第7話 黒面の鬼伝説
拓海とさくらは、レストランでの朝食を食べた後、一度朧月の間に戻ることにした。
拓海はキャリーバッグからショルダーバッグを取り出し、スマートフォンや財布、手帳とペンケースなどの一式を詰め込んだ。
「良し、取り敢えず準備はこれくらいでいいかな。」
「お兄ちゃん、他になにか持っていくものある?」
「いや、特にないだろ。お土産類は明日か明後日くらいに買えばいいし。」
「それもそっか、じゃあロビーに集合だよね。」
さくらは肩からトートバッグを提げ、拓海の前でくるりと回ってみせる。拓海は妹の支度も済んだことを確認し、部屋の周りを確認する。
「あとは忘れ物は無いな。」と拓海は腕時計の時間を確認した。腕時計が示す時刻は、ロビーに集合するための時間である9時半に迫っているのを確認した。
「少し急ぐぞ、彼女達を待たせるわけにはいかないしな。」
「そうだね、そろそろ行こっか。」
拓海とさくらは忘れ物がないかを確認し、二人は朧月の間を後にした。
拓海とさくらが月華荘のロビーへ辿り着くと、そこでは香織とカジュアルな服装を着たショートボブスタイルの女性が待っていた。
「お待たせしました。」
拓海は先に待っていた女性二人に向かって手を振る。
香織と女性はそれに気づき、拓海に向かって手を振り返した。
「彼女が、一緒に来ていた友達かい?」
「はい、そう言えばまだ紹介してませんでしたね。」
ショートボブスタイルの女性は拓海を一瞥すると、小さく会釈した。
「初めまして、俺は藤原拓海です。」
「どうも初めまして、K大学2年生の
「あぁそうだ、こっちがうちの妹です。」
拓海は傍らに居る妹を確認し、自己紹介をさせる。
「どうも初めまして、藤原拓海の妹の藤原さくらです。高校2年生で、音楽部に所属しています。」
「私は三上香織です、宜しくねさくらちゃん。」
「さん付けしなくても大丈夫ですよ、香織さん。」
「ふふ、それだったら私も大丈夫よ。さくらちゃん。」
和やかな雰囲気が広がる中、さくらは拓海を見てニヤニヤと笑いながら軽く肘で小突く。それに気づいて軽く咳払いしながら、拓海は再び二人へと向き直る。
「取り敢えず、これから朧谷温泉街の散策をするつもりですが、どこか行きたい場所とかありますか?」
拓海は香織と未来にどこに行きたいかを提案した。
元々拓海とさくらは、散策中に良さげな店があればそこに入るといった行き当たりばったりのようなプランニングしか考えていないため、何かしらの予定があればそちらに合わせようと考えていた。
香織と未来は互いの顔を見合せた後、未来から行きたい場所を提案してきた。
「あ、それだったら寄りたい場所があるんです。
多分昨日辺り、拓海さんが行った『朧光神社』に行きたいです。」
「朧光神社か、分かった。俺も少し用事があるから、それから行こうか。」
「ありがとうございます、ではよろしくお願いします。」
未来は深々とお辞儀をした。
四人のこれからの予定が決まり、フロントへそれぞれ部屋の鍵を預けて月華荘を後にした。
四人は月華荘を出て、朧光神社へと向かう道中、拓海は未来に対してとある疑問を投げかける。
「そういえば、昨日確かに朧光神社に行ったけど、どうして分かったんだい?」
「あぁ、実はですね…昨日私も、この朧光神社が気になってそこに行ってみたんです。その時、社務所で宮司さんとお話してる男性の姿を見かけたんです。」
「あの時は、何か調べてる学者さんか何かかと思ったんですけど、拓海さんだったんですね。」
どうやら昨日の夕方、拓海の後に神社へ向かった者がいた様だった。
拓海は自身が月華荘へと向かう道中に見つけた、朧光神社がどうしても気になった事を思い出した。
「やっぱりあの神社、街の真ん中に建っているから何か不思議と気になるんだよね。」
「そうなんですよね、分かります。」
「それに、ご存知かどうかは分からないんですが、この街には何と言っても"鬼"という逸話があるんですよね。昔から言い伝えられているんですが、夜になると街中に鬼の姿が現れるとか…。もちろん都市伝説の一種ですけど、なかなか怖い話ですよね。」
未来の口から語られる"鬼"という言葉に、拓海は昨晩の出来事を思い出して思わず立ち止まりそうになった。鬼の存在について、あの謎めいた影との出会いが頭をよぎったのだ。
拓海の様子がおかしいと感じたのか、不安げな表情を浮かべながら未来と香織は拓海の顔を覗き込んだ。
「あれ、大丈夫ですか?…もしかして、この話、拓海さんにとってはあまり良くない話ですかね。」
「いや、何でもない。ただ、ちょっと昨晩見た悪夢を思い出してね…そこでも鬼が出た夢を見たから、何だか共通点が多いなぁって思って。別に気にしなくていいよ、あれはただの夢だって分かってるから!」
拓海はどうにか取り繕い、青ざめたその顔色のまま笑顔を浮かべて見せる。傍から見たらきっと、ただの空元気にしか見えないだろうが、拓海にとっては周囲の人間を不安にさせたくない一心だった。
それに、同じ観光客でもある沢井未来からも同じように鬼の存在がほのめかされたことに、拓海は心の中で小さな疑問を抱いていた。拓海は、その道中、未来に対して先程の"鬼"について聞くことが出来ないままでいた。
一度は気まずい雰囲気になったが、朧光神社へと向かう道中、拓海達四人は拓海の書いたホラー小説の話で盛り上がっていた。道路沿いには街の喧騒が広がり、人々が活気を見せ始めていた。
昨日と比べて明らかに人通りが増え、賑やかな声が響き渡っている。店先では新鮮な地元の特産品が並び、通行する人々が興味津々の表情で立ち止まったりしている。
「えぇ〜っ、あの作品の展開ってそういう風に考えてたんですね。」
「まぁねぇ、できるだけリアルに寄せたくて色々調べた結果、そういう感じの展開になったんだよ。」
「やっぱり葉月蒼夜さんは、あの重厚感溢れる作風がそんな努力で築かれてるなんて…本当に良い体験をした気がする。」
嬉しそうに笑顔を浮かべる香織と、その様子を見て嬉しそうに微笑む拓海。二人の楽しそうなやり取りを見つめながら、さくらと未来はやや離れた距離で様子を見ていた。
「やっぱりお兄ちゃん、すごく生き生きしてるね。」
「だって、ずっと応援してる人とようやく会えたのは凄く興奮してるからね。」
「なんと言うか、いい雰囲気じゃない?」
「あれ、お兄さんと年の差って幾つだっけ…」
未来はふと気になったのか、さくらに拓海の年齢を聞いてみた。
「確かお兄ちゃんは今年28だっけ……」
「じゃあ、香織とは8か9歳差か。」
「まぁ、お兄ちゃんにその気があればの話だよね。」
「こら、そんな下世話な話をするんじゃない。」
拓海からの一喝が聞こえ、さくらと未来は思わず肩を竦めた。
そんな四人が盛り上がりながら話を続けていたら、気づけば目的地である朧光神社へと辿り着いていた。
四人は朧光神社の参道へと入り、社殿へと向かっていく昨日の人通りが少なかった神社の時とは比べ、賑わいを見せる朧光神社。涼し気なそよ風が木々の隙間を縫うように吹き、さんざめくように降り注がれる太陽の光は、その神社の景色を幻想的なものへと彩っていくようだった。小鳥の囀りが耳に心地よく響き、木々の葉がそよ風に揺れながらささやく音が聞こえてくるようだった。朧光神社の社殿の前に着くと、四人は並ぶように手を合わせ、朧光神社に向かってお祈りをした。
朝の心地よい澄み渡る空気が、まるで四人を歓迎するかのように包み込んでいくのを感じていた。
「やっぱりこの神社、他の神社と違って特別感があって良いねぇ〜。」
「本当、ここに来て良かったぁ。」
「この神社、かなり歴史が長いらしいからね。あの時宮司さんと話した時に聞いたんだよ。」
「あぁそうだ、拓海さん。もし良かったら、その宮司さんから聞いた話、メモとかしてたら貸してくれません?」
「良いけど、何に使うんだい?」
「私、文学部で郷土関係についての専攻しててね。自己研究の為に、色々と役立てたいなぁって。」
「そういう事なら良いよ。でも後で清書して資料として渡すから少し待っててくれないか?」
「良いんですか?!ありがとうございます!!」
未来は大きく喜びながら、香織にガッツポーズをしてみせ、香織はその様子を見て満面の笑顔を浮かべました。
そんな時、「あいやあぁ……」と腰の曲がったやや小柄なおばあさんが四人の元へと近づいてきた。
おばあさんの姿が近づいてくるにつれ、周囲のざわめきが少しずつ静まり返り、四人の間に緊張が走った。
腰の曲がったやや小柄なおばあさんは、四人の元へと近づき、拓海を見るとわなわなと口を震わせながらブツブツと唱えるように呟いて手を合わせていた。
困惑した様子の拓海は、三人と顔を見合わせた後、お婆さんに向かって話しかけた。
「あの、お婆さん…俺に何かあったんですか?」
お婆さんは拓海の方に向き、顔を上げるとどこか怯えたような、同情をするような表情を浮かべていた。
「あんた、黒面の鬼に魅入られているんじゃないか…」
拓海はその一言に、心臓が締め付けられるような感覚に陥った。
「黒面の鬼、ですか…」
拓海は喉から絞り出すような声で言い、お婆さんの顔を見つめる。
「ほうか、ほうか、黒面の鬼は…あんたを選んだのか。めじょけねぇなぁ…」
お婆さんはうんうんと頷きながら手を擦り合わせていた。
ふと、拓海の脳裏には黒い狐面を被った男と、その会話の中で出てきた「黒面の鬼」という言葉が浮かんだ。
四人はもう一度顔を見合わせたが、目の前のお婆さんは拓海に向かって手を合わせて呟くばかりだった。
「ねぇおばあちゃん、黒面の鬼について何か知ってる?」先にお婆さんへ口火を切ったのは未来だった。
お婆さんは未来に一瞥すると、拓海達を見つめた。
「んだが、んだが。あんた達はあの黒面の鬼を知らんかったか…」
お婆さんはそれだけを呟き、社務所の方へと歩いて行った。拓海達はお婆さんの後を追いかけると、お婆さんは社務所の前にある木製のベンチに腰掛けた。
お婆さんは拓海達を見つめた後、徐に口を開いた。
「黒面の鬼っちゅうのはな、あの山んとこにある祠に祀らってる鬼なんじゃ。」とお婆さんは、小刻みに震える指で、真っ直ぐと視線の先に見える近くの山を指さしていた。
「この話はの、わぁが小さい頃とっちゃに聞いた話なんじゃ。」お婆さんは軽く咳払いをし、遠くの空を眺めるように顔を上げた。
「この街が、まだ村じゃった頃な…この山で祀らってる神様さ悪さしたわっげあんちゃがいったんだ。」
「その神様が、あんちゃさごげでの…そのあんちゃさ罰として、あんちゃのごどを鬼さかえでしまったんだ。」
「それを見だ村の人だちがの、鬼さ向かって石ば投げだんだ。「こん化け物が、この村からででいげーっ!!!」っての…鬼さなってしまったあんちゃは、そらもう泣いでしまっての。」
「鬼さなったあんちゃは、死ぬごどもでぎんで、今でもこごらへんを夜な夜なさまよっとんのや。」
「何にもさってねぇ、あのあんちゃは、ただ許さってだけだなさ、だぁれもわがってくんねなや。」
「あすこの祠はの、そんだ鬼どごめじょけねぐ思った村人が慰めどして祀っとんのや、あぁ、めじょけね、めじょけね…」
お婆さんは大粒の涙をポロポロと零しながら、訛りの強い言葉で黒面の鬼の伝説を語り聞かせていた。
だが、お婆さんが語ってくれた伝説を聞いていた拓海達は、あまりの訛りの強さに要領を得ない様子で首を傾げるばかりだった。
「えぇ、と…つまり?」
拓海は更に困惑した様子で、未来達の方を見つめながら助けを求めるような視線を投げかける。さくらはさっぱり分からないようで、肩を竦めて拓海を見つめ返すばかりだった。香織も困った様子で未来を見つめており、未来は先程のお婆さんの話を反芻しながら何かを呟いていた。
「このお婆さんの言葉、凄く東北っぽい訛りが強くてあまり聞き取れなかったけど…もしかしてこんな感じなのかな?」
「一応、私もこの朧谷温泉街に行く前に軽く調べた伝説と照らし合わせた話、だけどこうだと思う。」
未来は自分の中で思いつく限りの話を拓海に語り始める。
「この朧谷温泉街が、まだ村だった頃の話で…この朧谷村では、山の神様が祀られていたんだよ。」
「でも、とある村の若い男がその神様に対して罰当たりなことをして、結果的に神様を怒らせてしまって、その罰として男は鬼の姿へと変えられてしまった。」
「当然、村の人達は鬼となった男を恐れてしまい、鬼に向かって『村から出ていけ』と石を投げた。」
「鬼は泣きながら村を出ていったが、当然死ぬことなんて出来ずに…夜な夜なこうして街の中をさまよい歩くことになった。」
「男は、神様から許されたがっているけど、今でもこの風習が残ってる限り、やっぱりまだ許されてないのかな。」未来はそれだけを言うと、考え込むようにブツブツと呟いていた。しかし、それを聞いていた拓海にとっては一つだけ心当たりがあることに気づく。
それは、昨日の神社の帰りにぶつかった男が、昨晩見た時には鬼のような異形の姿になっていた。
もしそれが、この街に伝わる伝承であるのならば…きっと彼は今でもこの街のどこかにいるのかもしれない。
「多分きっと、あの"鬼"は祠の…」
確信めいた感情が、拓海を突き動かすのを感じていた。いても立っても居られなくなった拓海は、三人の方へと向き直る。
「ごめん、ちょっと今から大事な用事が出来たから行ってくる!」と拓海はそれだけを言うと踵を返し、話をしていたお婆さんが示す方向に向かって神社を抜けようと走り出していた。
「あ、ちょっとお兄ちゃん!!」
さくらが走り出す拓海の背に向かって声を掛けるが、拓海は聞く様子もなく一目散に走っていった。その場に残された未来、さくら、香織は走っていく拓海の背中をただ見送るだけしか出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます