第14話 鷹の目

 静寂に満ちた月華荘の廊下を拓海は思索に耽りながら、ゆっくりとした足取りで進んでいった。

一つ一つの集めた情報を紐解きながら、彼は『黒面の鬼』の謎に迫っていく。

「うーん…黒面の鬼の目的がいまいち分からないな。」

拓海は一人廊下の中央でぶつぶつと呟きながら、近づいてくる影に全く気づいていなかった。拓海は考え込みながら廊下を歩いていく。頭の中で思索に耽りながら、近くにいる人影に気づかずに前進していく。

すると突然、拓海は何かにぶつかった。力強い衝撃と共に、彼は後ろに下がり、躓いてしまった。

「あっ!すみません!」と拓海は慌てて謝りながら、ぶつかった相手を見つめた。

そこに立っていたのは、自分よりもやや大きめな身長で、筋肉質な体格をした男性だった。

彼の鋭い目とキリッとした整った眉が特徴的だった。

男性もまた拓海に気づかずぶつかったようで、申し訳なさそうに眉を下げて謝った。

「ああ、いや、俺も気をつけなくてすみません。」と男性が謝罪する。拓海は、なぜかそのぶつかった男性の顔をじっと見つめていた。

「あの…俺の顔に何か付いてるか?」と男性は怪訝そうな表情をしながら、拓海の顔を覗き込む。

「あぁ、すみません。なんと言うか…結構しっかりした体格ですよね。何か身体を使った仕事をされているんですか?」

拓海は慌てた様子で取り繕いながら話すが、今自分が何を言っているのか半ば分かっていない状態だった。

その言葉を聞いた男性は、軽く唸りながら一歩だけ後ろへ下がる。

「そういう君も、何か訳ありのようだね。」

男性のその一言に、拓海の心臓はどきっと跳ね上がるのを感じた。男性はまるで拓海を値踏みするかのように彼の頭のてっぺんから爪先までをじっくりと眺める。

 男性が拓海を眺めているのに対し、拓海はどこか落ち着かない様子で立っていた。その目つきは不思議な光を宿しており、彼の顔には微かな不安が浮かんでいるように見えた。彼は瞬きを繰り返し、不意に口元をかすかに噛む仕草を見せた。

それはまるで彼が何かを探し求めているかのような神秘的な雰囲気を醸し出していた。拓海の手は微かに震えており、心の中で何かを追い詰められたような感覚が広がっていた。

「君、もしかして作家か何かかい?」

男性の言葉に、拓海は思わず気の抜けた声が上がる。

「え、そうですけど…どうして分かったんですか?」

「そうだな…利き手である右手には、指に特徴的なペンだこがある。背格好も、机やパソコンに向かっている事が多いからやや背中が丸まってる。それに、君の眼鏡とかは特に画面や原稿とかに向き合うからそれに適したブルーライトカットの眼鏡をしているね。目の動きは、人間観察を得意としているのか、よく観察をする為の動きをしているね。」

当たっているかい?と男性は悪戯っぽい笑みを浮かべて見せた。

「あ、当たっています。よく見ているんですね。」と拓海は感心した様子で男性の顔を見た。

「あぁそうだ、まだ自己紹介をしてなかったな。

俺は県警本部の刑事、森川慎一郎もりかわしんいちろうだ。此処には有給消化目的でこの月華荘に宿泊しているんだ。」

「俺は藤原拓海と言います。妹と一緒にこの月華荘の朧月の間に宿泊してます。森川さんの言った通り、俺は葉月蒼夜というペンネームで小説家をしています。」

「はは、拓海君か。折角だし、お互い同じ宿泊者同士だからな…仲良くしようじゃないか。」と森川は拓海にそう言いながら、大きな手を差し出した。

拓海は戸惑いつつも、差し出された手を取り、握手を交わした。がっしりと握手をした際、森川は顔を近づけて拓海の耳に囁いた。

「朝のレストランの件、仲が良いのは良い事だが…あまり羽目を外し過ぎないようにな。」と今朝の件について、話をしていた。

拓海はぎょっとした様子で、森川を見るが、彼は直ぐに顔を離し、笑いながらそのままその場を立ち去っていく。


 不意に森川が振り返ると、拓海を見据えて立ち止まる。

「そういや、君はこの街について何か変だとは思わないかい?」

先程までの明るい雰囲気とは違って、まるで鉄のような冷たい眼差しで拓海を見ていた。

拓海は、森川のその鋭い眼差しに身体が硬直した。

「ど、どうしてそう思ったんですか?森川さん。」

身体が硬直し、心臓の鼓動が聞こえるほど速まる拓海の声が震えていた。

彼の声は小さくも、不安が籠った空気を運んでいた。

「いやね、大した理由はないんだ。ただ、長年培ってきた刑事としての勘が言うんだ。」

「妙な胸騒ぎとも言うべきかな、何だか近いうちに…嫌な事が起きそうでね。」

拓海の言葉と共に、森川の眼差しもますます冷たくなるように感じられた。

ぽつりと森川は呟くと、廊下から見える外の景色に視線を向ける。外の風景も何かが変わったように、暗く重たい空気に包まれているように感じられた。

拓海は森川の視線を追い、その先に広がる景色をじっと見つめた。

「そう言えば、森川さんはこの街の風習である22時〜6時の間は外出禁止という話は、知っていますか?」

景色から視線を外した拓海は、この二日間で散々聞いてきた街の風習について森川へ問いかける。

森川は視線を外へと向けたまま、静かに答える。

「あぁ、知ってるよ。俺も初めに来た時、この月華荘のオーナーさんから直接聞いたさ。それがどうかしたかい?」

拓海は、この時初めて自身の抱えてきたものを彼に打ち明けようと決意した。

「森川さん、今時間は宜しいですか?俺、貴方に少し話したいことがありまして…」

森川は深く考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。

「ふむ、俺で良ければ聞かせてもらおうか。」

拓海は決意を持ち、森川に自身が体験した話を打ち明けた。

 拓海は緊張しながらも、自身が体験した出来事や黒面の鬼について森川に話し始めていく。

「事の発端は...昨日の夜、俺の宿泊している部屋である朧月の間の窓から外の景色を覗いていた時からなんです。」と拓海は述べた。

拓海は、自身が見た悍ましい異形の男の存在や、朧光神社にいるお婆さんから聞いたこの街の伝承、そして鬼の祠についての話、祠の近くであの男と出会って襲われたことを語った。そして、拓海がその間に見た夢の話や、妹のさくらと同じ宿泊者である女子大生の未来、香織達が経験した恐ろしい体験について、森川に対して全てを打ち明けた。森川は、そんな拓海の話を懐疑的な様子で聞きつつも、静かに拓海の話が終わるまで耳を傾けた。拓海が話を終えると、森川は眉間に皺を寄せて難しそうな表情を浮かべた。

「正直、この話はあまりにも現実離れしているので...森川さんにとっては、懐疑的な話かもしれませんね。」と拓海は申し訳なさそうに、曖昧な笑みを浮かべた。

「確かに、こんな話は普通ならば信じられるものではないかもな。」と森川は同意した。

やっぱりか、と拓海は心の中で小さく呟いた。

「だが、君のその話を否定するほど、俺はそこまで冷徹な人間ではない。確かに、街の人達が口を揃えてまで頑なに22時から6時の外出禁止の風習がある以上、やはり何らかの現実的な根拠はどこかにあるはずだ。」

「時として、こんな馬鹿げたものだと思っていても...必ずしも、それに基づいた合理的な根拠はそこにあるはずだ。」

森川はそう言いながら、不安そうな顔をする拓海に対して安心させるように微笑んだ。

「とはいえ、これはあくまで俺の現実的かつ刑事としての見解だが...拓海君、一度君はその経験したことをノートにまとめてみるのはどうだ?」

「もしかしたら、ただ考えるよりもそこに答えが書いてあると思うんだ。」

拓海は森川の冷静な口調で語る提案に強く同意を示した。

「確かにそうですね。今自分が見聞きしたことを全てありのままに書き記せば、自ずと答えが出てくるかもしれませんね。」と拓海は話す。

この時、何か重要なものを掴めそうな予感がしていた。

そんな確信めいた様子の拓海を見て、森川はうんうんと頷いていた。

「お役に立てたようで何よりだよ。俺もまだ暫くはここの宿に滞在しているから...もし、また頼りたくなったらいつでも声を掛けてくれ。」

「本当にありがとうございます。お陰で助かりました。」と拓海は改めて森川にお礼の言葉を述べた。

「良いって事よ。俺も誰かの役に立てるのは何よりも嬉しい事だからな。それに、もし君のその事件が解決した暁には、是非とも聞かせてもらいたいものだな。」と森川は拓海に笑い掛けながら、拓海の肩をポンポンと軽く叩いた。

森川は再びその場を立ち去り、廊下に残った拓海はもう一度廊下からの外の景色を見つめていた。

黄昏の空が見え始めてきて、夜の帳が降りるのを確かめている。

ズボンのポケットの中から、木彫りの狐と小さな鈴の付いた紫色の根付を取り出し、そっと握りしめて胸に手を当てる。

「もうすぐ、またあの夜が来るんだな…」と拓海は呟き、部屋に戻るために踵を返した。


 拓海が朧月の間へと戻ると、そこでは昨晩と同様にドライヤーで髪を乾かしている妹の姿があった。真剣な様子で髪の毛に櫛を通しながら、さくらはドライヤーを掛け続けていた。

拓海はそんな様子の妹の邪魔をしないよう、静かに席に着いて座椅子へと腰掛けた。部屋には穏やかな雰囲気が漂っており、拓海は心地よさを感じながら、妹の努力に敬意を払っていた。思い思いに過ごす時間が経ち、さくらはやっとドライヤーを止めた。

「あ、お兄ちゃん。さっきまでどこに行ってたのよ。私が戻ってきた時、部屋がもぬけの殻だったんだからちょっとびっくりしたんだよ。」

さくらの文句有りげな様子に、拓海は肩を竦めながら返答を返す。

「ごめんごめん、ちょっと考え事してて…あんまりにも詰まってたから気分転換してたんだよ。」

「せめて書き置きくらいしていってよ。今日の件もあるから、急に消えたかと思って怖かったんだよ。」

「本当ごめんって、今度はそうやっておくよ。」

まだ文句有りげな様子のさくらに対し、拓海はまぁまぁと宥めた。

 拓海は腕時計の時刻を確認した。

現在の時刻は18時を回っており、夕食までにはまだ余裕があるようだった。

「ちょっとだけ、ノートに出来事をまとめようかな。」

拓海はスマホと手帳をテーブルの上に広げ、自身が集めた情報を一つ一つノートに書き記していく。

自身が経験した恐ろしい体験の数々、未来、香織達が体験した怪現象、拓海自身が見た夢、そして『黒面の鬼』やそれに纏わる伝承などについて、ありのままを一つ一つの枠組みを作って書き綴り続けた。

暫くの間、ノートに書き綴って一息ついた時には、ノートは多くの項目で埋め尽くされていた。

拓海の手は早く、情報と思考が一体化し、ノートのページは彼の言葉で埋められていった。

恐怖を伴う体験、怪現象、夢、伝承、そして『黒面の鬼』に関する情報が、順序立てられてノートの中に形を成していった。

拓海は自らの体験を鮮明に思い出し、細部まで忘れることなく書き留めた。項目ごとに目を通す度に、拓海の心は再びその恐怖と不思議に包まれていった。

情報がノートに詰まっていくにつれ、彼は答えを見つけ出す希望を抱いた。彼の執念と集中力は、ノートに書き込む一瞬も途切れることはなかった。手が止まることなく、ページが埋まる度に彼の思考は進化していくようだった。ノートは彼の冒険の記録となり、解明を目指す旅の地図としての役割を果たしていくように思えていた。拓海はノートを閉じ、深い溜息をついた。

彼は今まさに何か重要な手がかりに触れていることを感じていた。ノートの中に込められた情報が、彼の調査を新たな局面に導くのではないかと期待が高まった。

「良し、大体はこんなところだろうな…ある程度の考察とかは纏めたとはいえ、確実にこれは判明出来るかもしれないな。」

拓海は自分の中で充足的な気持ちを感じつつ、大きく息を吐きながら天井を見上げる。

その傍らで、ずっとスマホをいじっていたさくらも同様に顔を上げる。

「お兄ちゃん、さっきすごい集中してたね。何書いてたの?」

「あぁ、さっき色々と調べて回った情報と、聞いた話とか全部まとめたんだ。この情報、結構多くは手に入ったし…もしかしたら次の小説にも大いに役立ちそうだな。」

「お、良いじゃん。今回はもしかして実体験ホラー系?珍しいんじゃない?」とさくらはテーブルに頬杖を突きながらニヤニヤと笑ってみせる。

拓海は苦笑しながら、さくらに視線を投げかける。

「実体験ホラーだけど、流石に地名とか、その際の登場人物とかその他諸々は全部ぼかすか架空のものに置き換えるに決まってんだろ。」

「それもそっか、でも良い経験になったんだし…今回はもしかしたら今まで以上に最高傑作になっちゃったりして~」とさくらは半ばからかい半分の様子で拓海に期待を寄せていた。

「ははは、この休暇が終わったら絶対忙しくなるだろうな」と拓海は返答を返した。

その時、朧月の間の扉を叩く音が聞こえる。

拓海は腕時計の時間を確認すると、その時刻は既に19時を示していた。

「あ、夕食の時間か。」と拓海は呟き、自分の書き記したノートを閉じて立ち上がる。

「はいはい、今行きます。」と拓海はノートをテーブルの脇に据え置き、朧月の間の外にいるスタッフを迎える為に歩いていった。

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