へと戻るのを待つことにした。
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