第3話 視線
朧月の間に戻った拓海は、安堵と度重なる疲労に思わず大きな溜め息を吐いた。部屋ではすっかり慣れた様子で寛ぐ妹の姿があった。
「あ、おかえりお兄ちゃん。何か成果あった?」
先程まで触っていたスマートフォンをテーブルに置き、兄の方へ向き直るさくら。
「あぁ、思ったよりも中々充実した時間は過ごせたよ。でもその帰り、宮司さんの様子というか少し表情が怖かったな。」
「一体何失礼なことしたのよお兄ちゃん。」
「何もしてないわ、そういうお前の方は?」
「お兄ちゃんが小説の情報収集に勤しんでいる間、私は存分に満喫したもんね。朧谷温泉街でしか味わえない特産スイーツとか、テイクアウト用の食べ物とか、結構いいの揃ってたからいっぱい写真撮ったよ。」
「おいおい、初日からトバして大丈夫か?まだ始まったばかりだぞ。」
「良いんです〜、半日分移動に費やしたんだからこれくらいは誤差よ誤差。」
「誤差ねぇ………」
これからの事を考え、これは後に響きそうだなと思いながら拓海は座椅子に腰掛ける。
何よりも、今こうして最愛の妹がこの旅行を満喫出来ているのならば、兄としての冥利に尽くせるな。などと考えながら、拓海はふと先程の出来事を思い出し、さくらに話を投げ掛けた。
「そういえば、帰り際に巡回中の警官に出会ってな………「夜10時から朝6時の間は全員外出禁止だ。」って言ってたな、お前もなんか聞いてないか?」
「あ、それ変だと思ってたんだよね。私も丁度帰ってき時にフロント係のお姉さんから「もし、これからの予定で22時以降外出なさる予定があれば、申し訳ありませんが、この街ではどうかご遠慮下さい。」なんて言われたんだよね。理由は聞いても、何か微妙にはぐらかされたというか………「規則ですから。」ってしか言わないんだよね。なんなんだろアレ。」
不満げな様子で口を尖らせ、足をばたつかせるさくら。行儀が悪いぞ、などと窘めながらも拓海はさくらも同じような事を言われた事に対して疑問を抱いていた。
─────『鬼が出る』という噂と共にある外出制限。
たったその一言だけが、その繋がりを結びつけるにしては妙な空白を感じていた。この事にはさくらも同様に疑問に思ったのか、兄である拓海に話を持ちかけた。
「そう言えばお兄ちゃんはさっき、朧光神社に行って調べ物したんだよね。その中で何か鬼に関する話とか見つかってないの?」
「あぁちょっと待ってくれ、今確認する。」
拓海は手帳を開き、パラパラとページを捲りながら書き記した文章を確認する。
だが、拓海の手帳に書き記されている文章には何処にも"鬼"に関係するものは存在していなかった。
『───まさか、この期に及んで観光客である俺にそんな重要な情報でも隠したか?』そんな考えが頭の中に過ぎったが、拓海はもう一度自分が書き記した手帳を見返した。確かにその文章には、自身が見てきた古い文献や絵巻物、それらに関する資料についての記載はされていた。間違いなく、あの神社で聞き及んだ情報全てがそこには書かれていたのだ。
「うーん、たった1日で得られる情報はたかが知れてるからな。もう少し公民館や、図書館とかで郷土史とか詳しい文献があればもっと深堀り出来そうだな。」と拓海は半ば諦めたような表情を浮かばせ、天を仰ぐ。そんな拓海の様子を頬杖を突きながら見つめるさくら。
「本当、お兄ちゃんって昔からこういう調べ物には熱心だよね。折角の休暇でもあるんだから、ゆっくり過ごせばいいのに。」
「とは言っても、ある種の職業病だよ。何にせよ、今までやった事がない、知らない世界に入ったからにはとことん知りたいってのもあるからな。」
「折角の旅行なのに、部屋に引きこもって過ごすよりは良いだろ?」
「まぁそれはそうだけども、あまり根を詰め過ぎないようにね?」
「分かってるって。」兄妹が仲睦まじく談笑をしていると………コンコンコン、と朧月の間の扉を叩く音が聞こえる。
「ん、誰か来たな。ちょっと見てくる。」
拓海はドアを叩く音に気づき、朧月の間のドアへと近づいて行く。
拓海がドアの方へ近づき、ゆっくりと扉を開ける。扉の向こうには和風の服装を着た若い男女が立っていた。彼らは大きめのトレイを持っており、丁寧に拓海を迎える。
「こんばんは、拓海様。私たちは月華荘のスタッフです。夕食の時間となりましたので、こちらの料理をお持ちしました。中に入っていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もうこんな時間でしたか。ありがとうございます、どうぞ中に入ってください。」
「では、お邪魔いたします。」
拓海は礼儀正しくスタッフ達を部屋に入れた。
スタッフ達が丁寧に料理をテーブルに並べ、拓海とさくらは美しい盛り付けに感嘆しながら席に座る。
「拓海様、さくら様、本日の夕食は特別なメニューをご用意いたしました。地元の食材をふんだんに使った季節感溢れる料理です。どうぞお楽しみください。」拓海とさくらは料理を見つめながら興味津々の表情を浮かべる。
「おお、これは凄いな……これ、全部地元の食材を使ってるんですか?」
「はい、お客様にはこの朧谷温泉街の魅力の一つでもある名産品を味わってもらいたいからこそ、私達が腕によりをかけてお作りしました。」
「お兄ちゃん、これ本当に食べていいの?」
「当たり前だろ、せっかく運ばれて来たものなんだ。」目の前の料理の数々を前に、興味津々な様子で話し合う拓海とさくら。
スタッフはその二人の様子を見て嬉しそうに微笑みながら、トレイを持って立ち上がる。
「それでは私達はこれにて失礼します。朧谷温泉街の雰囲気を楽しみながら、どうぞごゆっくりと料理をお楽しみ下さい。」
「「ありがとうございます。」」
深々と、丁寧にお辞儀をする月華荘のスタッフ達にお礼を伝えた拓海とさくらは、朧月の間を後にするスタッフを見送った。拓海とさくらは並べられた料理に舌鼓を打ちながら、地元の食材を堪能した。二人はその美味しさに、ますますこの地の食文化に惹かれていくのだった。
楽しい夕食時間を過ごし、満足気に笑い合う拓海とさくら。食後の団欒を過ごしながら、拓海は現在の時間を確認するべく自身の腕時計を見た。
「今は大体8時過ぎか、どうする?まだ温泉は空いてそうだが………」
「じゃあ先に入ろっかな、ちょっと汗かいたし。」
「俺は明日の準備をしてから行くとするかな、先行っててくれ。」
「そうなんだ、じゃあお言葉に甘えて。」
「確か、お風呂は一階にあるんだよね。」
さくらは入浴の準備をしながら、拓海に場所の確認を取る。
「あぁ、朧月の間に行く間に見ただろ?案内してもらった時に軽く見たからそこで合ってるよ。」
「分かった、じゃあお先に失礼〜。」
さくらは拓海からの確認を聞き、手をヒラヒラと振りながら一足先に温泉へと向かっていった。
「さてと、ちょっとだけ小説の構想でも練ってみようかな。」
「………そういえば、ここからの景色ってどんな感じなんだろ。」
拓海は軽く伸びをしながら、次の小説の構想を考えていたが…ふと、この朧月の間の外からの景色が眺めて見ようかと思い立ち、窓際の障子に手をかけた。ゆっくりとした手つきで障子を開け、鍵のかかった窓から鍵を外して窓を開ける。
ぶわぁぁっと、一気に冷たい空気が拓海の身体に押し寄せる。思った以上に強い風に、拓海は思わず目を細めた。
朧月の間から見える景色は、とても美しい世界が広がっていた。雲ひとつない夜空には明るく照らされた満月が浮かんでおり、山々は月の光に照らされている。
眼下に広がる月華荘の庭園らしき場所では、小さく満月を映し出す池と鹿威しが静寂の中で規則正しいリズムで音を鳴らしていた。拓海は街の方へと視線を移すと、ぽつりぽつりと街の建物や民家の明かりが着いており、まるでその街の景色そのものが一種の絵画のように描かれているように見えた。
「わあぁ、すげぇ………めちゃくちゃ綺麗だな。」
「っふふ………本当凄いな。これは確かに特別な体験できるな。この景色、是非とも小説に書き綴ってみたいもんだな。」と頭の中に浮かぶ情景を、どのように書き留めようかと思いを馳せていく。その瞬間、拓海の身に突如として強烈な視線が浴びせられたのを感じた。
「─────っ!!!」
拓海は血相を変えながら窓縁に必死に掴まり、身を乗り出すように辺りを見回した。
しかし、彼の視界には静寂な夜の空が広がっており、注がれている視線は一切判別できなかった。
突然の出来事に拓海は動揺し、顔を強ばらせながら外や部屋の中を必死に見回すが、現在ここにいるのは彼一人だけだった。
拓海の全身から嫌な汗が噴き出すのを感じながら、彼の心臓は早鐘のように鳴り響いていた。
彼は深呼吸をしながら、ゆっくりと身体を窓から引き戻す。震える手を窓縁から離し、緊張から解放されると、拓海の表情も少しずつ落ち着いていく。
拓海の心の中で自分に言い聞かせる声が響く。
『落ち着くんだ拓海、きっとさっきの変な出来事もあって過敏になってるだけだ。』
『さっきの視線だって、きっと何かの勘違いかもしれないんだ…もう1回確認したら何もないって分かる。』と拓海は自分の手を胸に当てながら、心を落ち着かせるためにそう自分に言い聞かせる。
「…多分、鬼が出るとか言ってたからビビってただけだよ。もし本当に実在してたら、これどころじゃないに決まってる。」
自嘲気味に笑いながら、拓海は再び窓縁に手をかけ、外に向かって視線を移した。
外の景色は、先程と同様に静寂な夜空を映し出しているだけだった。拓海は一瞬、がっかりとした表情を浮かべたが、すぐに自分を奮い立たせる。
「まさか、あの視線はただの錯覚だったのか?」
彼は自問自答しながら、再び外の景色を凝視した。すると、突如として拓海の身に猛烈な悪寒が走り抜けた。
彼の皮膚は鳥肌立ち、心臓は大きく高鳴りを始めた。その悪寒はただの寒気ではなく、何か不可解な存在が近くにいることを告げる予感だった。
体を強ばらせ、顔が引き攣った状態の拓海は、辛うじて目だけを動かすことができた。
彼の視線は辛うじて月明かりに照らされた一点を捉えた。その一点には、朧光神社での出来事で拓海がぶつかった相手が立っていることに気づいた。
しかし、その姿は先ほどの出来事とは異なり、憎悪とも敵意とも取れるような目で拓海を睨みつけていた。その異形の姿は鬼のように歪んでおり、不気味さを醸し出していた。拓海はその姿を目に焼き付け、鳥肌が立つ中で不安と緊張が心を支配するのを感じていく。
彼は月明かりに照らされた姿を確認した瞬間、心臓が凍りつくような感覚に襲われた。
相手の姿は朧光神社での出来事とは別人のように歪に膨れ上がり、鬼のような異形そのものだった。その恐ろしい眼差しは憎悪とも敵意とも取れるようなもので、その視線の先に居る拓海を静かに凝視していた。拓海の体は更なる悪寒に震え、心の奥底から異様なまでの恐怖が湧き上がってきた。
彼は動けないまま、その一点をじっと見つめ続けるしかなかった。周りの静寂が彼の耳に響き、時間がゆっくりと流れていくように感じられる。
しばらくの間、お互いの視線が合わさったまま
拓海は相手が急に関心を失ったのか、視線を外して夜闇の中に姿を隠していく様子を捉えた。
ようやく緊張状態から抜け出した拓海は、周囲を警戒しながらゆっくりと身を引き上げた。
彼の視線は不安と緊張で充満し、どこかへ逃げ込むような心の動揺が彼を支配した。
「これはただの錯覚じゃない。何かがここにいるはずだ!」と自分に言い聞かせながら、拓海は身体を窓から引き戻した。寒気は次第に引いていくが、彼の心は未だに不穏な状態だった。
ようやく心の状態が落ち着いてきた拓海は、窓の外の不気味な存在の姿が消え去ったことに少し安堵を感じていた。
しかし、未だに不穏な空気が漂っている中、拓海はさくらが温泉から戻って来ることを思い出した。さくらはお風呂上がりで、のんびりと朧月の間向かっている最中だった。まだ緊張感が残る中で、朧月の間の襖がゆっくりと開き、さくらの姿が現れた。彼女はタオルで髪を拭いながら、無邪気な笑顔を浮かべていたが、青ざめた表情で座り込む兄を見て怪訝そうな表情を浮かべていた。
「どうしたのお兄ちゃん、そんな青い顔して。」
「いや、別になんでも無い。」
「変なの、そう言えば温泉凄く気持ち良かったよ〜。今の時間帯、あんま他の人が居なかったからほぼ貸切状態でゆっくり楽しめたよ。」
「それは良かったな。」
「お兄ちゃん、本当大丈夫?何か今日此処に来てからずっと変だよ?」
先程の恐怖がまだ頭の中で焼き付いており、不安が残っていることを感じていた拓海は上手く言葉に出来ずにいた。
「ちょっと、な。ずっと運転してたし、神社でも色々聞き回ってたから疲れたかもしれないな。」
「具合悪かったら早めに言ってよね、こんな折角の旅行が体調崩してお釈迦になるなんて絶対に嫌なんだからね。」
「あぁ、分かってるって。取り敢えず俺はそこのシャワールームでシャワー浴びて寝るわ。」
拓海はさくらの身にはなにも起きていない事に安堵しつつ、まだ心の奥底で起こった出来事を引きずっていた。目の前に居るさくらの無邪気な笑顔が、彼に少し安心感を与えてくれたが、拓海はこの不穏な出来事がどうして起きたのかを突き止める必要があると感じていた。
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