1. ショウペンハウエル『読書について 他二篇』岩波文庫

 私はなかなか能率の悪い生き方をしているようで、書店で何かしらの本を探す時、検索エンジンをあまり使いません。たいてい、題名と著者と出版社を調べて、地図を見ながら適当に足を運びます。そして書架に辿り着いたら目を皿にして探すのです。これが本当に馬鹿で、いつも辿り着くのでさえかなりの時間を要します。

 目的の本があればまだいい方で、なんとなくこのような本はないかと興味本位で探し始めると、目移りして迅速に選べたものではありません。酷いときには、小一時間程小首をかしげながら右往左往した挙句、結局何も買わずに帰ることさえあります。しつこいようですが、本当に馬鹿だと思います。

 ただ、そんないい加減な書架巡りをしていると、ふとした拍子に面白そうな本と出合えることがあります。表題の本とはそうして邂逅しました。


『読書について 他二篇』

ショウペンハウエル著、斎藤忍随訳/岩波文庫


 ショウペンハウエルは、ショーペンハウアーと記す方が現代的でしょうが、文庫の表記が前者であるのでここでもそれに倣うことにします。

 勉強していないので詳しくは知りませんが、ショウペンハウエルはペシミズムに代表される哲学者で、世界の最悪説とそこからのユニークな脱却方法の可能性を主張したといいます。ダーウィンが進化論を唱えた時代にあるためか、かなり生への力強さと悲惨さが内包されているらしいですが、それについては別の書籍をご覧になってください。

 本書には『思索』、『著作と文体』、『読書について』の三篇が収められています。一般に想像するような哲学書ではなく、文学や学問全般に対する姿勢についてを痛切に述べた内容となっています。

 読めば分かりますが、その鋭利さは研ぎ澄まされた刃のようだと言っても過言ではないでしょう。特に、学が足りないのに認知されている学者に対しては毒舌の限りを尽くし、いささか冗長と思えるほどに、手を変え品を変えては批判を浴びせています。何度『三文文筆家』という言葉を見たか、思い出すと少し笑ってしまいそうになるほどです。しかし、その一言一句には主張の重さがあり、脳内に心地の良い痺れが走るようでした。

 一言で言えばショウペンハウエルは、思想のない者は他人の思想を借りてパッチワークをしているにすぎない、と主張しているのだと思います。そして、読書ばかりする者は思索することを忘れ、己の思想を持たなくなる、と。

 これは強烈でした。この考えを知った私は、今までは闇雲に知識を蓄え、己の引き出しの中を肥やすことばかりしてきたのではないかと感じました。きっと、その通りだと思います。

 振り返ってみると、あらゆる場面において、己の考えをすっきりとした言語で表現するのが滅法苦手なのです。関連するような話はするすると出て来るのに、要約しようとすると収拾がついていない。やたらにそれらしい装飾を並べて、浅薄な頭脳を悟られまいと必死にもがいている。ショウペンハウエルにしてみれば、そういった姿勢は唾棄されるべき下衆なのだろうと思います。脳裏に浮かぶ私は、酷く惨めに見えました。あぁ、結局私も、しょーもない人間なのだと、心が冷める思いになりました。

 しかし幸いにも、これをきっかけに私は、勇気を得ることもできました。というのも、これまでは私自身の能力の低さゆえに全てが上手くいかないと思っていましたが、『思索』という道具を手に入れられたからです。これは大きな収穫と言えるのではないでしょうか。もちろん、まだまだ未熟でみすぼらしい頭には違いないでしょう。しかしながら、そのまま放っておけば腐って仕舞いです。そんな人生は、私は嫌です。

 いつ何時でも『思索』は出来ます。そうして熟成された思想があれば、事細かな工夫などせずとも、おのずと素晴らしい文体が生じるとショウペンハウエルは言います。本当かどうかは信仰の領域になるかもしれませんが、多少、信じてみてもよいだろうと思えるのは私だけでしょうか。少なくとも、他人の布切れを繋ぎ止めただけの服を着るような、惨めな格好にはならないでしょう。だから、私は思索することを止めません。

 とはいえ、私は読書それ自体が有害とは思いませんし、ショウペンハウエルもそういうことが言いたいのではないはずです。問題は、読書ばかりして、己の問題の答えを他人の中に見出そうとする魂胆。勤勉であることと思想を持つことには大きな隔たりがある。大学以降で抱いていた喪失感の一因を、本書と出合って見いだせたのではないかと思います。

 さて、では思索をどうするか、という問題に突き当たりますが、やはり一定水準以上の知識は必要でしょう。確かに一から己で思想を導くことは崇高で誇らしいものだと思います。しかしながら、人の時間は有限です。悲しいことに、残業だって日常茶飯事です。小さな積み木を一つずつ積み上げるようにして全てを盤石にするには、人生はあまりにも短すぎます。だから、それを支えてくれる土台が必要ではないでしょうか。その礎となるのが、読書だと思います。

 結局お前はいたずらに本を読むのかと、お叱りを受けるかもしれません。しかし、圧倒的に私の知識が不足していることは確かなのです。それら必要な知識を自ら導くには、生涯は短すぎる。だから、知識の取り入れを続けることは今後も変わりません。ただ、これからは得た知識を『思索』によって醸造することができればよいかと思っています。

 失敗もするかもしれません。でも、なぜ失敗したかを考える。理由を問い詰めるのが難しければ、問い詰めるための何か良い方法がないか探ってみる。

 述べるのは簡単ですが、はたしてそう上手く言ってくれるでしょうか。おそらく、また悶々と苦悩する日々が続くでしょう。まぁでも、そんな人生の方が、彩があるような気が、今はしています。どうしても分からなければ、また書店をぶらぶらと彷徨って、運命の邂逅にでも期待しましょうか。

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