第5話 狐面の男
「えと、俺は藤原拓海です。一応、
目の前の狐面の男にどう答えたら良いか悩みながら、拓海は答えると、狐面の男、ウツギは軽く手を叩いて嬉しそうな声を上げた。
「あぁ、小説家さんですか。それに、ホラー小説を書いていらっしゃるとは、なるほど…通りで貴方は。」
やや一歩引いて、顎に手を当てながら値踏みするように拓海を眺めるウツギ。
「あの、俺に何か…」
「いえ、こちらの問題です。ところで、先程も言いましたがこんな夜更けに出歩いているとは…もしかして、何かありました?」
「─────実は…」
拓海は、ウツギに自身の身に起きたことを包み隠さず全て打ち明けた。
途中、ウツギは拓海の言葉を遮るような素振りを見せず、相槌を打ちながら指を擦っていた。
「なるほど、そのような事が有りましたか…それは災難でしたね。」
「まぁはい、お陰でこうやって眠れない状況になって居るんですよね。」
「…それに、"鬼"ですか。」
「ウツギさんは、鬼について何か知っていますか?」
拓海は、ウツギに対して疑問をぶつけてみた。
それに対し、ウツギはうーんと唸りながら考えるような素振りを見せる。
「少しだけ心当たりがありましてね、そう言えば私の宿泊している部屋にそういったものがあったはずが…良かったら、ご覧になりますか?」
「い、良いんですか?」
「えぇ、折角ですし、こんな場所でお話するのもなんですから一緒にどうぞ。」
ウツギは狐面の下でニッコリと微笑んだように見えた。拓海は、ウツギの顔を見て生唾を飲み、意を決してウツギの宿泊部屋へと向かうことにした。
ウツギの案内のもと、拓海は月明かりが差し込む廊下の中を歩いていく。拓海は廊下から見える外を眺めると、その夜空に紛れて動く大きな影のようなものが視界に入り、思わず顔を引き攣らせた。
ウツギは前を向いたまま、拓海に声を掛ける。
「拓海さん、あまり外を見ない方がいいですよ。」
「す、すみません。外が気になってつい…」
「この時間は"鬼"が徘徊していますからね、もし貴方があの状態で目を合わせてしまっていたら、きっと今よりも恐ろしいことになっていたかもしれませんからね。」冗談じゃない、と拓海は心の中で思ったが、それを口に出さないようにぐっと言葉を呑み込んだ。
しかし、それと同時に拓海の中で一つの疑問が浮かび上がっていた。
「それって、夜の22時から朝の6時まで外出禁止になっていることと…関係があるんですか?」
拓海が投げかけた言葉に、ウツギは立ち止まる。
「えぇ、貴方も一度あの警官から聞いたと思いますよ。
そして、貴方はそこで一度見たはずです。」
「鬼が出るから、この夜の間は誰も外に出ては行けないのですから。」
ウツギの妖しく揺らめく赤い目が、拓海を捉える。
やはり彼は何かを知っている、そんな確信めいた感情が拓海の中で湧き上がるのを感じていた。
「そうだ、拓海さんは───"
「黒面の、鬼…ですか。」
それは拓海にとって初耳だった。今まで朧光神社や、月華荘の従業員、警官ですらもそのような名前は一度たりとも出てはいなかった。
しかし、なぜか拓海はその黒面の鬼という言葉に対し、何かしらの共鳴を感じていた。
ウツギは、もう一度前に向き直ると再び歩き出す。
「詳しい話は、鬼神の間にて教えましょう。」
「あ、分かりました。」
拓海はウツギの後ろについて行きながら、黒面の鬼について考えた。
───黒面の鬼、それはあの時に見た異形の怪物。
『もしあれが、本当に俺が見たものと同じ存在なら、どうしてそんな事をしたんだろうか。』
度重なる悪夢と、恐怖の出来事が拓海の脳裏に過ぎる。
"夜の22時から翌朝の6時まで外に出てはいけない。"
"鬼が出る、黒面の鬼という異形の存在がいる。"
『鬼が出る、だが………鬼が出るからという理由だけで、外出禁止になるほどの事が起きているのか?』
『確かに、人智の及ばない未知な存在に対しては、誰だって恐怖を抱くことだってある。』
「だからと言って、どうしてそんな規則が…」
「拓海さん、何か仰いましたか?」
気づけば拓海は自身の考えている最中に口に漏らしていたのか、ウツギは怪訝そうな顔をしながら様子を伺っていた。
「あぁ、すみません。つい考え込んでいました。」
「ふふ、その様子だと普段から熱心に研究されているようですね。」
「えぇ、まぁ……小説を書く際には、情報収集が大切だと思っています。普段からさまざまな本や職業について調べて回ったりしていますから。」
照れくさそうにはにかみながら、拓海は頬を掻いた。
それに対し、ウツギは神妙な表情を表しながら小さく呟いた。
「やはり、貴方のような人が…」
「?ウツギさん、どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません。」
ウツギは、取り繕うように狐面越しにまた微笑んだ。
「此処が鬼神の間です。どうぞ、鍵は開いているのでお入りください。」
拓海の目の前には鬼神の間、と書かれた立て札と険しい表情を浮かべた木彫りの鬼の面が扉の上に飾られていた。拓海は、自身が遭遇した鬼を思い出して思わず固唾を呑んで見つめる。
拓海は、意を決して鬼神の間へと一歩踏み出す。
鬼神の間に入ると、拓海は異世界に足を踏み入れたかのような独特の雰囲気に包まれた。部屋の内部は暗く、薄暗い明かりが幽玄な光を放っていた。
壁には古びた掛け軸や古い写真が飾られており、神秘的な雰囲気を醸し出していた。鬼神の間の装飾は、古来からの神聖な祭りや儀式に関連するもので飾られていた。ウツギの持ち物と思われる狐の置物や狐面が配置され、その目はまるで見つめられているかのように感じられた。部屋の奥には一つの祭壇があり、そこには燃え盛るろうそくや香炉が置かれ、神聖な空気が漂っていた。室内の香りは特別で、古代の儀式や祭りの記憶を思い起こさせるような香りがただよっていた。
それは神聖なものであり、同時に少し神秘的で不思議な魅力を持っているようだった。月華荘の中でも特に鬼神の間は静寂に包まれており、外の世界の喧騒とは対照的に、ここでは時間がゆっくりと流れ、心が穏やかになるような感覚が広がっていた。
「凄い…鬼神の間ってこんな感じなんですね。」
「素晴らしいですよね。実はこの旅館、他の部屋もそれぞれのイメージに合わせて用意されているそうですよ。」
「詳しくご存知なんですね。」
「とはいえ、この月華荘のオーナーさんにお話を伺っただけなんですけどね。」
「なるほど…」
拓海は感心しながら、鬼神の間の部屋を一望した。
ウツギは一足先に席に着き、拓海の様子を眺めていた。
「あ、すみません。せっかくこの部屋まで案内してくれたのに、部屋に夢中になってしまって。」
「いえいえ、中々そういった機会がないから興奮するのも無理はありませんよ。
ですが、今は貴方が遭遇した"黒面の鬼"についてお話ししましょうか。」
ウツギは拓海に対して席に座るよう促した。
拓海はウツギに促されるまま席に着くと、本題である黒面の鬼についての会話を始めた。
「黒面の鬼について、もっと詳しく教えていただけますか?」
拓海は興味津々の表情を浮かべながら尋ねた。
ウツギは拓海の問いに微笑みながら答えた。
「黒面の鬼は、この地域に伝わる古い伝承に登場する存在です。その正体や起源については詳しくは分かっていませんが、人々の間では恐れられています。
夜の時間帯になると、鬼が出現し、街や森を徘徊すると言われています。その姿は異形で、黒い鬼の面を被り、邪悪なオーラを纏っていると言われています。」
拓海は聞き入るようにウツギの話を聞きながら、不思議な魅力を感じていた。
「でも、少し変と言うか…それだと鬼の目的がよく分かりませんね。」
拓海はウツギから聞いた黒面の鬼の話に、疑問を持ち始めた。ウツギは思索するように仮面越しに唇を噛みしめ、少し考え込んだ後、ゆっくりとテーブルを指先で叩いた。彼の指がテーブルに触れると、微かな震えが感じられた。
「そうですね、少なくとも貴方は一度"黒面の鬼"に遭遇しました。しかし、貴方はそれで済んでいるということですよね。」ウツギの声は少し囁くようで、静かな緊張感が部屋に広がった。拓海はウツギの言葉に深く考え込みながら、目を細めて彼を見つめた。彼は狐面をしているため、その表情は読み取れない。しかし、彼の静かな存在感と手の震えから、何か重要なことが隠されているのではないかと感じた。
「そこでですね、私から拓海さんにお願いがあります。」
ウツギの狐面越しに光る赤い目がゆっくりと揺らめいた。拓海は真剣な表情でウツギを見つめ返した。
ウツギは人差し指を立て、それを小さく左右に揺らしながら拓海に話しかけた。
「拓海さんには、この"黒面の鬼"について調査していただきたいのです。きっと貴方には、これから先さらなる怪現象や事件に巻き込まれる可能性があります。」
ウツギの言葉に対して、拓海は面食らっていた。
確かに、拓海にとってはこの一日で起きた不可解な現象に対しては強い疑問や、関心を抱いていた。
ウツギの提案は、拓海にとって魅力的なものでこそはあるが、それと同時に自分自身や妹であるさくらにですらも危険が及ぶ可能性があることを示していた。
ウツギはそんな拓海の様子を知って、わざわざこのような話を持ちかけてきたのだ。
「別に無理にとは言いません。私も無関係な人を巻き込んでまで、事を進めようだなんて思っていませんから。」拓海は躊躇いながらもそう答えた。
ウツギは微笑みながら拓海を見つめ、続けた。
「ですが、このままではきっと拓海さんにとっても好ましくない出来事が連続して起こることが予見されます。」ウツギの鋭い言葉に、拓海は言葉に詰まり、沈黙したままだった。
拓海は、ウツギの提案に対して簡単に承諾する事は出来ずにいた。
「すみません、確かに俺はこんな形で鬼と関わりを持ってしまいました。だけど、それで本来は有り得ない筈の存在に立ち向かえと言われても…直ぐには分かりました、とは言い切れません。」
拓海はウツギに対し、バツの悪そうな顔をしながら頭を下げた。その返答に、ウツギは一つ溜め息を吐く。
「そうですね。いえ、私も初対面の人にこんな無茶な要望を押し通そうとしたのが悪かったのです。」
「本当にお役に立てず、申し訳ありません。」
「いえ、仕方ないですよ。それに…もし、拓海さんがこの"黒面の鬼"について調べる覚悟が出来たのならば、是非もう一度この鬼神の間をお尋ね下さい。
私は暫くこの部屋に滞在してますので、いつでもどうぞ。」
「はい、本当にありがとうございます。」
「いえいえ、こんな夜中に話に付き合ってくださってありがとうございます。それではまた、機会があればこの静かな夜にでも会いましょう。」
ウツギは、そんな拓海に優しく声を掛けるが、拓海は俯いたまま小さく頷いた。ウツギと話した後の記憶は、酷く曖昧だった。どうやって鬼神の間から帰って朧月の間に戻ったのかは覚えてないが、拓海が次に気づいた時には既に布団の中で朝を迎えていた。
拓海が目を覚ました時に目に入ったのは、朝の光が差し込む朧月の間の部屋の中、自分の顔を覗き込む妹の姿があった。
「あ、お兄ちゃん起きたんだ。」
「あれ…もう朝なのか?」
「あまり静かに寝ているもんだから、てっきり死んだんじゃないかと思ったよ。」
「勝手に人を殺すな、縁起でもない。」
拓海はぼんやりとする意識の中、頭を掻きながら、ゆっくりと上体を起こして伸びをする。既に着替えを済ませているさくらは、まだ寝惚けている様子の拓海に対して不服そうな顔をしながら見つめた。
「もう8時もなるよ、お兄ちゃんってば爆睡してて起こしたのに全然起きなかったんだから。」
「俺そんな寝てたのか…」
拓海は眠い目を擦りながら、手探りで眼鏡を探す。
手に硬いものが当たり、それが眼鏡であることを確認してから掛ける。ようやくハッキリしてきた意識の中、拓海の夜中の出来事がまるで白昼夢の中の出来事であったかのように、徐々に内容が薄らいでいるような気がしていた。
「さっき月華荘のスタッフが来て、『朝食は1階のレストランでビュッフェスタイルの物を用意してるから、支度が完了しましたら、どうぞお越しください。』って言ってたよ。ご飯無くなる前に早く行こうよ〜!」
「分かったから急かすな、ちょっと顔洗って来るから待っててくれ。」
「はぁーい。」
起き抜けであまり働かない頭の拓海に対し、しっかりと眠って起きたさくらは対照的に元気いっぱいな様子を見せていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます