希望のしゃぼん
深淵の命の終わりフロアで、エノに呼び出されたクリスタが膝をついていた。
「久しいな、クリスタ」
普段のエタナではなく、低く底冷えがする様な暗黒より滲む声。
「お久しぶりでございます、エノ様」
エタナとしては、毎日のようにうろついているがエノとしてクリスタの前に現れるのは本当に久しぶりだった。
そこで、エノはふっと笑った。
「クリスタ、今日来てもらったのは他でもない。お前にやってもらいたい事があってな、無論これは仕事だ。ギャラはちゃんと出る」
眼の前にすっと差し出されたのは、ペンダントの様な形の瓶。
「これは?」
クリスタは両手でそれを受け取ると、首を傾げる。
「これは、希望のしゃぼんという。形が駄菓子屋にあるシャボンの安物なのは私の趣味だ。これを、この一瓶が無くなるまで人の国で使ってきて欲しいというのが頼みたい仕事だ。使い方は、普通のシャボンと変わらん。液をつけて膜をはり、蓋についたリングに息を吹きかけるとしゃぼん玉が空を舞う。そのシャボン玉を、出来るだけこの世に絶望してる奴に吹きかけろ」
クリスタが瓶をのぞき込むと、液が虹色に光っていた。
「私は、魔族の唯一神で箱舟の特別顧問ではある。…が人に何かするのは、立場上宜しくない。しかし、人の国は余りに酷すぎる故な。それを吹きかけると、多少その人間の運気が上にあがる程度の代物だが何もなしでは哀れに過ぎるだろう?」
「一度、効果を確かめても良いですか?」
そう、クリスタが尋ねるとエノは両手で拳を作って背中の腰に当て「好きにしろ」と笑うと。用事は以上だと手でしっしとやった。
「出来るだけこの世に絶望してそうなやつに…か」
その手にある、安物のプラスチックの瓶を見つめてクリスタは苦笑した。
「あの方が、くれるものがまともな訳はない。だったら、効果を確かめてから使うとしようかしらね」
クリスタは、人の国でも業務用スーパーのチェーンをやっている箱舟の最高責任者の一人である。
そこで、丁度見かけた小さなボロボロの男の子と母親の二人組。
ちゃぷんとリングを液につけて、そっと息を吹きかけると虹色のシャボン玉が子供と母親の頭の上で弾けた。
ちなみに、シャボン玉が飛んでいる事も弾けた事もそれを使ったクリスタにしか判らない。
「これで、一体何が起こる…?」
使ったクリスタにしか判らないが、シャボン玉と同じ様に親子が虹色に淡く発光しているのが判った。
一週間ぐらい様子を見て、ようやくそのシャボン玉の効果が判るとクリスタは苦笑した。
「やはり…」
そこには、職が見つからずに親が食事を一食にして。子供に三食食べさせていたシングルマザーが、それなりに割の良い職を手にして子供と一緒に笑顔で暮らしていたのだから。
その母親が職を手にした瞬間に、親子の虹色の発光が消えていた。
子供の病気も、母親の体調不良も一緒に消え。
「重症でなければ、病も治るというのか」
難癖をつける客に困っていた、飲食店の店員に吹きかければそのクレーマーが兵士たちに営業妨害で捕まって強制国外退去させられていたり効果はテキメンだった。
「なるほど、その人が手にすればもう一度前を向ける程度の幸運をこのシャボンは与え。それが成ると発光が消える訳か、同じ人間に何度も吹きかける事も出来るがなるべく多くの人に吹きかけたいものだ」
毒親に悩まされてノイローゼになっている商家の主に吹きかけたら、毒親が急死したりとにかく吹きかけた人間にとっての幸運というものを基準に何らかの効果をもたらす事が使っていくうちに判った。
そうして、シャボン液を使い切るとクリスタは再びエノの前に行き空になった透明の瓶を洗って返す。
「空になりましたので、仕事は完遂という事で」
それを、ひょいっと手でつまんで乱暴に貫頭衣のポケットに入れた。
「報酬は、いつもどうり腕輪にいれておく」
そういって、闇に消えようとするエノをクリスタが呼び止める。
「あっ、あのそれをもう一つ頂く訳には」
瞬間、エノの眼がすわってクリスタを睨みつけた。
「ならん」
「何故ですか?」
そういうと、エノが溜息をこぼす。
「本来は、人の神の仕事だこんなもん。人の神は八百万柱もいるではないか、なのに誰一柱(だれひとり)小さな希望すら配らんとは、アホ臭いにも程がある。私は、働きたくなどないのだよクリスタ。こんな小さな一つの小瓶程度の希望なら、うっかり私が部下にサービスのシャボン玉と間違えたと言い訳できるがお前に幾つも渡したならそりゃ確信犯だろうが。何のために、こんな駄菓子屋の安物の瓶に詰め直したと思っているのだ…」
長く長く、台詞の後で溜息を吐いた。
「それでも、欲しいというのならお前が買え。それなら、私は報酬として欲しいモノを売っているから言い訳もできる」
そういって、今度こそ闇に消えていった。
それを、クリスタは血がにじむ程拳を握りしめて言った。
「貴女以外の神は、苦しむものをみても何もしたりしませんよ。ただ指を指して見世物の様に邪悪に笑うだけだ」
そんなクリスタが消えた後、闇の中でエノは胡坐をかいて座っていた。
「見世物か…、ならおひねり代わりに希望位投げてやっても良かろうて。それすらしていないから、人の世は怨嗟と苦悶に溢れているというのに」
闇の王たる自分が、これだけ強大な力を持っているのが証拠だと言わんばかりに苦笑した。
ダストが、そのエノに向かって言った。
「普通の神は、自分の力が弱くなるようなことはしませんからね」
それを聞いて、輝く笑顔でエノが笑う。
「私は普通ではない、神乃屑だ」
ダストもふるりと震えると、声だけが何とも言えなさそうに。
「そうでした、んであれは俺でも買えたりするんですかね」
ダストが、エノそういうとエノは貫頭衣のポケットから希望のシャボンが満タンに入った瓶を一つ差し出した。駄菓子屋の安物のプラスチックではなく、クリスタルで出来た高給そうな大き目の青い瓶で。
「箱舟では、望んだ報酬が手に入る。ただし、私が提示した値段を払えたなら。当然、値段はぼったくりだがな。それでいいというのなら、売ろうじゃないか」
クリスタの様にタダでくれとか言われたら、私だって怒るさ。努力して手に入れる連中への冒涜だからな。
そういって、ダストが抜かれたポイントを見て「高っ!!」と叫ぶ。
「それは、原液だ。水で薄めれば量は増えるが、効果も当然弱くなる」
ダストは、にっこり笑ってエノに頭を下げるとクリスタの後を追った。
「相変わらず、損な性分だなダスト」
そういうと、頭の後ろをごりごりとやった。
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