第19話 暁の告白

 朧月の間に戻った拓海たちは、緊張感漂う空気の中で静かに座り、事件現場の話をすることになった。

拓海は慎重に言葉を選びながら、街で見た現場の様子を伝えていく。表情を曇らせ、先程まで見たあの死の光景が、拓海の瞼の裏に焼き付いているせいで、口に出そうとしても上手く言葉にするのは難しかった。

松本は拓海にフォローを入れる。

「あれはかなり悲惨だったよ。拓海さんも耐え切れなくて気分が悪くなったんだ。」と拓海に力強く語りかける。二人の話から、どれだけ凄惨な状況だったかは、さくら、香織、未来の三人にとっても想像は容易であった。

「松本さんが助けてくれたお陰で、どうにか持ち直せたから助かりましたよ。」と拓海は彼に力無く笑い掛ける。松本は拓海の表情を見て、先程の様子をまだ心配そうに笑い返す。

「でも、正直、どうしてこんなことが起きたのかはまだ分かっていないよ。多分、犯人もまだ捕まっていないだろうし……今日は危険だから、できるだけ外出せずにこの月華荘で待機した方がいいかもね。」と拓海は彼女たちを危険に晒すわけにはいかず、事態が落ち着くまでここにとどまる提案をした。

「確かに、こんなことが起きたんじゃ……まだ普通に外出するわけにもいかないだろうし。」と未来は不安げな表情を浮かべた。香織も同じように不安を抱いているのか、未来の手を握りながら俯いていた。

「お兄ちゃん……」とさくらは怯えた様子で拓海の腕にしがみつく。今日に至るまでの二日間で、確かに拓海やさくらたちの身に不可解な怪奇現象が度々起き、その怪奇現象に巻き込まれた経験はあった。

 しかし、それ以上に今起きた凄惨な殺人事件は、この場にいる五人の不安を強く煽っていた。

「拓海さん、僕も何か手伝えることがあれば、色々と教えてください。これ、僕の連絡先ですので。」と松本は思い出したように、ポケットから名刺を取り出す。

拓海は松本から名刺を受け取り、自身の連絡先とスマートフォンのアプリにあるLimeのアドレスを教える。

「あぁ、そうだ。君たちにも折角だからこれを渡しておくよ。こんな時のために、互いに協力しあわないとね。」と、その場を明るくさせるために松本は笑顔を見せながら、未来と香織にも名刺を手渡した。

この時、拓海の中では今朝発覚した殺人事件に対して疑問を抱き始めていた。もし、この事件が『黒面の鬼』の手によって行われた場合、なぜ彼がそのような凶行に至ったのかという疑念が次第に強まっていく。

『こんな時、森川さんだったら何か分かるのだろうか……少なくとも、彼に確かめる必要はあるかもしれない。」と、拓海は心の中で呟く。顔を上げ、壁掛け時計の時間を確認するために拓海は時間を確認しようとした。時計の針は8時30分を指しており、拓海は一度玄関へ向かおうと思い立つ。

「すみません、俺、一度月華荘の玄関に行ってみようと思います。多分、森川さんが戻ってきてると思うので。」と拓海は松本に声をかけ、立ち上がろうとする。

「構わないけど、もしかしてさっきの刑事さんが森川さんっていう人かな?」

「えぇ、はい。森川慎一郎という方で、この月華荘に宿泊している人なんです。」

「なるほど、分かりました。では僕は暫く彼女たちに付き添いをしているので、拓海さんは森川さんと合流してください。また後で、お話を伺いますので。」と松本は彼女たちを一瞥し、拓海に声をかけていく。

「分かりました。では、行ってきます。」と拓海は朧月の間にいる彼女たちに手を振り、足早に朧月の間を後にする。


 拓海は朧月の間を出て、階段を駆け下りていく。

ロビーへと辿り着くと、月華荘の玄関では現場から戻ってきた森川が佇んでいた。拓海は森川の姿を確認し、彼の元まで駆け寄っていく。

「おかえりなさい、森川さん。」と拓海が出迎えると、森川は神妙な表情で拓海を見つめている。

拓海は何かを察したように、森川の顔を見つめ返す。

「何か、あったんですか……森川さん。」

「丁度良かったよ、拓海君。少し二人きりで話をしないか。この近くにレストランがあってな、俺が奢るからそこで詳しく話をしよう。」

「分かりました。丁度、俺も用事があったので。」

拓海は静かに頷いた。拓海は森川と共に月華荘を後にし、近くのレストラン『輝光亭きこうてい』へと歩みを進める。

拓海はその道中、妹であるさくら宛に『今、森川さんと合流した。森川さんと朝食食べる予定だから、そっちで食べてていいよ。』と連絡を送る。直ぐさまさくらから返答があり、承諾のスタンプがトーク画面に貼られていた。

 森川と拓海がレストラン『輝光亭』へと辿り着くと、ドアを開けて二人は店の中へと入っていく。

森川と拓海が入ったレストラン『輝光亭』は、落ち着いた雰囲気漂う空間が広がっていた。木の温かみを感じる床には、柔らかな光を放つシャンデリアが優雅に揺れていた。壁には落ち着いた色調の絵画が掛けられ、ゆったりと配置されたテーブルには上品な花が飾られている。

店内は暖かな色合いのカーテンで仕切られ、プライベートな雰囲気が演出されていたようだった。

ゆったりとした席には、クッションが施された高い背もたれの椅子が用意されており、快適な座り心地が感じられていた。テーブル上にはシンプルで洗練された食器が並び、上品な食事体験を約束されていた。

店内には穏やかな音楽が流れ、会話が広がる中でも相手の声を明確に聞き取ることができるように調整されているようで、落ち着いた雰囲気と暖かな照明が、森川と拓海の会話を包み込んでいく。

さらに、レストランの一角には大きな窓があり、外の景色が見渡せるようになっていた。そこからは美しい景色が広がっており、穏やかな光が店内に差し込んでいた。

「拓海君、奥の席でも良いかね。」

「はい、大丈夫ですよ。」

森川と拓海は、情緒溢れる店内の中、奥のボックス席へと着いていく。店内は、比較的人が少なく、不穏な街の様子とは違い、穏やかな朝の雰囲気を醸していた。


 森川と拓海が向き合うような形で席に着くと、冷たい水の入ったコップを持った店員が席に近づいてきた。丁寧に微笑みながら、店員は言葉を伝えた後、メニュー表をテーブルに置いて退室した。

森川は店員がその場を後にするのを見届けた後、拓海の方へと向き直る。

「さてと、拓海君には伝えねばならない話がいくつもあるが……まずは順を追って話そう。」と森川が口を開く。拓海は背筋を伸ばし、真っ直ぐに森川の顔を見つめる。森川は一つ咳払いをし、重々しく話し始める。

「まず一つ目、現在あの現場は遺体にブルーシートを被せ、出来るだけ現場を維持するために封鎖も行った。下手に証拠の隠蔽や、荒らされることはまず無いと言っていい。」

「次に、先程現地の東雲さんから本部へと連絡をしてもらったが……こんな辺鄙な山の中だ。出動するにしても遅くとも1時間は経つらしい。俺たちは暫く待機するしかないとだけはある。」

森川は手を組みながら、両手の親指をくるくると交差させながら、拓海に状況を説明していく。

「さっきも見た通り、遺体の損傷はとても激しく、身元の特定は難しいと思われる。それと……これは言うべきか迷ったが、君のことだ。いずれ調べるだろうから先に伝えておこう。」

森川は真剣な表情で話を聞く拓海の目を見つめる。

手の傍らに置いてある冷たい水の入ったコップを手に取り、ぐいと飲み干した。

「実の所、これは地元警察でもある東雲さんから聞いた話だが……どうやらこの殺人事件、過去にも何件か同様の事があったようだよ。」

拓海は森川の言葉に、頬から冷たい汗が伝うのを感じた。しかし、それ以上に森川が拓海の想像以上に多くの情報を語ることに動揺が隠されなかった。

「ち、ちょっと待ってください。一応森川さんも刑事としての立場はある筈です。何故そこまでして俺にこんな情報の数々を教えるんですか。守秘義務の問題とかって、大丈夫なんですか?」と拓海は、動揺を隠しきれない様子で、森川を睨む様に見据える。

 それに対し、森川は至って冷静な表情を崩す様子はなく、真っ直ぐに拓海の目を見つめていた。

「あぁ、それは充分理解している。だが、俺が黙っていたらそれこそ君は、自分から危険な事も承知で探すだろう?」と鋭い瞳を見せながら、森川は静かに語り掛ける。拓海は図星だった様で、目が泳いでいるようだった。『やはりか』と思いながら森川は大きくため息を吐いた。

「だからだよ、君が他言しないと約束してくれるなら。俺はこっそり君に伝えるよ。勿論、捜査に関わるような重要な情報は出来るだけ避けた上でだ。」

「だからと言って、どうして俺にここまでしてくれるんですか。」と拓海は森川に切り込む。

「俺はね、君を高く評価しているんだ。一端の小説家とはいえ、普通ならばここまで探してまで詳しく調べようとは思わないと思っているよ。君が一体何に駆り立てられているのかは分からないが、もしこれが君やこの事件の解決につながるのならば……俺はいつだって手を貸すつもりだよ。」と森川は背もたれに身体を預け、拓海の方を真っ直ぐと見つめる。

「……そうですか。分かりました。」と拓海はどこか納得しきれない気持ちを抱きつつも、森川の強い説得力のある言葉に従うだけだった。

「とはいえ、本部の警察が到着次第では、更に詳しい話は得られると思うけどな。」と森川は言葉を濁す。


 森川はその後、視線を外に向けていく。拓海も森川の行動につられてしまい、視線を外に向ける。

「正直なところ、この件について君はどう考えている?」

森川は唐突に拓海に疑問を投げかける。拓海は、突然話を振られたことに驚き、口篭ってしまう。

「まだ、はっきりとしたものは分かりませんが……少なからず、人為的なものだとは思っています。自信はありませんが、もし超常的なものだったとしたらある意味辻褄が合わないような気がします。」と拓海は自信なさげな様子で森川に自身の考えを伝える。

「なるほどな、俺自身もはっきりとした確証はないが、その線も考えられるな。」と森川は頷いた。

森川は一度外へと向けた視線を拓海に戻すと、拓海にある忠告をしていく。

「君が探し回っている『黒面の鬼』については、あまり他の警察に口外しない方が良いよ。少なくとも、彼らは俺のように理解があるとは限らないからね。」

拓海は、森川の言葉を聞いて静かに頷いた。

「一応、これは俺の連絡先だ。お互い連絡を取りやすい状況さえあれば、話も早いだろうよ。」と森川は自身のスマートフォンの電話番号が書かれた紙を差し出す。拓海は紙を受け取り、自身の持つスマートフォンに連絡先である電話番号を登録する。

「さてと、話はそろそろ終わりにして……朝食にしようか。この後は俺は現場に一度戻るが、君はどうする?」

「俺は一度月華荘に戻ろうと思います。一旦今までの状況を整理しておきたいので。」

「そうか、じゃあそれぞれやるべきことをやらなきゃならないからな。」と森川は頷き、テーブルに置かれたメニュー表を開いていく。拓海は一度頷き、二人はそれぞれ朝食の時間を過ごしていくこととなった。

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