第23話 鬼の証言

 拓海は森川の推測通り、この頃既に『鬼の祠』がある山の中へ再び足を踏み入れていた。しかし、状況は彼の予想とは異なり、一触即発の状態に陥っていた。

「警告したはずだ。荷物をまとめてさっさと帰れと言ったのに、まだこそこそと嗅ぎ回っているのか。」

拓海の前に立つ男は、拳を握り締めながら彼を睨みつけていた。その目はまるで鬼のように鋭く、深い怒りと憎悪の色が浮かんでいた。拓海は眼前の男の異様な雰囲気に圧倒されながらも、目的である『黒面の鬼』について知った出来事を彼に伝えるために来たと自分自身を奮い立たせた。

「確かに昨日はお前に首を絞められてまで警告された。だけど…それで引き下がるほど弱くはない。俺は、お前に話があって来たんだ!」

「俺からお前に話すことなどない。これ以上関わるな。今度はあの程度では済まさないからな!」と男は拓海を強く拒絶した。しかし、拓海は食い下がるつもりだった。ここで諦めるわけにはいかない理由だけが彼の中に存在していた。

「話はウツギさんと宮司さんから全て聞いた。お前は、自分と関わった人間が不幸な目に遭うから遠ざけたいんだろう?それとも違うのか?」と拓海は男を真っ直ぐ見据えながら、今まで助けてくれた人々の名前を口にする。正直なところ、最後の問いかけは拓海が賭けに出ただけであり、彼にとっては単なる大博打に過ぎなかった。男はギリッと奥歯を噛み締め、小さな声で「なめやがって…」と呟いた。拓海は意を決して男に向かって歩みを進める。

 一歩一歩足を踏みしめ、拓海は男の元へと近づいていく。自身の元へ、拓海が近づいていくのを感じた男は、ゆっくりと後ずさる。「ち、近寄るな!大体、お前にはなんの義理があってこんなことをするんだ!この村に来た余所者のくせに!俺の何が分かると言うんだ!」と男は徐々に近づいてくる拓海を振り払うように、手を振り回しながら後ろへと下がっていく。それでも拓海の足は止まる様子を見せず、真っ直ぐに男を見据えながら近づいていく。

「確かに、朧谷温泉街については俺は何の関係もない。だけど、それは昨日までの話だ。俺としては、ただ巻き込まれただけに過ぎない。だけど…」と言葉を続けようとして、一度口を止める。拓海は、今日を含めて三日間で起きた数々の不可解な現象を頭の中で思い起こす。本当ならば、ただ小説の題材になるかもしれないという考えで調べていただけだった。しかし、ここまで深く関わってきた以上は、真実を突き止めたいという一心だけでここまでやってきた。

拓海は一度立ち止まり、大きく深呼吸する。男はそれでもなお後ずさる足を止める様子はなかった。

「だけど、今こうして人が死んでいるんだ。俺がこうして『黒面の鬼』に関わったのが原因でそうなったのかもしれない!俺にも責任があるだろう、でも…それでもあの事件がという事実にはならないだろう?」と拓海は喉から声を振り絞るように、男に訴えかける。呆気にとられた男は、拓海の目を見て茫然と立ち尽くす。だが、男は喉からくつくつと笑いが込み上げていき、笑い声をともなっていく。

「はっはっはっはっ、そうか!そうかよ!それは大した度胸だな!それがなんだって言うんだ、俺が人を殺そうが殺さまいが、俺の勝手だろう?」

先程まで追い詰められたような状況が一変し、拓海は一歩後ずさる。男のボサボサの髪の間から覗く鋭い目は、まるで拓海を嘲笑うように歪んでいた。

じりじりと、歩みを進める男に対し、拓海はゆっくりと後ずさる。それは先程拓海が男にやって来た事への再現のように、拓海は徐々に追い詰められる。

拓海は足元を確認するべく、後ろを振り向くと、自身の後ろには崖が迫っていた。あともう一歩下がってしまえば、自分が転げ落ちることを確信する拓海。


 拓海は、立ち止まらざるを得ない状況の中、男を睨みつける。だが男はニヤニヤと笑みを浮かべるばかりで、何かをする様子は見せない。一歩間違えたら拓海が突き落とされるかもしれない、と考えながら身構えた。拮抗するような、緊迫した空気が広がる。

「俺は、お前が無実であることを証明したい。」と拓海は男を睨みながら、きっぱりと言い放つ。

だが男の表情は変わることも無く、歪んだ笑みを浮かべて拓海の身体へと手を伸ばす。

『まずい、今回は本気で殺されるかもしれない!』と拓海は心の中で、死を覚悟するように呟いた。

その時、突如としてガサガサガサッと木々を掻き分けるような激しい音が聞こえ、ハッと我に返る男と拓海。二人が音の方向へと注視していると、少し離れた茂みの中から森川が勢い良く飛び出す。

「お前達!一体何をしているんだ!」と声を荒らげ、走り寄る森川。男は森川が近づいて行く様子を見て、舌打ちをしながら拓海の傍を通り抜けて山を下りていく。拓海は森川の姿に安堵したと同時に、バランスを崩して後ろに倒れ込みそうになる。

「森川さん!!」

「拓海君!!」

拓海は咄嗟に森川に向けて手を伸ばす。森川は必死の形相で拓海の手を掴み、自身の方へと引き寄せる。

拓海はしっかりと森川の手を掴み、山の道の中へと戻っていく。崖のふちから助け出され、安堵の溜め息を吐く拓海に対し、森川は憤怒した。

「拓海君、自分が何をしたのか分かっているのか!」

「す、すみません……でも、助けてくれてありがとうございます。」と拓海は森川に感謝を伝えつつも萎縮した。まさかこの場所に森川が居るとは思わ無かったことも大きかったと言える。森川は大きな溜め息を吐いて、眉間を揉む。余程心配をしていたようで、大分疲れた表情が顔に浮かんでいた。

「どうしてこうも言った先で、こんな危険な目に遭うんだ君は……」

「あはは、やっぱり居ても立ってもいられなくて…気づいたら身体が動いてました。ところで、森川さんはどうしてこの場所が分かったんですか?」

拓海が質問を投げかけると、森川は思い出した様に顔を上げ、拓海の顔を見つめる。

「昨日の君の話から、行きそうな場所を推測してみたんだ。そしたら、案の定君がここにいた訳だ。状況も芳しくないのも、今ので分かったけどね。」

「やっぱり鷹の目だなぁ……」と拓海は感心を寄せるが、森川は表情を曇らせて拓海の両肩を掴む。

 拓海は森川にいきなり肩を掴まれ、ぎょっと目を見開いて森川を見つめる。森川は真剣な表情で、拓海を見つめ返す。緊迫した空気が、森川と拓海を包み込む。

「良いかい拓海君、今君には言わねばならないことがある。一度しか言わないから、よく聞いてくれ。」

「は、はい……」

森川のただならぬ雰囲気に気圧されつつ、拓海は真剣に森川の話を聞く事注力する。

「今、現場に駆けつけてくれた刑事達によって事件現場の周辺調査を行った。状況的にも、まだ色々と情報は集まってないが…恐らく、君が疑いをかけられてる可能性が高いと判断したんだ。」

「え、それはどういう事なんですか。俺が殺人事件の犯人とでも言うのですか?!」と拓海は思わず声を荒らげる。森川は周囲を見渡し、自身の口に人差し指を当て、しーっとジェスチャーをする。

「声が大きいよ、拓海君。此処に君以外が居ないとは限らない。もし、これが聞かれてたら更に大事になるはずだ…何も無いと良いが。」と森川は慎重に周囲を見渡しながら、様子を伺う。

「一度宿に戻ろう、下手に誰かに見つかったら面倒な事になるかもしれない。話はそれからにしよう。」

森川は慎重に拓海へ声を掛け、拓海は静かに頷いた。

誰が聞いているか分からないこの場所では、尚更慎重になる必要はあるだろうと判断した。

森川と拓海の二人は、一度月華荘へと戻る為に山を下りていく。その間に、森川は先程見た男と拓海のやり取りについて質問をした。

「あの時、君は誰かと話しをしていたようだったが……あれは、いや、彼は件の『黒面の鬼』だと言うのかい?」

「まぁ、はい。彼があの街に彷徨う『黒面の鬼』であることは確かです。彼は100年以上もの間、この朧谷温泉街の中で犯した罪の影響もあって……今でもこうして苦しんでたんですよ。」

拓海は顔を伏せながら、ぽつりぽつりと森川に話していく。ここに来る間、宮司と会話した内容について、そして自身が見つけ出した考察も交えた考えを包み隠さず全てを打ち明ける。


 森川は、時折相槌を打つ様子はあるが、一切口を挟まず沈黙したまま話を聞いていた。拓海は、森川に話をしていく内に、心の中にあった不安や焦燥感などが掻き消えていくのを感じていた。

一通り話を終えた頃には、月華荘に近い場所まで来ていたようだった。

「これが、街の真相の全てです。まだ、色々と確認は取れてないのが多いのですが、俺が知る限りはこんな感じです。」と拓海は落ち着いた様な目で、森川の顔を見つめる。

「確かに、それだと『黒面の鬼』がこの街を徘徊する理由にも納得がいく。だが……少なくとも、んじゃないか?」

「そう、ですね。確かに弱い気はします。だからこそ、本人に直接真偽を確かめようとしたのが今回でしたから。」と拓海は肩を落としながら、悲しげに笑って見せる。森川はそんな拓海の様子を見て自身の腰に手を当てながら、考えを巡らせていく。

黒面の鬼の正体、鬼の目的、鬼の呪い…そして今回の殺人事件について、森川は頭の中で整理する。

「君が集めた今までの出来事が全て真実ならば、この殺人事件は確実にである、と断言することは可能だろう。」

「だが、それはそれとして……俺は鬼の目的についてはこう考えている。ただの勘である事だけは、頭の隅にでも覚えておいてくれ。」と森川自身の推測を立てた上で、人差し指を上に指して見せる。拓海は、静かに頷いて話を促す。森川は一呼吸入れ、もう一度拓海の顔へと視線を移す。

「恐らくだが、『黒面の鬼』の目的は『贖罪』であると俺は思っている。神社というのは、元々邪なるものは寄せ付けないように作られている。もし、『鬼』である彼が神社に近づけないということは……きっと、あの100年もの間…ずっと後悔をし続けたからこそ、その神々に対しての贖罪を求めて訪れたという可能性も考えられなくないか?」森川の考えるに対し、拓海はどこが腑に落ちるような感覚があった。

「確かに、それだと理屈にもなります。本人に確認する術は無いですが……その方向で考えてもいいかもしれませんね。」

「取り敢えず、その線で考えて一度情報共有を…」と森川が言いかけた途端、言葉を途切れさせて立ち止まる。森川は険しい表情に変わり、真っ直ぐに見据えていた。拓海何があったのだろう、と怪訝そうな表情を浮かべた。森川の視線の先を、拓海も倣うように向けると、その先にはこの朧谷温泉街の警察官、東雲健太郎が佇んでいた。

「こんにちは、森川さんと藤原さん。お二人揃って何をしていたんですか?」東雲は人懐っこい笑顔で、森川と拓海の二人を捉える。偶然とは思えないタイミングに遭遇したことに、拓海と森川は身構える。

「そういう東雲さんこそ、どうしたんですか。持ち場から離れて大丈夫なんですか?」と森川はやや皮肉めいた言葉を返す。拓海が傍らにいる森川の顔を覗き込むと、その目には東雲に対する懐疑の色が滲んでいた。

 東雲は森川の疑いの目に対し、おどけたように肩を竦めて見せる。森川は慎重に拓海を後ろに下がらせ、東雲と対峙するように前に出る。

「それで?ここに来たということは、彼に用事があって来たということですよね、東雲さん。」

森川は東雲を鋭く睨みつけながら、冷ややかな言葉を投げかける。しかし、そんな森川の態度に怯むこともなく、東雲は警戒を解くようなジェスチャーをする。

「ちょっと周辺の事情聴取を終えたついでです。本件の重要参考人でもある、藤原拓海さんにもお話が聞きたくて伺っただけですよ。」

「残念だったな、生憎俺もこれから拓海君に事情聴取をするところだったんだ。他を当たってくれないか。」

森川と東雲の間に、緊張の空気が張り詰める。

互いに一歩も引かないまま、沈黙が続く。拓海はどうしたらいいか分からず、森川の後ろで戸惑うばかりだった。森川は、拓海に目配せをすると、「最悪ここから君だけでも逃げろ」と小さく囁いた。

拓海は静かに頷き、ゆっくりと後ずさる。

「逃げたらそれこそ、被疑者としての扱いをする可能性もありますよ。藤原拓海さん、一応事情聴取で貴方を目撃したという情報も寄せられています。」と東雲は後ろに下がる拓海に声を掛ける。拓海はその言葉に耳を疑う。それは、近くにいた森川も同様だった。

「それはどういう事だ、本当にそれが拓海君であるという証拠があるのか?」と森川は東雲に問い詰める。

「本当かどうかはさておき、アリバイがあるかどうかの確認も必要です。やたらに問い詰めるつもりはありません。一度署でお話するだけですよ。森川さんも、同行しますか?」と東雲は森川に言葉を返す。

拓海は不安そうな目で、森川を見つめると、森川は拓海を見つめ返して小さく頷いた。

「分かりました、ですが……万が一不当な扱いである場合はこちらも考えがあります。それだけは分かってください。」と森川は答えた。東雲は森川の返答に大きく頷き返す。

「分かりました、ではご一緒にお願いします。」と東雲は森川と拓海に駐在所へと行くことを促した。

拓海と森川は、促されるままに東雲に続いて行った。

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