─────転・収束する事件
第18話 呼び覚まされた恐怖
─────20✕✕年、5月4日。
柔らかな陽射しが部屋に差し込み、拓海は布団の中で静かに目を覚ます。頬を伝う温かい雫は、彼の目からとめどなく溢れ続けていた。
昨晩の出来事によって、拓海はこの二日間で起きた不可思議な現象とウツギの真意を知ってしまった。
それらが明らかになった瞬間、彼の心は深い悲しみに包まれた。溢れる涙と共に思い起こされる夜の出来事に、拓海の胸は酷く締め付けられるように感じられた。紫色の根付に付いた木彫りの狐を握りしめ、胸に抱く。
「ウツギさん……」と拓海は小さく呟き、深呼吸を何度か繰り返すと、次第に落ち着きを取り戻していく。
「このまま黒面の鬼とウツギさんの真実を隠したままにはしておけない。やっぱり、正しい話を明らかにしないと…きっと、彼らにとって救われないはずだ。」
拓海はこの二日間で体験した数々の出来事、そして自分が調べた伝承について、その全てを明らかにすることを固く決意した。
拓海は決意を抱き、起き上がった瞬間、突如として耳を劈くほどの悲鳴が響き渡った。
「きゃあぁぁ────────────!!!」
叫び声が拓海の体に突き刺さり、彼は驚きのあまり身を震わせた。迷わずに行動に移るため、彼は朧月の間の窓に手を掛け、勢いよく窓を開け放った。
窓辺から身を乗り出し、周囲を確認すると、街の方で人だかりが形成されている光景が目に入った。
しかし、その様子は不穏であり、胸騒ぎを覚えるものだった。拓海の心はざわめき、何か重大な出来事が起きていることを感じ取った。
「何だ、今のは…もしかして何か起きたのか?!」と拓海は声を上げ、不安と緊張が入り混じる表情を浮かべた。拓海はその状況を確かめる為に、彼は躊躇わずに朧月の間を飛び出した。
拓海が走って飛び出す物音に気づいたさくらも、その尋常じゃない様子に驚いて飛び起きる。
「お兄ちゃん?!」とさくらは走り去る兄の背中を、ただ見送るだけしか出来なかった。
拓海が勢い良く廊下を駆け抜け、階段を転がるように駆け下りる。彼が月華荘の玄関へと辿り着くと、そこには既に外に出ようと靴を履いている森川の姿があった。拓海は、彼の背中に向けて声を掛ける。
「森川さん、一体何がありましたか?!」と拓海は焦りが滲む様子で彼に問うと、森川は驚いた様に目を見開いて拓海の顔を見つめていた。
「拓海君か、いや…これは君には関係の無い事だ。」
「その様子だと事件があったんですよね、俺が完全に無関係とは言いきれないかも知れません。行かせてください。」と拓海は森川に食ってかかるかのように森川へと詰め寄る。
だが森川は言い澱みながら、拓海の肩を掴んで目を合わせる。森川は軽く深呼吸をして、諭すような声色で語りかけていく。
「今、月華荘のオーナーさんから聞いた話だ。どうやらこの先の道で、殺人事件があったみたいだ。今状況を確認をする為に向かうつもりだが、君が探し回っている『黒面の鬼』関係とは断定出来ない。下手にこの状況に首を突っ込むと、君自身までもが疑われるんだ。せめて俺が戻ってくるまで大人しくしててくれないか。」と森川は必死に言葉を選んだのか、拓海を説得していく。だが、拓海は昨晩の出来事もあり、彼にとっては気が気では無い状態にあった。
普段であれば、拓海は大人しく話を聞き入れる位の冷静さはあったが、今の拓海にとっては今回の出来事が自分に関与する出来事では無いかという気持ちでいっぱいになっていた。
「すみません、でも俺は確かめに行かなきゃならないんです。」と拓海は森川の制止を振り切り、靴を履いてそのまま玄関を飛び出していった。
「あぁ、拓海君!!!」と森川は彼を止めようと手を伸ばすが、伸ばした手は拓海の背を掠めるだけだった。
「くそ、俺も行かないと…何があるか分かったものじゃない!」と森川は悪態を着きながら、拓海を追い掛けるように玄関を飛び出していく。
拓海は先程窓から見掛けた人だかりへと向かい、全速力で街の中を駆け抜けていく。途中、自転車を漕ぐ地元の人にぶつかり掛けたが、拓海は体を捻って衝突を躱して行く。目前では既に多くの人だかりができており、何やら顔を合わせてヒソヒソと話をしているようだった。
「すみません、通ります。通らせてください…お願いします!」と拓海は人だかりの中へと入っていき、嫌な胸騒ぎを感じながら必死に掻き分けていく。
拓海が人だかりの中を掻き分けて進んでいくと、その背中から大きな声が聞こえてくる。
「すみません、警察の者です。通してください!」とその声は森川の物らしく、彼もまた拓海を追った先で警察手帳を掲げながら人だかりの中を掻き分けて入っていく。しばらく二人は、無数に集まる人の中を掻き分けて入ると、その人だかりの中心部にまでたどり着いた。
「─────…っ!!」拓海は目の前の光景に、思わず顔を引き攣らせて手で口を覆う。
後から追いついてきた森川は、息を切らせながらもその目の前に広がる光景に絶句していた。
─────そこには、形容し難い程の凄惨な光景が広がっていた。
目は既に白く濁っており、口からは赤い血の混ざった泡が吹いている。身体は冷たく硬くなり、石畳の上に倒れている。その周囲には乾いた赤黒い水溜まりが広がっているが、それは目の前で倒れている男性のものだろうか。彼は既に息絶え、身体の至る所には野生の動物に襲われたかのような複雑な切り傷が広がっている。赤く鋭い傷跡が背中や首、腕などに散在しており、凄惨な光景を物語っている。
拓海はあまりにも凄惨な光景を目の前にし、耐えきれなくなったのか、その場で蹲った。胃からせり上る吐き気が襲い掛かり、必死に抑えようとする。
森川はそんな拓海を気遣ってか、拓海の背中に手を当ててしゃがみ込む。
「これは酷いものだな…まるで獣が襲ったような有様だ。」と森川は言いながら、目の前の惨状に顔を顰め、拓海の背を優しく撫でる。拓海の顔には現実離れした死の光景が焼き付いており、思い出すだけでも吐き気がする。
「誰か警察に連絡はしたか!ここに警官がいるなら今すぐ呼んできてくれ、警察本部に応援を要請してもらいたい!」と森川は拓海の背中を擦りながら、周囲に呼びかける。
「大丈夫か、拓海さん。」と森川は拓海の具合を心配しながら顔を覗き込み、様子を伺う。拓海は言葉を話す余裕がなく、首を横に振るだけだった。
森川と拓海は警察の到着を待つ中、慌ただしい様子で駆けつける一人の男性の姿があった。
「すみません、今急いで駐在所の警官を呼んで来ました!他に何かできることはありますか?警官はすぐ来ると言っていましたが…」男性は人だかりを掻き分けながら、森川に声をかける。森川はその男の姿を確認する。どうやら一眼レフを首から掛けた若い男性が駐在所まで駆け込んでいったらしい。
「感謝する。俺は今から人払いをするので、君は彼を介抱してくれないか?少しショックが大きすぎて具合が悪くなったんだ。」と森川は傍らで蹲る拓海の方へ視線を落とし、男性に拓海の介抱を頼み込む。男性も承諾したように頷き、森川と場所を交換した。
「大丈夫ですか。少しでも、この場所から離れられますか…?」と男性は拓海の背中を擦りながら、声を掛ける。拓海は、あまりまともに話せる様子ではなかったが、男性の声に聞き覚えがあったのか、ゆっくりと顔を上げる。
「あ、貴方…昨日の」と拓海は思わず言葉を言い掛けたが、それは彼も同様だったようで、二人は驚いた様子で互いの顔を見合わせていた。
拓海と男性が、互いの顔を見合わせている状況の中、森川は人だかりに向けて声を掛けていく。
「すみません、危険ですので現場から離れてください。」
「警察が到着するまで、自宅で待機していてください。現場が荒れてしまわないよう、ご協力お願いします。」
森川は、出来るだけ人だかりを遠ざけ、二次被害を抑えようと奮闘していく。その人だかりの奥から、また別の声が大きく上がる。
「朧谷温泉街駐在所の者です!連絡をくれた方は何処ですか?」とどうやら駐在所の警官もこの場に駆けつけたらしく、人だかりはその声に気づいて道を開けていく。慌ててやって来たのか、額からは汗を滲ませながら、制服姿の警官が現場まで近づいていく。
森川は駆けつけてきた警官に気づくと、彼は警官に向けて自身の持ってる警察手帳を提示する。
「お疲れ様です。県警本部の刑事、森川慎一郎と申します。」と森川は自身の身分を伝えながら敬礼をする。
警官も森川の警察手帳を見て、慌てた様子で自身の警察手帳を見せながら敬礼を返す。
「お疲れ様です。こんな状況の中、手伝わせて申し訳ありません。ところで、先ほど連絡を受けたばかりで状況がまだ把握しきれていませんが…詳しい話をお聞かせ出来ますか?」と、警官は森川に今起きている状況を確認する。森川は先程までの現場の状況について、警官に対し適切な説明を話していく。
現場の近くに居た拓海と男性は、男性に支えられながらその場をゆっくりと抜け出していく。警官は、二人が抜けて行った先に広がる光景に、思わず顔を顰めていた。
「これは酷い……分かりました、今から本部に応援要請を申請して来ます。ただ…」と警官は何処か言葉を濁した様子で森川に視線を向ける。
「ただ、一昨日に起きた土砂崩れの影響がまだ続いているそうなので、此処へ到着するのは時間がかかると思います。」と警官は困った様な表情を浮かべて森川へと伝える。だが、森川にとっては一刻も争う為、彼は「それでも早めに連絡をしてくれ、ほかの住民には出来る限り現場の維持を頼んでおく。宜しくお願いします。」と険しい表情になりながら警官へと伝える。
警官は「分かりました。それでは一度駐在所へ戻らせていただきます。連絡次第、直ぐに現場に戻りますので、此処でお待ちください。」と伝え、足早に駐在所の方へと走って行った。
先に現場から離れた拓海と男性は、近くにある自動販売機の前で一度立ち止まる。男性は、自動販売機の近くにある竹のベンチに拓海を座らせ、自動販売機で水を購入して拓海に差し出す。
「取り敢えず、まだ気分は優れないでしょうから…お水を飲んでください。」と男性はペットボトルのキャップを外す。拓海は差し出された水を手に取り、一気に喉に流し込む。
「はあぁ……本当、ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしましたね。松本さん。」と拓海は深く沈んだような瞳で、隣に座る松本大輔へと言葉を投げかける。
「仕方ないですよ、朝からこんな状況になっていたんですし…貴方もその悲惨な光景を見て、気分が悪くなるのも無理は無いですよ。」と松本は拓海を気遣う様子で言葉を返す。拓海は、この時自分の知っている人がそばに居てくれた事に心から安堵した。
暫くの間、松本と拓海のあいだに沈黙が訪れる。
拓海は、気まずそうに顔を逸らしつつ、松本に今の時間を確認する。
「松本さん、俺…直ぐにこの場に出てしまったものだから、時計持ってないんですが、今何時か分かります?」
「時間ですか、ちょっと待っててください。」と松本は自身のズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、液晶画面に映し出されている時刻を確認した。
現在時刻は、朝の8時12分を映し出しているようで、松本は拓海に今の時間を伝えていく。
「今は8時12分ぐらいですね、どうします…?一度、月華荘に戻りましょうか。」
「そうですね、妹をその場に置いてしまったから今から戻らないと。」と拓海は、朧月の間に取り残した妹を心配し、ベンチから立ち上がる。松本は、やや心配そうな表情を浮かべながら、拓海の顔を見つめていた。
「僕も一度宿に戻ろうと思います。多分、刑事さん達も現場にいるでしょうから、僕らは月華荘で待機した方が良さそうですからね。」
「それもそうですね。じゃあ、行先は同じですし、一緒に戻りましょうか。」と拓海は提案し、松本は承諾した。拓海と松本は、一度月華荘へと戻る為に朧谷温泉街の街中を歩いていく。彼らが月華荘へと到着した時、玄関では心配げな面持ちで佇む妹のさくらと、昨日一緒に街を散策した未来と香織の姿があった。
拓海は三人の姿を確認すると、彼女達の元へと駆け寄る。拓海の姿を確認した彼女達も、彼の元へと近づいていく。
「もう、いきなり飛び出していくから何かあったんじゃないかと心配したんだからね!」と涙ぐみながら、さくらは拓海に詰め寄る。拓海は、さくらの頭を撫でながら、松本の方へと視線を向ける。
「すまない、ちょっと外で大変な事があってな…後で事情を説明するから、三人とも、朧月の間に来てくれないか。松本さんも、一緒にどうですか?」と拓海は松本に提案する。
「良いですよ、僕も一度、どんな状況かは把握しておきたいですし…でも、無理はしないでくださいね。」と松本は承諾しつつも、拓海の身を案じる。
「大丈夫ですよ、大分落ち着いてきたので…じゃあ、皆で朧月の間に行こうか。」拓海は彼女達三人を宥めつつ、再び月華荘へと戻って行った。
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