小さな夢

「グラス、よく来た」


闇の中から、声が聞こえ。邪神の一柱が、丁寧に一礼した。


「おぉ…、我らが神よ。このグラス、お呼びにより参上いたしまして御座います」



ゆっくりと目の前に現れたのは、顔を血管だらけにしているエノ。


「お前に、頼みたい事がある」


「何なりと、御申しつけ下さい」


即座にグラスが答え、エノが苦笑した。


「箱舟では、労働者は選択出来ねばならない。私はまだ労働内容も待遇等も言ってはいないぞ?」


「エノ様、このグラス。貴女様からの直接頂ける仕事であるならば、仕事をこなすこと自体に否はありません。ならば、決めてしまってから聞いたとしても私めの選択でございます」



「そうか、ならば…。お前に頼みたい事は、レトロ自販機の中身の補充だ。ゲームセンター竜屋の自販機コーナーの中身を作っている俊三(としぞう)が病を患ってな。故に、料理が上手く数をこなせ。そして、信用に足るものを探していた…そしてそれがお前とお前の部下達という事だ」



その言葉を聞き、グラスが限界まで目を広げた。



「その、大役をこの私めに?」



邪神達はグラスも含め、居酒屋エノちゃんの黒貌が居ない時エノが竜屋の自販機で食べている事を知っている。つまり、自分達の神が自分の作った料理を口にする可能性がある。

これ以上ない、名誉とエノからの信用を得たという事。


「是非、お前に頼みたい…。無論、箱舟の労働ルールは守ってもらう。いつからなら…」


言いかけたエノに、グラスが遮って叫ぶ様に言った。



「いつからでも構いません!、たった今からでも!!」



それからずっと、グラスは毎日欠かさず自販機の中を清潔に掃除をし。自販機自体のメンテナンスを覚え、エノが自販機を利用した日等は両手を握りしめて喜びを露わにしていた。


グラスは、レトロ自販機のラーメンや蕎麦やうどんなどに加えトーストやバーガー等も作っては補充していく。焼き芋や、チャーシュー丼にうな重等も季節とタイミング次第で入れ替えていた。


いつでも、一品3コイン(三百円相当)。アイスが一つ一コイン、飲み物はガラスの瓶で一本半コイン(五十円相当)。ポップコーンは塩が一コイン、キャラメル等は二コイン。



他の自販機と比べて、格段に安く清潔にグラスの努力で保たれているからだ。



瓶も消毒や洗浄など、念入りに行われグラスが瓶や器を指でこすったり光にかざしたりしてチェックしていた。


「我らが神の信用を勝ち取り続け、他の奴にこの仕事を回さない為にもグラスの中で妥協は一切許されない」



うな重のタレは旨味や油などをツボの中に一旦落とし、タレと混ぜる。

タレのツボは毎日昼三時から、こして磨き上げ寸胴でツボごと沸騰させては入れ替え。


新しいツボに入れる時に、継ぎ足し用のタレを入れる。


それ専用の人員を置いて、徹底してやらせていた。


「我らは、信用を勝ち取れねばならんのだ!」


衛生面が煩くなっても、箱舟でまだレトロ自販機が稼働できるのはこうした努力あってこそ。カレーの袋も詰めては専用のプレスで閉じ、自販機内でセットで保管している程の徹底ぶりだった。



箱舟の飲食店は、この自販機とこの価格に勝てなければ客なんて来ない。



自販機は本来はお手軽で、誰でも小腹が空いた時に食べやすい価格で提供される。

レトロ自販機は、その特性上中を管理して調理する担当が必ず必要になる訳でその担当によって味も価格も別れるからこそ面白さも温かさもある。



人と関わらずに、人のぬくもりを感じられる。



箱舟には竜屋以外の場所にもレトロ自販機はあるし担当も違うが、殆どはちゃんと外食の平均値段に合わせてインフレしていったりする。



竜屋の自販機が殆ど値上がりしないのは、単純にコインは材料買うのにしか使われていないからだ。箱舟は自販機を稼働させる電気は、ゲームセンター竜屋内であればそれ込みで申請されているためかからず。エノから直接仕事を貰う時に、報酬はポイントでくれと殆どの邪神が申請している。


だから、コインの値札はびっくりな格安値段となる。


彼にも夢は有り、その夢を叶える為に金はいらない。必要なのは、ポイントだけだ。


グラスの夢は、いつか…いつかでいい。


「黒貌殿と同じ、あの方が通われる店の店長を任されたい。邪神として、食を追求するモノとして」


自販機は補欠で、レギュラーではない。少なくとも、我らの神の中では。



「それでも、他の連中と比べて補欠を任せて頂ける程の信用はあるという事。その席が一つしか無いのなら、その席に座るものが自分で無いのなら座りたいと願い続けて邁進するのみ」


我ら、邪神一同にとって金での報酬は余り意味がない。

我らは稼ごうと思えば稼げるし、暗躍すれば済む。



グラス以下、邪神達は皆魔族の神であり自分達の神を心から信奉している。



「選択肢をくれるというのなら、我らの心は決まっております。我らは料理人、旨いモノを作って来て欲しい客の為に働き。ゴミな客は出入り禁止にする、それが当然の権利だ。」


だってそうだろ?



「我らは、客の為に料理を出して飯を食っているんだ。当然、我らがその笑顔にする客を選ぶさ。そして、笑顔にしたい客の為にサービスするんだ。客として認識できないレベルの愚図に出すものは何もない」



お断りで帰らない客や、根拠のないクレームを入れる奴。暴れたり大声を出して営業妨害する様なカスに出すものは無い。



「もっとも、箱舟本店でそんな事をすれば我らが神は黙ってないがな。外の世界と違って、あの方のお膝元で礼を失するというのは、自分で自分の死刑執行書にサインするようなものだ」



我らが神の権能の一つは、全てを掴めるのだぞ。

意識も、魂も、情報も、内臓も手をかざし握りしめるだけ。

たったそれだけで、命すら握り潰す対象に出来る。対象数や距離など関係ない、本当にその気があればそれは何者であろうと例外なく潰せる。


握るだけで、破壊も改ざんも思うまま。

それをしないのは、ひとえに許されているだけに過ぎん。



我らは、客からは信用を得られなければならない。味も衛生面も雰囲気だってそうだ、そこにいけばそれが食えるを実現できなくてはならない。


我らは、レギュラーになりたいのだ。なら、レギュラーになれる信用を積みあげなければならぬ。そうだろ?



「あの方は独裁者ではあるし、逆らう事ができない偉大なる神でもあり。我ら邪神の頂点に座す、世界で一番惨忍な神」


そこに、生者の都合など一切ない。自分が否と言う事に妥協がない、「生きる事を許して頂いている」ぐらいの心が持てなければな。



普通ではなく、我らの神はニートなのだが。



「誰からも、お前働けと言われ。私以外の全ては希望を持って明日を望めなければならないと本気で言ってるアホでもある」


歓迎すべき、最高のぷー。


「この俺は、貴女に見限られない為に今日も美味しいものを沢山自販機につめなくては。安くて安全で早く食べられるものを考える事こそ我らの望む所」



願わくば、我々も貴女の贔屓の店として。

自販機というサブではなく、店と言うレギュラーとして。



その為には、まだまだ信頼を積み上げていかねば…。



この箱舟では、邪神ですら邪悪な事を考えるものは少ない。

ただ、毎日外の労働者とは違う意味の溜息をするものは結構いる。



「エノ様、貴女の食事を作る栄誉は我々がこの世でもっとも欲するモノ。やりがい搾取はやりがいすら与えられないから搾取と呼ばれるのだ。欲するモノの為に邁進する事が、貴女の望む箱舟には必要なのでしょう?」



(我々が欲しいのは金ではない、貴女からの評価だ)



「金は、世界で二番目に万能な交換券。だが、交換券は所詮交換券だ。交換したいものに交換できない券など、チリ紙にだってなりゃしない」


(貴女の評価がポイントで、ポイントで金に換え生活できるなら給料はポイントで貰うに限る)




一方、その頃。そんな、魂から頑張りぬく料理人達の心等どこ吹く風で。



「やっぱ、自販機の蕎麦は最高だ!安いし直ぐ食べられるし、コンビニの様に底上げじゃないものな!適当な暇そうな奴に頼んで良かった良かった♪」と割り箸片手に、吼えながらおやつ代わりに蕎麦を食べている幼女がたまに竜屋にきていて。



その料理人達の心を知る、竜屋の店員から「なんで、あれが崇められてんの?。なんで、あれの料理人になりたいの?意味が判らんのやが」と、白眼で見られている幼女がいた。

決意を固めている、邪神はしらない。

エノは、名前を書いた箱を用意して紙飛行機を投げて箱に入った奴に任せただけなんて。


(世の中には知らない方が良いこともある)



希望の光に、想いをかけて。


今日も、箱舟本店は平和だ。

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