毎日毎日、美魚との勉強会の日以来ずっと弱い雨が続いていた。理由は分からない。気候変動とやらだろうか。本当にずっと弱いのなら良いのだが、時折強く降る時があるため、私はなかなか外に出ることも出来なくなってしまった。水に触れてはいけないから。

 学校に行っても、美魚を見かけることはできなかった。きっと家で雨に打たれているのだろう、彼女は雨に濡れていなければいけないから。

 ──会いたい。美魚と会って話がしたい。最近はずっとこればかり思っている。けれど連絡を入れるのも忍びなくて、私は諦めていた。


 そんなふうになったある日。朝から雨が強く、家を出ることもできなかった日。そういう時の措置として、私は自宅から授業を受けられるようにしてもらっていた。昼休みになって、すっかり乾いた丼にお米を盛って、電子レンジで温めればいいレトルトのハヤシライスのルーを温め、お米の上にあけた。ゆっくりこぼさぬようにリビングへ持っていき、ふうふうとしてから食べ始める。美味しい。

 ふと窓の外を見る。未だに雨が降っている。雨が降っている景色だけが見えると思っていたが、それよりももっと目を惹かれるものがあった。

「──美魚?」

 私はハヤシライスを放っておいて、窓に近づく。何度か窓を叩いた。美魚と思われた人はこちらに顔を見せる。やはり美魚だった。学校には行けていないのだろう、制服は着ておらず長袖の上下を着ていた。

「美魚! どうしたの突然……!」

「そら……良かったいてくれて」

「どうしたの」

「ううん、特に何も無いよ。会いたかっただけ、久しぶりに」

「……うん、私も会いたかったよ」

 私は窓に手を触れる。乾いた窓に触れる。

 美魚も同じくする。濡れた窓に触れる。

 こんなにも近くにいるのに、雨が降り出す前のどんな時よりも近くにいるのに、私たちは触れられない。こうなるんだったら、もっともっといろんなことをしておくんだった。後悔の念が渦巻く。

「……そら、元気にしてた?」

「う、うん。こんな感じで雨ばかりで、外には出にくくなっちゃったけど」

「そっか。元気なら良かった」

「そういう美魚は?」

「うん、私も基本的には元気。でもこんな感じだからずっと外にいてあんまり寝れてないな」

「……そうなんだ」

「雨の夜は寒いんだ」

 雨に濡れた窓は、外の情報を容易く遮断する。今美魚がどんな顔をして話をしているのか、私には全く分からなかった。

「……ずっとこのままなのかな、天気」

「分かんないよ。ずっとこのままかもしれない。私はずっと外にいるままで、何もできないかもしれない」

 か細い声は、窓越しで尚のこと小さく聞こえる。私は耳を澄ませて彼女の声を聞いた。

「私、どうなるんだろうな。本当に、雨が当たり前の世界になってしまったら……高校だって卒業できるか分からない、大学だって行けないかもしれない、就職だって、素敵な人に会うことだって……一人で雨に打たれながら死ぬのかもしれない」

「私が隣に、──」

「でもこんな風に、そらは雨の中私とは一緒にいられない」

 ずき、と胸が痛みを訴えた。

「や、でも、っ……」

 何も言い返せない。雨が止むかもしれない。そんな曖昧な未来は口に出すだけ無駄だと思った。何度願ったのだろう、明日には雨が止みますようにと。明日は美魚に、学校で会えますように、と。その願いは、分厚い雲に隔てられて、神様には届かなかった。私は目を伏せる。

 しばらく、沈黙が二人を包んだ。かける言葉も、できる言い訳も、未来の保証もなにも無かった。

「……そら」

「うん……なあに」

「私ね、今まで友達がなかなかできなくてね」

 ぽつりぽつりと、美魚は言葉を零す。窓に遮られてしまいそうなそれを、私は必死で聞き逃さぬよう耳を傾ける。

「できたとしても、体質を教えるとびっくりされて、引かれちゃって。それでいつも、私は一人だったの。でもそらは、最初に私の変な姿を見られちゃって。面白い子だなって、この子となら、ずっと友達でいられるかもしれないと思った。……でも、呆気ないね。こんなにも簡単に会えなくなって、話せなくなって」

 美魚は、寂しそうな声でそう言う。私だって、もっとたくさん、色んなことができると思っていた。雨なんて鬱陶しいもの、気にならない人間に生まれたかった。そうであれば、彼女とずっと隣で、雨の中だって一緒にいられたのに。こんな、不完全な体で生まれてしまったから。

 ──否、私は、彼女といられるのであれば、自分の命など。

 私は窓の鍵を開け、ガラッと窓を開けた。雨の気配が私を包む。そんなことは気にせず、私は身を乗り出して美魚の体に抱きついた。

「そら!?」

「一緒にいられるなら、死んだっていい!」

「駄目だよ!」

 美魚は私を室内へ突き飛ばした。私の喉は、急激なアレルギー反応によってぎゅっと締まる。

「馬鹿じゃないの……!? ねえ、エピペンは? どこにあるの?」

「かば、ん……」

 私は震える指で自分のスクールバッグを指し示す。美魚は窓から部屋へあがって、バッグの中を漁り出す。雨に濡れていなくて大丈夫なのだろうかと思いながら、私は消えそうな視界を必死に繋ぎ止める。

「あった」

 小さく美魚が呟いたのが、遠くで聞こえた。美魚の濡れた指先が私の太ももに触れ、次いでチクッとした痛みがした。意識はそれに少し戻ってくる。しばらくして喉の閉塞感が薄れる。エピペンを投与し終えた美魚は、すぐに窓の外に戻って窓を閉めた。

「……ごめん、美魚」

「私こそ濡れてるのに触っちゃってごめん、辛くない?」

「……うん」

「そら。別に、今触れて欲しくて隣にいなきゃって話をしたんじゃないの。これから先も一緒にいられなかったら嫌だって話がしたかった……だから、今死んだら、その願いは叶わないじゃない」

「うん……」

「約束して。一緒にいるためにも、これからは絶対こんなことしないで。するなら、私が死ぬ時にしてよ……死ぬ時も隣にいてくれるんでしょ?」

 私はこくん、と頷く。それを見て、美魚は少し笑う。

「……会えなくても、友達だよ、美魚」

「そう、かな。遠くに行っちゃった子にしばらくして会った時、気まずくて『ああ、友達ってなんだっけ』ってなるんだ」

「そうなっても、少なくとも私は、ずっと美魚の友達って勝手に言い続けるよ。今までが分からなくなっても、新しく友達を始めればいいと思う」

「……そっか」

 窓のせいで、そう言った彼女の表情は見えなかったけれど、声はなんとなく笑っているように聞こえた。

「ありがとう、そら。そらは私の太陽だよ」

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雨に隔てられて 水神鈴衣菜 @riina

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