第24話 偽証尋問
拓海と森川は、東雲に促されるままに朧谷温泉街の街を歩いていく。東雲の背中を見つめながら、拓海は森川に目配せをする。森川は周囲を確認するために軽く目を動かし、辺りを見回す。
拓海が言葉を発そうとするが、東雲が後ろを振り向いて一瞥する。拓海は東雲の視線に気づき、再び口を閉ざす。お互いの合意を感じながらも、何かしらの接触を図ろうとすると東雲に怪しまれる可能性があることを拓海は察知した。森川も東雲の意図を読み取り、拓海に顔を向けて首をゆっくりと横に振る。
三人の足取りは重々しく、朧谷温泉街の駐在所へ向かっていく。拓海は駐在所に近づくにつれて、胸がドクドクと重く脈打つのを感じる。
『このまま、もし自分が犯人だと疑われたら…多分この先の活動もかなり難しくなるかもしれない。出来るだけ、この状況を打破しないといけないな。』と拓海は心の中で小さく呟いた。血の気が次第に引いていくのを感じ、顔が青ざめていくのを自覚した。足に上手く力が入らず、ふらつきを感じ始める。
気持ちの悪さが胃の奥から迫り上げてくるほどで、今ここで蹲りたいほどだった。
心の中を支配する恐怖と不安が、拓海の頭の中をぐるぐると目まぐるしく駆け巡る。吐き気が込み上げてくるが、手で口を押さえて必死に抑え込む。倒れてしまったら元も子もないと自分に言い聞かせ、ゆっくりと顔を上げる。
「駐在所に着きましたよ、藤原さん、森川さん。」と東雲は足を止め、拓海と森川に笑顔を向ける。拓海にとっては、この東雲の笑顔が狂気に満ちた不気味なものに見えた。森川は、拓海の青ざめた顔に不安を抱いたのか、そっと拓海の背中をさすった。大きく温かな手で背中をさすられると、拓海の腹の底に
「それでは、取り調べを行いますのでこちらへどうぞ。」と東雲は森川と拓海を駐在所の中へと促した。
拓海と森川は、東雲に促されるままに駐在所の中に足を踏み入れた。駐在所の中は比較的簡素なオフィスとして機能しており、壁には様々な資料がまとめられたファイルが閉じられたキャビネットが設置されていた。東雲は奥にあるオフィスデスクに森川と拓海を座らせ、自身も向き合うように座った。軽く息を吐きながら、東雲は準備を整えた。
拓海と森川、東雲の三人が静寂に包まれた駐在所の中で沈黙が続く。東雲は一度森川を見つめた後、拓海に視線を向ける。咳払いをして、暗く沈んだ目で拓海を見つめる。
「今回の殺人事件について、藤原さんに関する証言が出ているので、念のため聞かせてもらえないかな?」と東雲は言い、拓海に尋問の様子を伝える。
「あぁそうだ。先にこちらで聞いた話ではこうだったよ。『昨晩の22時過ぎ、朧谷温泉街で走っていく人を追いかける影があり、その人が相手を襲った。』という証言が上がっているんだ。元々他の人の証言はかなり少なかったけども、唯一得られたのはこの目撃証言だけだ。もし、君に対するアリバイがあるなら教えて欲しい。」と東雲は拓海に対して厳しい口調で話す。
拓海は、東雲が口にする目撃証言によって、不快な冷たい汗が額から流れ落ち、激しい動悸と動揺が彼の身体を揺さぶるのを感じた。
「ま、待ってください。その時間帯は、俺は確かに宿泊先の月華荘にいます。俺の妹であるさくらも一緒にいるから、彼女も俺のアリバイを証明してくれますよ。」と拓海は東雲に向かって言葉を返す。
「ふむ、他に君が月華荘にいたことを証明できる人は?」と東雲は容赦なく厳しい口調で追及する。拓海はたじろぎながらも反論する。
「他にも証言できるなら、多分この宿のスタッフの方々が何人かいるはずです。外出する際には鍵を置くこともありますので、それも分かるはずですよ。」と拓海は言い、東雲の質問に自信を持って答える。
「確かに、それはあり得ますね。」と東雲は頷く。拓海はその証言に確かな手応えを感じ、表情が明るくなる。
「なら」と言葉を続けようとしたが、東雲の厳しい目が再び拓海に向けられる。
「ですが、それは普通の外出の場合ですよね?相方が部屋に在席する場合、鍵を置いていくなんてことも普通はできないはずですよ。それに関してはどう説明をするのですか?」と東雲が鋭く切り込む。拓海は言葉を詰まらせる。自身のアリバイを証明したはずが、このままではただ墓穴を掘ったままになってしまうことを実感していた。
「そ、それは……」と拓海は言葉に詰まり、口篭る。東雲の意図までは完全に予測していなかったこともあり、東雲は勝ち誇った笑みを浮かべる。
「アリバイの証明も成立しないと言えますね。もし、先程の被害者や凶器などが見つかった場合、あなたの指紋が確認される可能性もありますね。」と東雲が伝えると、拓海の顔色がますます青ざめていく。拓海自身、自分は本当にやっていないという自信があるが、追い詰められるにつれて、徐々に自分が犯人かもしれないという思いが芽生えていた。
しかし、その東雲と拓海の間での尋問に対して疑問を抱いた人物がいた。
「ちょっと待って欲しい、それだと確かに拓海君のアリバイは成立しないが…それと同時に拓海君が犯人であるという確固たる証拠もないと言えないか?」
森川の一言に、拓海と東雲の視線が一点に集まる。
森川は、先程まで拓海と東雲の尋問に対して一切口を挟まずに静観していたが、東雲による拓海への追及に違和感を覚えたのか、重々しい口を開き始めていた。
東雲は森川に反論しようとするが、森川の睨みを感じて言葉を詰まらせる。拓海も東雲と森川の前では言葉を失ってしまう。
「一つ、私の推測に過ぎませんが、可能性を聞いてもらいたいんです。もし、拓海君が殺人を犯した場合、その動機がよく分かりません。」と森川は静かに二人を見据えながら淡々と語り出す。
「もしもこの事件が『黒面の鬼』の伝承に基づく殺人事件だった場合…ただの観光客であるはずの藤原拓海君が、なぜこの殺人に至ったのでしょう?」と森川は静かに東雲に言及する。
東雲は目を泳がせ、森川の指摘にうまく言葉を返すことができない。森川はそんな東雲に対して矢継ぎ早に言葉を続ける。
「まず、実際にこの地に足を踏み入れたばかりの観光客が、この街で発生している脅威や風習に詳しいとは限りません。ましてや、今回の事件の被害者はこの地元住民です。現場での状況や事件が起きた場所から考えると、この街に詳しい人物が関与している可能性が高いのではないでしょうか?それに、外出禁止令が出ている街の中でも、目撃証言が出ている以上…観光客である拓海君があの暗闇の中で凶行に及んだとは考えにくいですよ。」
「さらに、間違った前提があるんです。」と森川はオフィスデスクを強く叩きながら身を乗り出す。
強い意志が森川の鋭い目に映し出され、東雲に言い逃れの余地を与えないようにするためだ。東雲は森川の言葉に強く反論できず、奥歯を噛みしめて睨み返す。
「今回の事件の被害者、川村亮介はこの朧谷温泉街の住人であり…少なくとも彼は旅館の従業員です。普段から肉体労働を行っている人間と、拓海君のように小説家として机仕事をしている人とでは体力や筋肉量にも差があると言えませんか?仮に不意打ちが出来たとしても、最悪反撃をされたら拓海君ですらもひとたまりもありませんよ。」と森川は静かに東雲の顔を見据えながら反論する。
東雲は森川に言葉を返すことができず、額から汗が一滴流れ落ちる。必死に言い返す言葉を考えるが、うまくまとめることができない。森川は一度咳払いをし、再び座り直す。
「それに、犯人はまだ捕まっていないんですよね。無駄に観光客である私や拓海君に注目するよりも、この朧谷温泉街に住んでいる住民に対してさらなる調査をするべきではないでしょうか?それとも、東雲さん…貴方は犯人に心当たりがあると言いたいのですか?」と森川は更なる言及を東雲に突きつける。
東雲は森川に対して一切反論することができず、口を閉ざす。森川はこの尋問に終止符を打つべく、締めくくる言葉を発する。
「これまで互いにとって不利益な時間だけが過ぎていると思いませんか?もう一度改めて、聞き込みを含めた調査を行うべきではないでしょうか。それこそ、貴方による歪められた証言ではなく、真実に基づいたものをお願いします。」と森川はキッパリと言い放つ。
東雲は口をワナワナと震わせ、怒りを顕にした表情を見せていたが、大きく息を吐き、冷静さを装う。
「分かりました。確かに私が不確かな証拠を並べて追及したことについて、改めて謝罪します。」と東雲は述べる。
「ですが、アリバイもない以上…彼が確実に犯人ではないという証拠もありません。それを忘れないでください。」と東雲は拓海を睨みつけるように一瞥し、森川に顔を向ける。森川は涼し気な表情で東雲の顔を冷ややかな目で見つめ返す。
「それでは、一度月華荘に戻りましょう。拓海君、立てるかい?」と森川は一足先に席を立ち、拓海の方を見つめる。拓海は東雲と森川の顔を交互に見た後、「大丈夫です。」と返答する。
森川に連れられ、拓海は朧谷温泉街の駐在所を後にする。二人は街の中を歩きながら、互いに言葉を発することもなく、静かに月華荘に向かって進んでいく。
「あの…尋問中に助けてくれて、ありがとうございます。」と拓海は森川の顔を一瞥し、軽く会釈する。
森川は前を見据えたまま、拓海に言葉を返す。
「大したことはしていないさ。ただ…無実の人間が冤罪によって処罰を受けるのは見ていられなくてな。」
森川は急に足を止め、それに気づいた拓海も足を止めて森川の方を振り向く。拓海が森川の顔を覗き込むと、森川は表情を曇らせて俯いていた。
「森川さん、私にここまでしてくれたのは…何かあったんですか?」と拓海は恐る恐る森川に問いかける。
「いや、少し昔を思い出しただけさ。気にしないでくれ。」と森川は首を横に振り、話を打ち切っていく。
拓海も森川の様子を察してか、そのままこれ以上追及することをやめようと思う。
「さっきも言ったが…一度月華荘に戻って互いの情報を共有していこうか。」と森川は困ったように眉を下げながら拓海に笑いかけ、拓海も同意するように頷いた。二人の足取りは徐々に目的地である月華荘へと向かっていく中、月華荘の玄関前に一つの影が立ち尽くしているのに気付いた。
月華荘の前に佇む人影に気づいた拓海は驚いた表情で目を見開き、立ち止まる。怪訝そうな表情を浮かべた森川は、先にいる人影と拓海の顔を交互に見つめる。
「あ、貴方は…」と拓海は声を震わせ、人影を凝視する。月華荘の前に佇む人影は拓海に気づいて視線を返す。
「待っていたぞ、藤原拓海。」と人影は拓海に声を掛ける。その人影はボロボロの甚平を着たボサボサの髪の毛を持つ『黒面の鬼』と呼ばれた男が拓海を待っていたようだ。
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