第10話 賢者

あおいは出勤があるからと急いで身支度をして飛び出して行った。

 先程まで音の絶えなかった室内は一瞬にして静まり返った。

 静まり返った室内で暫く放心していると、欲望に支配されていた僕の脳内が徐々に整理されて様々な現実や不安が浮き彫りになってきた。

 まずあおいとカップルになったことだ。

 出会いは一週間前の上石神井駅だ。

 お互いのことを知り合わない内に安易に手を出してしまったために展開が早かった。性欲は簡単に人間の判断を狂わせる。

 もう一つ。あおいは想像の遥か上をいく精神の不安定さがあり、少しでも精神が乱れることがあると大惨事を免れないことだ。

 食器類が全滅してしまったので新たに買いに行かないといけない。経済的に実害も付いてくる。なんて迷惑な話だ。

 もう一つ。あおいの性欲は底無しであることだ。

 男なら射精という分かりやすいゴールがあるから体力次第で終わりが分かりやすいが、女の場合は何となく分かりにくい。

 実際にはあるのかも知れないが、そんなことに僕は詳しくない。

 彼女の性欲に対応し続けると、体調に異変を来して場合によっては仕事にも悪影響を及ぼすのではないか。

 現に今も僕の下腹部は鈍い痛みを抱えている。

 ここまでネガティブな要素のみを挙げてきたが、勿論ポジティブな要素もあった。

 まずは単純にルックスが好みであることだ。

 顔立ちは輪郭が丸く、目元はアーチを描いた眉毛、二重でやや垂れ気味の大きな目、口元はキュッと締まる所謂タヌキ顔である。ルックスは私が好む全てを備えている。

 おそらく、今後ここまで好みのルックスの女に出会って付き合うのは難しいのではないか。

 僕はお世辞にもルックスに恵まれているとは言い難い。

 所謂おじさん顔であり、人生の中で年齢通りに見られたことは数える程しかない。偶に年齢を聞かれて答えると、大抵驚かれる。

 もう一つ。料理の腕前に優れていたこと。

 冷蔵庫の中身から即興であのクオリティのメニューを作れるのは、普段から料理をしていてレパートリーも相当幅広い筈だ。思い出しただけで涎が増えてくる。

 もう一つ。相当な床上手であることだ。

 終始絶妙な加減でこちらの快楽を導いていた。

 途中何度も頭が真っ白になってしまった。この快楽を知ってしまった今、彼女と完全に疎遠になると後悔するのではないか。

 数多のネガティブな要素を吹き飛ばす程の魅力がそこにはある。

 今後どうしようか。少し惜しい気もするが、僕にはあの娘は扱えない。別れよう。結論は固まった。

 幸いにもまだ合鍵は渡していない。家に来られたとしても部屋には入れないから大惨事は避けられる筈だ。

 あとはどう伝えるか。流石に今すぐストレートに伝えたら大惨事確定であるので、暫く時間を置くことにしよう。但し絶対に室内には招かない。肉体関係を結ばない。この二つを徹底してもう一度こちらに実害を加えてきた時点で伝えよう。

 少々酷い気もするが、僕の今後の為だ。気にしない気にしない。

 僕は固い決意を胸に秘め、眠りに就いた。

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